松村家には9ヶ月の赤ちゃんがいるんだけど、だっこしてる時にお母さんがよく体を上下にゆらしてる。そうすると落ち着くらしい。赤ちゃんをあやすのにもリズムが要るのだ。ゆりかごとかもそう だ。そういう動作も全て荒川修作やシャーマニズムと繋がっているんだと思う。

昨晩まで降っていた雨も上がって朝から晴れている。昨日よりちょっと寒いかも。

いま大和郡山のイオンモールのフードコートにいる。お店やゲームセンターの音やBGMや人の話し 声がまざりあっていてとてもうるさい。さっきインターステラーっていう映画を観た。ツイッターや フェイスブックでみんなが良い良いと言うので気になって、平城宮跡も東大寺も行かずに、思い切っ て郡山のイオンモールの映画館に来た。こういうのは今だ!っていう時に観ないといけないんだ。そしてその選択は正解だった。やばい体験ができた。映画が終わった直後、自分の肉体の不自由さが憎 くなる。さっきまであんなにあちこち行ってたのに、そういえばここは映画館で、3次元の世界で、 それが悲しくて憎い。イオンモールは大盛況だけど、インターステラーはガラガラでもったいない。

朝から小雨。でもすぐにでも止みそうな感じ。気温もそんなに低くない。

だいきくんが3年間に僕とベイブレードをやったことを覚えていて、また一緒にやりたいようだったので、ちょっと一緒にやった。なんか親戚のおじちゃんみたいな気持ちになった。最後は越智さんも 加わって3人でバトルして、だいきくんが1位で僕が2位で越智さんが3位という結果。

今日は僕の家を奈良市の西大寺付近に住んでる松村さんていう人の家に移動させる。メールで僕に 「うちの敷地使っていいですよ」って言ってくれた人。越智さんのところを出発する前に東京のTBS の人たちが取材に来た。朝のニュースバラエティ番組らしい。今回のディレクターは僕の気持ちをか なり汲み取ってくれてやりやすかった。彼は風邪を引いていて冷えピタを貼りながら撮影を指示して いた。熱があるのを表に出さずに仕事をしていて凄いけど、僕にうつさないでくれよと思った。

松村さんの家は松村夫妻と小さな子供が3人いて、全員男の子。もともとモデルハウスだった家に住 んでる。奥さんは、あれこれ言ってくる男の子3人を同時にさばきながら、ご飯の準備をしたりあれ これ用意したり、色々と同時に気を回している。それに加えて数日前までタイ人の学生をホームステ イさせていたらしい。すごい。頭の構造が変わりそうだ。
松村夫妻が 「よかったらもう一泊していってください。平城宮跡とか東大寺とか行けますよ」 といってくれたので、明日もここに泊まることになる。

20141129-095409.jpg

朝から雨。明け方はかなり強く降っていたけどお昼前にはだいぶ弱まった。夕方にかけてだんだん止んできた。気温はたぶん昨日とあんまりかわらない。

今日は、3年前の飛鳥アートプロジェクトで知り合った写真家の越智さん一家に会うために、家を大和郡山市から桜井市に移動させる。まさきくんとだいきくんという男の子が二人いて、3年前に行った時は一緒にベイブレードをやって、長芋をふんだんに使ったお好み焼きを食べさせてもらった覚えがある。久々の越智家は、低い円卓から高い四角のテーブルに変わってたりとかしたけど二人は相変わらずベイブレードをやってて、夜もお好み焼きだった。だいきくんがめちゃ元気で、家の空気をつくってる感じも3年前と変わらずで、ただ今日初めて見せてもらっただいきくんの絵はすっごく良かった。

20141126-115609.jpg

20141126-115627.jpg
だいちゃんの絵

昨日より少し気温は下がったけれど、まだまだ暖かい日。雲もあるけどだいたい晴れている。日差しにいると春のような気持ちになる。

午前中は奈良県立図書館に行って、志村ふくみさんのエッセイと「移動する聖地」展のカタログを読んだ。休日ってこともあって人がたくさんいた。それぞれが思い思いに過ごせる、とっても良い図書 館。貸し出しのパソコン席には若い人から年配の人までたくさんいて、何かの論文を読んでる人や、 スポーツニュースを見てる人や、為替か株の棒グラフを睨んでる人もいれば、麻雀をやってる人もい た。

今日は大和郡山市まで家を動かした。昨日一緒にご飯を食べた人がマンションに住んでいて、そこの 玄関の前に家を置かせてもらった。玄関の前を敷地にするの初めてだ。マンションの最初の入り口の ドアが開く鍵(部屋の鍵とは別)を貸してくれた。鍵を使ってマンションのドアをあけて自分の家に 帰ってくるのは、なんか奇妙な感じだ。このマンションはロビーのところに何故か共用のトイレと洗 面台があって不自由しない。

夜、東北の仮設住宅に住んでる人から電話がきた。旦那さんを亡くしたばかりの人。突然だったらし い。今は仮設に一人で住んでるはずだ。
「そうそうそう。突然だった。びっくりした。でもね、色んな人が集まってくれて、あったかいお葬式だった。」
って、いつもの調子で話してくれた。
「来年は、仮設を出て公営住宅のほうに引っ越してるから、遊びにきてな。部屋が余ってるから。」
「また来年そのへん通りますよ。行きますから元気にしててくださいよ」
「元気元気。ありがとう。」
と言って電話をきった。そこを通る事が仕事だと思った。「近くを通りかかったんで」と言って、そこを訪ねるのが僕の仕事だ。

20141125-110307.jpg

20141125-110322.jpg

寒くないの?とか、ご飯どうしてるの?お風呂はどうしてるの?トイレどうしてるの?とか、そういう質問はそっちゅうくるけど,聞かれてもこっちは「いや、ふつうに生活してるだけです」っていうふうに答えるしかない。「寒くないの?」と聞かれても「寒くないです」か「寒いですけど生きてます」としか答えられない。「重くないの?」もそうだ。「そりゃあ重いですよ」としか答えられない。だって家持ち歩いてるんだから。公衆トイレやコンビニのトイレを使った事がないひとなんているのか。スーパーで弁当を買ったことない人なんているのか。銭湯にいったことない人や友達のお風 呂を借りた事のない人なんているのか。
質問の内容はそのまま鏡のように、その人の生きかたや社会のありかたをあらわしている。荒川修作 はそれを「建築的身体」って呼んだんだ。荒川は偉大だな。彼の
「どのくらい間違ってるか?"徹底的に"間違ってるんだよ、人間の生き方は」
っていうセリフは100%正しい。彼が死んだなんて認めない。

ICCの「移動する聖地」展のカタログに収録されていた港千尋さんの文章をたまたま奈良県立図書館 で読んで、昨日に引き続いてもう1つ大切なリンクを得た。それは「大いなる移動の予感」というタ イトルの文章だった。
「日本全体を自分の身体として感じる」ことはシャーマニズムと密に関係していた。そしてそれは多分荒川修作とも繋がっている。
シャーマンが太鼓のリズムとダンスとボディペインティングによってエクスタシー に到達し、身体を動かさずに意識を彼方まで飛ばす儀式。これは身体の変身の能力。 いつかの日記に書いたあの晴れた日、家を温泉の駐車場に置いて、来た道を戻りながら散歩をしてい た日。ローリングストーンズを聞きながら歩いていたら(酔っぱらっていたのもあるけど)、歩行の上下のリズムにあわせて、意識がどんどん遠くに飛んでいって「土地とダンスをしている感覚」があ った。あのとき僕は、本当にどこまでも飛んでいけそうな気がした。あれはシャーマンのエクスタシ ーとほとんど同じものだと思う。 さらに、ラスコーやアルタミラの洞窟絵画がシャーマニズム的な要素を持っていることは19世紀から指摘されていたらしい。暗い洞窟の中で、その硬い岩の向こう側に「何か」を見て絵にしようとし た当時の人々の気持ちがなんとなく理解できる。
荒川修作さんの
「車道は広いのに、歩道はこんなに狭い。これは間違っている。徹底的に間違ってるんだよ人間の生き方は」
っていう言葉も、今なら完全に100パーセント理解できる。あれは歩行による上下のリズムが身体に与える影響がどれほど大きいかを言っているんだ。車の移動によるリズムのない平行移動が身体に
及ぼす悪影響、ひいては社会に及ぼす悪影響のことを言ってるんだ。
この公共事業のありかたとかバリアフリー化を正義とする傾向は身体をなめているんだ。それは人間を気づかないうちに殺していくと思う。
僕はクラブとかライブハウスで踊るのも大好きだし、夜行バスで寝る時、もっともリラックスできるからだの置き方を見つけるのも得意だと思う。いつか書いたステートメントでほぼ無意識的に「変態」っていう言葉を使ったのもちゃんと繋がっているんだ。僕は身体の問題を理解していた。いまそれがようやく分かっ
た。

今日は暖かい。明け方もそんなに冷えなかった。日差しもあって、昨日に引き続き春みたいな陽気。家は動かさなかった。

大和郡山っていうところに住んでる人からメールがきて、奈良駅で待ち合わせた。僕の日記を読んで る人で「近くを通ったら敷地使ってください」って言ってくれた人。一緒にご飯を食べて、Out of Placeに案内してみた。その人は奈良の人だけど
「こんなところ歩いたことないです」
って言ってた。ギャラリーの隣のコーヒー屋さんにも寄って帰っていった。僕はその人にとっての新 しい場所の開拓を手伝えたのだ。嬉しかった。

夜、津嘉山さんと一緒におでん屋さんに行って色々話した。津嘉山さんは幼少時の経験をヒントに過去に荒川修作の研究をしていて、インタビューもしたことがあるらしい。僕の「歩くってのは土地と ダンスをすることだ」っていう話とか「轢かれた蛇の死体を見つけたら報告するようにしてる」っていう話を聞いて、荒川さんのことを思い出したらしく、いろいろと話が盛り上がった。そこで僕はとても大切なリンクを得た。 僕が大学生の時に散歩サークルの「東京もぐら」をやって考えていたことから現在考えていることまで、知らず知らずのうちに身体の問題とつながっていて、それは荒川さんがやっていたこととほとんど直結してるみたいだ。いろいろなことが、身体の問題にすこしずつ繋がっていく。この社会装置が、当人の無意識のうちに、人の身体にその社会での「振るまいかた」を学習させてしまう、ということに対しての抵抗を荒川さんはやろうとしていたってことが分かってきた。

僕は、たとえ半年前のことでも、日記を読んだり自分の家を置いた場所の写真をみたり、そのとき描いた絵を見たりすると、その日の天候とか空気の感じをからだで思い出せる。前にも書いたけど、電車とか車で平行移動した時におこる「断絶」は、土地と土地を切り離してしまう。それは「ある土地の時間」と「別の土地の時間」を切り離すことにもなる。
僕はほぼ歩いて移動しているので土地と土地の断絶がおこりにくい。今いる奈良県と青森県を完全に同じ地平上でイメージできる。なんで「奈良」と「青森」って呼び方を変えるんだろうとさえ思う。

それは「日本全体が自分のからだになっていく感覚」って呼んでもいい。だから「移動している感覚」もないし、天候とか空気を思い出す事もできる。天候が思い出せるのは、そのときの状況が写真 や描いた絵でイメージできた時だ。「何月何日だった」とか「なんていう名前の町にいたか」とか、 そういうことじゃない。「あの雨の日で、靴が濡れていて海が右側に見えて…」ていうイメージか ら、そのときの「感じ」をからだが思い出す。
歩く事は土地とのダンスだ。それが荒川修作と繋がってくるなんて。ミックジャガーとシチュアシオニストとヘンリーデビットソローと坂口恭平と荒川周作が全部つながってくる。ブコウスキーも「日 雇い労働から文章のつくりかたを学んだ」みたいなことを言ってた。

いま、電車がとまったり車がとまったりすることを「事故」と呼び、それを排除するのが正義とされているけれど、それはある「事故」にであったときの身体の学習の可能性をつぶす事になる。それに
抵抗するために荒川修作は、床が傾いてでこぼこで、あちこちに変な突起があって色がやたらカラフルな家を設計したのだ。

20141124-011137.jpg
柿が洗濯物と一緒に干されてた

東京の友達から久々のメールがきた。
「元気?」
って送ったら
「それが元気じゃないんだよねー。1週間くらい会社休もうかと思って」
っていう返事がきた。
「はー人生めんどい」
っていう返事もきた。
「それは100%わかる」
って返した。

「100%分かる」 って言い切れる事はあるぞ。元気じゃないだよあとか、人生めんどいとかって言葉がこぼれちゃうのは分かるって言えるぞ。それはその人が元気じゃないから「元気じゃない」って言葉がでるわけじゃないと思う。元気じゃないっていう言葉はこの社会装置が人の口を通して言わせるんだ。「休みたい」ってのもそうだ。それは、その人のやる気とかの問題じゃないことはたくさんあ るんだ。この装置が、人の口から「休みたい」っていうセリフを言わせるんだ。
騙されちゃいけない。それは自分の意志じゃないんだ。そのセリフは自分の意志から出るものじゃない。それに騙されて死んだりしてはいけない。

今日はいきなり暖かい。日差しにあたってる時なんかは春なのかと思うくらい。
ギャラリーの人に教えてもらった「アカトキ」というお店に行ってみた。古民家を最小限に改装した カフェ。店主の森田さんがとてもいい。ふわふわとした第一印象だけど、話し込んでいくと強い意志 をもってることがわかって、毒もある。コーヒーもおいしい。

20141124-010629.jpg

家はギャラリーから15分くらい歩いたところにある津嘉山さんていうスタッフの家の駐車場に移動 させた。今夜はここが敷地になる。静かな住宅街で、コンビニも近くにある。スーパーがちょっと遠い。

20141124-010546.jpg

20141124-010602.jpg

奇麗に晴れている。明け方は冷え込んだけど日が出てからは気温も上がってきて過ごしやすい気候。

朝9時ごろ、木津川のおばちゃんの家を出発して奈良に向かう。ここにはまた来たいな。そのときも本を読みながら何か文章を書いて日々を過ごしているおばあちゃんでいてほしい。こうやって大きなお屋敷に一人で住んでいる老人っていま日本中にいるんだろうな。みんな都会に行きたがって少ない人数で住みたがるから。そんで一人で住んでるおじいちゃんやおばあちゃんは日中は屋敷を出て、デイサービスセンターとかに行くのだ。そこで若い人にお金を払って自分たちの相手をしてもらうのだ。なんかおかしな話だ。今までいくつもデイサービスセンターは見てきたけど、どこもなんか異様な雰囲気だった。時間を潰すために時間を潰してる感じ。奇習としか思えない。

 

木津川から奈良までは2時間くらいで着いた。奈良に着いたころ、僕と同い年でこの日記の読者だという木津川在住の男の人が訪ねてきた。2年勤めていた東京の会社を辞めて田舎に戻ってきたらしい。前にもこういう人に会ったような気がするけど思い出せない。

まず奈良のギャラリーOut Of Placeに行った。今夜はギャラリーのなかを敷地として借りることになった。それが決まったら家をそこに預けて、奈良県立美術館でやってた大古事記展を観にいった。島根県の「石見神楽 提灯蛇胴」の舞の映像とそれに使うオロチの被り物が凄まじかった。いつか生で観てみたい。

20141122-133737.jpg

20141122-134803.jpg

20141122-133822.jpg
しか

気温は低いけどカラッとした秋らしい気候。お昼までは曇っていたけど、午後からは快晴。空がとても高い。絵を描き終わってから散歩してみたら、住宅街を出ると京都っていう地名からイメージする ものとはかけ離れた田園と山々の景色が広がってる。あまりにも気持ちがよいので1時間くらい散歩してしまった。

絵を描くのに5時間くらいかかってしまったので、奈良に向かうのは明日にした。ここのおばちゃんは足が悪いので重い物が運べない。
「なにか手伝える事があったらいつでも言ってください」
と言ったら
「いま頼んどこうかしら。植木鉢を運んでもらえる?」
と言われたので、玄関に置いてあった植木鉢を家の外に出して10メートルほど運んだ。これは僕にとってはなんでもない労働だけど、おばちゃんにとっては「不可能なこと」なのだ。僕とは世界の見 え方が全然ちがうんだろうなと思う。おばちゃんは、僕に対してとっても明るく振る舞ってくれるし、話せばいつも大きな声で笑って楽しそうにしているけど、旦那さんを亡くして大きな家に一人で 暮らしていて、さみしくないわけがないと思う。おばちゃんはよく、机に向かって本を見ながら何か文章を書いている。離れもある大きな家で、毎日本を読みながら文章を書いたり、畑にいったりして 一人ですごしている。その日々に2日間だけ入り込めたことが嬉しい。

20141120-215028.jpg

20141120-215011.jpg

 

晴れていて、まれに雲が日差しを遮る。さして寒くもない。とても過ごしやすい。普段は半袖にセーターくらいがいいけど、家を背負って歩きはじめると暑いので半袖1枚でちょうどいい。

朝、近くのガストに行って安いトーストとドリンクバーのセットで数時間粘って絵を描いていたら、 後ろの席で一人客の男性が電話をしはじめた。
「いま?いまガストにおる。おばちゃんがな。俺に幻聴をゆうてくるおばちゃんがな、名前ついてんやけど。その幻聴ゆうてくるおばちゃんがな『モーニングいけ』と…」
と、電話相手に向かって話している。なんだそれ。「名前がついてんやけど」と言ってたけど名前を聞く事はできなかった。

今日は奈良方面に向かってあるいた。アーティストの東山佳永さんが木津川っていう町に住んでるおばちゃんを紹介してくれて、今夜はそこに泊まらせてもらう。
家を持って歩いてる途中で、原付に乗ったにいちゃんに話しかけられた。
「え?なんすかこれ。なにしてんすか?」
「家を持って旅みたいなことをしてます」
「え?家?いやいやいやいや。ちょっとちょっとちょっと、いつからやってるんですか?」
「4月からです」
「しがつ?よん??!よん?!いやいやいや。すげえな!こんなこといったら元も子もないですけど、家いらないでしょ!僕も北海道までヒッチハイクしたことありますけど、それはいらないっすね!邪魔でしょ!」
「そうですねえ邪魔ですね」
「まあまあまあまあ。すげえな。正直、しょうもないことだと思いますけど、突き詰めるとすごいこ とになりますね。今日の宿は決まってるんですか?」
「今日は決まってます」
「そうですか。まあ、がんばってください!」
という会話をした。面白いにいちゃんだった。

木津川についたのは5時半頃。立派な家がたくさん建っている住宅街。紹介されたおばあちゃんの家 は大きなお屋敷で、母屋の他に母屋と同じくらいの大きさの離れがある。四方を塀に囲まれていて、 大きな門もついてる。あとで聞いたけど、築140年らしい。改装を重ねながら奇麗に保たれてる。 そこにはおばちゃんが一人で暮らしてた。おばちゃんは、家を背負ってる僕をみた途端に
「それで歩いとるんか!?」
と叫んで、両手を叩いて笑い転げていた。東山さんが「徳の高い方」と言ってたのが分かった気がし た。 晩ご飯を食べさせてもらいながら話をした。おばちゃんは旦那さんを亡くしてから、この大きな家で 一人で暮らしている。大きな声ですっごく楽しそうに笑って話すけど、たまにハッとさせられるよう な鋭い目つきになる。おばあちゃんが生きてきた80年の歳月が表情に滲み出てる。

20141120-214821.jpg

今日も割と暖かい。日が出てるけど雲もあちこちに浮かんでる。時々、肌が感じない程度の雨が降る。京都はこういう雨が多いのかな。

田谷さんの実家をお昼過ぎに出発。奈良方面へ向かう。1時半ごろにでたので、3時間くらい歩いたらもう暗くなってきた。そのころには宇治駅の近くにいた。

「ほんわかテレビ」や京都新聞で取り上げられたこともあって、道ばたでよく話しかけられたし、敷 地の交渉のときもすごく親切丁寧に話を聞いてくれたり面白がったりしてくれるんだけど、敷地を貸 すかどうかは別、というか、すごくおもしろがるけど敷地は貸せない、という人が多い印象。
5、6 軒のお寺をまわって、1軒はもう廃墟になっていて、1軒は住職がいないので判断できない、1軒は
「在家のお寺なのでそういうことはできないんです。わかっていただけたら…」
と断られた。残りはチャイムを押しても反応がなかった。
もう6時半くらいになって、いよいよヤバいと思ってコンビニにもあたってみたけど、店長がいないから無理だった。そのあと、かなり勇気を振り絞って教会にアタックしてみた。フィリピン人の優し そうな牧師さんがでてきて、まだ慣れてなさそうな日本語で
「ちょっといま責任者に電話するからね」
と言って電話をかけてくれた。電話越しにもう一人の牧師の方と交渉して、名前と住所と電話番号を聞かれる等、やりとりした結果
「一晩くらいだったら大丈夫かと思います」
と言ってくれた。もう7時になってた。
あぶなかったけど、ここの立地はすごく良い。
ここらには数年前に旅行で来たことがあって、観光地としてのイメージしかないので、夜、手ぶらで歩くと不思議な感じがする。僕の家から宇治駅まで徒歩 5分で、宇治川もすぐ近くに流れてる。平等院も近い。あちこちに抹茶やお茶のお店があって、休日 の昼間なんかは人がたくさんくるんだろう。

20141119-115607.jpg

20141119-115620.jpg

割と暖かい日。曇り時々、気づかない人もいるくらいの雨。