また適当に震災と答えてしまった。この言葉は使われすぎてる。現在は正常な時間が流れてるみたいで嫌だ。いまは正常ではないし、この問題は当分解決しないだろう。僕が気づくずっと前から異常事態で、この先も当分異常事態は続くだろう。
僕自身もこの言葉を使いすぎて本当にそうだったのかわからないくらいになっている。自分なりに普通に考えていくとこうなるからやってるだけだ。もう絶対に適当なことは言わない。

今日お昼に外を散歩してたら、遠くの山がとても鮮やかな緑色に変わっていた。明るい時間に散歩なんてしばらくしてなかったから、ちょっとびっくりした。いつのまにか季節が変わっている。いろいろな種類の緑色があってとても綺麗にみえた。なんとなく山が喜んでいるように見える。同じ山なのに前に見たときと全然印象が違う。庭を見ているような気持ちになった。こうやって季節の移り変わりとかを「綺麗だ」と思うことは、同じ土地に住み続けることで発達したんじゃないか、と思った。自然を乗り越える対象から愛でる対象に転換させたことはすごく画期的なことかもしれない。カンバセイション・ピースにも庭の木に水をまくくだりがでてくる。子供の頃に登った木と同じ木でも、時間がたっているから違う形になっているはずなのだけど、同じ形にみえるのは何故なのかという考察がでてくる。

庭をつくることと、同じ土地に住み続けることにはどんな関係があるのか。家の近くにある「自然」に手を入れて、窓からの景色を変えていくってのはどういうことなのか。

瀬戸内芸術祭での持ち寄り鍋生活も始めてから20日以上経った。昨日は雨も降っていたので鬱々としていて、からだが地面に溶けそうだった。毎日がもう修行以外の何物でもない感じになっているけど、肝心なのはこの鍋生活がおわってからどう展示するかなのだということを思い出したら、なんだかやる気がでてきて、今日は展示プランを練ったりしていた。無意識に地面に置いてしまうものをいかにコントロールするかが大事なので、畳や床板の扱いをどうするかということも考えないといけない。そんなことを考えていると、不思議と気持ちが回復してきた。「退屈を感じる」ということは脳が「もっと使われたい」という信号を送っているということだと思うけど、退屈という気持ち自体が脳にとってストレスなので、それを放っておいたら、脳はストレスを和らげるために退屈を感じないよう、自らのスペックを下げていくのかもしれない。それが鬱々とした気持ちにつながっていく。

今日いつものように鍋を食べてたら芸術祭をみにきたという人から「仕事は?今日は休みなの?」と聞かれた。鍋を指差して「これが仕事です」と答えようか迷ったけどやめておいた。どうも住むことを作品化しようとするとこれをよく言われる。普通は住むことと仕事を切り離して考えるらしい。「収入」のこともプロジェクトに組み込まないといけない。

芸術祭のために小豆島にきて、家を建て、鍋生活をする前までは結構絶え間なく移動していたから、この数ヶ月間のあいだで、ヒトが定住を始めてから退屈が生まれ、退屈がうまれた結果文化が複雑に発達していったというヒトがたどったプロセスを追体験している。

移動しているときは洗濯に困らなかった。コインランドリーもしくは洗濯させてもらえるところ、もしくは洗面台がある水道がつかえる場所にいずれ行き当たった。小豆亭の近くにはコインランドリーも洗濯できそうな洗面台もないので不便だ。洗濯機を買いたい。

震災から1週間後に放送されたインターネットニュースを聞いてみた。番組に出ている人たちはみんな「この災害は、エネルギー政策や社会をありかたを問い直す転換点になることは間違いない」と言っていた。その上で今の状況を見返してみる。僕たちは「自分たちがこの社会をまわしている」という実感をまだ持ってるだろうか。実感というか、自信を持ってるだろうか。

「僕たち」というのは抽象的な存在ではなく「僕たちのからだ」のことだ。このからだがこの社会をまわしている。社会の原動力はからだの他にはない。このからだが食べ物を食べたがることや、排便をしたがることによって経済活動が作動する。「お腹が減る」ということが、この大きな社会のエネルギーになっているのだ。お腹が減ることはコストではない。死んだらお腹は減らなくなってしまうから死んではいけない。この自信をちゃんと持たないといけない。

からだと生活と経済を全部同時に考えないといけない。ここが過渡期か。