日比谷野音から始まった「がんばろう!1000万人署名集会」のデモ隊と一緒に歩いてみたら、歩道を歩く多くの人たち(一部では応援したり、デモに混じったりする人もいたけど)が、僕たちのことを、何か凄い汚いものを見下すような、殺気とも感じられるような目でみられた。そんな‥ここまできついのかと思ってしまった。これでは投票しても変わらないと思ってしまった。
で、そのあとデモ隊を離れてさっきまで自分がいた隊列を歩道から眺めてみたら、「原発反対」とか「NO NUKES」のプラカードの他に「30人学級の実現を」とか「団塊世代の全国ネットワーク」などいろんなノボリがあって何のデモだかよくわからない場所があったり、コールアンドレスポンスに「切実さ」が足りなくて、聞くに絶えない感じになってたりで、さっき歩道から見てた人たちの気持ちが分からなくもないなあと思ってしまった。

ぼくは、原発に対して「賛成か反対か」のどっちかではないという話も分かるし、ぼくもそう思うけど、「賛成か反対か」迫られたときに、各々が、自分はなんと答えるべきか考え、「何かその人なりの決断」をみんながするために、国民投票は必要だと思った。
ぼくは、「上のそしき」に向かって「変えろー」とか「やめろー」とか言っても、たぶん「上のそしき」は変わらないから「その人が個人として、事態に対してアクションをおこす」ことが大事だと思った。「原因療法」じゃなくて「対症療法」で。
で、ぼくはその人たちが「動きを取るべきときに取れるように、その人たちに「風」をおくろう」と思った。

 10月31日夜から11月3日夜まで、遠藤一郎さんの未来へ号バスに同行して、石巻、女川、気仙沼、大船渡、陸前高田、福島などをまわって来ました。凧揚げやピクニックや屋根のペンキ塗り等を通して、住民のひとたちとお話をしてきました。
たくさんの人からプラスのエネルギーを強く感じました。"ふつうの事"がとても輝いて見えました。また行きたいです。

せんだいメディアテーク。最上階は地震で天井が落ちたため、復旧工事中でした。

10月24、25日と仙台に宮城県にいってきました。津田翔平さんhttp://shoheitsuda.net/ とふたりで行って来ました。

人と会うためというのと、津波の被害を受けた場所を見るために行きました。
恥ずかしながら、震災後東北にいったのはこれが初めてです。
なぜすぐにいかなかったのか考えました。ひとつは空鼠の契約日が3月11日で、僕たちは自分たちの寝床を確保するためにビルの改修で忙しく、空鼠オープニングの4月10日までは正直震災どころではなかったです。その間まわりでいろいろな人が東北で活動したり、西へ逃げていったりしました。僕はオープニングの後、なんだかタイミングを失ったような気持ちになりました。どこかで、一目見なきゃとは思っていました。そのまま半年以上経ち、先日仙台の方と連絡を取り、行くタイミングを得ました。そして津田さんと日程を合わせ、一泊二日で行って来ました。
せんだいメディアテークでたまたま「武蔵野美術大学交友会宮城支部」の展覧会が開催されていました。受付をやっていた方に話しかけたら、とても喜んでお茶とお菓子をごちそうしてくれました。メディアテークでは河北新報の震災写真展やタノンティア資料室、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の映像上映など、震災がらみの展覧会がたくさん開催されていました。
河北新報の写真展は、多くの人で賑わっていました。
あるおばちゃんたちのグループは震災後の航空写真を見て「ここは○○病院があったところよねー。」という会話をしながら写真を見ていました。「この写真、泣けるねえ」という言葉も耳に入りました。このときは、こんなにたくさんの市民が、いったいどういう心境で、この写真展を見にきているのか、想像できませんでした。
25日。
メディアテークの近くの自転車屋さんで自転車を借りて(2日で500円!)海の方へ。上の写真はまだ市街地です。
海まで約1キロのあたり。津波が来たところは「ここは来たな」というのがなんとなく分かります。このあたりは街灯やらフェンスやらが軒並み倒れていました。
若林区長浜あたり。瓦礫の移動作業中でした。仮置き場といったところでしょうか。
そのまま一気に松島へ。仙台から25キロくらいです。
芭蕉の句でも有名な観光地ですが、この島々のおかげで、海沿いの町は津波の被害はあまりないようです。観光客もみかけました。とっても良い景色!
これは松島から東松島へ行く途中の駐車場でみかけた、車輪のついた家!
これすごいです。先端にはトラックで引っ張るためのフックのようなものもありました。電気もひいていて、どうやら人が住んでいるようです。お話を聞きたかったのですが、ちょっとためらってしまい、やめました。これで家族ごと、建物ごと避難してきたんでしょうか。
これは東松島市。仙台から40キロくらい。ここはまだまだ家の解体や瓦礫や泥がのこっていて、人もまばらでした。とっても静かでした。
津波と一緒に押し寄せた泥が町の地面を覆っていて、流された建物の基礎も見えず、草や苔がたくさん生えていて、さながら湿地帯のようでした。ときどき目に入る、長靴、子供用のヘルメット、サンダル、原形をとどめていない自転車、Tシャツ、こどもちゃれんじのCDなどが、ここで人の生活があったということを主張していました。
とにかく静かでした。
石巻市。仙台から50キロくらい。
こんなに遠くまで見渡せるなんて。
石巻は瓦礫撤去の工事があちこちで行われていて、人もよくみかけました。
変な言い方ですが、東松島に比べて"活気"がありました。
海の方を見ると、15メートルくらいの瓦礫の山が見えました。
そしてよくまわりを見ると、その山が、町の周囲をぐるっと囲んでいました。
地面には容赦なくどんどんと草が生えてました。
そして仙台に帰りました。
仙台は、市街地と海岸沿いの地区で被害状況がまるっきり違い、市街地ではもう震災の爪痕はほとんど見当たらず、被害も少なかったようです。もともと地盤が強く、家も耐震対策をしっかりとしたものが多かったのが幸いしました。
しかし海の方へ行くと、波に流されて原型をとどめていない車の山や、瓦礫の山がたくさん見当たりました。仙台の市街地に住む人たちは、すぐ近くの沿岸部にも行った事がある人がほとんどなので、「知り合いが亡くなった」「知り合いの家が流された」という経験をみなさんがしています。
「あの日海の近くでイベントがあり、もし自分の旦那がもう少し長居していたら…」という話も聞きました。
僕は東京でも同じような話をいくつか耳にしていました。ただここは、被害が酷い地域とあまりに距離が近く「こんなに近いのに、なぜ自分はこんなに無事なのか」という心境の人がたくさんいるのかもしれません。
メディアテークで震災がらみの展覧会がたくさんやっていたのも、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が立ち上がったのも、この心境から来ているんじゃないかと思いました。
また行きたいです。

映画「underground」観てきました。
これは旧ユーゴスラビアにまつわるお話で、第2次世界大戦中にユーゴがナチスから攻撃受けてる場面からはじまって、冷戦を経て、92年のユーゴスラビア内戦の場面で終わります。
共産党員や、「パルチザン」と呼ばれるユーゴ占領軍に対する抵抗勢力の視点で描かれています。
ナチスによる爆撃のさなか、パルチザンの「マルコ」さんが、電気工の「クロ」さんを共産党に入党させ、ナチスに対抗するために広大な地下室に避難させます。そこがアンダーグラウンドの世界で、そこでは武器の密造が行われています。
第2次対戦がおわり、マルコはユーゴスラビア祖国解放の英雄になりました。しかし、クロを含む地下世界の人達には「対戦はまだ続いているから武器を作りつづけろ」と嘘をついて、利益を自分のものにしていました。それが20年くらい続きました。
地下世界では、入浴やトイレや無駄毛剃りや散髪や子供たちによるサッカーまで、地上と同じくあらゆる事が行われていて、世界はそこで完結し、地下で生まれた人は外にでる必要性を感じなくなっていました。クロには息子のヨヴァンがいましたが、彼は外に出た事がありませんでした。
地下のみんながマルコを信じ、もう存在しないナチスに対して「クソナチスめ!」という感じで毎日せっせと武器を作っていました。
だれも「外に出てみよう」とは思いませんでした。
ある日、地下で作った戦車がチンパンジーの手によって暴発し、地上に通じる穴があきました。
そこから、クロとヨヴァンは「この手でナチスと戦う」ために武器を持って外に出て行きました。他の人はだれも出て行きませんでした。
マルコはこのあと葛藤の末、地下世界を爆破し姿をくらましました。
1992年、クロはまだいきていました。「クソナチスめ!」と言いながら、連合軍と一緒にユーゴスラビア内戦(クロアチア対セルビア)に参加していました。
もうナチスは存在しないのに。
彼は、自分が戦っている相手が、同じ旧ユーゴスラビアの人間だと気付いていないようです。連合軍の兵士が彼に問いました
「あなたはクロアチア勢力なのか、セルビア勢力なのか?上官はいるのか?」
彼は答えました。
「俺はクロだ。(上官は)祖国だ」
最初から最後まで登場するマルコの弟イヴァンがいるのですが、彼は1992年の描写で、もう存在しないユーゴスラビアが存在しているという幻想の世界で生きているため、ベルリンの精神病院に入れられていました。それをみて、園子温さんの映画「愛のむきだし」でゼロ教会から救出された人が精神病院にいる場面を思い出しました。
イヴァンはその後真実を知らされ耐えきれなくなり、崩壊したかつての地下世界に帰って行きます。その後彼はマルコとたまたま再会し、怒り、マルコを殺して自殺します。
なぜ地下の子供たちは外に出たがらなかったのか考えました。
僕は「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)in東京」で出会った泰信さんのお話を思い出しました。彼は代々木公園で理不尽な暴力を受けて動けなかったあいだ、まわりのホームレスの人達から「お前が悪い」とか「殴られて当然だ」という話をされ続け、「自分が悪いのかな」と本気で思ったそうです。しかし、体が回復してから代々木公園から逃げ、家に帰ってまわりの友人に事の次第をはなしたら、みんな「それは酷いことだ」「お前は悪くない」と言ってくれたので、ほっとしたそうです。
たぶん、生まれた時から地下世界で育った子供たちは、外の世界の存在すら想像できないのだと思います。人間の、「善or悪」や「面白いor面白くない」を判断する能力は、その人が接しているまわりの状況によってつくられるから、「もっと広い世界を知っている人の目から見たら理解できないことを当たり前と思って生きている」ということが簡単に起こるんだと思います。
真実を知らないまま爆破されて死んでいったアンダーグラウンドの住人たちと、真実を知って自殺したイヴァンと、どちらが幸せだったんでしょうか。いつも気をつけてないと僕たち自身も、多分あっというまに「ある幻想」の中で生きてしまう危険があると思います。というか多分、誰もがいくつかの「幻想の中の世界」で生きている部分があると思います。
ちょっと前に仲間内で話題になった「ある学生団体」の合宿の映像が気持ち悪い、という話も思い出しました。「合宿」っていう言葉の響きはちょっとこわいです。
でも僕たちがいま送っている日常生活も何かの「合宿」かもしれない。と思うともっと怖いです。

吉原神社奥の宮の壁画進行状況
僕がいま仲間と4人で暮らしている空鼠は3階建ての屋上付きのビルで、隣りには大きくて高い工務店がありました。それが、屋上から見た空を狭くしていました。
しかし、いまその建物がこわされています。壊されたあとは10階建てのマンションになってしまうので、もっと狭くなっちゃうのですが、いまはとっても空が広い!スカイツリーもよく見えます。だから今日はちょっと屋上で寝てみる

日本人は日本を離れても日本人でいられるかな。
たぶん僕たちは生まれ育った地域を離れ、土地を転々としたとしてもアイデンティティを保てるように自らを変えていかなきゃいけないと思う。「地域再生」ていう言葉の意味ももう一回考えなくちゃいけないと思う。震災を経験してからも「サイトスペシフィック」とかていう言葉を無自覚に使うのは罪深いことだと思う。

今日アトリエ空鼠として、吉原神社弁財天の壁画を描きはじめました。

 

藝大先端のともみちゃんと、小山と、村上の3人で半日やりました。

筆で絵を描くのが久しぶりだったので、今日半日やって、ようやく慣れてきた感じです。やっぱり大きく絵を描くのは楽しい!

 

 

年の暮れにはお披露目イベントを構想中です。そのときは告知するので是非遊びに来てください!

 

村上

 

三宅島めも
 9月23日三宅島大学講義「坪田の言葉を聴こう」をうけて

山本先生と加藤先生2人の講師が、昔使われていた言葉やうたをうたって、それについて解説するところからはじまって、それがだんだん、かつての「島の生活」についての話に変わっていきました。
学校が終わったら、牛の世話や、天草とりや炭焼きなど、家の仕事をするのが当たり前だった。話を聞いてるうちに「ぼくたちは生活するために生きている」という基本的な事を教えられたように思います。うまくいえないけど「生活するために仕事をする」ではなくて「生活するために生活する」という生のありかたを感じました。
面白い授業でした

奈良で「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のドキュメント映像を上映します。
【NARA 映像コテンパンダン展2011 in ならまち】
会期:9月17日(土)18日(日)19日(月 祝)
会場:奈良市内の公共施設、民間ギャラリー、カフェ、店舗など約20カ所
1300年以上の歴史が続く古都奈良のまちで、映像アートに特化したアートプロジェクト『NARA 映像コテンパンダン展2011』を本年9月に開催します。昨年10月に開催した奈良アートプロム2010のコテンパンダン展形式をふまえ、現在現代美術の分野で活躍する映像作家の作品をならまちの中で同時多発的に展示、上映します。
実はこの時期(同じ会期)、奈良国際映画祭のプレイベントが同じエリアで開催されることになっています。
奈良は古くて静か、そしてどこか暗がりの多い街、そんなイメージの中で、先端的な現代美術の映像と映画がならまちの全く違った側面を照らし出します。
まちの中を歩きながら映像作品に出会うこのアートプロジェクト、個性豊かな映像と映画の作品が相乗効果を伴って、来場者の心に強く印象付けられることになるでしょう。
出展予定作家 : 稲垣 智子、 大橋 勝、 金子 遊、 木村 真由美、 キリコ、品川 亮、竹内 邦晶、多田 ユウコ、土屋貴史/TAKCOM、のぎすみこ、白玖欣宏+平岡佐知子、林 勇気、平川 祐樹、前田 剛志、 Marco Mazzi、森村 誠、 村上 慧、 吉岡 俊直  他、

公募部門入選作家( 伊藤 友里、大歳 芽里、トーマス、三田村 龍伸 )や、一般参加作家( 鍵 豪、擬態美術協会、津川 真里奈、中島 麦、やまもとひさよ、5*season )が加わります。(敬称略、50音順) 

主催:奈良アートプロム実行委員会
18日の16時からトークイベントにも出演します!

詳しくは
http://nara-art-prom.tumblr.com/

また、9月下旬は「引っ越しと定住を繰り返す生活 in三宅島」を敢行する予定です。このパフォ-マンスはフィールドワークとしても使える。
9月下旬の三宅島は、近藤良平さん、EAT AND ART TAROさん、日比野克彦さん、山城大督さん、遠藤一郎さん、加藤文敏先生、金沢宏紀さん、安野太郎さん、橋本匠などが滞在するっぽいです。賑やかになりそうです。よかったら遊びに来てね。19日が開校式です
http://vanotica.net/38k_u/pdf/miyake_u_0815.pdf

 報告が遅くなりましたが、17日と18日に上映会やりました。
17日には8人、18日には13人の方が来てくれました。どうもありがとう
写真を撮るのを完全に忘れていましたので、うまくお伝えできませんがとても楽しかったです。
映像を観ながらお話しして、終わったあとは僕の家に同行した人の口からエピソードがでてきて、新鮮な経験でした。映像と数人の語り部による、イベントのような、インスタレーションのような、パフォーマンスのような空間になってました。
さてこの「引越と定住を繰り返す生活(仮)」ですが、今年の秋に奈良でやる事になりそうです。
まだ詳細が出てないのでなんともいえませんが9月の17~19日の「映像コテンパンダン展」という映像に特化したアートプロジェクトに、今回の上映会で流した映像を出品することになりそうです。(多少変更するかもしれませんが)
18日にはトークイベントもあります。
そして、11月に行われる「飛鳥アートプロジェクト」にて、「引越と定住を繰り返す生活(仮)in奈良」を敢行することになりそうです。また決まり次第このブログでお伝えします。
今年の秋は、皆さん奈良に来てください。
そして僕は「三宅島大学プロジェクト」
http://www.bh-project.jp/artpoint/program/area2011/miyakejima2011-01.html
のレジデンス作家兼リサーチャーとして7月25日~8月11日まで三宅島に行って来ます。そのブログを近日立ち上げる予定なので、よかったらそっちも見てください。
よろしくです

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どこか別の星に引越しするとしたら

久しぶりの更新です。僕はいま、新しい作品のための準備をしてます。
いまここでざっくりとした新作のプランを発表します。
「引越しと定住を繰り返す生活」(仮)
実施期間:5月15日(日)~6月3日(金)(予定)
この作品は、カタツムリの殻のような背負える家を作り
僕はその家とともに、いま暮らしている浅草のアトリエ「空鼠」から恵比寿のギャラリー「工房 親」に向って
引っ越しと定住(生活)を繰り返しながら移動していき、道中、移動をやめるごとに、近所の家や道行く人に、引っ越しの挨拶回りなどしながら。映像や写真で記録も撮りながら、
あわよくば僕の小さな家にお客さんなどを招き、絵や思い出を残してもらいながら、
5月19日(予定)に「工房 親」に到着したら、5月29日までそれらをまるごと展示しながら僕も生活して、再び空鼠に帰ってくる。
という感じの作品です。
浅草から恵比寿までの道中全てが展示のような状態になりますが、主な発表先は「工房 親」で行われるグループ展です。以下詳細です
☆☆☆☆☆☆☆☆
「KNOCK!KNOCK!-7人の来訪者来る-」
小山一平 渋谷治越 城野茜 関真奈美 村上慧 吉野もも yona
日時:2011年5月19日(木)~5月29日(日)
   12:00ー19:00(日曜18:00終了)月・火定休
   ☆5月29日(日)16:00~18:00 トークイベント
場所:工房 親 Gallery Kobo Chika
   〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-21-3 Tel/Fax 03-3449-9271
   http://www.kobochika.com
   info@kobochika.com
   ・地下鉄日比谷線「広尾駅」2番出口徒歩6分(近道=広尾商店街を通る)
   ・渋谷より都バス06 新橋行・赤羽橋行
    「広尾5丁目」下車 明治通り渡り一本道を路地を右へ
☆☆☆☆☆☆☆☆
僕のイベントとしては、(順当にたどり着けば)5月19日の夜に、工房 親で引越祝いパーティーをやる予定です。そのときに、浅草からの道中で知り合った人にも来てもらえればなあと思ってます。
いまはまだこんなざっくりしてますが、これから何かが決まり次第随時更新していきますね。
ちなみに、最近の「背負える家」の制作状況は
こんな感じです。これは一週間以上前の写真ですので、今どういう状態かは、また更新していきます。
みなさまよろしくです

4月10日の日曜日、僕含めた4人の作家の活動拠点となる、アトリエ兼ギャラリー「空鼠」のオープニングイベントをやりました。

空鼠は、浅草駅から歩いて20分ほどのところにあります。縁結びで有名な今戸神社の近くです。
この花輪は、お世話になった不動産屋さんの社長が送ってくれました。
僕がこの日のために作った「六畳一間」という作品。写っているのは松戸家でお馴染みだった神田さん
おなじく松戸家でお馴染みだった森美さんと彩さんも来てくれました
これは、このブログで紹介するのは初めてです。「部屋のめがね」という作品。
僕の友達が住んでる実際の部屋の間取りを再現して、めがねにしたものです。このシリーズはいまのところ世の中に10個あります。
部屋のめがね(詩織)をつける、お客さんのMike
チーズと鼠の足跡の演出。気付いた人いるかな
パーティーの時間が近づくと、お客さんが増えて来ました。
お客さんは、1番多い時(18時くらい)で100人近くいました!
これは、空鼠メンバーの橋本匠によるパフォーマンス。彼はフンドシをよくつけています。
19時半頃、Mikeがギターの弾き語りライヴをやってくれました!ロックンロールナンバーが多くて楽しかった。
Mikeのライヴが終わった後の、スーパーパーティーの様子。80人くらいの人と夜までパーティーしました。
来てくれたみなさん、ありがとうございました!
これからもよろしくお願いします。
おしまい
(一部の写真はmonsuの撮影による物です。ありがとう。
 http://monsu22.blog3.fc2.com/blog-entry-239.html#more)

みなさま。
このたびの未曾有の大震災、心よりお見舞い申し上げます。皆様、ご家族の無事を祈っております。
さて、先日僕は先日武蔵野美術大学を無事卒業する事ができました。そして4月からは美術作家として活動をはじめます。今は新しい作品に向けての準備をしています。
こんな大変なときですが、展覧会およびオープニングイベントのお知らせをさせてください。
☆☆☆☆☆
☆私たちは4月10日より、アトリエ兼ギャラリー「空鼠」を立ち上げます。
メンバー 阿部圭佑、小山一平、橋本匠、村上慧、+吉野太基
下記はオープニングイベントのお知らせです。
みなさまお誘い合わせの上、浅草の観光ついでにお越しください。
<アトリエ空鼠>オープニングイベントのお知らせ
☆日時:4月10日(日)
 ・展示:11時~19時くらい <メンバー5人によるグループ展>
 ・スーパーパーティー:17時くらい~夜まで
☆場所:東京都台東区橋場1-7-5
銀座線・浅草線・東武線「浅草駅」より徒歩18分


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※ちなみに、吾妻橋の交番近くにレンタサイクル屋さんがあり、自転車が1日200円で借りられます。便利です。
よろしくお願いします。
空鼠一同
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