僕は最後に一つの展覧会をやるために今の活動をしている。これは「プロジェクト」って言葉を聞いた時に連想する、なんかもやっとしたものではなくて、純粋な、展覧会というゴールのための、制作活動のつもりでやっている。それは昔ながらの、それこそモダニズム以前の画家の気持ちで。
誰とは言わないが、終わりのないプロセスや、より多くの人と繋がる事が史上の価値であるかのようなプロジェクトを展開している人達。彼らはプロセスに終わりを設けない事によって、批評から逃れ続ける。価値判断をさせない。ずるい。
僕はもっと具体的な、ひとつのイメージの力。形を持ったストーリーの力。一枚の絵の力を信じていたい。

今日も芸大に滞在。別件の仕事の絵を一枚描くなど。

自分の居場所を簡単に定めてはいけない。次の場の可能性を考えずにその場に留まってしまってはいけない。「良い」とされるものの中に創造性があるわけがない。必要とされたら、すぐに出て行かなくちゃいけない。すぐにやめなくちゃいけない。

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今日は芸大に通うナカザワさんのアトリエに家を置かせてもらう。上野。
高田冬彦くんとばったり会って一緒にご飯を食べるなど。

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眺めがいい

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朝食をいただいてしまった

朝、新藤さんと亀有で待ち合わせして、ギャラリーを見に行く。

昼に野村さんの家の絵を描いて、コピーにサインをいれたものをプレゼントする。

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昼食もいただいてしまった。

そのあと、新藤さんに勧められて日暮里のhigureというアトリエでやってる「ゲームボーイ」という展覧会を見に行く。展示を見ること自体が久しぶり。美学校の天才ハイスクールの二人と、多摩美卒1人を、ナオナカムラさんがディレクションした展示。ナオナカムラさんの展示は、前に堅田さんの展示をみた以来。今回展示してる作家はみんな初めて知ったけれど見応えがあった。多摩美の佐藤くんは自分の体のこともあり、命がけで制作しているようだった。その話ぶりは、彼が作家として生まれてしまった業を感じるようで、僕も背筋が伸びた。石井くんも、自分の家庭のことをとりあげていて、制作と家族との生活が地続きになっているようで、不思議に思った。僕はたぶん、家庭内でおこった出来事を制作に転回することができない。
石井くんとひろせくんは、ごく自然に、自分の表現を美術と呼ばれているものに寄せようという、緊張感(?)なく作品を作っていて、それは羨ましかった。
とくにひろせくんとは深夜まで話し込んで、彼と僕はキャラクターは全然違うし、(彼も言っていたけど)学校とかで出会っていたら絶対友達にはならなかったタイプの人なのだけど、こうして表現の場でであってみると、持って生まれた業のようなものに共通点があるように感じて、話が自然にできた。彼はネットカフェで暮らす人にインタビューしていて、それをネットカフェ難民と呼んだメディアに対しての抗議のアクションをしたりしていて、ごく自然に代弁者として行動できていて、かっこいい。

夜はみなさんと飲みに行って、higureで寝る。

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窓から見た桜

昼過ぎまで日本橋周辺をうろうろする。

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古い町の一角がそのまま残されたような場所を見つける。ここで絵を一枚描く。

そのあと水上さんの実家の、葛飾区立石にあるレノロココというカフェに遊びに行く。

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そこで、同じく立石に住んでる新藤さんとも合流。水上さんも三田の家から来てくれた。三人で、新藤さんが紹介してくれた、僕の今夜の滞在先の野村さんの家に行く。野村さんの家は、前にも新藤さんが紹介した作家の人が半年くらい滞在していたらしい。

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イルカちゃん。かわいい

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みんなカレーを食べさせてもらう。水上さんと新藤さんが帰った後、夫妻が出会った経緯について話を聞いているときに、何故か泣きそうになる。住んでいる場所をでて、新しい場所で出会い、そこで家庭を築くのは、すごく大変で、すごく素晴らしくて、その凄まじさが、平坦な語りを通して透けて見えてしまったからだとおもう。

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ビアガーデンのバイトをしていた時のバイト仲間に誘われて、上野で飲む。家は美学校においたまま。こういうときに「村上さんはいま何やってるの?」と聞かれた時の説明のしにくさ。

そのあと、3331のアイランドに寄って勝さんの個展をみる。伊藤さんと勝さんがいて、すこし話し込む。
で、昨日行ったギャラリーコーションに行く。今日はここに滞在。

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永田町で警官に囲まれたことを思い出す。彼らは何の権利があって僕を呼び止めるのか。「こわな格好してたら、声かけられるのわかってるでしょ」って言われたけれど、でもじゃあ僕はどうしたらよかったのだ。どうしてほしいのだ。僕には他に方法が思いつかない。そして、このやり方でたぶん間違ってない。
僕の説明をきいても、顔を引きつらせて笑うことしか、あるいは不審な目を向けることしかできない人たちもいる。前に奈良で「引越しと定住を繰り返す生活(仮)」をやってたとき、「暇なんですね」と言われたことを思い出す。暇なのはどっちだ。いまのあり方以外のあり方を想像できない。誰かに振り付けを教わらないと、自分でダンスもできない。自分の生きている間の世界のことしか想像できない。ここ数日間のことしか心配できない。自分を笑えない人たち。自分を笑えない人が他人のことを笑う。ケチをつける。人に簡単につっこむな。自分でボケてみろ。笑って、そしてさっさと忘れてほしい。自戒も込めて書く。

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ヒヨシさんから言われたこともあり、両国の町会長の家の絵を描いて町会長にプレゼントした。

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絵を描いていたとき、向いにある国技堂の奥さんから朝ご飯の差し入れをいただく。あったかくて甘いコーヒーが嬉しい。そのあと、ちゃんこ屋さんの川崎の絵もかく。それのコピーを、川崎の豊さんが買い取ってくれた。

 

 

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その後神保町に向かう。途中でクリエイティブハブ131によってみたら、一回部分がGallery Cautionというギャラリーになっていた。そこのオーナーの浜田さんと話し込む。さっき描いたばかりの川崎の絵を買い取ってくれた。

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神保町の美学校屋上での鍋パーティに呼ばれたので美学校まで来た。なんだか成り行きで水上さんも参加。

6人くらいで鍋を囲む。山登りや美術や演劇や愛についての話をする。

特に愛について。みんなそれぞれ切実な事情を抱えて日々を生きているのだ。

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これは水上さんがつくってきてくれたタルト。三日かかったらしい。すごい。

イチゴの上にクッキーの家があって

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家のなかに人の形をしたクッキーが入ってた。

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久保田の家を出て、なんとなく四谷方面へ向かう。

途中、永田町を通ってしまい、警官に囲まれる。5、6人に囲まれたけれど、免許証を見せて事情を説明したら「不愉快な思いをさせて申し訳ない」と言ってくれた。「国会の警備をしているからね、ああ、普通だな、と思えないんですよ」と言ってた。お騒がせして申し訳ない。今後このへんはさけた方がよさそう。

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新宿区原町で絵を一枚描く。中学生と高校生に冷やかされる。笑え笑え。幼稚園くらいの子供を連れた自転車に乗ったお母さんに「がんばってください」と応援される。「うちはマンションだから(家を泊めるのは)ちょっと無理かなあ。みんなきつきつのなかで暮らしてるから。」と言ってた。

ツイッターで、両国に住んでいる人が連絡をくれたので、なんとなく両国へ向かう。そしたら夕方、日本橋あたりを歩いてるときに「村上さん」と声をかけられる。

事情をはなすと、その男性(ヒヨシさん)は両国に住んでおり、面白がってくれて「両国駅にきたら電話しな」と言ってくれた。

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駅近くでヒヨシさんと合流すると、近所のいろんな人に僕を紹介してくれた。このへんは下町で、祭りがあるので、近所のつながりが強いみたい。

 

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これは国技堂という甘味屋さん。建て替える前の写真。

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それで結局、町会長のお店のシャッターの前に家を一晩置かせてもらうことになる。町会長が名刺をくれて、何か言われたら名刺を見せて「許可もらってます」って言えばいいから、と言ってくれた。ヒヨシさんたちいわく、その名刺はここらでは黄門様の印籠みたいなものらしい。町会長が決めたことは、ここらでは誰も文句が言えないという。

 

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(翌朝撮影)

 

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そのあと、ヒヨシさんと奥さんと、ヒヨシさんが呼んだマサさんという若い人と一緒に寿司屋で飲む。ヒヨシさんがごちそうしてくれた。

僕の計画について「詰めが甘い」といろいろとダメ出しを受ける。

 

寝る前に、家の絵を描くならここがいい、と言って、「川崎」という古くからあるちゃんこ屋さんを紹介してもらう。

 

今月は都内をうろうろするつもりだったけれど、もう北上してもいいのかもしれない。

 

 

 

引き続き久保田の家に滞在。
慶応大学に遊びに行ったりする。

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キャンパス内の生協に、iPadやらスーツやらが売ってた。

久保田から、「暇と退屈の倫理学」という、國分さんの本を教えてもらう。
さらっと読んでみたけれど、ニーチェが「人であるということは、住むということである」というようなことを言ってた。
退屈という感覚は、定住が始まってから生まれたんだろう。留守番も同じ時期に生まれて、僕は留守番と鬱には関係があると思っている。出発前に本を読んでおきたかった。
話してて気がついたのは、ぼくは家をかぶって歩いてるとき、なんとなく退屈さを感じているのかもしれないということ。視界が悪いのもあるけれど、家を被ると、「歩いている」という感覚ではなくなる。自分よりも地面の方が動いてる。

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小田嶋君から大丸焼なるものをいただいて、出発。12日の夜にここ(ちなみに美学校の屋上)で何人か集めて鍋会をやるからよかったら、と誘われる。

神保町を出発して、再び三田に向かう。水上さんが「大江戸温泉物語」でバイトをしているらしく、一般客は2500円くらいかかるところを、500円で入れるらしい。なので石山と久保田とみんなで行こうという話をしていた。家は水上さんの家にいったん置かせてもらう。

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水上さんの家からレインボーブリッジを通って歩いていった。久保田は不参加。レインボーブリッジ、間近でみるとめちゃくちゃでかい。

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歩いている人はあんまりいなかったけれど、たまにランニングをしている人がいた。一時間くらい歩いたら大江戸温泉に着いた。大江戸温泉物語、僕は「スーパー銭湯」みたいなものだろうと思っていた。入ってみると予想を超えていた。

 

 

 

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まず入り口で浴衣を選んで中に入る。はいるとこんな感じ。

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みんな浴衣をきて、お酒飲んだりご飯を食べたり話したりしている。

ここが楽しすぎた。気がついたら3時間くらい経ってた。

4時間半くらい居たけど、お風呂に入ってたのは40分くらい。あとは水上さんや石山の話を聞きながら、飲んだり食べたり。水上さんとは一昨日知り合ったばかりなのに、不思議な感じ。

しかし楽しすぎた。こんなことしてていいんだろうか。

 

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かえってきて、家を水上さん家から久保田の家にうつす。水上さんとはとりあえずお別れ。

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久保田のマンションからみた夜景。

石山も一緒に泊まる。ねる。

朝、水上さんを学校まで見送り、その後神保町へ。

吉原の展示に来てくれた小田嶋くんが、いま居候しているビルへ向かう。

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テナントビルの屋上にある部屋で寝泊まりしているらしく、家を最上階まで持ち上げた。外でみるとたいした大きさじゃないけれど、建物の中に入ると大きく見える。そういえば水上さんはこの現象を「IKEAと一緒だ」と言ってた。

そのあと、二人で近くの天丼屋さんにお昼ご飯を食べにいく。神保町はオフィス街なので、お昼時になるとどのお店も入り口に列ができる。僕たちも15分くらい待った。

夜に入った生姜焼き屋さんもそうだったのだけど、テーブルがコの字もしくはL字になっていて、吉野家みたいだった。回転率をあげるために、何人かでいっても、空いた席から座らせられる。"効率よく"おいしい天丼を食べられるようになっている。僕も、後ろに並んでいる人たちからのプレッシャーを感じながら天丼を食べる。

 

 

そのあと「目黒川沿いを歩く会」なるものが今日あるらしく、小田嶋君に誘われて一緒に行ってきた。

行ってみると、松戸で会ったことのある星さんが企画したっぽいイベント(?)だった。他に2人いた。僕は星さんしか知らなかったけど、2人は僕のことを知っていた。

あとでわかったのだけど、これはドラマトゥルクの長島確さんがやってる「つくりかた研究所」のリサーチの一環らしい。

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川沿いを歩いていたら、巨大な円形のコンクリートの固まり(ビルの7階くらいはありそうな高さ)がいきなり川のそばに現れる。入ってみると、その屋上に庭園がつくられてて、ここがやばかった。ここは首都高の大橋ジャンクションをコンクリートで囲った上につくられた「目黒天空庭園」という施設だった。

人がわりとたくさんいて、親子連れが多かったのだけど、あまりに高いところにあるので、なんだか地に足がついてない感じ。すぐそばに超高いマンションが建っていて、そこの9階とも接続されている。遊ぶ子供たちや、話しているお母さんたちがみんな「嘘っぽく」みえた。高層マンションの高い階に住むのが幸せ、みたいな今の価値観は、完全にバランス感覚を崩していると思う。

 

 

 

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これが案内図。この庭園のクライマックスとも言える「奥の庭」という場所が、想像を超えていた。写真はあえてのせない。

 

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ジャンクションの壁に囲われた内側は、スポーツができる人工芝の広場になってる。小学生たちがサッカーやら野球やらをしていた。

家に帰ってからは、昨日の日記を更新して就寝。すでに肩こりがけっこうキテる。

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吉原芸術大サービスが終わった。それまでは展示場所に当然のように置かれていた僕の家も、展示が終わったとたんに居場所じゃなくなる。なので動かなくてはいけない。

今日は「動きはじめの日」になる。『移住を生活する』とは「移動の中に留まる」ことを試みること。これから発泡スチロールの家を「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のように担いで歩き、国内を移動しながら生活する。動きながら、各地の民家の絵を描き溜める。

そうして最終的に「たくさんの地域の家のペン画」と、「僕の家」を同じ空間に展示することを目的とする。僕の家のデザイン、白い壁に黒い線が入っているのは、「家のペン画」と対応させるため。それぞれの地域で土地に固定されている「家のペン画」と、発泡スチロール製の僕の「ペン画のような家」を展示する。その展示のイメージがずっと前からある。

移動しながら生活する方法は以前と同じ。道路や公園に家を置いて寝るのはどうやら違法行為らしいので、誰かの敷地に家を置かせてもらいながら寝泊まりして、移動していく。

移動の予定は未定だけれど、これから暑くなる夏にかけて東北のほうまで北上し、そこが寒くなる前に南下していく、という感じで動きたいと思ってる。

以前のように映像を撮ったりはしない。「コミュニケーション」を目的とするようなことでもない。以前とは問題意識が違う。もっと根源的に、この定住と貯蓄を前提としたこれまでの僕自身の生活を対象化し日々の生活のために日々の生活をこなしていったような、あの閉じきった生活からの脱出を試みる方法。

東京や香川でバイトしていたときにずっと思っていた。この社会は、人の知性と欲望をちょうど良く満たしながら、世の中が発達していくように、とってもよくできているように見える。とってもできているようにみえるけれど、店員が客に対して無条件に敬語を使わなくちゃいけないのはなぜなのか。雨が降ってすぐに中止にすべきビアガーデンでテーブルを拭きつづけるという修行のような時間を強いられるのはなぜなのか。僕たちの生活、日々の労働は行き過ぎているんじゃないか。コンビニを24時間営業にするために、家から職場まで10分で行けるようにするために、自然資源とお金の量は、本当は対応していなくちゃいけないのに、僕たちは、お金をただただ無限に増やしていくために、そんな行き過ぎたもののために一生懸命働いているんじゃないか。その結果、電車は脱線し、原子力発電所は爆発してしまったのではないのか。生まれた時点で戸籍に登録されて、住所のある自分の家にお金やモノを蓄えることに幸せを見いだしてしまうことは、事態をもっと悪化させることに加担していることになるんじゃないか。

縄文時代に縄文土器が発達し、増えた土器を移動させるのが面倒になった結果、定住が始まったという話に衝撃をうけて、僕たちがモノを蓄えるということを覚えたのはそこからだろう、ならばモノをもつことを、あるいは使わずに蓄えることを許されないあり方は可能かと考えた時に、「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のアイデアが全く違うものに見えてきた。

 

そんな経緯ではじめてみます。お金はほんのすこしだけ貯めたけれど、これから描きためていく家の絵を売ったお金でこの生活が続けられたら良いなと思っています。よろしくお願いします。

 

今日は、吉原での展示で知り合った川田君に誘われて、蟻鱒鳶ルの岡さんたちがやってる花見にいくために、吉原から三田へ向かった。

(歩いているときに、昨日岸井さんと話した「家の壁の外側は公共」だという話を思い返していた。「公共」は、未分化な状態の場所を壁で囲うことによって「プライベート」がつくられ、その後に結果的に生まれるものにすぎない。と考えてみると、「公共をつくりだそうとすること」じたいがナンセンスなんじゃないかと思った。「公共空間」だけをつくることはそもそもできない。これは北川フラムさんがやった越後妻有芸術祭がうまくいったせいで、そのあとにその「アートプロジェクト」という部分だけを抜き出してやろうとしてもうまくいかない事態に関係がありそう。あるいは、被災地における、伊藤豊雄さんと川俣正さんの活動方法の違い。伊藤さんは、最初から「公共のもの」をつくろうとした。川俣さんは「自分が勝手に始めたあとで、公共は生まれる」ということを知っていた。僕の家は歩くことによって常に公共を動かしているようなものになる。「動くプライベート」というよりも「動く公共」と言った方がしっくりくる。だって、僕の家は、壁の外側だけよく作り込んでいて、内側に関してはまったく無頓着に、ガムテープやビスやらがむき出しになっているのだから。)

向かってたら、道の途中でカメラをもったお兄さんに話しかけられて、事情を話したら、なんだか花束をプレゼントしてくれた。

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これテレビ東京の企画らしく、 5月4日の19時54分から22時くらいまでやってる「日曜ビッグバラエティ」で放送されるらしいからよかったら見てください。

そして三田に着いたのだけど、時間が早すぎて持て余して、家を道路において体をほぐす運動とかしていたら、近くの大学に通っている水上さんという人に話しかけられる。

事情を話したら、がんばってと言ってくれて、僕の名前と電話番号とウェブサイトを書いた紙を渡して別れる。

そのあと、ツイッターで「近くにいます」と連絡してくれた、近くの大学に通ってる石山と連絡をとって、1年ぶりくらいに再会して、スタバでお茶をはじめる。スターバックスなんて普段ほとんど行かないけれど、家を置けそうなちょうどいいスペースがあったのが決め手。

二人で話していたら、知らない番号から着信。でてみると、さっき声をかけてくれた水上さんだった。

「帰って村上のウェブサイトを見たらもう一度会いたくなった」らしく、スタバで合流。

僕と、石山と、水上さんという面白いメンツのお茶会がはじまる。

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水上さんにもらった差し入れ。

水上さんは、けっこうハードな登山家らしく、僕の家の中にあった銀マットを見て「なんかグッときた」らしい。僕は何も聞いてないのに、「良いコインランドリーがある」という話をしてくれて、わかってるなーと感心した。

そのあと、もう一人石山と同じ学校の久保田(これも数年ぶりの再会)が スタバに合流し、4人でお話していると、僕を花見に誘ってくれた川田君が現れ、「みんなで花見いきましょう」と、5人でぞろぞろと花見会場に向かう。

 

 

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僕の家と蟻鱒鳶ル(川田君が撮ってくれた写真)。

 

 

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岡さんは、急に現れた僕たちのこともかなりオープンに迎えてくれた。みんなとお話。いろいろな人が集まってる。水上さんも普通に混じって話しているのも面白い。岡さんは、感覚が開ききったまんま固定されているような人で、かっこよかった。

そのあと、水上さんの家に家を置かせてもらい、寝る。

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今日から「移住を生活する」というのをはじめてみるのですが、これに関する展示を今東京でやっています。告知が遅れてしまい、もう会期は明日を残すのみとなってしまいましたが、もしよかったら来てください。

「吉原芸術大サービス~春一番~」
場所:台東区千束3丁目、4丁目周辺
会期:4月5,6日10:00~19:00
ウェブサイト:http://yoshiwarasuperartservice.tumblr.com
詳しい情報はウェブサイトにのっています。

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これから僕は「移住を生活する」ということをはじめてみる。これは、それまでの僕自身の生活を俯瞰するための方法。
この閉じた生活の全ての元凶はあの「不動産」とか「家」とか呼ばれるものであると考えてみて、ここからなんとか、頭1つぶんだけでもいいから抜け出し、俯瞰するように眺めてみるための「いくつもの家のペン画」と、「ペン画から生まれたような家」を使って。
これまでの一年。今ふり返ると長いような短いような。不思議な一年だった。
去年の3月ごろ、このままやっていたら、なんだか自分は駄目になってしまうような気がする。と感じて、共同アトリエを出て、展示やプロジェクトのお誘いを断りさえもして、ビアガーデンのホールスタッフと清掃員のバイトをやりはじめた。そんで、多くのアルバイトは、基本的に人間性の否定でなりたってることがわかった。時給制っていう考え方が、その原因になっている。そこでは、それまでの自分のやってきたことなんか、人間性や、思想や信念なんか、全く無意味なものになってしまう。そこで求められるのは、その職場で、いかに他の人と同じように動くか。その職場が定めた"ダンス"を、いかに完璧に踊りこなすか、それだけが求められる。人と違うことをしたり考えたりすると、基本的に嫌われる。そんなものは、そこでは役に立たない。自分で自分に命令してなにかを制作したり、自分の通った足跡をみて、考えて、また次の制作に挑んでいくような作業は、そこでは、全く何の意味も成さない。自分にしか基準がないものは、他からみたら、何もやってないのと同じだという"錯覚"を覚え込まされる。これは錯覚なのだ。それがアルバイトの現場だった。でも、それまでの生活をほとんど無かったことのようにふるまって、バイトばっかりしていた。そこに自分をおいて、嫌な歴史、二度と戻りたくない日々を自分の精神に刻み込むために。感覚を開くために。深く潜るためには、その必要のない現場に身をおいている必要があった。労働によってのみ、僕たちは僕"たち"という個別性を獲得できる。
そして10月には香川に引っ越してきて、第2期のバイト生活をはじめた。自分でもなんでこんなことになっているのかわけがわからなくて、もう自分の境遇に笑うしかなかった。なんで自分は香川県の海鮮料理屋で働いているのか。なんでこんなところで「いらっしゃいませー」とか言ってるのか。なんなんだこれは。って思って、油断すると笑えてきちゃう。そんな日々。とにかくこの一年間ほとんどフリーターだった。
バイト生活をはじめた直後のころは、なんてうまく設計された世界なんだ、という感想から始まって、お金と食べ物は等価な"交換"のはずなのに、食べ物を提供する方がお金を払う方に対して敬語なのはなぜなのだ。という疑問につながっていった。エンデの本を読んでみた。そしてわかったのは、プラスの利子という考え方が、お金の力を必要以上に大きくしてしまっている、ということ。お金を動かさずに貯めておいた方が、増えていくという考え方。「貯金」という考え方。これはもろに、敷地境界を設定し、他と自分の資産を区別することによって競争をつくり成長してきたこの社会の成り立ちに関わっている。
縄文時代に定住が始まったのは、土器が発達したからという説があるらしくて、要するに、物を蓄えるようになってから、人は定住をはじめたという説。そこから稲作が始まって、それが分業に繋がって、お金の話に繋がっていくのだと思う。
なんとなく見えてきたのは、この生活が、それまで思っていた以上に、閉じたものであるということ。僕たちは閉じ込められている。僕たちは、自動販売機を夜通し動かすために、ハンバーガーをひとつ100円で買うために、仕事をしている。もっとわかりやすい例えがある。僕たちは、十キロ離れた仕事場に素早くたどり着くために仕事をしている。明日の仕事と生活のために今日の仕事と生活を営む。この、貯蓄と定住を前提とした生活によって営まれてきた文明。フーコーが「ダイアグラム」とか「装置」と呼んだもの。この閉じた生活。わかりやすい悪者なんて一人もいない。人に向かって指したはずのその指は、気づかないうちに自分自身に指されている。あなたは僕であり、僕はあなたであるという状態。原発事故を起こしたのは僕でもあり、原発反対を叫んでいるのは僕でもあり、原発推進をしているのも僕でもある、という状態。「お前たちは」という呼びかけは「私たちは」という呼びかけと同じだ。この輪。ここから抜け出すことはできないけれど、対象化することはできるかもしれない。抜け出すという志向性そのものに形を与えることはできる。可動部分が少ないロボットのようになりたくない。定められたダンスを踊ることが「楽しい」と思えてしまう体になりたくない。
原発の再稼働に反対だと、どうも主張しきれないのはなぜか。人に何かを薦めるときに、あるいは何かを批判する時に胸をかすめる「お前はどうなんだ」というあの感覚はどこからくるのか。それを暴くための方法。僕はいま25歳。もう四半世紀いきている。たぶん1世紀なんて、僕が思っている以上にあっという間に過ぎ去っていくのだろう。最近有島武郎の「小さき者へ」という短編を読んだ。ちょうど100年近く前に書かれたものだ。あっという間なのだ、100年なんて。量としての年月なんて。取るに足らないことなのだ。