朝、出発する前に神社の宮司さんが子供を連れて訪ねてきてくれた。
「ここから10号線沿いに20キロくらい南下すると「おふなでのゆ」という温泉がある。そこを超 えると風呂は無いなあ」
と言ってた。
僕はその「おふなでのゆ」という名前が漢字でどう書くのか想像できなかった。でもなんとなく響きが気になった。

宮崎県に入ったからなのか、たまたま今日がそういう日なのかわからないけど、とても暖かい。もう春が近いのがわかる。10号線を歩いてる最中に、3人組の家族と、6,7人のグループと、小学生 くらいの男の子から
「写真を撮ってもいいですか?」
と聞かれた。

10キロくらい歩いたところに「お船出の湯」があった。道の駅や公園やレストランやキャンプ場とセットになって「サンパーク」っていう大きなエリアになってた。
海が奇麗に見えて、遠くには小島 が浮かんでいて灯台がたっている。不思議な形をした岩が並んでいる広い岩場もあって、見ていて飽 きない。「お船出の湯」には絶対に露天風呂があるだろうし、そこからは絶対に海が見えるだろうな と思った。ここで泊まれたらサイコーだなと思った。

道の駅の駅長さんに敷地を交渉したらすんなりとOKしてくれた。この時点でまだ昼の2時くらい。 敷地を確保したら間髪入れずに絵にする家を探して歩いて、すぐ描きはじめた。

夕方に「お船出の湯」に行った。やっぱり露天風呂があって、海が見渡せた。室内の大浴場も大きな ガラス張りになってる。日曜日なので客もたくさん。家族連れがグループで来てたりとか。

夜、温泉から外にでたら鬼のように寒くなっていた。道の駅のお店も閉まっているので30分くらい 歩いたところにあるコンビニに晩ご飯を買いにいこうかと思っていたけど、あまりにも寒すぎるので 歩くのを断念して、お船出の湯に併設されてるレストランに。
もう閉店間際で、客は僕しかいない。僕は「特製カレー」を注文した。 まわりではお店の締め作業が行われている。エプロンをつけたおばちゃんが大きなケースをせわしな く運んだり、別の人がレジを閉めたりしている。20時58分に閉店の看板を出してた。 僕はここにまた来る事があるだろうか。
移動しているからか、「レジをしめる」っていう"明日も行 われるであろう動作"がひとつひとつ面白い。でも移動してなくてもそれは同じように感じるべきこ となのだと思う。 多分、この視点さえ身につけることができれば、実際に移動する必要はない。この視点を維持するためだけに移動している。

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フラワーキッズの理事長さんが、軽トラックですこし家を運んでくれるというのでお昼頃に1週間ぶりにフラワーキッズに家を運んだ。

そこから2時間くらい運転してくれて、宮崎県の日向市というところについた。

車の中で理事長の話を聞いてた。昔、仕事のストレスで脱毛症になって、みんながいろいろ声をかけてくれたんだけど、その中で一番救われた言葉が、軽度の知的障害の人から発せられた
「あれ、髪型変わったな。前のほうがいいなあ」
というものだった、という話を聞いてなんか涙が出そうになった。そうだよなあ。それが一番当たり前の反応だよな。僕たちは変に知識を詰め込んでいるせいで、ねじ曲がった反応しかできなくなってしまっているっていうことは多いにあり得る。「ストレスではげちゃった」っていうことを予備知識として知っちゃっているせいで「髪型変わったなあ」っていう"ごく普通の反応"ができなくなっちゃうのだ。気をつけよう。
自分が関わる当事者になったことで、障がい者に対して厳しくなった、という話も面白い。
「あんたが頑張っている姿をみるから、こっちもあなたを応援するのを頑張れるんだ。がんばりもしないで応援はできない」
ということを言えるようになったという。すごい。僕はそういう言い方はできないだろう。でもそれもすごく当たり前の話だ。何も頑張っていない人を応援する気にはなれない。
「その人が障がい者だからという理由だけで、やさしくしなくちゃいけないし応援しなくちゃいけない」
と考える事は、ある種の差別をするということになるのかもしれない。さっき書いたような「へんな予備知識を知ってしまっているから、普通の反応ができなくなる」ということはまさにこういうことだな。

夕方暗くなる前にトラックから降ろしてもらって、敷地を探した。お寺を2軒あたったけどどちらもダメだった。1軒目は住職さんから
「昔、同じような感じで旅の学生がきてお寺をめちゃくちゃにしていった。それ以来断る事にしてるんだ。申し訳ないけど」
と言われた。その住職さんは本当に申し訳なさそうにして、僕を見送ってくれた。
2軒目は
「うちは法人だから、役員さんの許可とか色々必要になっちゃうんだよ。ごめんなさいねえ」
と言われた。3軒目にあたった五十猛神社というところで
「全然大丈夫ですよーーー」
と言われた。久々の神社泊な気がする。

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この神社は、交差点の名前になってた。昔から親しまれてるんだろうな。

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孤独になればなるほど、音楽はこころの奥に響く

1週間くらい寝込んでた。37.1度の微熱が出て、病院に行ったけど 「熱が低いからインフルエンザとは考えられない」 と言われた。けど僕は全身のだるさからインフルエンザであると言うことが分かっているので、お医者さんからもらった抗生物質等はほとんど飲まなかった。

ともかくずっと寝込んでいたんだけど、その間にアイエスアイエスとかなんとかいう人たちに日本人の人質が殺される事件が起こって「日本も中東紛争の当事者だったのだ」と気がついて衝撃を受け た。震災だけで大変な事になってかなり参っているのに、その上にこれだ。ずいぶんダメージを受けている。寝る前に動悸があって苦しくなることがあるけど体調はようやく回復した。
僕は基本的に自分の身のまわりの事しか考えられないので、何か大きな事件が起こったら自分の事として引きつけて考えるようにしてるんだけど、これをやりすぎると闇に飲み込まれる。ニュースとかを見ないようにすることが必要なときもある。

朝、村上さんが車で津久見市内をまわってくれた。津久見はみかんとセメントの町で、太平洋セメントの工場がかっこいい。

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昼には、一昨日誘われた初期仏教の勉強会に行ってきた。
前半は仏教の歴史について、後半は経典の注釈を読 みこんでいく2部構成になってて、前半の方は予備知識がない僕にはよくわからない内容だったけど、後半は楽しく聞けたと思う。
日本で広まっている仏教はほとんどが大乗仏教で、それは歴史の授業では「小乗仏教がだめだったから大乗仏教が広まった」みたいな言い方をされるんだけど、全然そ んなことはない、という話が印象的。
インドでは基本的に小乗仏教が主流で、大乗仏教は文学のようなものとしてみなされているらしい。
話をしにきていた先生は、日本では少ない初期仏教(テーラワーダ)の和尚さんで、日本の仏教学会 のことを批判的に話していた。
「大乗仏教の地位を下げるような研究をする人は日本では人気が出ない」
と言ってた。そういうことって宗教の世界でもあるんだな。

で、その勉強会の道中に風邪をひいた。車の中で突然喉が痛くなって「なんか悪い菌が入ったな」 と思ったんだけど、村上さんの家に帰ってきたころには身体が全体的にだるくて「これはウイルス性 のやつだなあ、インフルエンザっぽいなあ」と思った。
晩ご飯を村上さんたちと一緒に食べてからすぐ寝た。

なんか突然思い出したんだけど、ある人が以前「自分は選挙には行かない」と話していた。彼は「社 会と自分との距離をどうとるかっていうことや」と話していた。

また、政治や社会問題のことを「自分にはわからない」と言って「それっぽいわかったような顔をして話している人」の事をあざ笑うような態度を取ったりする人もいる。

考えたくないと思う事はたくさんあるし、考えたくない時は考えなくていいとおもうんだけど、商売ができたり、整備された道路を歩けたりするのはまぎれ もなくこの「国」というものがあるからで、それって距離をとろうとしてもとれるわけがなくて、例えば距離をとろうとしたら、どの国の領土でもない場所で、電気や水道を全部自分で整えて、自給自 足の生活をするしかないと思うんだけど、そういうことじゃないのか。
「社会と距離をとる」という言葉の意味がわからない。社会学者の人に会ったら聞きたい。