レシートと紙幣はどっちも同じようなもんだけど、レシートと違ってお金の最高なところは、お金はいつもは軽いけど、必要になったときだけ重い物と交換できることだ。食べ物や飲み物は、お腹が減ってなくても喉がかわいてなくても、いつも重い。喉が渇いてないときに3本も4本も満タンのペットボトルを持っていると嫌になる。その点、お金は重さを変える事が出来る。

今日も歩いた。雨が降っている。昼過ぎからは風がつよくなるという予報もでてた。

まずは森岳温泉ゆうぱるから、芸術家の加藤國男さんの住む家に行った。加藤夫妻は今日から泊まりで秋田に行く用事があるらしく、去年みたいに泊まることはできないけど色々と話を聞かせてくれた。家に入ってまず加藤さんは

「今の時期はこれだ」

と行って、室内に何十個も干してある干し柿を指した。干した日数によってヒモを色分けしてある。湿度35~40%で数日干したあと(太陽にあてて干すのと、室内に入れて干すのを繰り返すらしい)、最後だけ湿度60%のところで干すことで干し柿が白い粉(甘い)をふく。それで完成。ワイン漬けや焼酎漬けの干し柿も作ってる。1年で1000個以上つくるらしい。干し柿は、軒先にぶら下がったままになってるのはよく見るけど、こんな日付ごとに色分けして湿度管理までしてる家は初めてみた。加藤さんはなんでも本気でやる。


 あと最近「美人画」を始めたらしい。あと味噌漬け。「やってみると面白いなー」と言ってた。加藤さんはよく「面白いなー」という。お酒や句やステンドグラスや彫刻も相変わらずやってる。


  

そのあとは五城目・井川町のほうに向かった。今日は歩きながらラジオを聞いていたら、渋谷の本屋さんの選書コーナーが「偏っている」といういちゃもんをつけられたというニュースが流れてきた。あと自民党がメディアに対して「公平中立」を求める口出しを平気でするようになってきたということも言ってた。メディアに中立を求めるのは「アートわからない」みたいな態度に似ている。あと「政治は私には関係ない」みたいな態度にも。

 

去年お世話になった井川町の人と連絡がとれず、とりあえずその人の勤め先の車修理屋に突入した。人はいたけど、今日は事務所は休みらしく、その人も連絡をとってくれたけど何かで忙しくて今は対応できないらしい。強い風と雨のうえ、まだ4時半なのにもう真っ暗だったのでとりあえずそこに家を置かせてもらうことにして、僕は秋田駅あたりまで行って漫画喫茶に泊まることにした。

風のなか、家を建物に固定する作業をしてたらタオルが駐車場に飛んでいって、そのまま忘れてきてしまった。大変に悔いている。今頃雨で水浸し、下手したら車や人に踏まれてドロドロになってるかもしれない。タオルさんに本当に申し訳ない。
  
土地
 
床下

この日記は僕が生きてる限りは更新されるだろうけど、死んだらとまる。

今日は2回くらい、冬の風を感じて寒いなと思った。それよりもはるかにたくさん、陽射しを感じてあったかいなと思った。

 

久々に家を動かした。絵本の入校日が近づいてたり、奈良で展示があったりで、ここ1ヶ月くらい「歩いて描く」という通常運転をしていなかった。8日に能代に戻ってきてから「夢工房咲く咲く」をスタジオみたいに使われてもらって、ずっと籠って制作してたおかげでちょっと一段落できた。11日には東京から編集者とカメラマンがきて、そのときは「咲く咲く」を会議室みたいに使わせてもらった。

「夢工房咲く咲く」は通常のカフェとしての営業に加えて、先生を招いた英会話教室やデコパージュ(ナプキンなどに描かれた模様を切り抜いて石けんやコップなどに貼って装飾するやつ)教室や陶芸教室など色々な講座を開いていて、毎週日曜には駐車場で朝市をやってて、野菜なんかが売り買いされてる。ちょっと一人(+α)でまわしてるお店とは思えない。オーナーの能登さんは咲く咲くでの活動に加えて、つい先日坂田明・ジムオルーク・スガダイロー・山本達久の4人を能代のホールに呼んでのライブを企画してたりもする。起喜来のわいちさんとはまた違ったタイプの「公共の人」だと思った。平山はかり店の平山さんと合わせて能代の文化を担っている。

その二人と別れて、森岳温泉の銭湯「ゆうぱる」に向かった。17キロくらい。ラジオをつけたりとめたりして、瞬間と永遠のバランスを保ちながら歩いた。ラジオをつけると、イタリアでオリーブの品質偽装があったというニュースや、国内初のジェット機MRJが飛んだというニュースや、大麻をすった小学生の兄が逮捕されたというニュースがながれてきたりする。ラジオをとめると自分の足音や、歩くリズムにあわせて家が軋む音が聞こえてくる。ラジオをつけていたときは小さくまとまっていたからだがすこしずつ解放されていって、すこやかな気持ちになる。

昔から、何か面白いことを考えついたりするのはいつも歩いてるときだった。高校生のときは毎日夜に散歩することで、からだが解放されるのを発見できたのが救いだった。

 

 

森岳温泉はとてもしょっぱい温泉。これまでいくつも温泉にはいってきたけど、これ以上しょっぱい温泉は知らない。「ゆうぱる」には去年も世話になってる。ここの館長が近くに住んでる芸術家の加藤國男さん(ステンドグラスなんかを作ってる人)を紹介してくれた。

ゆうぱるの加藤さんコーナー。絵も書(木彫)もステンドグラスも全部加藤國男作
今日はたまたま三種町の人たちが集まっていて、大広間で宴会をやってた。僕は近くで絵を描くなどしてたんだけど、館長さんがこれまで3人に心臓マッサージを施して、2人は救った話なんかが聞こえてきた。「口からお湯吹けば大丈夫」「1人は助けられなかった。たまたま他に客がいなくて、発見した時には浴槽に浮いてた。」みたいな話が聞こえてくる。

 

夜は大広間で寝ると良いといわれた。こういうとき、外の自分の家で寝た方がおちつくと言っても信じてもらえない。特に東北では。みんな「寒いでしょ」と言ってくれる。やさしい。なので最近はもうあまり言わない。流れにまかせる。

なので大広間に寝袋をしいたのだけど、寝袋は買ったばっかりのモンベルの♯1の900で、完全に寒冷地しようなので室内ではむしろ暑くてなかなか寝つけない。なので窓を開けて外のデッキに寝袋をしいて寝た。それでもTシャツ1枚になるくらいでちょうどいい。そしたら寝れた。

 

翌朝、館長さんに「探したよー。拉致されたかと思ったよ。北朝鮮に。」と言われた。

土地

  
床下

銭湯が人情の場所になっていた、みたいな見方は「あとから見いだされたもの」。昔はただ必要だったから銭湯があって、それが生まれた結果(あとから考えると)人情の場所としても機能していたっていうことなんだろうけど、だからといって人情の場所としての銭湯を復活させようみたいな言い方は、むしろ銭湯の可能性を狭めてしまう。僕はこの発泡スチロールの家での生活においては銭湯が家の風呂みたいなもんだから行くし、ただなんとなく銭湯に行きたいから行く。なんとなく広い風呂が好きだから行く。

でもこの「あとから見いだされたもの」問題は結構厄介で、気をつけないとすぐ足をとられる。基本的に「伝統を守ろう」みたいな思考の仕方はこれにはまっている。「伝統を守ろう」と聞いたときに僕たちは、当の伝統ではなくて「伝統を守ろうとしている人たち」のことを見ている。この時代にチューブの絵の具を使うのではなく、泥を使って描いたり、顔料を溶いて描いたりする人をみるときに、「絵」そのものより「描いてる人のふるまい」を見ちゃう。どうしても。

この問題は本当によく考えないと、あっという間にやられちゃう。ここにこういう事を書くことだって「あとから見いだされたもの」に過ぎないかもしれない。あぶない。

 

最初の気持ちを何度でも思い出して、今の自分に投影する。どちらを目指すのか、指針をさだめる。目的地は定めない。自分で自分に問いかけて、自分で答える。これでいいか、まだか、自分で反省し、自分で褒め、自分の背中を押す。一人で賑やかな街になり、一人で静かな森になる。山にも海にも空にもなる。一人で。深海に潜る。みんなの足場がある深いところまで潜る。すこしずつ無理をして、すこしずつ深く潜る。

 

ツイッターを凍結した。しばらく情報源を絞る。

今井町で持ち寄り鍋をやっているときに気がついた。ダシとわずかな塩と醤油だけで長時間鍋をやっていると、薄味ながらも、素材の味が効いたとても深い味わいの鍋ができてくる。そんな味ばっかり1日中味わっていると、だんだん時代の感覚が昔に戻っていくような感じがする。

そんな鍋を食べている最中に、コアラのマーチとかコンビニで売ってるような餃子とかを食べると、味が強すぎて、その場からとても浮いてみえる。食べ物と言うよりは、工業製品を食べているような気がする。それはたしかに美味しいけど、その美味しさは口だけで終わる。鍋のように、からだにしみ込んでいくような美味しさじゃない。とても強くて癖になるけど、とても表面的な美味しさ。

情報も同じだと思う。ツイッターやフェイスブックなんか見てると、その場ではとても気になる情報がたくさん流れて来る。バイラルメディアなんかその典型だと思う。その場では気になって見る、その場では笑ったり、泣いたり、ちょっとした感動ができちゃったりする。でもその場だけで終わる。絶対に1年後には覚えていない。「泣ける」とか「笑える」とか、大事な言葉が短絡的に使われていて、本当にクソみたいな現象だと思う。表面的な情報をいったん絞る。情報は現実の景色よりもインターネットの方にたくさんあるという錯覚をもう一度確認しないといけない。いまここにいる虫、草、景色、からだの動き、思考から、ダシの効いた鍋のような、からだに染み渡る情報をひきだす訓練をしなければいけない。