パチンコ屋の清掃は番号のついたゼッケンを全員がつけて動く。台拭きの仕事は、ひとシマ(パチンコ台に囲まれてる1エリア)15分目標でやる。人間の仕事じゃない。しかしTくんという、すごく台拭きが早い人がいる。両手にもったウェスで、右手と左手で一台ずつ同時にふく。この二刀流はリーダーのS氏もやってるんだけど、Tくんのは、一見急いでやってるようには見えない。でも不思議とあれよあれよというまに台を拭きおわっていってしまう。リーダーのS氏は責任感をもってやっている。バキューム(掃除機)のかけ方が芸術的。かちゃかちゃと、バキュームの先を高速で動かしながらあれよあれよと台の間の灰をすいこんでいく。一人一人みていくと、とても人間的に動いてる。トムヨークに似てる人もいる。

新宿のバイト。1階から7階くらいまであるビルで、すべての階がそれぞれ飲食店になってる。このビル全体を顔がつるつるした支配人が統括している。
従業員は隣のビルとの間にある狭い通路から入る。入ってまっすぐいくとエレベーターがある。一つしかない。そこでは出勤前の誰かに必ず会う。そこで「おはようございます」と言う。ビル全体でかなりの人数が働いてるはずだけど、従業員どうしはほとんど顔見知りになっているらしい。僕はまだ入ったばかりなので顔がわからないけど、エレベーターに乗った時、僕が行きたい階のボタンを押してくれる人もいる。
エレベーターに乗ったらまず地下2階におりてロッカールームに行く。そこで制服(ポロシャツと黒い靴)に着替える。ズボンは黒系であれば自由。着替えたら同じエレベーターに乗ってお店がある2階にいく。2階にあがったらみんなに「おはようございます」と挨拶して、出勤のタイムカードを切る。そのあと『健康チェック』というものにチェックをつける。そのあと従業員向けのノートを読む。そこまでやったら、お釣りが入ったバッグを腰につけて(つける前に金額を確認しないと怒られる)、ハンディを持って、トレーとダスターを持ってホールに出て(健康チェックやノートを確認する前にバッグをつけたりすると怒られる)仕事を開始する。ホールの仕事を覚えて、スタンバイの仕事や料理を覚えると出世できる。出世するとドリンクカウンターに立ってドリンクつくる人になれたりデシャップ(簡単なおつまみを皿に盛りつけたり、厨房から送られて来た料理をホールスタッフ受けに整える仕事)の人になれたりする。

バイトが嫌すぎて太陽の光を浴びる植物やビルが美しく見える。普段は気がつかない幸福が見える。こんなことをして人生の時間を使ってる場合じゃないと思える。

清掃の仕事は、仕事に慣れていけばいくほど動作が無意識になり、それが爆発的な速さにつながっていくだろう。意識的に手を動かしているうちは遅い。

ロボットになることと会社で働くことは親和性が高い。時給制の労働に必ず付いて回る、はやくタイムカード切ってください とか 端数切り捨ての問題とか 何時から何時まで労働しているというのは厳密には割り切れないものなのに、みんなでなんとなく共有されている。ここに象徴的に現れている問題。そしてやがてみんなロボットが代わりをするようになるのか。
パチンコの台を拭くスピードは10~15分で1シマ。1台30秒くらいか。スピードを求められる。ここまでしてみんなで必死に回しているものはなんだ。リーダーのS氏が言ってた「今日何日?」っていう言葉が印象的というか、愛おしささえある。

結婚式の衣装の試着のために新宿のレンタル着物屋さんにいってきた。たぶん80種類くらいの女性用の色打掛・白無垢が棚に並んでいて綺麗だったけど、男物の紋付袴の羽織は黒とゴールドとシルバーのわずか3種類。
ドレスもふらふらと見てみたけど、どれも生地が安っぽくぺらぺらで、いつも着てるちょっと高いコートとかの方がよっぽど良い。でもこのドレスを2日借りるのに20万円とかかかったりする。不思議な話だ。
こういうところでレンタルしている結婚式の衣装は、完全に遠くから見るためのものとして作られている。ショーの衣装というか。歌手がステージで着る衣装と同じ。

パチンコ店の清掃の仕事。店の前に集合するとき、みんないつも同じ場所に居る。隣の店の軒下に座ってる人、電柱のそばでポケットに手を入れて立ってる人、パチンコ屋のシャッターの前右側に立ってる人。一人、誰かに似てるなと思っていたおじさんがいるが、トム・ヨークだった。トム・ヨークにそっくりなおじさんがいる。

上野。宝くじとか書かれたいろいろ入ったカラフルな袋を乗せたキャリーを引いて裸足に下駄で歩いてるおじさんがいる。灰色のジャンパーを着てて、ジャンパーにいろいろ書かれている。ひとつ見えたのは、胸のポケットのところにマジックで「世の中金」と。

『アセンブル 共同体の幻想と未来』展を表参道Eye ob Gyreで見た。多くは写真やテキストや映像のドキュメントが多い展覧会だけど、とても力強い。
プロセスを大事にし、プロセスを大事にしているということを堂々と言う。やってきたことを丁寧に説明しながら並べていくだけで、良い展示体験になる。プロジェクトの現場が本当の現場なのか展示しているこの場所が本当の現場なのか、どちらかひとつではないし、そういうことはあまり大事じゃない。やっぱり廊下のような場所に身を置くのが面白い。共同体とかコミュニティをとっかかりにして、なにかを扱っているようにみせかけている美術の作品は多くあるが、アセンブルのは建築の実地の現場があって実際にそれが機能しているという点でめちゃめちゃクリティカル。勇気をもらった。いつかグランビーのスタジオに行ってみたい。

「星を継ぐもの」と「この世界の片隅で」を同じ時期に体験できてよかった。「星を継ぐもの」は世界を作り上げていこうという感じがするけど、「この世界の片隅で」は受け身で世界を捉えている感じがする。真逆だ。どちらの感覚も持ってたいと思う。みんなこの世界の片隅で生きつつ、星を継ぐものでもあるから。

iPhoneのゲームにハマってみてつくづく思ったけど、暇を潰せてしまうっていうのは明らかによくない。作ったり考えたりしなくなる。暇という言葉がまずよくないんだけどそれは置いといて、自分をつくったり考えたりするしかない環境に身を置くにはiPhoneは必要な時以外は手元に置いておかない方がいいとわかりつつ。

清掃バイト7日目が終わった。今日は10人いたし、時間よりも3分くらい早くおわった。これは珍しいらしい。
パチンコ台はごつごつしていて、プラスチックの部分と、金属の塗装を施してある部分がある。そこを両手にウエスを持って拭いていくんだけど、ごつごつしているのでそれをなぞるようにして拭いていく必要がある。安っぽいプラスチックの台を、ごつごつした形に手を添わせながら、愛でるように拭く。ちょっと彫刻的な作業。でも何かをつくる作業ではない。毎日同じ作業をしている。清掃は引き算みたいなものだ。昨日の汚れを落とすために今日も同じ作業をする。0に戻す。また汚れるので翌日また0に戻す。この繰り返し。マイナスになることはない。台が拭けたかどうかは見た目が全て。指紋が残っていたりタバコの吸い殻の白いのが残ってさえ居なければクリア。金属になっている部分は指紋が目立つのでそこを注意しながら拭く。うちの実家のお風呂の蛇口にも銀色の金属の部分があって、お風呂を最後に使った人はそこを拭く習慣がある。そこだけ綺麗になっていれば、全体が綺麗になっているように見える。金属の部分を拭くのは人間の共通認識なのか。今度パチンコ店に客として行って、普段どのくらい汚いのか見てみたい。
たぶんどの職場でも、長くいる人はそれだけで価値をもってくる。技術よりも関係性のほうが大きな価値になる。

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昨日、お花茶屋駅前のマクドナルドにいたら隣の席で何かのドライバーの仕事の面接をやっていた。面接してる方はたぶん40代くらいの男性で、面接を受けている方は50代くらいの男性。とってもよく喋る面接官だった。面接官が話している途中で面接を受けている男性も話をし始めて、面接官は一通りそれを聞いたあと「話をしてる最中に割って入ってこられちゃうと困るんで、まずは話を聞いた方がいいと思いますよ」と怒ってた。面接を受けている方の男性は「すいませんでした」と言っていた。

僕は僕で今日初出勤。確か4年前の4月か5月にも上野公園に来て、公園の植え込みの石に座りながら清掃員のアルバイトの面接を受けていた。また上野に戻ってきた。今回は3月まで働く。年末にミスタードーナツで面接をした。パチンコ屋の開店前の清掃員のアルバイト。色々な環境に身を置くことは大事だと思っているけど、また清掃員のバイトを始めてしまった。またここに戻ってくるとは。前回は四谷の小さなビルを一人で清掃する仕事だったが今回の仕事は開店前の店を10人くらいで清掃する。
朝8時前に店の裏口に集合。何人かは話してるけど、多くの人は一人で立って開始を待っている。やがてシャッターが開くと同時に全員が無言のまま中のゴミを外に出す。そんで中に入るとすぐにみんな散り散りになる。全員が全体のタスクをわかっていて、そのなかで自分のやるべき仕事もわかってやっているんだろう。僕は今日が始めてだったので、リーダーの人についてまわって色々教わりながら作業をしていったけど、今日までのあいだ毎日この作業がこの店で行われていて、その過去の積み重ねでこの無言のうちに仕事を分担してやるチームワークが出来上がっているのだと思ったら、しかも上野のパチンコ屋はこの店だけじゃないと思ったら気が遠くなった。ほんとマジでいろんな仕事があるなと思う。僕はたぶん小さい頃から、小さな単位で自分がイメージできる範囲の数でしかこの社会の集団を考えられないような癖がついてしまっていて、(というかこれはみんなにも共通している癖なのか?)あたりまえのことかもしれないけど、自分でこうやって働いてみないと、電車に乗っている仕事に向かう人とか、街を歩いてる人とかみんながなにかしら労働をしているとは頭ではわかっているんだけど、実際に人がそれぞれの労働をこなして生きているイメージがうまくできない。
それにしてもしかしこの国は人口が多すぎて、社会が「全体で生きてるかんじ」みたいなものはもはや誰もイメージできないんじゃないか。カッパ師匠になった一郎さんが静岡でつくったお茶と大豆を送ってくれて、とっても嬉しくて一晩飾ってから家族で飲んだのだけど、お茶には小論文のようなものが付属していて、そこに「みんな食べ物が必要なのにほとんどの人は食べ物をつくっていない不思議」と書いてあって、確かにそうだなあと思った。でもみんながみんなして食べ物を作る必要がなくなったから車ができたり大量の電気がつくれたりファミレスができたりコンビニができたりしたわけで、しかしいまは人口が多すぎて訳がわからなくなってるんじゃないか。全てのシステムとか制度とか、物とか料理とか交通機関とか電気とかは、人がつくっているものだということをイメージできないくらいわけがわからなくなっているので、色々やばいことになっているんじゃないか。全体をイメージできないと、思い込みで怒っちゃったり悲しんだりして、変な大統領を選んじゃったりしそうだ。MUSEもhow can we win when fools can be kings?と歌っていた。
「縫い目」のように考えるのがやっぱり僕にはわかりやすくて、見えていない部分も糸はつながっていて、表に出たり裏に引っ込んだりするから縫い目は強くなる。縫い目のようなものとして世界を直感で感じる。一郎さんも言ってたけど。直感。きたえんといかん。

人口1億2千万人の全体と違って、今回のパチンコ屋はそんなに広くなく、人数も10人くらいなので誰が何をやっているのかはなんとなくわかる。みんなお互いになんとなくわかりながら、誰もやってないところをモップがけしたり拭いたりしている。台を拭く、モップをかける、掃除機をかける、ゴミを拾う、球を拾う、トイレを掃除するなどの仕事を無言のうちに分担してやっている。これをやったらみんなが助かるだろうとか、これはもう誰かがやっているだろうということをみんなイメージできている。しかしこれが1億人になったらと思ったら恐ろしい。
リーダーの人が金沢21美の黒澤さんに雰囲気が似た女性で親近感がわく。「人間の脂はすごいんですよ」「人間の指紋」「人間は面白いよー」ということをよく言っていた。わずか1時間半の労働だけど、やってる最中は長く感じた。終わってみるとあっという間だと思った。明日も仕事。

それにしても文章をかくというのは、草むらのなかで逃げ回る蛇を捕まえるような感じで、尻尾のようなものを見つけたらすぐに捕まえないとどっかに逃げていってしまって見失ってしまう。