今夜から4泊、東横インに泊まれる。美術館が手配してくれた。搬入日から、トークイベントがある9月1日までの宿泊費なら出せるということらしい。

最初にフロントで、これから4泊分それぞれについて部屋の清掃は必要か聞かれた。

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この敷地で滞在するのも今日まで。家にかけていた屋根とドローイング用の台を分解し、家は美術館に移動させた。ソーラーパネルはまた後日撤去される。

今回の熊本での「夏休みアトリエ菜園計画」はとても面白いプロジェクトになった。多分ソーラーパネルで電気を得たことがとても大きい。都市の中にありつつも、独立したインフラを持ちながらドローイングで街を観察したり、ブルーベリーを育てたりした。自分の家が独立したインフラをもって都市のなかにあるという状態はとても刺激的だ。

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ブルーベリー

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写真だと全くわからないが、小さなアリが増えてきた。家の中にも数匹侵入していた。僕の家にとってアリは大変厄介な生き物だ。今後も観察を続ける。

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庭の植物たち。

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今夜は無理だ。蒸し暑すぎる。眠れない。しかも明け方にものすごい雷雨が襲ってきた。激しい雨が降るとこの敷地は水たまりだらけになる。家を置いてあるところは水たまりができにくいけど、この雨だと水没も時間の問題かもしれない。雷もすごいのでたまらず家から商店街のアーケードに避難した。

いつの間にかシャワーは朝するのが日課になっている。夜の間に汗びっしょりになる。シャワーは美術館の給湯器が壊れて水しか出ないシャワーか、近くのPOPEYEというネットカフェか、これも近くにある大福湯という銭湯を使う。大福湯は良い銭湯だった。新顔でも萎縮せず入れるけどほどよいコミュニティ感もある。浴室にはサウナもあるし、薬湯もある。

敷地の目の前には地獄温泉という銭湯があって、今は経営していないけど併設されたコインランドリーは使える。便利な立地だ。

今日はドローイングの他に「敷地図」を書こうと思う。

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裏から見た隣のビルがとても良い感じだ。この愛おしさどこから来るのか。「ビル裏」という写真集として出版したい。

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ソーラーパネルと家の間に物干し竿もつけた。

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外は相変わらず容赦ない日差しと暑さだが、ブルーシートで三角屋根を作ったこの家の中は、それなりに過ごせるくらいの気温にはなっている。たぶん僕が熊本に来た時より湿度がさがってきている。秋が近づいている。防炎シートに描くドローイングに詰まっていたが、もう考えないようにする。なんだかんだ展示まで一週間、もうやるしかない。外は暑すぎるので、日中は無理に描かないようにしよう。美術館のキッズファクトリーという大きな部屋が使える25日まで待ち、それまでは手元でかける小さなドローイングを進めよう。こっちに来てから汽水社で本を8冊くらい買った。本をこうやって買えるのも、ながいあいだ家を置ける敷地があるからだ。

例のペーパークラフトが届き、150部のそれを商品にするために二つに折って透明なスリーブにひたすらいれていくという作業を池澤さんとやっていたときのこと。こういう内職系の頭を使わずにひたすらやる作業こそが「労働」なんじゃないかという話になった。

なぜこういう作業こそが「労働」だと思うのか。今福龍太さんの「スポーツの汀」という本のなかで、巨大な未知の海と、僕たちが住む陸地との間にある汀で体を使って行われるのが「サーフィン」であり、それを巨大な情報の海と、既知の世界との汀で行われる「ネットサーフィン」という言葉で表したのは見事だと書かれていた。

そこで思うに「労働」とは、巨大な海としての「資本主義社会」と、陸地としての僕たち一人一人の「生活」との汀で行われるサーフィンのようなものだ。資本主義社会は巨大で底の知れない海だけど、それに対する僕たちは、どうがんばっても一人分の大きさの体しかもっていない。なので、僕たちにできることは、その海と陸との汀で起こる「波」をひとつひとつ乗りこなしていくことしかできない。これは目の前にある印刷物を一つ一つ袋にしまっていく行為や、あるいはパチンコ台を一台ずつ掃除する清掃員の振る舞いのようなものだ。巨大さを目の前にしたときに、僕たちはちっぽけな存在でしかないことを認識すること。それが労働の本質ではないかと思う。巨大さを相手にする時の一個一個の地道な振る舞いは、ときに滑稽な動きになる。それはすばやく袋詰めする作業だったり、すこし異様な動作で素早くパチンコ台を拭いていくベテラン清掃員の動きだったり、あるいは自分の体よりも大きな大量の野菜や日用品を背負って電車に乗り込む行商の姿だったりする。

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DSC_0435(iphoneから転送8月20日18時37分撮影)

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暑さでiPhoneの充電器が壊れた。外でドローイングしているあいだ、そばでiPhoneとMacbookの充電をしていて、気がついたら充電できなくなっていた。直射日光が差し込むときはなるべく日陰に避難させていたのに油断して数分間放置してしまっていた。直射日光下ではあっという間に熱くなるらしい。だけどまさか壊れるとは。日光の下でパソコンも5分くらい置いてただけで「高温。パフォーマンスの低下」という警告がでてくる。日光は恐ろしい。iPhoneは冷房の効いた時代の道具ということらしい。ソーラーパネルはあるのにiPhoneの充電ができない状態になってしまった。

夜は借りている敷地で藤崎八幡宮のお祭り関係者による「がんばろう会」というバーベキューが開催された。僕もまぜてもらった。地域の青年部や元青年部の人たちが集まって楽しく過ごしていた。みんな仲が良い。今回はすこし規模が大きい会だけれど少人数での飲み会もよくあるという。年齢層も30代から年配の人までいろいろ。ここに建物があった時はよくその中でやっていたらしい。僕は全国で色々なお祭りを見たり参加したりして来たけど、人手不足だったり祭りをやるというモチベーションがなくなってしまったりした地域も多いなか、ここはみんなやる気に満ち満ちているように見えた。

清掃員の上田さんはもうおれの本を50ページは読んでて、中に書いてあったニーチェの記述を見て、ツタヤに行ってニーチェを立ち読みしたら、同じ匂いがしていいなと思ったので、今度図書かんで借りる本きまりーと言っていた。嬉しい。

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ブルーベリーの台も作った。端材を並べただけだが大変気に入っている。

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恐ろしい大きさの入道雲がでている。

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ソーラーパネルが来て、さながら僕の敷地はシェルターのようになった。よりリアルな、生活の匂いがする。ブルーベリーやドローイングも良い感じになっている。と思う。ブルーベリーは少しずつ少ない実が熟し始めていて、試しに食べてみたらとても甘くなっていた。他にも二人、一粒ずつあげたら甘いと好評だった。僕としては完全に新しい試みをしている。時間軸のある作品だけど、この風景を撮影した一枚の写真だけでも伝わるものがある、そういうものになった。

しかし今日は朝少し制作して、その後美術館に行って、「たくさんのふしぎ」を書いた時におまけでつくったペーパークラフトだけを再制作して売ろうということになっていてそれを一つ試作で組み立ててみて、それがうまくいって、そのあとなぜか図書スペースで『宇宙兄弟』を読み始めてしまった。やっかいなことに大変面白い漫画で、結局13巻くらいまで読んでしまって夜になった。なにをやっているんだ。こうなったら最後まで読むしかない。と思っていたらなんと宇宙兄弟は完結していない漫画だった。最後まで読み終われない。

The Jamが「このままでいい」と歌ったGoing Undergroundはパンクとして完全に新しかった。

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8月16日13時20分

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ブルーベリーを一粒取って食べてみた。とても甘くて美味しい。この土地で取れる唯一の作物。

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今日、ソーラーパネルがやってきた。美術館の池澤さんがお世話になっている「アングラ不動産」の紹介で、天草の建設会社「熊本建設」が自社のソーラーパネル5枚を持って来て工事してくれた。無償で貸してくれた。蓄電はできないから夜は使えないが、夕方くらいまではこれでパソコンや携帯電話の充電が自分の家でできるようになる。嬉しい。

もっと小さなソーラーパネルを想像していたけど、一般家庭の屋根につけるようなパネルをトラックで持って来て三人がかりで工事してくれた。5枚1セットが最小ユニットらしい。いよいよやばいことになってきた。

右斜め向かいの建物のおじさんがやってきて、「いま風呂沸いたから使っていいぞ」と言ってくれた。お風呂はすでに入っていたので断ったけれど。熊本人は徳が高い。おじさんはその後「元気付けばってん」とリポビタンDを二本くれた。

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8月15日11時

原因を考えないといけない。なんだか気力がみなぎって来ない。制作には良い環境のはずなのに。油断すると死にそうになる。特に夕方。世の中は「終戦記念日」らしい。自分で始めた戦争を「終戦」とはなんともめでたい。おじいちゃんの90歳の誕生日でもある。終戦が1ヶ月遅かったら僕は存在していなかったかもしれない。

無理してるのか。無意識のうちに過剰に無理してるのか?タフネスが必要だ。集団的自衛権を発動して誰かに会わなくては。ドトールにいてコーヒーを飲んでいるけど、コーヒーを受け取る時にひどく虚しい気持ちになった。店員の動きがあまりにも機械的で。誰か知り合いがやってるコーヒー屋さんにいきたい。このコーヒーはそれと同じものではない。
ドローイングを描くためのプロットを書かなくては。今福さんにもまだメールできてない。書きたいことが多すぎてうまくまとまらない。彼の本は勇気をくれる。

僕が歯を磨くポイントになっている白川公園には、いつも夜ベンチで寝てる人がいる。3日連続で見た。

先日汽水社でオーウェル紀行イギリス編という本を買った。オーウェルは不思議な人だ。放浪の極貧生活を自らに課し、都会で「こんな仕事明日にはやめてやる」「いつか自分の店をもってやるんだ」が口癖の、低賃金で働く市井の人々とともに過ごし「ロンドンでは座るにも金がかかる」という発見をしたりする「パリ・ロンドン放浪記」や、スペイン内戦の戦場でも(頭のあまり良くない)若者たちとともに過ごした「カタロニア賛歌」を書き、社会の下の方で毎日明日が見えない状態で一生懸命生活している人々を観察したのち、「動物農場」という社会構造についての寓話を書き、権力は常に腐敗することを糾弾して、最後には「1984」で全体主義がすすんだ社会の全体を書こうとした。下から上に。蟻の目から鷹の目に。ちゃんと下を見たうえで上から書くというか。吉阪隆正やカバコフと近いものを感じる。オーウェルは少なくとも制作においては誠実な人だったに違いない。とても興味深い。多分何か僕にとっても大事なヒントがある。オーウェルについてはこれからもいろいろ知っていきたい。

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世間はお盆らしい。僕も実家に帰ったりした方がいいんだろうか・・。眠い。毎日眠い。暑さのせいだと思いたいが、何をしても集中力が長続きしない。まいった。更地を借りて面白い日々を送っているようにみえるかもしれないが、生活というものは地味なものだ。

今日も昨日と同じように自分の家で目を覚まし、美術館のトイレに顔を洗いにいった。敷地の向かいの地獄温泉の建物に水道が取り付けられていることに気がついた。今度オーナーにその水道をすこし使わせてもらえないか話してみよう。ブルーベリーにやるための水が必要だ。昨日は汽水社まで水をもらいにいった。

その後何故か美術館の図書スペースで「ジョジョリオン」を読んで過ごしてしまった。お昼過ぎから敷地に戻って制作を始めた。ここはすこし日が傾けば大部分が影になり、制作できるくらいの温度にはなる。風も通り抜ける。両サイドのビルが高いおかげだろう。谷間にいるような気持ちになる。

大きなドローイングを描き始めたけど、どうも乗らないので、すこし散歩をして周辺をよくリサーチしあらかじめ下絵を考えてからもう一度大きな画面に臨もうと思い、片付けて敷地を後にし、周辺を3時間くらい歩き回った。主に敷地よりも北側と東側。疲れた。また後日東側と南側をまわる。

吉野家で「黒カレー」を食べて、美術館の図書スペースで本を読んでいたら寝そうになった。気がつけばピアノの演奏が始まる時間になっていた。この美術館の図書スペースにはグランドピアノが置いてあり、毎日(?)ボランティアの人が来て演奏する。ピアノを聴きながら、今福さんのスポーツの汀の「アメリカにおいてベースボールは、単なるスポーツを超えた、アメリカという国家歴史そのものを体現して来た」という部分を読んでいた。まわりにも僕と同じようにほとんど寝ながらピアノを聴いたり本を読んだりしている人たちがいた。たぶん毎日のように通っているであろうおじさんが、美術館の職員にむかって挨拶をしていた。

美術館を出てドトールに入った。これからドローイングの下絵を描くつもりだ。少しでも光がみえたらいいけど。

なんだか発狂しそうだ。なんだこれは。話し声がひどくうるさく聞こえる。近くに座っている女性の。閉じ込められている。自分に自分が閉じ込められている感じだ。さみしい。誰かに会いたい。

夢を見た。二人の男と1日の女がいる。何故か教室で、彼らは学生だった。彼らはみんな、僕の展示のために事前に準備をしてくれていた。ぼくの中から、三人の人格が出てきたんだろう。

何故か朝9時の方が夜よりも涼しく感じる。昨日もそうだった。朝は体温が下がっているのがよくわかる。

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昨日から、長い間家を置かせてもらっていたイケザワさんの家をついに出て、上通りの地獄温泉向いの更地に家を動かしてそこで寝泊まりし始めた。

「夏休みアトリエ菜園計画」開始。

この更地は、熊本をぷらぷらと歩いていたらたまたま見つけた更地で、なんとなく良い雰囲気だなと思っていたら美術館の職員の友人の親が持っているものだとわかり、少しの間使わせてもらえないか聞いていたらすんなりオッケーしてくれた。もともと自動車整備工場だったビルの跡地。毎年行われる藤崎宮の大きなお祭りがあり、その青年部の人たちや地域の人たちが集まる公民館のような場所だったという。今年3月に解体し、来年4月からは新しいテナントビルを建てる工事も始まるらしいので、いまはちょうどその空白期間。熊本にはこういう更地がたくさんある。地震でダメージを受けた建物を解体した跡地。地震で破損した建物の解体には行政がお金を出してくれる。「更地が多いですね」と言うと、みんな「今はちょうど建て替えの時期だからね」と言う。

この敷地に今月いっぱい滞在して、一昨日ホームセンターで買ったブルーベリーを育てながら、大きなドローイングを描いたりして過ごすことにした。白い防炎シートに養生テープを貼り、その上にマッキーで描く。たぶん地図のようなドローイングになる。

今日はお昼すぎくらいから外作業を開始。家の上に屋根をつくるべく、美術館でもらってきた木材を切ったりつなげたりした。今の僕の家は土砂降りが来たら多分耐えられない。熊本はスコールがよくある。更地にはスコールからの逃げ場がないので、自分でつくるしかない。角材を三角に組んだだけの簡単な骨組みにブルーシートを打ち付けた。屋根が必要のないときは骨組みの上部に巻いておける。風で飛ばされないように、同じ敷地から拾ってきたコンクリートブロックや大きな石や瓦礫のようなものを重しにした。それが終わった後、ドローイングを書くためのボードを作った。ベニヤ3枚分の大きさ。作業としては大したことないはずだがへろへろに疲れた。途中、汽水社のサトーさんが覗きに来た。

熊本は馬鹿みたいに湿度が高い。今年は特に暑いらしい。暑すぎて無理だと思った時は屋内で本を読む。今福さんの「スポーツの汀」と「書物変身譚」。汀の話がとても興味深い。何年か前に大きなスーツケースを持って駅の階段を不恰好に降りていた女の人を思いだした。どうしようもなく有限な身体のサイズと、それを取り巻く生活や社会の大きさとの落差が、ちょっと滑稽な様相を呈する。僕が家を背負って歩いているのと似ている。経済と体の汀が労働だとすると、アリスの写真作品に写っている風船売りや、行商の人々(特に一昔前の、やたら大量のものをリアカーに積んで売り歩いていた人々)はサーファーだということになる。この辺がとても興味深いし、なにか大事なポイントがあるような気がする。東京でお話しするのが楽しみだ。

晩御飯は、更地の目の前にあるPAVAOという店でカレーを食べた。汽水社のサトーさんに「カレーうまいっすよ」とすすめてもらった。熊本の楽しい人たちが集まっている。ここ数日よく道端で会っていた長崎書店のサイトーさんもいた。彼は松本のギブミーリトルモアでも何度かライブをやったことがあるというケバブジョンソンというバンドのドラマーだった。新美くんの名前が出て来て驚いた。ここは熊本なのに。音楽はどんどん越境する。

明日からドローイングを描きはじめる。明後日から5日連続で天気予報が雷マークだ。心配だ・・。。

こっちで池澤さんと話してると次々アイデアが生まれてくる。やっぱり学芸員なので、作品の収蔵や流通や売買の視点がどこかにあって、それがとても新鮮。売買とか流通とか収蔵とかいうとやらしいものに聞こえるけど、要するに作家がやっている「行為」をどうやって継承可能なものにするのか、価値があるものとして他の人にみせることができるのか、作家が死んじゃっても人がその価値を人が感じることができるものにするにはどうしたらいいのか、そういうことを考えているんだと思う。と、書くと本人は否定しそうだ。

僕は重さがなくて気軽に撮れるので、敷地を借りた写真は全部iPhoneで撮っているのでデジタルデータでしか持っていない。これは展示するときには大事な「作品」になるのだけど、この営みを、人が「作品」として買う時はどうしたらいいのか、どうやってこの「移住を生活する」という、どこを切って見せたらいいのかわからないプロジェクトを「展示」「所有」「保管」するのか考えた末、敷地の写真はスライドプロジェクターで見せるのがいいんじゃないかという話になった。スライドプロジェクターは一枚一枚を順番にみせるのでそこに時間が生まれる。敷地の写真が切り替えるあいだの時間も調整できる。「これだ!」という話になった。さらにそれは、いっぺんに手持ちのものを全てフィルム化するんじゃなくて(デジタルデータを35mmに焼き付けるのは、ちゃんとしたとこに頼んだら1コマ5000円くらいする)「敷地を借りた写真」をフィルムというモノにして所有したい人が現れたときに、その人が選んだデジタルデータを35mmフィルムに出力したらいいんじゃないかと。これはさっそくこれからやることにする。

なぜか制作欲求がおこらない。暑いからなのか。時々こういうことはある。個展と、熊本市現代美術館の展示に向けて新しいアイデアとそれに向けてやることはたくさんあるのに。全然だめだ。というわけでもないけど今日はなぜか池澤さんの家にあったラースフォントリアーの映画を三本も見てしまった。「アンチクライスト」「マンダレイ」「奇跡の海」。奇跡の海は、これは原題がBreaking the Wavesだ。奇跡の海ってタイトルは、もうネタバレしちゃってるじゃないか。ジャケットも微妙だ。「綺麗な愛の話」みたいなジャケットだけど、中身はとんでもないものだった。ラースフォントリアーはダンサーインザダークを小さきとき見たけどあまり覚えてない。奇跡の海の中で「彼女は善意に蝕まれて死んでいったと、そう書いていいのですか?」というセリフがあったけど、3本ともこの台詞が通底している。キリスト教への皮肉も感じる。でも奇跡の海はラストで神が出現していた。「善い行い」がむずかしい。ただ圧倒されるしかないのだけど。色々な僕たちがいて、法律や習慣の中で神経症やうつ病を抱えながら神様を信じながら生活している。そのなかで大勢に向かって一概に「善い行い」をしろというのはどういうことなんだ。あと、二人や集団のあいだで時間をかけて培われた習慣やルールや愛の営みや色々なことを、その培われた時間を知らない人間が目撃した時の異常なまでの奇妙さ。身に覚えのない人なんているのか。登場人物たちは、誰一人として特別な、なにかスゴイものを持った人とかではなかった。みんな普通につつましく暮らしている人たち。つつましく普通に過ごしていたら、いつしか狂ったものがそこにあったりする。というか何が狂ってるかどうかなんて一概に定義できるのか。いつのまにか全員狂っちゃってるんじゃないか。