バスに乗っていて「お降りの方が押す黄色いボタン」をみんな押しているけれど、それが何でできているかなんて全然考えてないんだろうなと思ったのだけどそういえばハイデガーも「道具」について「履いている靴のことを意識しないでいられればいられるほどそれは靴として優れている」と言っていて、同じことがこのボタンにも言えるんだなというところまで思い至り、ふと昔ファミリーマートの看板をすぐ目の前で見た時、その大きさと「物質感」に驚いたことを思い出した。あの時初めて気がついた、それまではただの情報としてしか見ていなかった「看板」は情報である前に、重さと奥行きと、なんなら内部に空間さえも持っているという大きな「物体」であるという発見は、それが看板という道具として優れていたからこそ、現実に物質でできているということが後ろに隠れてしまっていたことの発見だったのだ。そうやって素材が後ろに隠れてしまう道具と違って、芸術作品では「世界」と「大地」との闘争によって真理を顕現させるみたいな話がハイデガーの芸術論だった。ここでいう「世界」は「それはつくられたものである」という事と関係していて「大地」は「しかしそこにあるものはなんらかの現実の素材である」ということに関係がある。大地とか世界とか言い回しがハードでかっこよく感じるのだけど実は素朴な話だ。iPhoneとかみればわかるけど道具が優れて高度になっていくということは素材をどんどん後ろの方に隠れさせていくのだけどそれに対して、芸術作品でおこるという闘争は、現実にそれは素材でできている。現実のなんらかの素材であるという「あ、そういえば」というふうに、ふと我に帰らせる力と関係している。この力は、作品は「それを見守る人」をその真理の場所にひきこみ、それに触れる以前の状態ではいられないという(彼の言うところの)芸術作品の性質とも関係している。とても勇気をもらったのだけど、なんでいまのいままで岸井さんが教えてくれるまでハイデガーの芸術論面白いよと言ってくれるひとが誰もいなかったのか。大学の先生とか。先生はベンヤミンもニーチェも教えてくれなかった。「芸術作品の根源」はとにかく全体に道具と比較してるのがグッとくる。有用性に埋没してしまう道具の話は、大学に人文いらないっていう風潮とか「稼げる文化」とかそういう流れに対して、圧倒的に言い返してくれているようだった。利用したいというものは制圧欲求で、芸術作品はそれに端的に抵抗する話とか、科学は真理を生起しない話とか、作品は存在していること自体を非日常化する話とかも超サイコーだった。

「冬のあわい」は終わったけれどこの遠泳のような人生はあいかわらずなので引き続き、無音で降るのにまるで大音量で街を包み込んで、地表にある一切の境界線を消して白い大地を出現させたあの雪みたいな、苛烈な平穏を手に入れるために日々を過ごしていく。みなさまお気をつけて。

松本は良い街だけど、良い街でしかない。戦う場所がない。今は都会で戦っているaokidなんかを見てると、羨ましく感じる。(aokidは今も都会のストリートで戦っているんだろうなと思える。思い出されるだけで彼は活動しているみたいだ。ずるい)同じ時間に同じところでご飯を食べているのを繰り返していると、自分が、時間に消費されているような気がしてくる。そして、この状態に慣れてしまうんじゃないかと恐れている。日記はいつのまにか、見られるための文章に変わってしまった。もう一度、つまらなくていいから書くということを思い出そう。だいいち、松本は寒すぎる。夜に何時間も散歩するのが好きなはずの僕が、寒すぎて15分も外に出ていられない。昨日は散歩にいってみたが30分くらいしたところでもう体の冷えが限界にきてしまった。帰ってからひと仕事しようと思って暖房をつけて机の前に座ったところで突然の凄まじい眠気が襲ってきて何も手につかず、たぶん机の前で30分以上うとうとして、これはもうだめだと思って寝てしまった。結婚して共同で生活するということは、二人でバンドをやるようなものかもしれないと思った。音楽の進行を決めるリズム隊が自分の他にもいるおかげで、それは良い感じの音楽になることもある。でもここでは変調しない方がいいと思ったときに、他のリズム隊の方がアドリブで変調してしまったりする。仲良くなればなるほど、自分の音楽性を表に出すことを厭わなくなるので、最初は従順なベース的な立ち位置だった人も、いつのまにかギターに持ち替えて作詞作曲も始めちゃったりするようなパターンが沢山あるんだろうなと、たやすく予想がつく。世の夫婦はみんなバンドをやっている友達だ。そのバンドメンバーから「匂いがやだ」という要望があり、タバコを「アイコス」に変えた。タバコも稀に吸っているけれど、だいたいアイコスを吸っている。これはすごい代物だ。この嫌煙の流れに対抗するために、苦労して作り出したであろうこいつ。そんなこいつも副流煙から通常の紙巻きタバコの10パーセント程度の発がん性物質が検出されたので、他のタバコ同様に規制するし、課税もするというニュースを見た。こんな事態になってしまってかわいそうだ。なんのために開発したのか。知らないけど、どんなものでもよく調べれば10パーセントの発がん性物質くらいすぐでてきそうだ。タバコは体に悪いからやめなさいというのは正論なので、言われたらそうですねというしかないのだけど、それは正論でしかない。松本みたいだ。でも本当はタバコが体に悪いかどうかもよくわかっていない。「徹底的に調べたことはないけどなんか悪そう」なのは確かなので、タバコを吸っている人に会うと嬉しくなる。仲間だと思える。バンドメンバーに加えたくなる。でも現状の法律はバンドはツーピースバンドでなければいけないということになっている。ツーピースバンドなんてホワイトストライプスしか思い当たらない。それもとっくに解散してしまった。すきなバンドだった。残念だ。妹のドラムがすごかった。あまりにも退屈なので、そろそろ自分をホワイトアウトさせないと心がもたない。良い暮らしとかウケの良さとかどうでも良いのだった。ただ死んだ後の準備をするだけにしたい。右も上も下もわからない、あの光の混沌のなかに戻らなければ。ホワイトストライプスを再結成しなければ。