今回、釜山現代美術館は小冊子をつくってくれただけではなく、プレスリリースもしてくれたようで、朝鮮日報にも僕の釜山での"展示"の様子が報じられていた。これまでニュースで取り上げられた中でも一番嬉しい。「家を持ち歩く美術家」としての僕が朝鮮日報の日本語版にのったことが。今回は、スウェーデンでやったようにあたらしい家をその場で作ってしまうのではなくて、僕が普段日本で使っている家を船に積んで朝鮮まで運ぶことが大事だった。僕は(ハングルの読み方を覚えようとはしてるけど)こちら韓国で、店の店員や街を行く人はもちろん、土地を貸してくれている人たちの話す言葉を全く理解できないけど、もう三年も使っている馴染みの家に住んでいるという不思議な状況だ。これはいったいどう考えればいいのか。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/07/02/0200000000AJP20180702000800882.HTML?input=rss

今日、閉館間際に歴史博物館を少し覗いてみたけどかなり見ごたえがありそうだ。嬉しいことに日本語の解説もしっかりある。釜山が日本の占領政策(経済占領という言葉がよく使われていた)にどう翻弄されて来たかが詳しく解説されている。明日しっかり見てみようと思う。前回のペクサン記念館や、「40階段」(日本の占領時代に象徴的な場所だった階段が、遺構として街中にしっかり保存されていて、名所になっている)のような場所や、この近代歴史館(もちろん全て入場無料)のような施設が街中あちこちに点在している。韓国はこういった歴史教育をかなりしっかりやっている印象。

そしていま、日本人の僕がディアスポラみたいな状態で釜山の近代歴史博物館の前庭に転がり込み、家と共に寝泊まりしているという、とてもおかしな状況になっている。日本人の僕が釜山で発泡スチロールの家を持ち、敷地を求めて歩き回るという状況はとても自虐的な政治ジョークのようにも見える。この国に家とともにいると、自分がかつて韓国を占領していた国の人であることを嫌でも意識してしまう。もっと学ばなければと思わされる。

昨日の日記を書かないまま釜山三日目の今日。まだ三日目とは・・。

昨日の昼はグーグルで、今の敷地から近いところに電源とWiFiの使えるosullocというお茶カフェを見つけたので行ってみたのだけど、なぜか閉まっていたのでどうしたものかと思って、やっぱりアレしかないか、と思ってstarbucksと検索したらそのお茶カフェから歩いてすぐのところにあった。恐るべき遍在性だ・・。

昨日はずっと雨が降ったり止んだりの天気。一昨日の夜からずっとそうだった。寒いくらいだったのでお茶カフェを探しに行く途中ナンポドンで「1000ウォン」と大きく看板を出している服屋をみつけたのでそこで合成素材でできた白黒カラー七分袖の服を1000ウォンで買った。同じ値段で「You only live once」と書かれた青い長袖の服もあったのでそっちと迷ったのだけどこの大きめサイズの服の方が韓国スタイルっぽいなと思ったのが決め手となった。

一昨日の夜は湿度と蚊に大変悩まされた。お風呂に入れなかったのでコンビニで買ったウエットティッシュで体を拭いて蚊と格闘しながら少し眠ったと思ったら床に違和感を感じて起きたら寝袋の下がなぜかびしょびしょに濡れていた。結露かと思ってタオルで拭いてまた寝ようと試み、何度かうとうとしながら床を拭いたり蚊がいなくなるスプレーを散布したりしているうちに外が明るくなってしまった。こんな結露するなんて初めてだと思ってiPhoneで見たら湿度88パーセント。蚊もわくはずだ。釜山の蚊は攻撃力が弱いとか書いたが嘘だった。非常にしぶとい上に時々とても強い毒を持ってるやつもいるらしく、左手の肘のあたりに刺された後はブヨに刺されたみたいに腫れてしまった。すぐにおさまったけど。

敷地の隣の沐浴湯

もう起きてしまおうと思って起きて寝袋を家の中に干して外に出て時計を見たら朝の5時だった。近所を少し散歩した。コインランドリーをハングルで検索して行ってみたけどそこはコインランドリーじゃない上にシャッターが閉まっていた。敷地の隣の銭湯(沐浴湯、モクヨクタン)は朝5時半にシャッターが開いた、開くと同時におばちゃん二人とおじちゃん一人が入っていった。銭湯文化は普通にあるらしい。ただし朝風呂派のようだ。韓国人は朝が早い。沐浴湯は日本の銭湯とほとんど同じようなつくり。最初にお金を払い(5000ウォン)、脱衣所で服を抜いで中に入る。体を洗うためのアカスリタオルが山のように積まれている中から一枚取り(アカスリタオルと体を拭くためのタオルは韓国の銭湯においては基本的に貸し出してくれるらしい)、中に入って洗い場で体をあらってから湯船に。温度は日本の一般的な銭湯よりもぬるめかもしれない。そして上がって体を拭いて外に出たら、まだ七時前なのに既に通りが賑わいだしている。そのまま近くのコンビニ(25という看板が出された店)で牛乳(ウユ)とカップ麺を買って朝ごはん。イートインコーナーがあって、日本のコンビニみたいにお湯もレンジもある。七時半ごろ一旦家にもどる。モンベルは優秀で、こんな湿度でもそれなりに乾いてくれている。眠くなる。この時電源のあるカフェを調べ、と近くに電源もWi-Fiもあるお茶カフェがあることがわかり安心する。しかしそこがあいてなかった。そしてこれを書いている今日も行ってみたがあいていなかった。行く時間が悪いのか?そういえば釜山にはホームレスがいない。1,2人お金を乞うているおじさんは見たけど。でも金さん曰く、すこしいるらしい。彼らはどこで寝泊まりしているんだろう。

そのままうとうとして9時過ぎごろに起き上がり、絵を描き始める。途中、サムギョプサルをご馳走してくれた社長さんが訪ねて来た。しばらく書いてたけど、寒い上に雨が降ったりやんだりなので断念し、お茶カフェをさがしにいった。充電もしなければいけなかった。

この文章の冒頭の通り、遍在するスターバックスで3時間くらい日記を書いたり絵を描いたりして過ごし、家の方に戻っている最中に金さんから電話がかかって来る。近くのカフェにいるからそこにきてくれと言われ、金さんと社長さん(社長さんはとても協力的でいつも一緒に行動してくれている。彼も楽しいのかもしれない)と合流する。なんと金さんは今日の敷地として、日本領事館に交渉してくれていたらしいのだけど、そこがどうもダメらしい。領事館の敷地に泊まれたら相当面白かった。それにしても金さんは市立美術館の職員だからなのか、色々と公共施設を交渉してくれている。月曜からは市役所の公園と区役所の敷地に許可を取り付けてくれた。いまのところ全部金さんがやってくれている。助かるけど、僕としては隙あらばどこかで自分で許可を取り付けて寝てみたいと思っている。そういう動きも挟みつつ、金さんたちに協力してもらいつつ、やっていくのが良さそうだ。釜山では。今の僕の狙いとしてはあの沐浴湯の敷地だ。でも今日は土曜日だからなのか沐浴湯がやってなかった。なのでお風呂は釜山ホテルというホテルの日帰りサウナを利用した。こちらは6000ウォン。

とにかく領事館は、保安関係で夜まで人がいることがだめだと言われたが、キムさんの知り合いの領事館の人が、なんといま他に敷地を探してくれているらしい。日本領事館が僕の家の敷地を探しているのは不思議だ。どう考えれたらいいのだ?釜山の街は基本的にきつきつに建物が建っていて敷地に余裕がない。広場や公園もないのでここらで敷地を探すのはたしかに困難そう。困難そう、とか他人事みたいに書いてしまった・・。僕が寝る場所を何人もの大人の人たちが探してくれている・・。

金さんたちに「釜山の蚊には日本から持ってきたスプレーが効かない」と言ったら笑われた。釜山の蚊は強い。体に塗るタイプの虫除けと、結露防止のための何かが欲しいと言ったら「国際市場」(秋葉原と大阪とかっぱ橋と日暮里繊維街が全部混ざったような楽しいエリア)のほうへ買い物に付き合ってくれた。薬局で店員に勧められたモギウユ(蚊ミルク)と、透明な薄いビニールを手に入れた。国際市場では200円くらいで買える服が並んでいたりする。釜山の最低賃金は、最近法律が変わって7400ウォンくらいらしいが、ムン大統領が頑張っていてもうすぐ10000ウォンになるらしい。その後、釜山の「映画ミュージアム」というところに交渉にいくも責任者不在でうまくいかず、どうしたもんかと思っていたら(金さんは「これでダメだったらどうする?」と言っていた。完全に僕の身になって考えてくれている・・)「釜山近代歴史博物館」で敷地を貸せるという許可を得られた。助かった。

金さんと話していても思うのは、他の人でもそうだけど徒歩の移動感覚が違う。僕は釜山に来たばかりでかつ徒歩移動には慣れているほうだと思うので、街の捉え方が大雑把だ。北に3キロ進んでから南に6キロ進むことになっても構わないし、通りと通りの違いなどもよくわからない。でも釜山に長く住んでいる彼は、僕よりもこの街を大きく細かく捉えているので、向かっている方位からすこし外れた場所で敷地を借りようとするのを無意識に避けようとしている。

2018年7月6日〜8日부산시중구대청동の부산근대역사관の前

とにかく歴史館の許可が下りたので、ペクサン記念館から家を動かす準備をしているときに、夜床が濡れたのは結露なんかじゃなくて銀マットの表面がところどころ破れているので床下の水が上にしみて来てしまっているせいだと気が付いた。これはまた国際市場にいってヨガマットか何かをかってこなければ、と思った。そして歴史館に家を移動。10分弱くらいで着いてしまった。そこで金さんたちと別れて一人で国際市場に言ってヨガマットを20000ウォンで購入。

晩御飯は散々歩き回った挙句、一昨日の店と同じところに入って一人で焼肉を食べてしまった。日本でもやったことのない一人焼肉を、一人でご飯を食べたりする文化がないので「友達いないのかな」と思われてしまうという韓国でやってしまった。その最中は、もう恥も何もないと思えたので僕の態度はでかいもんだった。そうして昨日の夜は釜山近代歴史感前の小さな広場のようなスペースを敷地にして寝ることができた。

次の問題は洗濯だ。近所ではネットで探しても歩いてもコインランドリーがない。リミットはあと2日。2日以内にどうにか洗濯する方法を考えなければ。そして今日の朝、工事の音で目が覚めた。朝7時から9時みたいなノリで工事現場の人が仕事をしている。

2018年7月5日부산광역시중구동광동の백산기념관

 

ミリさん撮影

いま釜山の中央駅という駅の近くのペクサン記念館というところの敷地内に家を置いて中でパソコンを開いている。ペクサン(白山)記念館というのは、日本が朝鮮総督府を置いて朝鮮半島を占領していた時代に抗日独立運動の義士として活躍したPeaksan Ahn Hee Je氏を記念して建てられた資料館らしい。まだ中には入っていない。釜山現代美術館の金さんが僕が寝る場所として交渉してくれて、明日までここに家を置いていいことになっている。建物は通りからセットバックして建てられており、その部分は公園のような場所になっているのだけどそこに家は置かずに、すこし奥まった人目につかない場所に置くようにと言われた。なにせ抗日の義士の記念館なので、日本人の僕がいくら「アート」といってもそんな場所に訳のわからない家を置いて寝泊まりすることを許すなんて如何なものかという意見を見越して、人目につかないところで、かつ1日だけなら大丈夫ということになった。金さんがこの記念館のスタッフと電話でやりとりしている時も、「それは政治的な主張のための作品ではないか?」ということを聞かれたらしく、金さんは「そんな主張は全くない」と言って許可を得てくれた。釜山にきて1日目にしていきなりハードな場所で敷地を借りることになった。明日は中も見てみようと思う。

大阪からのフェリーは今日の朝10時ごろに予定通り釜山国際フェリーターミナルに到着し(釜山は梅雨の時期で、雨が降っていた)、僕は到着ロビーで僕のネームカードを掲げて待っていてくれた釜山現代美術館の金さんとミリさんに迎えられた。Pantstar Cruiseのトラックに預けられた家を受け取る場所がわからず少し手間取った(というのも釜山国際フェリーターミナルは最近建てられたばかりらしく、空港みたいな巨大な建物で、到着して矢印に従って歩いてたら家を受け取れないまま出口まできてしまった)けど金さんが税関の事務所を訪ねて家の居場所を突き止めてくれたおかげで、どうにか家を回収した。行きのフェリーのなかで基本的なハングルの母音と子音を急いで頭にいれて(でもまだ覚えきれていない)釜山に到着したけど、金さんは過去に三年ほど日本に留学していたことがあるらしく、かなり堪能に日本語を話せる上に、ミリさんも英語がペラペラだったのでこの二人の前ではハングルを使う必要はなさそうだけど、でも多少は覚えたい。

家の中に蚊がいる。蚊がいなくなるスプレーを持ってきておいてよかった。刺されたけどそんなに攻撃力が高い蚊ではない。

フェリーを降りたあと家はいったん空港、じゃなくてフェリーターミナルだ。空港と勘違いしてしまう。フェリーターミナルの手荷物預かり所に預けて(といっても預かり所のドアから中に入らないのでドアの前の柱のそばに置いた)金さんミリさんと共に顔合わせとミーティングのために車で現代美術館に連れていってもらった。港から美術館までは車で30分ほどかかる。美術館は今年6月に開館したばかりの市立美術館で、釜山の西側(金さんいわく「昔はただの田舎だった場所」)の三角州になっている島にある。ミリさんも「ここは田舎。うちから通勤に1時間半かかる」と言っていた。日本語で。彼女は日本語も結構話せる。金さんたち美術館のスタッフは僕の今回の滞在を、かなり主体的に考えてくれていて、なんと4ページのカラーの小さな冊子も作ってくれていた。「家の動詞形」というタイトルの特別展を開催するということになっていて、僕が釜山を家と共に移動生活するあいだ「観客」は僕が家を運ぶところを路上で目撃したり、借りた敷地に置かれた家を見たりすることができる、ということになっている。画期的な考え方だ・・。僕はいままで自分が移動生活しているあいだ「展示」をしているとは考えたことがなかった。展示にしてしまえばいいのか。金さんの考えでは(金さんは「私の考えでは、」という切り出し方をよく使う)家を敷地に置いたらその家の前にアクリルボックスを設置し、そこにこの小冊子をおいて興味を持った人が持って帰れるようにするというものだった。そのため小冊子はダンボール5箱分くらい印刷されていた。やはり韓国は文化予算が日本より潤沢なのか?など考えてしまった・・。それらを全て持ち歩くのは重いので、金さんが、僕がいる場所に都度もってきてくれるという。その連絡を取るためのポケットWiFiの契約も全て行ってくれた。なのでいま僕はインターネットが使える。さっきまで使えなかったインターネットがいざ使えるようになったら、自分が非常に強くなったような気持ちになる。この活動においてはインターネットが非常に役に立つ。外国では翻訳もできるし銭湯や薬局やコンビニも調べられる。まあネットがないならないでなんとかやるのかもしれないけど。しかしインターネットがあってもここには電源がないのでバッテリーが切れたら一巻の終わりだ。しかもまだこの国で電源を充電する方法を見つけられていない。電源があるカフェを探すのが手っ取り早いだろう。多分あるはずだ・・。

蚊がいなくなるスプレーの効果が切れたらしくまた蚊がいる。本当は一晩有効なスプレーのはずなんだけど、足を出すための穴を開けているので風の通りが良すぎて効き目がすぐになくなってしまうらしい。でもこれを閉めると暑い。どうしたものか・・。とりあえずまたスプレーする。

美術館について艦長やチーフキュレーターと顔合わせをしたあと、金さんたちにいま開催中の展覧会を案内してもらって(金さんもオススメのJeon Joonhoという作家が面白かった)、お昼ご飯を一緒に食べた。現代美術館よりもさらに西にあるニュータウン(豊洲みたいなマンション群が並ぶ景色の街)でサムゲタンを。注文したらすぐに漬物の小皿が10皿くらいでてきて驚いた。漬物はお代わりし放題らしい。辛くて食べられないものもあったけど基本的に全て美味しい・・。ちなみに夜ご飯にはサムギョプサルをご馳走になったのだけどここでも出てくる皿全て、肉はもちろん豆腐もサラダも美味しかった。

お昼ご飯のあと美術館に戻ってすこし綿密な打ち合わせを金さんと行う。釜山は海雲台(ヘウンデ)と呼ばれる東側の地区のあたりが最近は人気のエリアらしく、若者の人口が増えているらしい。釜山中央駅があるこのあたりは「若い人はあまりいない」と言っていた。そこでおおまかな移動ルートを決めて、中央駅付近を下見しつつフェリーターミナルに戻った。

フェリーターミナルで家を回収し、金さんたちと別れてそこからこのペクサン記念館まで歩いてきた。1時間ほど家を持って歩いたわけだけど、船内で「これは韓国ではものすごくひとに話しかけらえるかもな」と思ってたけど実際はほとんど全く誰にも話しかけられなかった。一人だけアニョハセヨと声をかけてきた人がいたのでアニョハセヨと返したけど本当に僕に話しかけたのかどうかはわからない。写真を撮ってくる人は普通にいた。話しかけられることを想定して一応金さんが作ってくれた小冊子を持ち歩いたけど出番はなかった。ペクサン記念館のそばには銭湯(金さんは「銭湯は釜山にもたくさんある」と言っていた。助かった。)というかお風呂もやっているモーテルのような施設があって下見の時には「お風呂が隣で便利じゃないか!」とみんなで盛り上がったのだけど、夜19時ごろに着いたときにはしまっていた。夜にはしまってしまうらしい。銭湯はあるけど夜に行くという習慣はないということなのか?こっちでは朝に入ることが多いのか?

なので歩いた時に汗をかいたけど洗い流せないので近くのコンビニにいってウエットタオルらしきものを見つけてレジに並んで「これタオルですか?」と日本語で聞いたら「ウエットティッシュ」と答えが返って来たのでそれを買って体を拭いて今に至る。でも家の中でパソコンを売っているうちにまた汗をかいてきた。あしたの朝銭湯に入れることを祈る。ちなみに公衆トイレもこの建物の裏側にあったけど今は入れない。コンビニにもトイレはなかった。簡易トイレ戦法でなんとかやるしかない。

小冊子をデザインしてくれた会社の社長さんと金さんと三人でペクサン記念館の近くにあるサムギョプサルの店に行ってご飯をたべた。そのとき金さんが「韓国ではご飯を食べたりお酒を飲むために一人でお店に入ることはあまりない。最近はすこしずつそういうこともできるようになってきたけど、一人で店でお酒を飲んだりすることは、すこし変なことだと思われている。そういう人を見ると基本的に友達いないのかな、とかいじめがあるのかな、と考える」と教えてくれた。あやうく一人でバーに入って酒を飲んだりするところだった。不思議だ。金さんは「日本みたいに一人で定食を食べられる店があったら便利なんだけど」と言っていた。この点に関してはすこし暮らしにくいかもしれない。カフェは一人でもいけるらしい。

韓国語については、ハングルの読み方さえ覚えられれば、その読みから漢字を連想して意味を類推できることが少なからずあることがわかってきた。「住民」のことを「ジュミン」と言ったり「薬局」のことを「ヤッグク」と言ったりする。日本語話者である僕は韓国語を勉強するにはかなり有利だ。しかも文法が一緒らしい。「私は日本から来ました」と言いたい時、「私」「は」「日本」「から」「来ました」を順番に韓国語でいえばいいということだ。今回の滞在では韓国語を勉強しながら移動生活をやってみようと思う。

釜山の中央駅付近は日本人観光客も多い(昔はもっと多くて「すごかった」らしい)場所らしく、ご飯を食べてたら日本語が二つのテーブルから聞こえてきた。店の看板も日本語が併記されてたりする。

サムギョプサルを食べながら金さんが「日本人のアーティストの知り合いもたくさんいるでしょう、ぜひ紹介してください。来年の企画でとか、色々考えられるので」と言ってくれた。こうやって僕みたいないち作家でも少しは国際文化交流の役に立てることがあるから海外に行くのは面白い・・。「面白い人たくさんいますよ。紹介します」と答えた。そういえばエミルも今年日本に来るらしい。

かれこれもう2時間近く日記を書いている。明日銭湯に入れることを願いながらそろそろ寝ることにする。


7月3日の敷地はPANSTARフェリーの船内の手荷物トラックの中。撮影不可。

大丈夫だ。なんとなくみんな陽気だ。おばちゃんが多いからかもしれないけど。フェリーにはなぜかコリアンのおばちゃんとおじちゃんが多くて、なんとなく距離が近い。距離が近いというのは、例えば朝ごはんのバイキング(夜も朝も、どの品も美味しくて最高だった。しかも安い。キムチだけはちょっと辛いだけというか、もうすこし出汁が効いていてくれると良いのだけど)に並んでいる時に前後の人がとても近くに並ぶ。それと彼らは朝が早い。鶴橋を歩いている時にも思ったけど、このフェリーの朝食の時間も「朝食は7時30分までとなっております」と、7時25分ごろにアナウンスがあって布団でごろごろしていたけど飛び起きてご飯を食べに行った。

と、思っていたがどうやらこのアナウンスが適当だったようでさっき「朝食は8時20分までとなっております」と言っていた。一人の人が韓国語、日本語、英語を全て話していて、かつそれが一人伝言ゲームみたいになっていて内容にばらつきがある・・。さっきも「部屋のルームキーを9時20分までにフロントにお返しください」と日本語で言ったあと英語では「部屋のルームキーをフロントに返してください」としか言っていない。

この船は9時50分には釜山に着くらしい。18時間も船旅をしていたとは思えない。一瞬だった。wifiもつながらないのでメールなどが見れないし(ので、僕を港まで迎えにきてくれる予定の釜山現代美術館の人と連絡が取れない)いまどこにいるのかわからないけど釜山についてしまうのでとりあえず行くしかないようだ。

この船内は綺麗で、あちこちで壁を磨いている清掃員すら見かけるくらいなのだけど働いている人たちに中東系が多いのがすこし気になるというか、興味深い・・。

8時15分から「パンスタークルーズのど自慢大会」があるらしい。申し込みを受け付けるアナウンスが流れている。いまもこうやって日記をロビーの机で書いていたら、僕が机の上にのせていた「はじめての韓国語」という本に反応して「韓国語、勉強?日本人か。わたしたち、日本語勉強、しています」と韓国人のおじさんが話しかけてきた。韓国人のメンタリティ、素敵だ。ちなみにパンスターフェリーには弦楽器演奏、マジックショーなんかもあるらしい。

かつてこの海を渡った杉原先生のようなボートピープルたちの胸の内は2018年29歳の僕なんかが想像できるものではないけど瀬戸内の海を眺めている。

例の刑務所のような免許合宿のおかげで自動車を運転する能力を手に入れたので、大阪でニコニコレンタカー(軽トラ)を借りておよそ半年にわたって家を預かってもらっていた上町荘に家を取りに行き(上町荘は例の大地震の大きな被害はなかったようだった)、大阪港国際フェリーターミナルまで家を積んで走ったのが一昨日。15時半発の釜山行きパンスターフェリーに乗る予定だったけどなんと台風の影響で欠航となったらしく、急遽大阪のゲストハウスに2日延泊してついに今日大阪港を出港できた。国際フェリーは初めて。家もこれまでさんふらわあやジャンボフェリーなんかの国内船には載せたことがあったけれど国際船となると関税とか携行品検査とかが面倒そうだと思っていたけれどやってみるとすんなりとクリアした。始めは手荷物として載せようとしてくれたけれど乗船口のエスカレーターがかなり狭いからこの家は通らないということになり、係員のおじさん(この人が結構語気が強めで怖い)に「手荷物として預けてください。トラックに載せるんで向こうで自分で取りに行ってください。わかりましたね。」と言われた。「これ何キロくらいあるかわかりますか?」と聞くので「8キロくらいです」と言ったら「100キロ!?100キロですか?」と聞き間違えられたので慌てて「いや、はちキロです」と言い直したらホッとしていた。手荷物手続きの係員はおじさん含めて二人(もう一人は警備員のような格好をした韓国人だった)いて、二人は「どうしよう?千円?千円か」と、僕の家の運搬にいくら手数料をもらうか相談していた(「お前の胸先三寸じゃねーか」と思った)。結局僕は1000円を支払って東南アジア系の二人組作業員が家をトラックに積み込むのを見届けてからフェリーに乗船した。そのおじさんの語気が強くなってしまうのも無理もなくて、乗船場には大きなダンボールを積んだ台車がたくさん並んでいて、各荷物には人(ほとんどというか多分全員韓国人だと思う)がついていて、彼らが釜山に運ぶ荷物の関税手続きをそのおじさんがほとんど一人で行っていた。おじさんと客たちは、ときどき言い合いのような形(おじさんが「えー!自転車あんの!?あかんやん!だめやんそういうのは。リストに自転車書いてある?骨董品?骨董品じゃないやろ!」と大きな声で言うのが聞こえた)になりつつ、大きな声でやり取り(「インボイス」という単語が頻繁に聞こえる)をしていてそれを数人の警察官が見守っているという光景。刺激的だ・・。それらは手荷物ということになっているけれど、おそらく小商いの人たちが日本で仕入れた商品をフェリーを使って運搬しているということだと思う。これを一人で捌くのは大変だ・・。タフネスが求められる。運ばれる荷物には漫画「ワンピース」のフィギュアのダンボールなどがあった。

そんな感じで1000円で家を積んで、フェリーに乗り込んだ。船内はとても綺麗。お土産も買えるコンビニや寿司バーとかアロマエステの店まである。スタバみたいなアイスココアが飲めるカフェもある。wifiは使えるということになっているけどすこし頼りない。僕が取った寝室は一番安い5人雑魚寝スタイルの2等客室で、僕の他に韓国人のおじさんがいるだけだった。おじさんは僕に英語で話しかけてくれて、布団を引くのを手伝ってくれた。僕が3週間韓国に滞在するといったらとても驚いていた。おじさんはこの船に乗り慣れているらしく、お風呂に入りに行く時には部屋に鍵をかけて鍵はカウンターに預けてくれ、など色々指南してくれた。

今回の釜山は金沢で開催される「東アジア文化都市」という展覧会の関係で行く。ずっと日本で使っていた家が国境を越えるのは初めて。最近、戸田郁子さんが書いた第二次大戦時に大日本帝国に駆り出されて中国に飛ばされたり、日本人と間違われてシベリア抑留されてしまった朝鮮人の本や、橋口譲二さんが書いた、日本兵として国外に派兵されたままその土地に住み着いた人々の本を読んでいた。また杉原先生(幼い頃から家族でお世話になっている)が5歳までは京城にいて(平壌に行く計画もあったらしい)、日本が敗戦してからボートピープルとして広島に帰ってきた(九州に行く予定だったらしいが広島に変更され、そのおかげで当時病気していた杉原先生は助かったと言っていた)話も最近聞いた。いまこのフェリーは瀬戸内海を走っているけど、たぶん杉原先生も瀬戸内海を通って朝鮮から日本に船で渡ってきた。そこをいま家と一緒に朝鮮に向かって移動している。釜山のあとは仁川へも行って戸田郁子さんの話も聞く予定。

万引き家族を見た。くらった。映画館を出た後の「くらった感じ」は、早稲田松竹でアメリカンスナイパーを見た時に似ている。スーパーでの万引きのシーンで始まる。スーパーでは万引きするが、そのあとに「親子」で立ち寄る肉屋でコロッケはお金を払って買う。なぜなら「親子で肉屋のおばちゃんからコロッケを買う」という経験は大切にしたいから。モノは盗めるが、経験は盗めない。そのあとリンちゃんを拾い、わざとらしいくらいに典型的な「家族の夕食」のシーンになる。にくい!

「家族はこうあるべき」という、僕たちの無責任な、ぼんやりとした共通の幻想とそれによって作られた制度によって「多少問題はありつつも実際楽しく暮らしている人たち」の「絆」が壊されてしまう。「本当の父親」「本当の母親」という言葉がとても意地悪く聞こえた。外野からの無責任なアドバイス。しかもそれはこの時代では「正しい」ことであるという歯がゆさ。

それと人の弱さの話でもあった。倫理感や制度によって人の心の方がつくられてしまうという弱さ。僕はあの最後の取り調べであの人たちに「楽しく暮らしてんだからいいじゃないですか。そのためにつくった制度でしょ」と言って欲しかった。自分に自信をもたないといけないと学んだ。反面教師的に。

最後の最後に突然「こっちを向くかのように」正面からカメラを向いて、演技をする役者たちのほとんど神がかった演技・・。安藤サクラ凄まじかった・・。カメラワークも憎い・・それまでずっとスクリーンの中で起こっていた物語の登場人物に、突然こっちを向かれて「で、君はどう?」と突然聞かれるような気分。

夜逃げのシーンは「マイティ・ソー」で故郷が破壊されるなかアスガルドの民衆が船で亡命する時に誰かが言ったセリフ「国とは民だ。土地ではない。」を思い出した。土地ではなく民の問題なんだ、というのはこの映画全体を通して言える。人を幸せにするための決まりごとが本末転倒して人の幸せを破壊していく構図は、土地へのこだわりが民が自滅させるような話に似ている。

本当にやられたと思ったし、よく作ってくれたとも思ったし、これに最高賞を与えることができ、かつ世俗的にも名前が通ったカンヌはすごい、賞としての役割を果たしていると思った。

見る前は何も情報を入れずに観て、ただ「あなたはこういう世界でいきているんですよ」と突きつけられた気持ちになり、ズシンとくらって自分の日々の振る舞いについて色々と考え込んでしまったけど、あとでちょっと調べたら、政治的に体制を批判する映画として観ている人が結構いると知り、是枝監督も記者会見で「どの政治家の顔を浮かべて作ったんですか?」と執拗に聞かれたらしいと知った。それだけじゃなくて、左翼の映画だとかいう人もいるらしい。これになんらかの政治的な主張を見てとる人々の気持ちが全く・・全くわからない・・。この映画が描いてるのは、まさにそういう主張をする人たちの中で働いてしまっている力だ。そうやって顔のある人々の物語を顔のない大きな話にまとめようとする力が(無意識のうちに)自分の中で大きく働いてしまうことの暴力だ。

例えば自分で机を作ろうとした時、ノートに設計図を書きながらどの材をどのくらい買うかなどを考えているときは、カント的。そのうち頭打ちになってしまう。

その後ホームセンターに行ってたくさんの材料を目の当たりにして他な物も買っちゃったり、売ってないものを代用する方法をどんどん考え出すとき、ニーチェ的。

僕は分裂している。みんなで生活した方が豊かで、その必要があると知りつつ、引きこもりたいと思ってしまっている。

僕は幼い頃、四世代家族だった。

でも過去に四世代家族だったからこう思っているとかじゃなくて、分裂していると今思っていることが大事だ。

内的な行いが外的な行いになってしまう社会の中に生きているんだ。だから自信を持て。

自分の地図をかけ。みんな自分の地図を描いてるのに、気づかないふりをしている。

自信を持て。あなたが状況をつくるんだ。振り回せ、まわりを。

人を信じるな。何かに対しての信仰を強要するな。信じるか信じないかを聞くな。信じてるか信じてないかで答えるしか無くなってしまう。ボケてくれ。頼むから。

友達と飲んで深夜東京で借りたアトリエに歩いて帰る途中、千歳烏山のあたりで日本橋まで18キロという表示を見てびっくりした。近い。東京はせまいぞ。電車や車もいいけど歩く感覚を奪われるな。賞味期限の数字を見る前に食品を自分の目でみろ。匂いもかげ。

歩きカップラーメンをしていたらあっというまだ。はじめてあるきながらカップラーメンを食べました。帰ってから食べようと思っていたけど仙川の駅近くあたりの甲州街道でファミリーマートの前をとおってしまったのではいってカップラーメンをかってレジの横でお湯を入れてしまった。それで歩いているので食べるしかない。エレファントカシマシを聞いている。食べられる。よるなのでひとめもきにならない。キューピーの建物が見える頃には食べ終わっていたような気がする。

食べきってゴミは別のコンビニを探して持ち歩いた。

桜上水のあたりには終電もない時間なのにあいている八百屋があった。あれはいったい。

東京に場所を借りた。自信をなくすのは辛いことだ。悲しいことだ。自尊心や尊厳はもしかしたら生きていくうえで一番大切なもので、傷つけられるのは耐え難いことだ。社会はあの手この手を使って自尊心を傷つけたり自信をなくさせようとしてくる。しかもやっかいなことは、ほとんどの場合悪気なくそれを働きかけてくる。友人、家族、職場の人、テレビ、広告。あの手この手で悪気なく。

自信を与えてくれる人なんてほんの一握りだ、、ひとりでもいたら、その人をものすごく大切にしたほうがいい。

ようするに坂口さんはそういうようなことを言っているんだ。キューピーの建物から千歳烏山のファミマみでカップラーメン一個分だ。そう書くぞ。

広告は匿名性が高い話。人の知らなさに漬け込む話。つまり車のスピード、人との関わり方のスピード。

四つ木にリトルエチオピアという料理屋。四つ木にはエチオピア人が100人くらい住んでいる。

若年健康診断を受ける。

自信がない人間は公務員になるか、公務員と結婚する。公務員と結婚する自信もないという人間もいて、その人間に残される道は公務員になるということだけだ。自信のない人間が公務員をやっているので、こんなことになってしまっている。

便を出したいという欲求は、時に駅の公衆トイレでマスターベーションをしたいという性衝動と似ている。

デザインをアートと称し、と市原さんが言っているが、そんな単純な構造ではない。もちろん何かしら物を言うときには構造を単純化する事が必要だけど、これはちがう。

入居のために壊した蜘蛛の巣の蜘蛛が、僕がぼーっとしてるあいだにもう新しい家を作りはじめていた。

11時ごろのこと。

美容室に行こうと思って家から一番近いとこらに初めて入ったが客がマダムばかりで囲まれてビビっている。

僕のまわりの人たちから自分への自信を奪っている社会のシステムとそれによって生まれる思い込みを壊さなければならない。週に何日働かなくちゃダメだとか嫌でもこれはやらないとダメなんだとかお金はこの歳ならこのくらい持ってないとダメだとか君は人付き合いが苦手なんだなとか人をナヨナヨさせるようなことばっかり教えやがって

また安心安全便利快適勢力にもこれ以上負けるわけにはいかない。我々も毒されちまっている。思えばいつも我々は負けっぱなしだあいつらに。。あなたはどういう見解ですか?そう思わない?ホーキング博士の本に出てくる時間の話がわかりやすいよ。

最初から負け戦なのかもしれないけど。でも宮本に倣って言うと、負けたっていいじゃないか戦ってさえいれば。

とにかく自信だけは持っていこーぜ自信さえあればこっちの勝ちだよ。

04181110

しばらく忘れてたけど、20歳くらいの時に自分に課したことがあった。自分の心が空中を未来に飛び続けているとしたら、僕の身の回りでおこることや出会う人たちは、歳を重ねるごとに僕の心に様々なものを残して、心は重さを増していくんだろうなというイメージだった。そこで自分に課したことがあった。

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なんで本人の電話番号にかけないのか?やり口が汚い。ソフトバンクの債権回収室とやら。

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未来が落ちてきて、現在を通っているはずが、通っていなくて、過去にどんどん流れていく感覚。過去、思い出や未来、煩わしい不安や保険に押しつぶされそうな現在の自分を解放するために、時間の捉え方を変える。うまくいけば革命がおこるだろう。

風みたいに時間が吹き抜けていく。時間は前だけじゃなくて、横や後ろからやってきて、いろいろな方向に吹き抜けていくけど、いまここにある体の中を通ることはない。

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力を抜いて人と接することが重要だ。

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何か食べ物を食べる事が重要だ。

松本のガストの席から使えたリッチモンドホテルのwifiに鍵がかかって使えなくなった代わりに、ガストに1日60分3回まで使えるフリーwifiができている。

松本の、読書と知識の吸収が大好きな大学生が、ダンサーで優れた教員でもある先生のことについて「先生が話すことと同じことを、僕ら大学生が言っても全然だめだ。同じことを知っているのに」というようなことを言っていて、不思議な考え方だなと思ったけど、まあそう考えるのもわかるなと思っていた。でもいま気がついたが、それは少し危ない考え方だ。それで突き詰めていくと、そのへんで生きてる人なんかと話すよりも、本だけを読んでいたほうが良い。本のほうが、生きてる人なんかよりはるかに大事なことが詰まっている、だから人と話す時間を本にあてないともったいない、というような考え方になってしまうだろう。

ついに20日目に突入した。ホテルも教習所も人数が減って閑散としてきた。とは言っても、僕と同じく今日卒業検定の人たちはそれなりに数がいる。雲ひとつない快晴で、気候も最高。

昨日、道路を歩きながら自動車を眺めている時に思ったのだけどよくみたら、周りが全然見えない機械だ。あんなものに乗ってるのか。あんな不完全なものに・・。

卒業検定は、先週と同様3人ひと組で行われる。かつ同じ車を何組かのグループが共有するので、最初のグループが終わったら次の3ないし2人のグループに交代するという流れ。僕は最初のグループではあったけど先週みたいに、その中でも一番最初ではなかった。同じ車にのる人の中に、先週の応急処置教習で一緒だった眼鏡の男の子がいた。彼は「いやあなんか、ダメな気がするんですよね。朝起きた時は、いけるぞ!と思ってたんですけど、なんかどんどん落ちちゃって。あぁおなかいたい。」と言っていた。僕は「おなかもいたくなりますよねえ。こんなところ」と言った。「そうですねえ」と言われた。

彼は仮免検定で一度落ちて延泊し、さらにそれに受かったあと気を抜いてしまって体調を壊してしまい、さらに延泊し、結局これまでに2回延泊しているらしい。順当に行けば5日に卒業の予定だったらしいけど今日は10日で、彼は今日で22日目らしい。先輩だ。「ここの生活には慣れました」と言っていた。緊張する性格なんだろう。受かってほしい。

検定は、途中路上停車から本線に復帰する際、後ろにきた軽自動車がかなりスピードをだしていて、こっちも邪魔にならないように一気に加速したのだけど、その軽自動車が完全に反対車線に入って追い越してきて、ちょっとびっくりするということがあったけど特に大きなミスはなかったと思う。あの軽の運転者は教習車が法定速度ぴったりで走るのに苛立つタイプなんだろう。教官は、昨日補習をやってくれた男の人だった。

最後に

「はい。まあね、三人に共通することなんだけど、もうちょっとテキパキやろうよ、とかそこ半クラッチいるか?とか、細かいことはありますが、それによって安全や危険に影響があるようなことはないと思うので、まあできていたと思いましす。そういうわけで終わりです。」

と言われた。これは期待していいのだろうか?結果はいま(11時17分)から1時間半後にはでるだろう。それまで待機。

 

今、掛川から豊橋に向かう電車のなかでこれを書いている。受かった。ついにやった・・。ついに自動車学校を卒業した。あとは今週の金曜日にでも塩尻の免許センターに行って筆記試験を受けて合格すれば免許がもらえる。合格発表の後「卒業式」と言うものが教室で行われた。教官が

「卒業おめでとうございます。早く帰りたいよね!もうすこし説明することがあります。まず映像を見ていただきます。」

と言ってまず映像を見せられた。あのサイコ野郎が映像の中で立っていた。こちらに向かって語りかけてくる。あのサイコ野郎が

「みなさん、合格おめでとうございます。自動車に乗れれば、行動範囲が一気に広がり、たくさんの楽しい思い出が増えていくはずです。皆さんはどこへいくのでしょうか。楽しみですね。しかし、ハンドルを握る皆さん次第で、悲惨な思い出になってしまいます。これから、この学校の卒業生たちが卒業して一年以内に起こしがちな事故や違反の映像を見ていただきます。」

と言って、「だい・・5位・・は・・」と、やたら音が飛びまくる映像が始まる。

卒業一年以内に違反があると、それがこの自動車学校に報告される仕組みになっているらしい。5位は信号無視(過去8年間で759件)、4位は通行禁止(一方通行無視など。774件)、3位は一時不停止(1067件)、2位はシートベルト違反(1150件)、1位は速度超過(1490件)。ちなみに年間4300人くらいが卒業するらしい。

そしてあのサイコ野郎が続ける「みなさんは、これらの行為が違反であることを知っていますよね?そして、これらの違反をしてしまった方々も、卒業した時は皆さんと同じでした。ではなぜこのような違反をしてしまったのか。みてみましょう」僕はあんたがなんでサイコ野郎になってしまったのかの方に興味がある。

そして、「免許取得一ヶ月」というテロップの後に、教習所内のコースの一時停止のところで男が『あ、止まれだ。停止線で止まらなきゃ。右も、左も、来てないな』と独り言をつぶやいて運転する映像を見せられ、続いて「3ヶ月後」と出て、今度は同じ人が「ここ止まれだけど先が見えないんだよなあ・・。あぶね!行き過ぎちゃったか」と独り言を呟いて運転する映像を見せられ、6ヶ月後は相変わらず独り言は呟いてるけど全く止まらなくなった運転を見せられ、9ヶ月後に自転車と接触する。サイコ野郎が言う

「運転に慣れてくると、止まれで止まらなくても事故にならないと学んでしまいます。そして事故が起こってしまいます。」

こうやってサイコ野郎の映像は終わり

「皆さんが笑顔でいつまでも運転していただけることが、自動車学校一同の願いです」という字幕が流れて、今度は教室で自動車学校のおそらく全教官が揃って「卒業おめでとうございます。わあ~~」と手を振る映像で終わる。

なんというか、入学時のあの異常な厳しさとは打ってかわって、優しい。ヤンキーを教える先生のやりかただ・・。「ヤンキーを教える先生のやり方」について詳しくはないけど、そんな感じがする。

映像の後「卒業証書授与」が突然始まる。教室の一番右前に座っていた「わたなべかいと」君というひとが「成績優秀だったからね」と、明らかに適当な感じで代表で立たされて卒業証書を授与されていた。拍手が起こった。

そのあと、この後の本免許試験についての説明があって、解散となった。「わたなべかいと」氏は、帰り際に4人くらいから「じゃあな、成績優秀者」と言われていた。友達が多いんだろうな。彼は卒業検定で僕と同じ車だったけど良い奴だった。ちなみにあのお腹を痛がっていた彼も受かっていた。よかった。

その後、いつも通りバスには乗らずに歩いて掛川駅まで行って、青春18きっぷを使って電車に乗った。掛川から7時間の旅。帰る直前、あの倉庫をのぞいたら五十嵐さんがバイクの手入れをしていた。

「五十嵐先生。一回落ちたんですけど、今日受かりました。ありがとうございました」

『おお~そうか~。頑張ってください。良い小説書いてください。』

「ありがとうございます。先生もお体お気をつけてください」

『ありがとうございます』

と挨拶できた。五十嵐さんに会えてよかった。この教習所での最良の出会いだった。ありがとうございました。ということで、20日間に及んでしまった免許合宿はこれで終了。魂の墓場みたいな場所だった。よく言えば、多様性にあふれていた。それなりに思い出にはなったけど、もう二度と来たくはない。免許センターに行って試験をうけるという試練がのこってるけどとりあえずお疲れ様でした。

ロッキーについてもう少し。努力が実らなかったり、実っても誰かの邪魔が入ったり、不運に見舞われたり、大切な人の不幸があったり、様々な困難にあいながらも、ロッキー、そしてクリードも、周りの人々の助けを借りながら、何度も立ち上がる。ロッキーはスーパースターになったが、同時に弱い男でもあるということを、僕たち観客は知っている。だから、彼をただのスーパースターの金持ちとしてしか見ない人々のセリフが、ロッキーには当てはまらないということもわかる。僕たち観客はロッキーが乗り越えてきた困難の数々を知っているからだ。始めこそ運に恵まれたロッキーだったけど、その後はただ努力と、絶望と、そこからの再生の繰り返しだったことを知っているからだ。そして時が流れ、ロッキーの子供達の時代になる。ロッキーの息子は父親の七光りと言われて苦しみ、自分の不幸を父親のせいにする。「クリード」においても、始め主人公のドニーは、父の名前を隠してボクサーになろうとする。父から逃げようとする。でも、最後ドニーは父が偉大な真のチャンプであることを、自らの戦いによって証明する。それは、ドニーの物語の始まりでもある。「名を継ぐ」ということは、父の名前を借りて何かをするということではないのだ。魂の尊厳を継ぐことなのだ。ただ伝統を形として守るということでもなく、伝統に反抗する、ということでもない。そのふたつの安易な道に走らず、どちらでもないあいだで苦しみながら、工夫と努力を重ねた先に何かを見つけた時に、初めて「継ぐ」ということが可能なのだ。まさに幕末の、堕落した「血だけは正統な武士」と、そんなものは武士ではないと怒り、血はただの農民だったりして武士ではないが、魂は紛れもなく武士になった「新撰組」のような話だ・・。本当に素晴らしい映画をみた。「クリード」が見れて本当によかった。そして「クリード」は「ロッキー」があったから生まれたものだ・・。表現を表現で超えていくということ。その難しさと素晴らしさを教えてくれた。

8日は10時に、バスタオルの交換の人のノックで目が覚めた。朝ごはんを食べ損なった。今日は、予定が正真正銘何もない。天気もいいのでどこか、浜松とかにいってギネスが飲める店でも探そうかなと、お昼頃までは思っていたけどアマゾンプライムで「ロッキー」を見始めてしまって、出かけるのを諦めた。そうと決めたら、ロッキー1を見終わった時点でコンビニに行って、缶ビールとお菓子とタバコを買い込んできて、ロッキー鑑賞体制を整えた。結局、そこから翌日、つまり今日(9日)の夜まで断続的に、ロッキー、ロッキー2、ロッキー3、ロッキー4、ロッキー5を見て、さらに2006年の「ロッキー ザファイナル」をみて、さらに2015年の「クリード チャンプを継ぐ男」を見た。この二日間でロッキーシリーズを7本も見てしまった・・。なにやってんだ・・。

しかしサイコーだった。スタローンはロッキーのストーリーを自分で書いて制作会社に売り込んで、しかも自分が主人公じゃないとやらないと言って企画を通してこの映画を実現させたらしい。本当にサイコーだった。人間の自尊心が最も大切なことだという教え、「鏡に映ってる奴をみろ。そいつがいちばんの強敵だ。ボクシングにおいても、人生においてもだ」という教え、素晴らしかった。どんなに不幸が続いても、卑屈にならず腐らずに一生懸命やることだ。それしかないんだ。「クリード」で主人公ドニーが現役チャンプとのエキシビジョンマッチの最終ラウンドに入る前、劣勢で目もボロボロだったのでロッキーに「もうやめよう。十分やった」と言われたけど「いやだ。証明するんだ」と言って、ロッキーに「何をだ」と聞かれて、「俺は”過ち”じゃない」と言うシーンで涙腺が崩壊した。ドニーの父親は元世界チャンプのアポロ・クリードで、アポロが愛人とのあいだにつくった子供がドニーなので、テレビなんかで「アポロの過ちは、アポロの品格を下げるか?」などと言われていたのだ。

ロッキーは「ドニー」のその言葉を聞いて「俺は今までたくさんの人に救われたが、お前にも救われた。俺も病気と戦って勝ちたい。お前にも勝ってほしい」というのだ。さいこーだ・・。「俺は俺の伝説をつくるんだ。父親ではなく」という流れもサイコーだ。まさに現代の、我々の映画だ・・。

今日の13時50分から50分間、7日の卒業検定に落ちたぶんの補習(運転教習)をうけたけど、それ以外はずっとロッキーを見ていた。今日は11時半くらいまでホテルでロッキーを見て、歩いて教習所に行って、お昼ご飯を食堂で食べて、補習が始まる5分前の13時45分まで教習所のwifiをつかって教習所のロビーでロッキーを見て、補習が終わった後ホテルまで歩いて帰ってきて、部屋でロッキーをみた。もはや、教習のあいまにロッキーをみているのではなくて、ロッキーのあいだに教習があった。これだけ続けて見られるというのも素晴らしい。バットマン ダークナイトシリーズを3本続けてみるのは無理だろう。

明日は2度目の卒業検定がある。今度こそ受からなければ・・。次も落ちたらもう笑えない。