下関市の長府駅前のファミレスJoyfullのテーブル席に座ってる。隣の席には女子二人組が座って台風の話などをしている。明日台風がこのへんを通り過ぎるらしい。このへんも夜になって段々風が強くなってきた。向かいの席には男性二人組が座って話してる。

さっきまで関門海峡の目の前にあるレストランでご飯を食べながら毎日新聞の記者さんと話してた。彼は去年まで熊本にいたらしく「水俣病の担当」だったらしい。「石牟礼道子さんに一度会ってみたい」と言ったら、最近体調があまり良くないとのことだった。彼は一度会ったことがあるらしい。石牟礼さんも関係があるというorange 橙書店というカフェを教えてもらった。熊本は地震から半年たったけど未だに瓦礫撤去も進まなくて屋根もブルーシートが被ったままとのことだった。見なくてはいけない。

僕たちがローンを払ったり住民税を払ったりする税制上の家あるいはあらゆるところで求められる「住所」として家は、シェルターという機能としての家とは全然関係がないものだということに気がつくことができたのはこの生活をやったおかげだ。それに気がつけたのは大きなことだ。僕の発泡スチロールの家は、いかに見た目が瓦の切り妻屋根っぽい家に見えても、この世界では「家」とは認められないらしい。道路に置いて寝ようとしたら警察が来たりコンビニの駐車場に置いたら不審な目で見られるのはそのせいだ。1万年の定住生活のせいで僕たちは税制上の住所としての家のことを「家」だと思い込んでしまっているらしい。僕の家が新聞とかで紹介されたりするときかぎかっこ「」がつくのはそのせいだ。

関門海峡には下関戦争の時に長州藩がつくった砲台のレプリカみたいなのがあったり下関駅前にはコリアンタウンがあったりして、歴史と朝鮮半島との文化交流のにおいがぷんぷんした。ウィキペディアで下関戦争を調べた時に写真が出てくる「長府前田砲台」の跡が長府の海岸沿いに残っていて、下関市立長府博物館にはそのときの砲台がフランスの博物館から永久貸与(下関戦争で砲台は全部連合国に持ち去られた)されて展示されてるようなので見に行きたい。

今日は朝山陽小野田市の青年の家のキャンプ場で起きた。起きた時2箇所くらい蚊に刺されていた。蚊は夕方と朝に来る。よく夜間の蚊の心配をされるけど、彼らは意外と夜は襲って来ない。夜の方が動物が眠ってるから刺しやすいはずなのに不思議だ。でも青森の種差海岸の蚊は一晩中襲ってきた。波状攻撃だった。あれはあの辺の蚊の特殊能力なのか。

近くのセブンイレブンで焼きそばとブルーベリーヨーグルトを買って3席しかないイートインコーナーで食べて、そのあと12時ごろまで道路に座り込んで絵を描いた。そんで12時過ぎにキャンプ場を出発。青年の家は定休日で誰もいなかった。キャンプ場の使用料100円を払わなくてよかったのかはわからない。

昼3時ごろに毎日新聞の記者の人と会った。「下関で台風をやり過ごすための敷地を探してる」と言ったら「旧社屋が使えるかも」と色々電話をしてくれ、「今は誰も使ってないから立ち入り禁止のロープが張ってあって、そこも寝られるけど警察が来るかもしれない。だけどもし他に敷地が見つからなかったら使ってください」と言ってくれた。

そのあと夕方5時ごろ、長府駅を超えてすこし歩いたところにある山陽道沿いのお寺につき敷地の交渉をした。最初の2つは幼稚園が併設された綺麗なお寺で、両方とも「私の一存では決められなくて、役員とか色々なところに聞かないといけないからうちは勘弁してもらいたい」「うちはちょっと難しいですね」と断られた。3軒目のお寺で「いいですよ~」と言ってくれた。小さな子供がいる賑やかで風通しの良いところ。小さなお堂の軒下に置かせてもらって、ここなら明日の台風も乗り切れそう。

そのあと、記者さんと合流して車で関門海峡の前のレストランに連れて行ってもらい、ふぐ刺し(まさかふぐ刺しが食べられるとは)とか鯨の唐揚げとか寿司とかをおごってもらいながら小一時間話して別れ、下関駅前のコリアンタウンにある「霧島湯」というディープな銭湯に入って電車で長府に帰ってきた。

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2016.10.3 山口県山陽小野田市埴生

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2016.10.2 山口県山陽小野田市西高泊

エスタブリッシュかビルドというイメージで立ち上げる必要がある。システムと態度とを内包した何かの構築というか。作品制作とかじゃなくてもっと打ち立てるようなもの。この時代では砲台を作るのがいいかもしれん。みんなで広告看板を砲台に改造して花火を詰めて街に打ち込む。

最近居島一平さんという芸人を知ってYoutubeでよく聞いてるんだけどこれがとんでもない人で、膨大な知識とほとんど狂人みたいな話術で、聞いてると関ヶ原の合戦で爪を噛んでいる徳川家康や、市ヶ谷の駐屯地で演説する三島由紀夫が目の前に浮かび上がってきて、歴史の動脈に連れて行ってくれる。ここ2000年くらいの日本史・世界史の重要な出来事を、まるで現場で見てきたように歌うように話す。政治的な右とか左とかっていう立場をもはや解脱していて、ほとんど狂人。父親が朝日新聞の記者で、あさま山荘事件がきっかけで知り合い結婚した母親との間に生まれ、新宿のゴールデン街で育ち、小学校低学年のころから浅草演芸ホールに通い(ばあちゃんに連れていってもらったらしい)、小学二年生の時の読書感想文が松本清張という経歴で、戦後生まれの傷痍軍人というキャッチコピー。こんなやばい人が芸人をやっていて、テレビにあまり出てこないのは、これは絶対におかしい。

いま自分は“みちしお”という、温泉と良い食堂が一緒になってる海が見えるドライブインの休憩室にいる。食堂はかなりのグッドバイブス食堂で、家族連れやトラックのドライバーらしきおじさんやいろいろな種類の人で賑わっていた。店に入ったら好きな席に勝手に座って席に置いてあるタッチパネルで注文すると出て来るというスタイル。仕事帰りのいかついおじさんがたくさんいて、タバコを吸いながら味噌汁(みちしお名物「貝汁」)を飲んだりしていてめちゃ良い雰囲気の店。貝汁は本当に美味しかった。その後お風呂に入って畳の座敷になってる休憩室で日記を書いている。テレビが置いてあって「ガンにならない秘訣」みたいな番組がやっている。BGMがジョプリンのエンターテイナー。休憩室にはテーブルが5つあって、それぞれのテーブルに1人ずつ人が座ったり寝転んだりしているんだけど、みんなテレビの方を向いてる。でもテレビを真剣に見てる人はたぶん最前列のおじさん1人しかいない。僕以外は結構お年をめしたおじさんとおばさん。

昨日遊園地を出たところから遡って書く。10月2日の昼ごろ遊園地を出発。道の駅「きらら」で知り合って一緒にご飯を食べた家族の父親の実家が山陽小野田市(合併で生まれた変な名前)にあるからそこの駐車場を使ってくださいと言ってくれたのでそこに向かった。途中、村野藤吾の傑作だという渡辺翁記念会館を見ようと思って家を置いて建物に入ろうとしたけどミキプルーンの会社がセミナーで使っていて中には入れなかった。セミナー参加者の大量の車が会館の前に停まっていて、ミキプルーンは本当にすごいなと。会館の前で電話で話してるおばちゃんが「いやその人はね、最近病気になって始めたばっかりなんだけどね」みたいなことを言っていた。
お昼過ぎに通りかかった車屋の店員に声をかけられ、店を訪ねたらそこの社長がつい最近書いたばっかりの水門の絵を買ってくれた。
夕方ごろにその家に到着。小学生の子供が3人と大人が4人いて賑やかな家だった。到着してすぐにお茶が出てきたり、虫除けスプレーとムヒがでてきたり、家を雨から守るためのピクニックシートが出てきたりしてみんな優しい。長野に戻ったらここにも絵本を送ろう。
一緒にご飯を食べさせてもらったあと、長女の子が先週にやっという運動会のビデオを見せてくれた。兄妹みんな同じ学校で、ダンスやったり走ったりしてたけど「変な音楽」とか「変なダンス」とかいろいろと明確な意見を持ってやっていた。長女は六年生で組体操もあったらしいが、組体操が危ないとニュースになってるからあんまりでっかいのはやらなかったという。組体操の映像を見たら、3段ピラミッドが横一列にたくさん並んで、一瞬で全部ピラミッドになったり戻ったりするというのを音楽に合わせてやっているのがあって、それはとても綺麗だった。組体操は、でっかいピラミッド作らなくても演出の力でなんとでもなりそうだなと思った。本人は「練習のほうが楽しかった」と言ってた。
家のおばあちゃんが「今度来ることがあったら瓦そばを食べさせたい」と言った。昔この辺りでは屋根瓦に炒めた茶そばを乗せて食べたらしい。「へえ~」と言ってたら長女が「そうか、知らんのか」と意外そうな顔をしていた。
その後みんなで温泉に行った。帰ってきてからウサギ(ダイフクちゃん)を撫でさせてもらったりした。子供達はもっと遊びたがってたけど宿題をやってないからと家に帰っていった。僕はパティスミスを聞きながらすこし近所を散歩した。この家は山を切り開いて整備した宅地の一角にあって、猿や猪がたまに出るらしい。近くにコンビニはないけどホームセンターとパチンコ屋さんがあった。そういえばこの家のおばあちゃんが「小野田はパチンコ屋さんが多い」と言ってた。帰ってきて駐車場にある自分の家で寝た。

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そして翌日の今日、子供たちが学校に行くのを見送って(末っ子の男の子がえらく寂しがっていた)3時間くらい絵を描いて、お昼ごろに出発。家のおばちゃんが友人を通して情報を仕入れてくれた山陽小野田市の青年の家を目指す。キャノプ場があるらしい。すごく暑くて蒸す日。北九州市の方は午前中ですでに三十度を超えていたらしい。この温度と湿度。台風が来てるのを感じる。天気予報によると中心の気圧が915ヘクトパスカルの超強い台風が近づいていて、日本列島縦断ルートであと2日くらいで山口県にも直撃するらしい。

夕方5時前に青年の家についてキャンプ場の申し込みをする。えらく年季がはいった建物に職員さんが2人いて、僕の家を見て面白がっていた。「この施設よりお宅の家のほうが地震には強いと思います」と言ってた。
大量の蚊に食われながら家をキャンプサイトに設置して、歩いて15分くらいの「みちしお」に来て今。夕日が綺麗な日だった。

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2016.9.30山口県宇部市今村南

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遊園地の無料休憩所の野外席に座ってる。僕がパソコンを開いて日記を書いてるすぐ隣で「土日祝限定イベント・にがお絵500円」と看板を出して男の人が座っている。女の子2人組が「2人で一緒でもいいですか?」と話しかけた。「一緒でもいいですよ。20分くらいかかるけど」「大丈夫です」「じゃあそこに」とやりとりしている。

1人の女の子が「ほうれい線は描かないでください」と言った。「ほうれい線は書きませんよ。だいたいおばあちゃんのしわも描かないんだから」「あ、やさしい」「やさしいでしょ」とやりとりしている。遠くから動物園の猿の雄叫びが聞こえる。

30日、道の駅「きらら」をお昼頃出発。南西の方向へ。宇部市の中心を目指す。道中、おばちゃんに「カンパ」と言われ1000円もらう。13キロくらい歩いたところに「ときわ公園」という公園がある。そこは割と歴史が古い彫刻展「宇部ビエンナーレ」の会場でもあって、常時野外彫刻もたくさん展示してあって土屋先生の作品もあるとのことだったので寄っていこうと思い向かった。ときわ公園に入る交差点を右にまがってすぐに、ピンク色のポロシャツを着た男性に「すいません、この先にときわ公園ていう公園があるんですが、今日そこに泊まっていただけませんか?」と話しかけられた。まさか公園の方から来るとは考えてもなかった。「公園の方ですか?」と聞いたら「そうです。うちの局長から村上さんの捜索命令が出てまして、ぜひうちに泊まってもらえとのことです」と言う。奇特な人がいるもんだなと思った。僕は彫刻を少し見て、あわよくば「同業者です」と言って敷地も貸してもらえたらと思ってたけど、さすが彫刻公園なだけあって理解のある面白い人が内部にいるらしい。彼によるとときわ公園は東京ドーム何十個分クラスの大きな公園で、24時間あいてるし、夜中もポケモンGOプレイヤーがすごいらしい。「しばらくピカチュウがいなくなってたらしいんですけど、最近また帰ってきたみたいだからな~」と言ってた。ときわ公園にはピカチュウがいるらしい。

「なので寝るところは夜ゲートが閉まる遊園地がいいと思います。」と言われ、家は遊園地に置くことになった。

彼がときわ公園内を車で案内してくれた。湖を内包した大きな公園で、遊園地の他に植物園や動物園もある。来年開催される宇部ビエンナーレの公募で集まった模型展の直前で模型が展示された部屋をちらっと見た。

それで遊園地に家と一緒に戻った。家は「ときわの森ホール」という建物の軒下に置いた。ここは17時に閉まる。「あのオレンジ色の服着た人が遊園地の人だから。あの人たちがいなくなったらもう誰もいません。」

夜になって、BGM(ユーミンとかが流れていた)が止まり、照明も落ちて暗くなった。誰もいなくなった。もともと客も少なかったけど。誰もいない遊園地は不思議と綺麗だった。回転が止まった観覧車とか止まった小型のモノレールとかが佇んでいてとても静か。大きなものがすぐそこにあるのに音がしないのは不思議だった。

お風呂は徒歩30分くらいの「カッタの湯」という温泉施設。980円で温泉と食事がセットでお得感がある。

翌日、広島から「宇宙人アーティスト」の「美音異星人」が訪ねてきてくれた。

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彼は今年広島に滞在した時に知り合った面白い宇宙人で、地球人の時は絵画教室を広島でやってる。美音星から来た宇宙人で、美音星は重力が地球より小さい(というか無いらしい。社会的なしがらみとか、著作権とかも無いらしい)星なので「アーティスト養成ギブス」というものを全身につけて地球の重力になれる訓練をしている。最近は「われわれも宇宙人である」というテーマで制作していて、今回の訪問はのちに映像作品としてYoutubeにアップされるらしい。美音さんの他にマネージャーが1人と「ピンクダンサーズ」(美音異星人と一緒にパフォーマンスをしている人たち)が1人来て、4人遊園地の園内とか公道に出ていろいろ撮影した。美音さんがカセットコンロと鍋を持ってきていて、僕の家の中で鍋をやったり。美音異星人は美音さん1人だけど、撮影は他の2人が積極的にアイデアを出したりして、美音さんはトップにいるというより、3人がそれぞれ平等に権利があるチームという感じだった。

 

美音さんはお昼すぎまで撮影し、広島に帰っていた。また夜になった。遊園地はまた誰もいなくなり、静かで動かなくなった。僕はまたカッタの湯に。(カッタというのは昔ここらで有名だったペリカンの名前らしい。)

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2016.9.29山口県山口市阿知須

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2016.9.27山口県山口市嘉川

(09282011)宇部市の東新川駅近くにあるコインランドリーデポというコインランドリーにいる。ここのところずっと雨が続いていて、今後も1週間以上雨が続くという予報。なのでランドリーの店内は混み合っている。ほとんど男性客。女性は1人だけ。洗濯機は4つしかなくて、乾燥機は12台くらいあるランドリーなんだけど、僕が入ったとき洗濯機は一つしか空いてなかった。それも容量27キロで1000円かかる大型のやつ。300円の小さい洗濯機が空くまで待とうと思ったが、その洗濯機の目の前には服が詰まったカゴが置いてあり、「次は俺の番だ」と言わんばかりだった。途中、洗濯をしに来たらいっぱいなので諦めて帰っていったおじさんもいた。3人組の現場の仕事帰りっぽい男グループが乾燥が終わった服を軽トラに積んだりしている。店内には本棚が一つだけあって、週間少年ジャンプ(割と最近のやつっぽい)が数冊置いてある。クラシックギターの静かなBGMが鳴っている。300円の洗濯機の隣にある500円の洗濯機が先に終わり、300円洗濯機の前に置かれた服は持ち主によって500円洗濯機につっこまれた。予想外に300円の洗濯機が空いたのですかさず自分の服を突っ込んでお金を入れた。

昨日はガストを出て、湯田温泉駅に行く途中の住宅街でサックスの練習する音が聞こえたり、湯田温泉が詩人の中原中也の出身地であることを知ったりした。家を置かせてもらってるお寺の最寄駅の新山口駅についたあたりで雨が降り始めた。すぐに強くなったのでコンビニで傘を買った。お寺まで30分くらい歩くんだけど、その途中で遠くの山の上に稲妻をはっきりとみた。こわくなって電線の下に移動した。電線の下は何もないところよりは安全らしい。

お寺に置いてある家についたころには靴も結構濡れていた。雨でじめじめしていたのもあり、お寺の山門のシルエットがインドネシアの高床式のバンブーハウスのように見えた。インドネシアのどこかの森の中にいるみたいだと思った。自分の家を見たら、お寺のおばちゃんの張り紙があった。「雨がふりだしたら観音堂のえんをお使いくださいませ」と書いてあった。他にマウントレーニャのパックの甘いカフェオレとリンゴとオレンジと梨が一つずつはいった袋も差し入れられていた。

今の家は雨漏りはほとんど防げるけど雨が降ってると足が伸ばせないので、ありがたく観音堂の縁に家を移動させて寝た。今日起きても雨は降り続いていた。お昼にお寺の娘さんと、そのママ友が訪ねてきた。「道で背負って歩いてるの車からみたんですよ!まさかうちにきてるとは。帰ってきたらその家がうちのお寺にあってびっくりしました」と言われた。自由帳にサインを3枚書いてくださいと言われた。娘さんは「すいませんお迎えにいかないといかないので、、」と出かけて行った。僕は自由帳に3つの絵を描いて、それを置いて家を片付けて荷物をまとめてお昼過ぎにお寺を出発した。阿知須という町にある道の駅を目指して歩く。

お昼頃に阿知須に着く。遠くに綺麗な稜線が綺麗に見えるけど阿知須はひらべったい町。「きらら」という道の駅があるエリアは埋め立てで作られたエリアで、道の駅のほかに「自然観察公園」とか白い大きなドーム「きららドーム」がある。きららという名前は面白すぎ。本気で名付けたのか。名前に反して、道の駅の中は土地の野菜とかおいしいお弁当とか売ってて、良さげなレストランまである良いとこ。かぼちゃのソフトクリームを売ってる売店もある。気になる。

お弁当を選んでいたら隣で同じくお弁当を選んでいたおばちゃんから「ここのお弁当は美味しいよ。オムライスがおいしい。たくさん入ってるしね。」と話しかけられたのでオムライスにした。

敷地を借りる挨拶のため受付に行ったらめちゃくちゃ愛想のいいニコニコしたお兄さんが応じてくれて「お疲れ様です。そこを出て左に行くと、屋根がかかってるところがあるのでそこなら良いかと思います。雨も降ってますしね~」と言ってくれた。なのでそこに家を置いた。家を置いたらすぐ、お父さんと女の子の親子に話しかけられた。「めっちゃ探しました」と言われた。「なにか飲み物かなにかいりませんか?ここのカボチャソフト良いですよ。このへんのカボチャを使ってて美味しいです。」というので「カボチャソフトが気になっています」と言ったら買ってきてくれた。その後すこしだけ話して親子と別れる。

(09291230)町の観光案内看板を見ていたら、作業服を着た先輩後輩コンビがやってきて僕の家のほうに行き、家を見つけた。後輩のほうが「なんだあれ」って感じで僕の家に近づいていくのが見えた。彼はドアを止めてあった石を外し、ドアを開けた。中に置いてある寝袋とか服とかを見て、慌てて閉めていた。彼は先輩の方に行って何か話していた。彼らがこっちに戻ってきた。

先輩「だから開けるなっていうたやんか。住んどるんやから。~~~・・・」

後輩「マジすか。あんな立派なのに住んでるんですか?」

先輩「あんなでなくても、ブルーシートで作った立派な家に・・・・」

と言いながら去っていった。

いまは施設内のテーブル席に座っている。テーブルが3つあり、それぞれに椅子が4つずつ置いてある。席は全部埋まってる。ソファもある。インフォメーションカウンターが僕の正面にあり、右前に店内で買った弁当が温められる電子レンジが置いてある。右上には壁の高いところにテレビがついてて「中井貴一のサラメシ」という番組がやっている。大きなクレーン船を操縦する船乗りを紹介していて「長い時で3ヶ月くらい家に帰れないこともある。子供は2人いる。22歳と23歳だっけ。あれ23と24だっけ。忘れちまった」と笑ってるおじさん。清々しい。そのテレビをみながら、金髪で長髪の派手なおばちゃんと黒髪のおばちゃんの二人組が

おばちゃんA「だいたい”ひるおび”を見て、~~~をみて、”ミヤネヤ”を見てっていう感じ。」

おばちゃんB(金髪)「あ、やっぱり?~~~は?」

みたいなことを話してる

B「なんか最近の子ってすごいひどいこと言うね~」

A「ラインは家族だけよ。こわいよ。知らんヒトから来たりするから。制限かけてんの。写真とかアップするでしょ?そしたら知らないヒトから”どこに行ってたん?”て来たりするの。こわいよ~。だから家族だけ。」

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(09301040)「きらら」の近くには銭湯がないので、一昨日の夜のお風呂は電車で東新川駅という駅まで行って「友恵湯」という銭湯に行ってきた。僕が入った時ひとり客のおじいちゃんがいたが、彼が帰ってからは男湯は無人になった。女湯にも1人か2人いるみたいだけど静か。このあたりは工場地帯。昔は銭湯もたくさんあったらしいけどいまではこの友恵湯だけになってしまったみたい。ネットで見つけた四年前の訪問記にはドライヤーが使えたと書いてあったけど、ドライヤーはぱっとみた感じ無かった。多分今まで日本で100カ所以上の銭湯をまわってきたけど、ここはその中でもかなり危ない(このままでは閉店が時間の問題な)お店だと思う。頑張ってほしい。友恵湯の後、一昨日の日記に書いた「コインランドリーデポ」に行った。

昨日は家を動かさずに道の駅とその周辺で過ごした。すこし離れたところに茶色いレンガ模様のかわいい家が4つ並んだ建物がある水門が見えたのでそっちの方まで歩いていった。寒かったので上着を羽織って。小雨が時々降ったりおさまったりしている天気。水門まできたら、その川沿いの砂辺に小さな船がいくつか並んでいて、そのすぐ上に家が並んでいて、それがとても美しい。

その水門のすぐ近くに謎の大きな駐車場があって、そこで小雨のなか白バイの訓練をしている人たちがいた。大声でなにか号令をかけられながら赤いコーンを避けながら何台も白バイが走っていた。夜も近所をぶらぶらと。湯田温泉のサックスに引き続き、こちらではピアノの練習が道中の家の中から聞こえてきた。

今はガラスの屋根がかかったテラスっぽい野外席に座ってさっき買った「長州わかめむすび」とただの「むすび」というおにぎりを食べている。ふたつともラベルに「地産弁当」と書いてある。席は6つあるけど僕以外には誰も座っていない。駐車場が正面にあるんだけど、絶えず車が来ては出て行く。車から出てきて携帯を見ながら道の駅に歩いていく女性とか、タバコを吸いに喫煙所に向かう男性とか、買い物のビニール袋をもって車に戻っていく夫婦とかおばちゃんグループとか。タバコを吸いにくるのは圧倒的に1人の男性が多い。スーツ姿の人はほとんどいない。時々宅急便のトラックが止まってダンボールを抱えた配達員が小走りに店内に入っていったりする。

スズメが、ガラスの中から外に出ようとしてガラスにぶつかった。しかも二回。ぶつかったあと、ちかくの梁にとまって首をふりながらじっとしている。何が起こったのかよくわかっていないらしい。子供らしい。たくさんいる。飛びかたが幼い。鳴き声も。大人のスズメはちゃんとガラスを避けている。

昨日、かぼちゃソフトを買ってくれた人からフェイスブックで連絡がきた。娘のテニスがあって「きららドーム」に行くので、そのあとよかったら温泉と食事でもどうですかとのお誘い。「行きますか~」と返事をしたら昨夜8時ごろにその人が家族を引き連れて迎えに来てくれた。その人とその奥さんと娘と息子が乗る車に同乗して近くの日帰り入浴ができる「アジススパホテル」に行った。温泉は無色透明で無臭。中途半端な温度のサウナもある。温泉のあと、ホテルに入ってる居酒屋でみんなでご飯。不思議な楽しい時間だった。その人は学校の先らしい。小学5年生の息子は「先生に見えないですよね~」と言っていた。息子は僕にお酒もついでくれた。彼はサッカーをやっていて、将来はサッカー選手として有名になるらしい。今の所ガンバに入りたいと言っている。女の子の方は卓球選手になりたいらしいけど卓球はやっていない。彼女は「村上さんに会ったのを自慢したいけど、自慢したらいじめられるからな~」と言っていた。彼女は僕のことを「有名人」だと思っている。彼女自身も「有名になりたい~」と言っている。店は9時半閉店だった。「9時半閉店ですので」と店員に追い出されるようにみんなで店を出て、その後「きらら」で写真を撮ったり楽しくやった。子供たちに「うちに泊まって欲しい~」と言われて嬉しかったけど別れた。彼らの家は10年くらい前に新しく建てたばかり。ここからすこしだけ山口市よりに戻るとあるらしい。s「明日雨がふったら家に行くよ」と約束した。別れたあと寝る準備をして、横になってからけっこう酔ってることに気がついた。すぐ寝た。

いま流行っているビッグバン説でいくと宇宙は138億年くらい前に生まれたとされているけど宇宙に始まりをつくろうとするのはキリスト教的な考え方に寄っていて、本当は宇宙には始まりも終わりもなく、宇宙は無限の過去から無限の未来に続いているとする定常宇宙論と呼ばれている説がある。仏教的といってもいい考え方。さらに我々の祖先はバクテリアらしいというところまではだいたいみんな合意しているけど、そのバクテリアがどのようにして生まれたのかわかっていない。地球上でなんらかの原因で生まれたと考える人が多いけど、DNAのらせん構造を発見した「ワトソンとクリック」のクリックが、パンスペルミア(地球上の生命は宇宙から飛んできたとする説)を科学的に考えようとしたスウェーデンのアーレニウスという学者の考えを受けて書いた「directed panspermia」という論文の中で、地球以前に存在した高度な文明をもった星が、宇宙船にバクテリアを詰めて宇宙に解き放ち(高度な生物では無くバクテリアなら、水と二酸化炭素と太陽光があり環境を整えれば100万年は生きることができる)、長い旅を経て地球に辿り着き、それが進化したのが我々である可能性があると言っている。これは「意図的パンスペルミア」と呼ばれるものだけど、意図的でなくても、生命が繁殖した星の小さな生命の胞子が、風力や電気力の助けを借りて宇宙に飛び出し、それが宇宙空間で光の放射圧を原動力に(あるいは彗星に乗って)宇宙を長い間旅して、どこか遠い星にゆっくりと着陸する可能性はある。現実に、月に送り込まれた探査船が数年後に地球に戻ってきた際、探査船に付着していた微生物が生きていたという報告があるらしい。行った先が月なので、生命が繁殖することはなかったが、火星にも探査船はいっている。なので地球からの微生物が火星にすでに持ち込まれ、そこで進化が始まっている可能性すらある。さらに定常宇宙論で考えると、宇宙は無限の時間を持っているので、どんなに小さな可能性も1にすることができる。宇宙のなかで、生命を生みだす何らかの奇跡が成功するのに1000兆年かかるとしても、宇宙が無限の寿命をもつのならその確率は1になる。

生命は宇宙からきた可能性がある(「宇宙から来た」という言い方もおかしい。地球も宇宙に内包されているし、絶えず隕石は落ちてきているし、絶えず太陽のエネルギーは地球に降り注いでいる。地球と宇宙は絶えず関係し合っている。僕たちの思っている以上に、地球は宇宙に対して開かれている可能性がある)。そう考えると、宇宙のすべての生物はお互いに関わりを持つことになる。そうするとバックミンスターフラーの「宇宙船地球号」という考え方も実感出来る。生命は増殖し、進化する。最初の一粒の胞子が誕生するのに成功したら、あとは自らを増やしていくことができる。その生命のネットワークが宇宙全体で出来上がっている可能性がある。宇宙を旅する生命の胞子がこの地球に落ちてきて、たまたま進化してヒトになった。僕たちは胞子に姿を変えていずれこの地球を出て行く、あるいはもう出て行ったものがいるかもしれない。その胞子はまた新しい星で進化するかもしれない。宇宙は無限に続いているから。

こう考えていくと林友深のテーマや荒川修作が言っていたことやバックミンスターフラーが言っていたことやミヒャエルエンデが言っていたことを大きな輪でつなぐことができる。僕たちは何かを所有できる気になっているがそれは幼稚な勘違いで、このパソコンやiPhoneや家や車はもちろん、この体でさえ自分のものではない。この体(iPhoneも同じようなもんだ)を構成する元素はすべて地球上に膨大にある元素の一部であり、それがヒトゲノム(アップル社の設計図)によって設計され組み立てられ、人(またはiPhone)の形をしている。死んだらゲノムは崩壊して元素に戻る。大事なのはモノではなく、その機能あるいは設計図である。僕たちはこの体を、ゲノムという設計図を通して借りているにすぎない。(ちなみにゲノムの大部分は、ヒトの構成には関係ないウイルス由来のものらしい。進化の過程で、ウイルスがヒトのゲノムの中に入り込みそれがそのまま残ったという。そしてウイルスもまた宇宙から飛来してきた可能性がある。宇宙からの何らかの作用によって地球の生物の進化が影響を受ける。それは例えば隕石衝突による恐竜絶滅説も同じ考え方だ)

地球が生まれてから46億年。最初の生命であるシアノバクテリアが生まれてから30億年くらい。それが進化しヒトの形になったのが10万年前。そのヒトが農耕・定住を始めてからは1万5千年しか経っていない(ラスコーの壁画がそれより前だとされているのは面白い)。産業革命からは2百年くらいしか経ってない。定住することにまだまだ慣れていないし、自分で生み出した道具の使い方や資源の扱い方やヒト同士の共存の仕方にも全然慣れてない。所有という考え方に完全にやられてしまっている。こんなにプリミティブな世界に生きている。

/「スリランカの赤い雨ー生命は宇宙から飛来するか/松井孝典」

(09262301)9月7日にスウェーデンから帰国して東京で奈保子と合流。僕は馬喰町アートイート→渋谷のBESS本社→六本木で高松さんと飲むなど、奈保子は展覧会を見て回るなど、慌ただしく各々の予定をこなしながら2ヶ月ぶりに一緒に過ごす。その日は東京の実家に泊まり、翌日から奈保子は松本に戻る。僕は茨城県北芸術祭の制作手伝いのバイトをしに1週間常陸大宮市に滞在。ドイツのアーティストのミヒャエルとスウェーデン人のアシスタントのサムと先輩作家の太田さんと盟友の仲田さんと過ごす。それで東京に戻り、母親が近々手術を受けることを聞く。その時期は実家にいないといけないと思う。じいちゃんともちょっと話した。家族のことがもうすこし頭を占めてないとダメな気がする。自分は大丈夫なのかと不安になる。15日からは松本に戻って店を手伝ったり屋根の雨漏りを緩和させる試みをしたり。17日awaiとgive meの共同企画の中でトークをする。18日にはawaiで林友深のトークの相手をする。21日まで松本で過ごし、22の夕方に松本を出発して、23日まで名古屋にいて愛知トリエンナーレやMAT NAGOYAでの展示を見る。23日の夜は雑誌「棲」の人たちと飲んだり。24日には大阪に移動して、Tied debate05「定住と移動 建築は動くか」というイベントでドットアーキテクツの家成さんやTiedという大阪のグループの人たちと話す。とても楽しい時間だった。家成さんの仕事は、僕が話の中ですっとばしていた「つくりかた」のフェーズで立ち止まって考えられていた。具体的な工法、特にのこぎりやトンカチなどの簡単な道具で家を作れるようにするなどをよく考えながらやっていて、それがコミュニティが生まれるきっかけになったりしている。僕は自分がすっ飛ばして考えてもなかったことを思い知らされて反省した。そこを考えるのも大事なことだと思った。建築はやっぱり面白い。自分はいずれ建築家と名乗れるようになっていくかもしれないと思った。でも肩書きを名乗ることには基本的に抵抗がある。アーティストと名乗るのも抵抗がある。アーティストって、名乗った途端にアーティストじゃなくなるんじゃないか。肩書きを名乗った途端に失われるものは間違いなくあるけど、肩書きを通してしか人々が受け取れないこともある。そういう世界になってしまった。みんな抵抗なくアーティストとか言ってるのか。ある程度そういうことを感じながらも受け入れて名乗っているのか。Tiedの前川さんに「肩書きを作ればいいじゃないですか」と言われた。荒川修作はそうした。米粒写経の居島さんがドイツ語のザインとゾルレンの話をしてて、ザインは「在る」でその対義語にゾルレン「在るべき」て言葉があって、タモリさんが長らく自分のことを芸人とは言ってなかったこととか、江戸末期の堕落しきった武士達をみかねて、「武士とはあんなやつらのことじゃない」と新撰組が誕生したこととかを引きながら「将来はダウンタウンみたいになりたいとかいうアホみたいな若い芸人が多すぎて、そんなのサラリーマンと一緒じゃないか。そんなんでダウンタウンになれるわけない。彼らは全部ザインで、ゾルレンじゃない。ゾルレンは本質のことで、ゾルレンでなければいけない。」と言っていた。

トークイベントの会場のビルの屋上に白いなにも書いてない広告看板があって、それを使ってなにかやらないかという提案をもらったので何か考えたい。公共を立ちあげるようなことをやってみたい。デザインイーストを立ち上げたときの家成さんの話、Tiedの人たちの話を聞いて思った。一人で活動するのも良いけど、もっと意識的に人を巻き込んで公共的にやることを考えてもいいかもしれない。数年前は絶対に許せなかったことだけど、今はやりたいと思える。まずは掃除から始めよう。真っ白な大きな広告看板は、裏返したホワイトキューブみたいで面白かった。

その日の夜、僕は泊まるところがなかったのでトークイベントをやった上町荘というところに泊めさせてもらえないか頼んだけど、他の会社も入っているシェアオフィスなので難しいとのことだった。そしたら家成さんがドットアーキテクツのスタジオ(?)のソファで寝ていいよと言ってくれた。行ってみるとそこは大きな工場で、一人で寝るのはちょっと怖かったけど嫌な感じはしなかった。蚊がたくさんいるのにおどろいた。

それで25日に今度は大阪から僕の家が置いてある山口県の防府市にバスで移動。途中、広島でバスの乗り継ぎがあって、ほんのすこし時間があったので広島のGalleryG界隈の人たちが素早く焼肉に連れていってくれた。それで夜23時ごろに防府のゲストハウス「REST Hofu Junction」に到着。オーナーの北嶋さんがワインを用意して到着を待っていてくれた。広島は暑かったが、防府は広島ほど暑くないと思った。久々に自分の家と再会した。スウェーデンでつくった家とくらべて屋根の存在感が大きいと思った。

シャワーを借りて、夜中1時過ぎまで北嶋さんと話す。僕がスウェーデンに行っているあいだを含めた、3ヶ月ちかくのあいだずっと家を預かってくれた。ここは1Fがレストラン(僕が大学生の時に上野で見て衝撃を受けたパフォーマーのユキンコアキラの親が防府在住の画家で、その人の絵が飾ってあった。)2Fがゲストハウスになっている。さらに最近3Fにスポーツジムをオープンさせたらしい。レストランでは絵の展覧会もやっているし、音楽のライブもやってる。ここが防府の文化を担っている。

そして今朝防府から移動して(防府天満宮にお参りする時間がなかったのが心残り)、いまは山口市内のガストにいる。22時38分。客は少ない。山口市は初めて来た。街の中心部が温泉街なのは意外だった。人口密度は少ない。もうすこし減ったらさみしい街になりそう。

家はYCAMの駐輪場に置いてある。YCAMは良い文化施設だから家を持って行っても敷地内に泊めさせてくれるだろうと思って突入したけど、思った以上に巨大な施設で、しかも山口市が持っていて、市の職員が常駐していて「泊まっていいですとは言えない」と言われた。これまでは市町村が持っている文化施設の敷地内にも何度か泊まったことがあるけど、大きな施設になると融通が利かなくなるというのがよくわかった。

何人かが僕の敷地探しのために、YCAMの関係者の家の庭や関係するお店やレジデンスなどいろいろ問い合わせてくれた。それでも敷地は見つからなかったけど、YCAMは目の前が巨大な芝生の広場になっていて、夜は人も通らないらしいのでなんとかなるかもみたいな感じになった。それも面白いかなと思い、今日はYCAM前にゲリラ宿泊してみる。ちょうど明日は定休日なので都合がよい。

YCAMの中には広くてテーブルと椅子が並んでるスペースがあって、そこで高校生が勉強をしているのがよかった。無料でいろいろな展示が見られるし、こんな施設がある街で育ってみたいと思った。2Fでやっていた「空族+スタジオ石+YCAM」の「潜行一千里」という展示がとてもよかった。来年公開されるらしい空族の新作「バンコクナイツ」もみないと。

移動のしすぎで認識が追いつかない。広島で焼肉を食べていたとき、僕の意識の半分くらいは大阪にあったし、今は意識が半分くらい防府にある。スウェーデンから帰国後の怒涛の2週間を終えてやっと戻って来た家も翌日には背負って歩いている。そろそろ来年の結婚式のための貯金とか車の免許とるのも考えないといけない。「(動く)家に帰れない問題」がこれから頻発しそうだ。どうやったらいいのか。そういえば日記も早いうちに本という形にしたい。しかし熊本にも行きたい。

ストックホルムのスコーグスシュルコゴーデンをみて「墓場は動かせない」と思ったけど、仏壇も動かしにくいものだと北嶋さんと話していて思った。移動を考えるときに仏壇を一緒に考えてみると分かりやすいかもしれない。定住することで僕たちは場所に色々な意味をもたせてしまっている。移動生活者にとってゴミや排泄物はそのへんに捨てていけばいいものだけど、定住者にとってはちゃんと管理しないと衛生的によくない。ゴミや排泄物を自分からどれだけ速やかに遠ざけられるかが定住のキモで、松本の家は築百年以上なだけあって、トイレの近くに謎のマンホールがあって、そこに汚物が一旦流れ込んでいた。そのせいで時々匂いがあった。近代が隠した匂い。なんのためにあったのかわからんけど塞いだ。

墓場や仏間も同じように考えられるかもしれない。亡き者がずっと隣にいるから、ちゃんと弔わないといけないと考える。そうやって葬式の儀式がどんどん大きなものになっていく。自分の結婚式をどうするかを色々考えている。神様の前で色々儀式をやる「神前式」という形式は、キリスト教の結婚式を真似て、明治維新後に日本風に作りあげたものらしい。つくられた伝統の一つ。それでいいのかと思いつつも、作られた伝統だから何が悪いのかと思ったりもする。結婚式は儀式なので、その場の人たちがその瞬間にそれをやってそれっぽく盛り上がるということだけが大事なことなので、あまり難しく考える必要はないのでは?だいたいつくられてない伝統なんてものが一つでもあるのか。かといって人前式もフェイスブック的で嫌な感じもする。人の集まりだけを相手にして儀式をするより「大いなるものに誓う」ことは大事な気もする。このへんはもっと話し合わないと。

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(09271848)向かいの席にフランス語を話す男性3人がいてメニューをみて色々議論している。日本語は全然話せないっぽくて時々携帯を見て日本語の意味を確認している。荷物が少ないから多分どこかに泊まってる旅行者か。ボタンを押して、店員に「英語はなせる?」と英語で聞いていて、店員はノーと答えていたけど、結局うまくやりとりしていた。今日も昨日と同じガストにいる。席も同じ。

昨日の夜は、夜中に人がこない場所を吟味して最終的にYCAMと駐車場の間にある細い通路に家を置いて寝たんだけど、思いがけず夜中に駐車場にくる車が時々あって、そのなかにはそのまま駐車場で話し込む若い人たちもいた。その声で起こされた。彼らはただ話しているだけで、家を揺さぶってきたりはしなかったぶんエーレブルーの教会よりはずっとマシだったけど。他に朝ドアを開けようとする人が数人いた。今回はあまり良い場所を選べなかった。次に生かしたい。起きてからはしばらくやる気がでなかった。とりあえず今は熊本に着くまでのプロジェクトとして続けてみることにする。日記も続けて書いていく。家を動かしていると同じ空間にいながら、違う世界を生きている。それにもすっかり慣れた。

昼頃にYCAMから宇部方面に歩きはじめた。宇部まで二日かけていけばちょうどいいと思ったので、ちょうど中間にある上嘉川という町で敷地を探した。上嘉川のあたりにくるとあちこちに野焼きの煙が立っていた。ちょうど稲刈りを終えたくらいの時期らしい。まだ稲が残っている田んぼもある。山口から上嘉川までの道は意外と建物が途切れなかった。田んぼと山に囲まれた村がずっと続いているような感じ。旧道沿いにあるお寺で敷地の交渉をした。やさしそうなおばちゃんがでてきて、最初は「ここは公園だから、子供たちみんなびっくりするでしょ」と言って断られるかと思ったけど「なんでこういうことをやってるの?」と聞かれたのでほんの少し話をしたら「あっちのフェンスのあたりなら子供たちがいても大丈夫かも」と言ってくれた。「ただし蚊がすごいから覚悟はしてください」と言われた。そこからの眺めはとてもよくて、町を見渡すとあちこちに山というか丘がぽんぽんと置いてあって、線路が近くを線路が通っていて、田んぼと家が道沿いに広がっている。公園にトイレと水場があって便利だけど、お風呂場がない。ネットで調べたら銭湯は宇部のほうまで行くか、山口まで戻らないと無い。(お寺のおばちゃんに聞けばいいのかもしれないけどお風呂を使わせてくれと言っているみたいで嫌だ。それに現代では普段銭湯に行く人が少ないので知らないことも多い)あとご飯を調達する店は歩いて10分くらいのコンビニ。「道の途中の土地」という感じ。新潟とか富山の日本海沿いの町を思い出した。

なので例によって家を置いて電車で山口まで戻ってきた。電車には学校帰りの高校生がたくさん乗っていた。電車に乗ってる高校生を見ると、どの町にも暮らしてる人がいるということが鮮明にイメージできる。彼らは音楽を聴いたりうとうとしたり、友達としゃべったりしているだけだけど、不思議な力をもっている。

昨日「温泉街」と書いたところは「湯田温泉」という温泉街だった。湯田温泉という、大きな白い狐のオブジェがある駅がある。その駅前はたくさん人がいて意外だった。良いオーラが漂っている駅だった。

昨日は清水湯という温泉銭湯にいったけど、今日は亀乃湯という銭湯。清水湯よりも観光地の真ん中にあるので、観光客もたくさんくる町の銭湯という感じ。ティッシュとドライヤーが使える珍しい銭湯。

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大阪のトークイベントで話します

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Tied Debate 05
「定住と移動 − 建築は動くか」

■日時:2016年9月24日(土)16:00~19:00
■場所:上町荘 〒542-0062 大阪市中央区上本町西4丁目1-68
■主催:Tied(前川 歩 / 舩橋 耕太郎 / 志水 良 / 山口 陽登 / 中村 昌平)
■参加費:1,000円(1ドリンク付)(座席40席)
■アフターパーティ:1,000円
■ゲスト(順不同):
◉建築家 家成俊勝(dot architects http://dotarchitects.jp/)
◉アーティスト 村上慧(http://satoshimurakami.net/


現在、都市や田園につくられ続けている多くの建築は、コンクリートの基礎や鋼製の杭で強固に土地に括り付けられ、動くことはゆるされません。それは当然のこととして、動かないことに疑問がもたれることはほとんどありません。
しかし、本当に建築は土地に深く根付いてよいのでしょうか。

私たちの生活は動くことによって成り立っています。生きるために動きます。であるならば、建築も動くことが自然となる状況もあり得るでしょう。事実、これまでに多くの動く建築がつくられ、使われてきました。床店、屋台、芝居小屋、もしくは曳屋という技術等々、多くの動く建築とその技術が生活を支えていました。

また、近年は、多拠点での生活、もしくはタイニーハウスや自作の小屋、モービルホームといった、自らの手が届く範囲での仮設的な建築での生活など、固定された建築からはうまれない新たな生活スタイルの広がりを世界的にみることができます。

一方、固有の場所に根付き、その場所ならではの建築のすがたに、もしくはそうした建築や場所と一体となった人々の生活にも、私たちは心を奪われます。固定され、動かないことでうまれる豊かさも当然あり、動くことを両手ばなしで賞賛することも難しそうです。

今回のディベートにおいては、ゲストスピーカーとして建築家の家成俊勝さんとアーティストの村上慧さんをお呼びし、建築が動く/動かないことで可能となる新しい世界について模索したいと思います。

https://www.facebook.com/events/687960924689722/

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怒涛の週末がおわって静かになって雨が降っていてさみしい。あづまさんは本当はもっとノイジーでスーパーハードで誰もついていけないクレイジーなものがやりたいのかもしれん。どうしてもエンターテイナーになってしまうのかもしれん。ステージ上で狂った彼女をいつか見たい。ともちゃんはとてもピュアに制作していてあまりつっこむことができなかった。ピュアに自我にまみれながら制作している。彼女の作品についてのトークがフェイスブックの話になったのは自然な流れだった。みんなが各々の自意識に邪魔されながら生活しているフェイスブックの世界。スーツを着て神社の結婚式に参加したときに感じた違和感が近い気もする。つぎはぎというかそういう文化なのか。日本が敗戦国であることをあんなに意識したのは初めてだった。自分がどう見えるかを考えてしまう「自意識」と日本が敗戦国であることを思い出してもやもやしてしまう気持ちは近い。自意識は争いをおこしたりする。「日本を取り戻す」とかっていうフレーズからも自意識を感じる。キリスト教会での結婚式に対応させるために、「神前式」というものを開発して「日本式の結婚式」っぽいものをつくったのは、明治以降に日本を西洋化するためにつくられた伝統だという話を昔どっかで聞いた。それは自意識とは遠く離れたものに感じる。ともちゃんの絵はそのへんと戦ってる。

小さな希望しか持っていない。みんな所帯じみちゃって悩みがぐちゃぐちゃと。広島で中学生から年収いくらだとかって質問が来た時はびっくりしたが。その先に何があるのか。希望はないのか。なんでこんな後ろ向きなのか。しかしテレビとかネットを見すぎているのかもしれない単純に。テレビやなんかってのは、やっぱりなにか悪いことが起こった時に大きく話題になるし、解決策をさがそうとするからやっぱ距離が必要だと。立派な奴になれ

ぶんちゃん「死ぬまで俺は、このことは自分の胸の中へ大事にしまっとこうと思ったんだ。でも患って寝てるうちに考えが変わってきちゃったんだ。黙ったってつまんねえ。たったひとことで良いんだ。小せえ時からおめえさんのことが好きだったって、訳ぁねえよ。これっだけでいいんだ。これだけで気がすむんだ。だけどな、どうも俺には言えそうもねえ。だからね、酒を飲んで酒の勢いで一思いにやっつけようと思ったんだ。笑っちゃ嫌だぜおじさん。人に言っちゃ嫌だぜおじさん。」

おじさん「しかしなあぶんちゃん、おじさんに言わせると、それはよした方がよかあねえかなあ?

なげえ間、せっかく後生大事に胸の中へしまっといた事じゃねえかよ。そいつを今更何も外へぶちまける事もねえじゃねえか。うちあけられてその人は喜ぶかい?ねえぶんちゃん、人間てえものは自分の好きなものってえとすぐに自分のものにしたがったり、面と向かってあけすけに好きの嫌いのと言わなきゃあおさまらねえ。そいつは面白くねえと思うな。

例えばだねぇ。例えば、山の上の枝っぷりの良い一本松。こいつはどうにも自分のものにはならねえや。え?自分のものにならなくっても、芯から俺は大好きで、惚れ惚れまいにち眺めるんだ。無論、松はこっちの心は知らねえ。知らなくったって、そんなことは構わねえんだ。人間にだってそういう惚れ方があってもいいじゃあねえか。そういう惚れ方が、本当の惚れ方じゃねえか?自分のものにならねえのを承知の上で、こっそり誰にも内緒で黙って惚れるんだ。惚れっぱなしでお終いになるんよ。いいじゃあねえかこれでけっこうじゃねえか。なにをいまさら”わたくしはお前さんが好きでございました”。キザじゃあねえかそんなのはあ、俺は嫌だねえそんなのは。

宇野信夫「下町」というラジオドラマのクライマックス。近代はぶんちゃんをとったらしい。おじさんはいなくなった。

やる気とアイデアに満ちている。人間の寿命がもし500年あったら、音楽の長さもかわったりするのか。ロックの一曲の長さも3分じゃなくて30分くらいになったりするのか。

今日は朝アーティストのトビアスのお父さんのレイさんにジープに乗っけてもらい、シューティングレンジで射撃の体験をさせてもらった。3種類の銃を撃たせてもらって、一番小さいのは22口径、一番大きいのは確か40口径と言ってた。

22口径の弾はおもちゃ見たいだ。僕が「これが銃弾?おもちゃみたいだ」といったらレイは「そうだな。でもおもちゃじゃない。危険なものだ。これで殺す事ができる」と言った。撃った感じもほとんど反動がない上に8発連射できて、こんな簡単に撃てちゃうのかと若干ショックを受けた。こんなものでも人に当たれば死んでしまうのかと。逆に一番大きい銃(レイがカウボーイガンと呼ぶお気に入りの銃)は反動が半端じゃなくて一回撃っただけで腕や肩がすこししびれる。彼はこれでゾウも撃てると言っていた。

レイによれば、スウェーデンではほとんど銃による事故や事件はせいぜい一年に1、2件で、その1、2件も違法な持ち込みの銃によるものだという。「アメリカと大違いだ」と言ったらフロリダ生まれのレイは「そうだな。アメリカでは人によっては専用の大きな部屋をつくって、そこに何百っていう銃を保管してたりする。ここにはそんな人はいない。」と言った。

 

さっきラーズがオフィスに顔をだしたのでちょっと話した。僕は今作っているものをみせて

「こっちでの今年の展示に向けてこれを作っている。しかし何を作ってるのか僕もわからない。」

と言ったら、彼は笑って「それが普通だ」みたいなことを言った。何を作ってるのかわかってるときのほうが少ないと。彼は突然「もし君がパラシュートでこの街に落ちてきたら」とか「タブレットを二つ飲んで一つは日本に、一つはコロンビアに落とす」みたいなことを突然言いだしたりする。彼はディレクターだけどアーティストでもあるので思考が飛躍しまくる。

その日は、全く言葉が通じない床屋で髪をきってもらった。おじさんからこの辺で一番安い床屋を教えてもらい、その店の前まで行ってみたらそこは席が二つしかない小さな床屋で、店主らしきおばちゃんがソファに座って何か雑誌のようなものを読んでいた。店の前にきたらちょっとびびってしまって、散々店の前をうろうろしたけど、ある瞬間に「もう行ってしまえ」と決心がついて店に飛び込んだ。入ったらおばちゃんは僕の方をみて、何かに驚いたような顔をした。でもすぐに席を指さして「ここに座りなさい」的な事をスウェーデン語で話した(と思う)。席に座ったら赤い散髪用のケープをかけられた。

おばちゃんがスウェーデン語で話しかけてきたんだけど、僕は「すいませんスウェーデン語はわからないです」と英語で言ったら、わからないということは伝わったらしいが、おばちゃんは英語が話せないらしい。彼女はハサミを指して何かを言った後、壁にかけてあるバリカンを指してまた何か言った。明らかに僕に何かを聞いているような調子だった。これは要するにバリカンでバッサリといくかハサミでいくかという事なのか?と一瞬考え、僕はハサミのほうを指して「こっちで」と英語で言った。そしたらおばちゃんはハサミで髪を切り始めた。僕は新しい街で床屋に入るのが好きで、どこか新しい街に長期滞在するようなとき、その街の床屋にいって髪を切ってもらったりする。これはある種の洗礼のような儀式だと思っている。でも言葉が通じない床屋は初めてだった。おばちゃんは言葉が通じないにもかかわらずどんどん大胆に僕の髪を切っていった。おばちゃんのケープのつけかたが雑で、切った髪の毛は首のところからどんどん入ってきた。おばちゃんの手には派手なピンクのマニキュアが塗ってあった。このマニキュアの色とおばちゃんの佇まいが不釣り合いだった。

髪を切るってのは考えたら暴力的なことだなと思った。僕はおばちゃんの手に髪型を任せるしかない、とても弱い立場の人間なのだと思った。でもおばちゃんの中にはなにか「こういう感じにすればいいだろう」という確固たるビジョンがあるらしく、手つきに迷いはなかった。切っている間は終始無言だった。

おわってみたら、かなりばっさり切られたけど意外と悪くないなと思えた。前髪の残し方が特徴的で、おばちゃんのこだわりのようなものが感じられた。もしかしたらエーレブルーではこういう前髪が流行ってるのかもしれないけど。僕は親指をたてて「Good」を連発した。おばちゃんがすこし笑った。

切ったあとおばちゃんは「フンドレッティ」みたいな単語を繰り返し言っていて、そういえばこの店は180クローネで切ってくれるとおじさんが言っていたような気がすると思い出し、これはもしかしたら180という意味かと思って手の指で1と8を作って提示したら頷いたので、僕は180クローネ支払って店を出た。

やるきがでなくてまいった。さっき、ソフィアが野外彫刻がたくさん展示してあるっていうKonst på Högっていうとこに連れていってくれたのだけど、ずっと室内で作業しててぼーっとして、しかも今日は寒くて、あまり頭に入らず。おもしろいのもありそうだったけどどうも。ただ山の上から見る一面の森林と湖はとても綺麗だった。

しかし寒い。今日は特別に寒いらしいけど、明日も最低気温7度らしい。最近は天気も曇りが多くて、なんとなく冬の前という漢字がする。8月でこれなのか。ソフィアはマフラーを巻いてた。

一昨日から家は動かしてない。OpenArtのオフィスの余った一部屋をエリンが僕の部屋としてあけてくれて、これから9月の帰国まではこの部屋で滞在することになりそう。

一昨日と昨日は発泡ハウスでの就寝と同じスタイルでマットに寝袋で寝てたけど、今日ソフィアが布団みたいなふかふかのマットレスを持ってきてくれた。「地面が硬いでしょ」と。あと枕も家にたくさんあるから明日持ってきてくれるらしい。加えて、さっきガラスのドアにプチプチの緩衝材シートを貼って視線も遮り、完全に”部屋”になった。

IMG_3365 のコピー今日はずっとその部屋でペンを動かす制作をしてて、夕方頃に動かなすぎて気分がわるくなったので、エリンに教えられたNew China Tradingっていうアジアな食材が集まってるスーパーに初めて行ってきた。醤油とか、味噌とか、日本の米(Sushi RiceとかHinodeっていう名前で売られてた)とか、ココナッツミルクとか、魚醬のようなものとか、アジアンな食材がたくさんある。店員も中国人っぽい。店に来てるお客さんにもアジア系の人が多かった。僕はそこでSushi Riceと乾燥わかめと味噌とかつおだしの素を買った。やっぱり食の習慣はなかなか変わらない。こっちではたくさんの優しい人たちがスウェディッシュな料理をつくってくれたり、スーパーに行って見慣れないものをちょっと買って料理してみたりもするけど、やっぱり基本的には日本で食べていたような食べ物が食べたい。この習慣から逃げられない。ずっと住んでれば慣れるもんなのか。

そこで売られてるいくつかのものに、中国産なのになぜかパッケージの表が日本語で書かれている食べ物をいくつか見た。それらはよく漢字が間違ってたり、なぞの言い回しが使われてたりした。なぜ日本語を無理に使おうとするのか。

今回のビデオレターから、遠い未来を見据えて手応えのあるものを形づくろうとする意志を感じて心にくるものがあった。有識者会議に議論を任せたり、あるいはいきなり国民投票をやったりするんじゃなくて、まず小さな単位の人たちで話し合って、その結論を上に上に押し上げていくっていうことをやるべきなんじゃないか。震災のときも繰り返し言われて、結局うまくいかずに終わってしまったけど、ここでそれができんとまずいんじゃないか。まじで。大丈夫なのか。そういうしくみが出来上がってないことが、あらためてすごくもどかしく思う。ボールは明らかにこちらにある。そんで、これも忘れ去られていくことを多分憂いている。今回のことは、いかにいまの社会がディスコミュニケーションばっかりで、矛盾に満ちていて、なにかの犠牲のもとに、何かを成立させた気になっているだけだったということをまた新しい形で浮かび上がらせた。どうすればいいのか。

荒川修作は永遠ていう言い方をしている。

「永遠の生命と、1億円あったらどっち欲しいですかと聞いたら、みんな1億円を取るんだよ。・・もうここまで文明が落ちたら、もう落ちっぱなしだ」

「我々が消えていく前に、”無限”てのが感じられたらどんなだろう。感じるだけでいいんだよ。まずは。『ああ、そんなものか』ってのがわかったらな、今度はお前たち “労働”は全然違うぞ。それに向けるから。何のために働くか。・・この地球上で人間は、誰一人として労働の目的を持たなかったんだ。」

と言っているけど、永遠とまではいかなくとも、例えば仮に僕たちの寿命が100年じゃなくて、500年だったら、もう少し遠い未来のことや、地球の環境のことや、原子力のことについて、今とは全然違う切実さで考えられるんじゃないか。彼が言った永遠っていうのは、未来っていう意味でもあるんじゃないか。

このへんは彼が「美」はしみったれてるっていうところともリンクしてくるんじゃないか。

「死ぬっていうことを真剣に考えない奴は”人間”じゃないんだから。どうしようもない。「美しい」とか「美しくない」とか、そんなくだらないこと。美とか美でないってのは、どうしてか知ってるか。死んでっちゃうからそういうものを作ったんだよ。・・日本の国学者なんかみんな、牢屋にいれた方がいいんだよ小林秀雄まで。「仮の宿から、ちょっと仮の宿へ住んで、ちょっと」なんて、あんなの。一番しみったれてんだよ。夏目漱石も全部だよ。「我輩は猫である」なんて。あいつは本当に猫だったんだよ。猫にしとけばよかったのに。・・文章なんか出して人間みたいな顔してるからあんなになるんだ。あんな本は2度と出しちゃいけないんだ。いいか、国学者がなにやったかっていうと「桜が綺麗です」。どうしてリンゴの花は良くないんだよ。リンゴ作っちゃうからだよ。あの実を。「桜はなんにも作らず・・。だからあれのほうが」なんて言うんだよ。いいか、これだけたくさんの梨の木やなんかから桜の木を選んだのは。いいか、しみったれてんのもいいところなんだぞお前。」

4日はオープンアートオフィス泊。夜ふらふら散歩してたら、缶ビールっぽいものをもって広場を歩いてる男性が警官に呼び止められて、それはお酒か、そこに捨てなさい。みたいなことを言われて男性が捨てているのを見た。捨てればオッケーなのか。
5日は敷地を交渉しにニコライ大聖堂へ行った。オフィスから歩いてすぐの、エーレブルーのセントラル広場の目の前に立ってる、街のど真ん中の教会。教会前の広場はポケモンGOのポケストップになってて人がたくさん芝生に座ってスマホをいじっている。つまらん。

教会の建築はゴシック調ではあるけどストックホルム大聖堂ほど装飾的でもない。700年くらい前からこの場所にあるらしい。内部の中央通路にはLGBTの権利を表す虹色の敷物が敷いてあった。

日本も色々あるが、スウェーデンにも色々あるんだろうなと、理解できた瞬間があった。昨日は広島に原爆が落とされた日で、日本は敗戦のコンプレックスだとか、歴史が蓄積されないだとか色々言われているけど、スウェーデンもキリスト教化された国の一つで、教会が虹色の敷物を敷いていて、色々あったし、今も色々あるんだろうなと。

歴史の動脈のことを考える時、積み重ねたレンガのように、わかりやすく蓄積されたようなものをイメージするけれど、歴史がそうやって「わかりやすく蓄積されていく」ということはないんだろうと思う。しかし本当にキリスト教にはまんまとやられている。

ちょうど僕が教会についたときだれかのお葬式の直後だったらしく、教会のドアの前には黒服の人たちが何人かいた。家を背負って歩いてそこにつっこんでいったので、若干不謹慎だったかもしれない。全員が完全に訝しんでいた。

最初中にいた女性に「この教会のオフィスはどこですか」と聞いたら、向かいの建物のカフェの中だと言われ、そこに行ってチャイムを押して、出てきた女性に「自分は家を運んで寝泊まりしているアーティストで、敷地を借りたいんだ」とフライヤーを見せてopen artという言葉を使わずに説明したんだけど「ここに寝る場所はない」と言われた。「ここはただのカフェなんだ」みたいなことを言ってて、よくわからんが、その女性がまた完全に怪しい人間を見る感じで見てきた。

そのあともう一度教会に行き教会の人に直接プロジェクトの説明をしてみようとしたら、たまたまアーティストのアレックスに会った。彼が「交渉してくる」というので、僕もあわてて着いていったんだけど、彼は教会で人を捕まえてすでに「open art」というワードを使って説明してくれていて、許可をとってきてしまった。彼が話していたのがこの教会の司祭っぽい。知的な印象のおばさんだった。僕としてはopen artというワードが魔法のように街の人からの信頼を得てしまうのでそれを使わず許可をとってみたかったのだけど、よく考えたらopen artがなかったらここには来ていないわけで、変なことにこだわっているのかもしれない。このへんの微妙な議論がこっちのアーティストたちとできないのが歯がゆい。

無事に許可とれたのはいいけど、なにせ街の中心部なのでひとがたくさんいる。夜中に人が来ても全然おかしくない。でもすごく開けっぴろげな場所なので、逆に危ない目には合わないかもしれない。

しかもエミルいわく、先週に給料日があり、今日は金曜の夜だからみんな酒を飲みに街に出るぞと言われた。大丈夫かと思ったけど、逆に人の目によって、変な訪問者を減らす、身を守るということがあるかもと思って、あえて大聖堂の正面入り口の扉の前に家を置いて寝てみることにした。こんな試みは初めて。

夜、先日庭を貸してくれた家族からメールが来る。今日テレビで僕の取材の様子が流れたらしい。僕はローカルニュースだと聞かされていたので油断してたけど、svtという国営放送のローカル枠ということだったらしい。

夜になり、なるべく目立たないように家に入り、物音を立てぬように家の中で支度をして、耳栓をつけて、横になった。しばらくは人の気配や、誰かがすこしドアを開けようとする音(でも、鍵が閉まっているとわかるとすぐに諦めて去っていく)で寝付けなかっけどいつの間にか寝てた。

そんで、ドアをノックする大きな音で夜中の4時前に起こされた。耳栓を外したら、なんか外が賑やか。男女入り混じった若いグループがすぐ近くのベンチで飲んでるらしい。そのなかの一人のお調子者みたいなやつが、ちょっかいを出しにきているという感じ。ハローと言ってドアを開けようとしたり、家をゆすったりしてくる。完全にめんどくさい状況になったなと思ったけど、耳栓をつけて無視することにした。しばらくしたら去っていった。

彼らがなんと騒いでたのかは全然聞き取れないけど「オープンアート」というワードは頻繁に聞こえた。オープンアートのプロジェクトだと知ってるから、ちょっかいを出せたんだろうなと思う。

これは大事なポイントかもしれん。オープンアートの作品だと知っていなければ、こんな怪しい、中にどんなやつがいるかわからないものにいたずらをしようとはなかなか思えないと思う。オープンアートの一環になることで、これは安全なものだっていうことが保証されてしまっている。

翌日6日。夜中に起こされたことで眠くてかなりうんざりしていた。家を再びオフィスに移動させた。アレックスが「今夜友達の誕生日パーティーがある」と誘ってくれて、そのためのビールを買いにナショナル酒屋へ。このナショナル酒屋に行かないと、アルコール度数が高いお酒は買えない。この酒屋は全国にあり、ここで売られてるすべてのお酒は価格が統一されてるらしい。中は酒屋というよりも綺麗なデパートという印象。買うとき、全員がID提示を求められる。

ビールコーナーが充実していて、なんとアルコール度数10パーセントのビールも売っていた。スウェーデン製。

結局友達の誕生日パーティーは1週間後の勘違いらしく、5人くらいでえみるの家で飲んだ。

僕は例によって飲みすぎて、今日のお昼くらいまで頭がくらくらして何もできなかった。彼らと一緒に飲んでるとたいていこうなる。彼らはお酒が強すぎる。無性にラーメンが食べたい。スウェーデンはラーメン屋がないのがとてもつらい。ラーメン屋がないのが結構つらい。スウェーデンに引っ越せと言われたら、ラーメン屋がないから嫌だと言おう。

去年から国際宇宙ステーションで始まっているたんぽぽ計画っていうプロジェクトがある。
生命の起源は地球上ではなく、宇宙のどこかから運ばれてきたものが地球に落下したんじゃないかという「パンスペルミア」という説があり、その可能性を探るために「地球の微生物が大気圏を超えて宇宙に飛び出すことはありうるのか」「宇宙をただよってるものから有機物をみつけることはできるのか」というような実験をする計画。宇宙のちりをとらえ、そのなかから有機体をさがす。なんて途方もない実験だろう。そんでそのパンスペルミアの立場をとってる研究者が「宇宙には高度な文明がたくさんある(あった)はずだが、文明の寿命が短すぎるから、文明どうしが出会うことはない」と言うようなことを言っている。このわくわく感久しく忘れていた。今の地球上のように、おそらくたくさんの星で生命がうまれ、その多くの生命体が地球のように大規模な定住社会を経て高度化して、高度化しすぎてほろんでいったと、ちょっと考えるだけでいい。