2013年9月25日 | 

2013年9月25日

 

「エンデの遺言」という本を読み始めた。エンデが作品の中に「経済」に対する深遠な問いかけをしていたことがわかる。

いま世界を巡っているお金の90パーセント以上は、現に存在する商品やサービスとは関係ない、数字だけのお金らしい。日本の国民総所得は300兆円あるが、現実に発行されている紙幣は50兆円程度しかないそうだ。もともとは、物々交換でかかる膨大なエネルギーや時間を省くために開発されたお金。かつては紙幣は金と交換できることによってその価値を担保されていたけれど、71年にアメリカ合衆国大統領のニクソンが実施した金とドルの交換停止宣言(それまでは、「ブレトン・ウッズ協定という協定で貨幣は流通していた。ドルを世界の基軸通貨として金1オンスを35USドルと固定した。しかし、世界の財政規模が大きくなってくると、金の産出量と保有量が、経済の規模に対応できなくなった。」)をによって、お金は、担保のない、ただ人々の信用によってのみ価値を保証されるものになった。そして、お金それ自体が商品となり、貸したお金にはプラスの利子がつけられ、自己増殖を繰り返し、お金はもはや自然資源と対応するものではなくなっていった。

もともとは、僕たちが生活を営むために開発したお金という制度は、いまではそれ自体を増やして成長することを目的とする制度になっていった。エンデが10人の弁護士に「お金とは、法的制度なのか、それとも経済運動の中にあるべき商品なのか」という問いかけの手紙を送ったところ、10人からそれぞればらばらの答えが返ってきたらしい。だれも、「お金」を定義づけることができない。なにかわからないものを僕たちは使い、それを稼ぐことに躍起になっている。

お金は、無から価値をつくりだす錬金術のように自己増殖をつづける。この本は15年ほど前のものだからデータが古いけど、現在日本がかかえる借金は1000兆円を超えた。お金印刷できるものだから、いくらでもつくれる。時間が経てばお金が増える「プラスの利子」という制度をとる以上、どんどんお金が増えて、そもそもの目的であった自然資源との対応はますます困難になって、大きくなりすぎた財政をコントロールできなくなるのはあたりまえのように思える。そのうち、本当に破綻が訪れるだろう。この資本経済主義、民主主義を根源から問い直さざるを得ないような破綻が。

 

さてお金は分業体制を促進する制度だ。僕は美術家として、自分の表現を行い、それに対してお金を払ってくれるひととの経済圏をつくりたい。助成金などはやっぱり極力関わりたくない。方向付けられた表現は、表現ではない。というか、「助成金」という制度と、個人の表現、というものの関係を考えだすと、表現がとてもややこしくてめんどくさいものになってしまいそうだ。僕は、自分の絵や、言葉や、映像やパフォーマンスなどに対してお金を払ってくれる観客と一対一の関係をつくりたい。と思った。

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