どこかに遠征していて、用事を終えて帰るため車を取りに行くところ。車を停めた駐車場が、なにやら知り合いの人のマンションの床下で、なんらかのボタン操作をすると床下が地球防衛軍の秘密基地みたいにガチャガチャ変形し、そこに車が数台入る分のスペースが段々になって現れるというもので、弟はそこに車を入れたと言っていて、そのマンションの住人と一緒に探すのだけど、弟は車を、ドラゴンボールのホイポイカプセルにそっくりな、コンパクトな玉に変換して入れたと言っている。そんな小さくするんだったら わざわざ、こんな床下のでかいスペースに入れる必要ないじゃないかと言いつつ車を一生懸命みんなで探すが全然見つけられない、という夢。

今福龍太さんの本のおかげで知った「瓦礫の中をうしろむきに吹き飛ばされていく天使」のイメージ。ベンヤミンが、クレーの絵から霊感を得て書いたテキスト。
「新しい天使と題するクレーの絵がある。そこにはひとりの天使が描かれていて、それは自分が凝視しているものから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。眼は大きく見開かれ、口は開かれ、翼は広げられている。
歴史の天使はこうした姿をしているにちがいない。歴史の天使は顔を過去のほうへと向けている。わたしたちの眼には出来事の連鎖と見えるところに、天使はただひとつの破局を見ている。たえまなく瓦礫のうえに瓦礫をつみかさねては、天使の足もとに放りだしている破局をだ。できることなら天使はその場にとどまって、死者を目覚めさせ、打ち砕かれた破片を集めてもとどおりにしたいと思っている。だが強風が天使の翼をからめとり、そのいきおいが激しいために翼を閉じることがもうできなくなっている。この強風は天使が背を向けている未来のほうへと、天使を吹き飛ばしていく。そうしているうちにも天使の眼の前では、瓦礫の山が天にとどくほどに高くなっていく。
わたしたちが進歩と呼んでいるものは、まさにこの強風なのだ。」
(ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』テーゼⅨ)

07021002

つつじヶ丘アトリエ近くのコインパーキングに昨日の夜19時ごろに車を停め、今日18時ごろに出庫しようと料金を支払ったがタイヤ留めのバーが下がらない。パネルで同じ操作をしてみても「ロック解除を確認し、すみやかに出庫してください」という表示のみ。これでは車が出せない。緊急連絡先に電話。しかし電話が混み合っていますという音声案内が流れるばかりで、8回くらいかけなおす。20分ほどかけて電話を続けてようやくつながる。つながったオペレーターのおばちゃんがいまいち事態を把握できず、何度か同じ説明を繰り返し、何分かかけて警備員を向かわせますというせりふを引き出す。到着時刻の目安が分かり次第こちらから連絡しますといわれ、電話を切る。それから30分ほどして電話が来る。60-90分くらいで到着しますとのことで、こちらとしてはそれは長いので、板をかますなどして自力で脱出していいかと聞く。少々お待ち下さいと言われ、数十秒後に、お客様のお車に破損があってもよくないし、こちらの機器に万が一損傷があった場合その請求はお客様に行くことになるので、時間が大切なのはわかるがお待ちいただけませんかと聞く。逆にこの時間のロスの損害賠償は請求できるんですかと聞いてみたが、それは出来かねますと言われる。まあそれはそうだろうとは思っていたが、オペレーターの対応がどうも、こちらの不具合のせいで申し訳ないという意志が伝わってこない感じがしてモヤモヤする。「(お待ちいただけませんかとイエス・ノー質問みたいな感じで言ってるけど)こちらの選択肢としては待つしかないってことですよね」と言ってしまった。現場にはいられないので、ついたら連絡するように伝えていただけますかとだけ言い、電話を切る。それからご飯でも食べるかと、うろうろしてやまだやに入って、スタミナ豆腐とノンアルコールビールを頼む。気温27度。やまだやのカード決済機も調子が悪いらしく、常連さんらしきひとに大将が「ちょっと待ってくださいね。いま気分悪くなってるみたい」と謝っている。20時10分、現場にいい感じの修理工みたいなおじちゃんが到着、通信エラーになっちゃってて、いま手作業でバーを下げますので、と言ってから数分でバーが下がる。無事脱出。

友人と街をどこかに向かってウロウロしていて靴屋に入り、見ていると店主のおじさんが観葉植物にホースで水をあげつつ明らかに友人の顔面に向けて水をかけてきて僕も思いっきりかけられ、おとうさん、水かかってます、と顔面に水を受けながら言ってもすぐにはやめてくれなくて、僕は怒って店を出ていく、という夢。ほかに建物の壁にジャングルジムがはりついててそこで遊んでる二人組も見た。

大町の家には図書室がある。最近忙しすぎるというのもあって、あまり使わなくなってきた。子供がいたら違うだろうな、という予感がある。あるいは、親が同居していたら今よりも使いそうだ。図書室というものは「外側」にあるものかもしれない。私的な、「本の部屋とそれ以外とを分けたい」という欲望ではなく、私以外の人が本にアクセスしやすい場所をつくりたい、という善の力のおかげで存在しているのかもしれない。そしてその結果生じた図書室という現実空間に「自分の部屋ではないので普段はいない」という理由によって、アクセスしにくくなっている。人がいたら、自分ももうすこしそこに行くような気がする。証拠として、私の家族が泊まりにきた時、みんな暇になると図書室に行くので、私もつられた。つまり図書室がその力をより強く発揮するためには、自分と同居人の他に、三番目の人間がいるといいのかもしれない。図書室というものは公的な場所なので、自分の家という私的な領域の中では存在が後ろに隠れてしまう。

《村上勉強堂》報告書第十二号を発刊しました。

アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』(岩波現代文庫)から「なぜわたしに、はるか遠くの国で起きている問題の責任があるのか」を考える。

 

わたしたちは「自ら行為することで諸制度の運用に参加しており、その積み重ねが特に、不正義を生み出すということになる」。例えば同じ服が二つの店で売っているとして、わたしたちは安いほうを選びがちだが、しかしそれは企業間の価格競争のゲームに参加していることを意味し、服を生産している工場の労働者が低賃金で働かされる不正義を助長することになる。

特にアパレル産業においては、そのような事態を改善するため、「反苦汗工場運動」というものが起きた。「苦汗工場」とは次のようなものである。

「多くの衣類、靴、その他こまごまとした商品の生産は()先進国以外の国ぐにの比較的小さな製造業拠点で生産されている。()そうした製造業施設の労働条件は(…)つぎのことが典型的に見られる。労働者のほぼ全員が女性であり、しばしば十三歳か十四歳といった少女たちだ。彼女たちが上司から支配され虐待的に扱われるのはよくあることで、しかもセクシャル・ハラスメントは日常茶飯事である。繁忙期には一日一〇時間から一六時間も当たり前に働き、会社が納期に遅れていれば、徹夜で働くことを強要されることもある。一日の長い労働時間内でのトイレ休憩やその他の休息の機会は限られている。休暇を願い出ることも、祭日休暇も一般には許されない。()工場の気温はしばしば耐えられないほど高く、換気もなく、照明も不十分で、消防機能もほとんど備わっておらず、避難出口はふさがれ、衛生設備も不備で、食堂やトイレは不衛生で、清潔な飲み水さえ準備されていない。()抗議したり、組合を組織しようとしたりする労働者は、脅迫され、解雇され、ブラックリストに載せられ、殴られ、殺されることすらある。そして、しばしば政府は、積極的にであれ消極的にであれ、そうした組合つぶしを支援する。

)一般的に労働者は、正式な雇用契約を結んでいないことが多く、また、雇用主は被雇用者が実際に働いた時間をきちんとつけていないか、全く記録しないでいるために、支払いが不十分であっても、請求することができない。」(p227)

だがこの不正義は、産業があまりにも複雑であるため、構造を理解しにくい。まさか自分の服が、そのような環境で生産されているとは気が付きにくい。

「グローバルなアパレル産業の構造は、苦汗工場の労働条件に対する責任を分散してしまっている。・・・異なる多くの場所で製造された衣服を、人びとがじっさいに購入する店舗へと運ぶ、それぞれ別個の契約をしている数知れない業者や人手が関わる生産と流通の複雑な連鎖が存在している。

)生産と流通のこの複雑なシステムの中で、衣類を作っている労働者は、この連鎖の最底辺にいる。彼女たちが稼ぐ賃金は、一般的に一つひとつの製品の小売価格のほんの一部にすぎず、六%以下であることが多い」

そこで反苦汗工場運動の活動家たちは「大量に服を購入する市役所や、大学のようにその名前やロゴをつけた服を売る諸機関に対して、こうした衣類が生産される工場での過酷な労働条件に対して責任をとるよう要請した。()また、ギャップやナイキ、ディズニーといったブランド・アパレル店や、さらには()一般の衣類小売店の前で、店で売られている衣類のほとんどが、苦汗工場という劣悪な環境において製造されていることを説明するリーフレットを配布した。」(p225)

 北米とヨーロッパでは、「こうした運動のおかげで、自分たちが購入する衣服の多くが遠い国ぐにでどのように生産されているのかについて、消費者の意識がとても高くなった」という。「以前はアパレル産業の労働者たちのことなど全く考えたこともなかった人びとのなかで、自分たちと労働者たちがつながっているという意識が芽生え、結果として、より多くの消費者が「フェア・トレード」消費に関心をもつようになり、典型的な労働条件よりも公正な条件で働く労働者たちと直接的に取引する会社を通じて製品を購入することなどを始めた。」(p237)

とはいえ問題はアパレル産業に限らない。世界には「不正義」が多すぎる。ひとりの人間が使える時間は限られており、世界のすみずみのことにまで気を回せなんて無理な話だ。

「わたしの行為が手を貸している構造上のプロセスから生じるあらゆる社会的不正義に対して、もし多くの人びとと責任を分有するのならば、それによってわたしは、非常に多くのことに関して責任を負うことになるだろう。たしかに、そう考えると、途方に暮れてしまう。

)さらには、この責任の射程が自分の居る場所、つまり国家によって制限されていないのならば、その程度はさらにもっと圧倒的なものとなるだろう。というのも、こんにちの世界における多くの不正義は、潜在的には地球大に広がる構造上の社会プロセスから生じているのだから。」(p221)

しかしヤングはこう言う。

「最初に指摘しておきたいのは、それがわたしたちが立ち止まるべき真実である、ということだ。()つまり、この世界は深刻な不正義状態にあり、その算出にわたしたちは手を貸しており、さらに、他者とともに戦ったとしても、その状態は、わたしたちの誰かが正せるようなものではないかもしれない、と。わたしたちは、そうした責任の極点で立ち止まるべきである。」

さらにヤングは、ひとりひとりの人間が負うべき責任は、それぞれの不正義への加担の度合いによって異なるのではないか、という意見に反対する。

「わたしは、それぞれのひとが、構造的不正義への加担の度合いに応じて、程度も種類も異なる責任を負うという議論にはくみしない。(…)責任が分有されるということは、わたしたちのすべてが、その責任を、分け隔てなしに個人として担う、ということを意味している」

ヤングは、人びとが「構造的不正義」への責任を回避するために使う言い訳パターンとして、以下の四つを挙げている。

(1)物象化 (2)つながりの否定 (3)直接性の要求 (4)不正義を正すのは自分の役割ではないと主張すること

(1)物象化

これは「いろいろな力が働いているから、いましているように行為する以外には選択の余地がない」というもの。

「物象化は、あたかも特定の社会関係における人間の行為の産物をモノや自然の力のように扱ってしまう」(p277)

例えば2018年に大阪で施工不良のブロック塀が倒壊し、子供が死亡するという事故が起きてしまったが、その施工現場において、上司の命令とはいえブロック塀に補強用の控え壁を入れずに作ることでいつか悪いことが起こるかもしれないと従業員が思っても、あるいは上司も同じく問題が生まれるかもしれないと感じていたとしても、「ブロック塀に控え壁を入れない」という行為は、ひとつの必然として、コントロールすることができない天候と同じように、上司と従業員それぞれの目の前に現れる。

(2)つながりの否定

「ひとは典型的に、他の多くの人びとや事象によって媒介されている制度やプロセスの中で、ともに行動している遠くにいる他者とのつながりを否定する。」(p285)

しかしいくら願っても、現実において私たちは他者とつながってしまっている。なぜならわたしたちの日々の行為には、たくさんの「前提」があるからだ。

「一枚のシャツを買うという、この単純な行為によって、わたしがすでに前提としているのは、綿花を育て、布を織り、裁断するひとと裁縫するひとを集めて布を衣服にすることに関わるすべての人びと、裁断師や裁縫師自身、さらに、衣服を輸送し、わたしが容易に手にすることを可能にしてくれている人びと、これらすべての人びとの行為である。通常これらの人びとは、わたしの関心の外にいる。しかし、もし問われたならば、それらの人びとがいなかったら、ここでわたしの目の前にある既製服は存在しない、と認めるだろう。わたしがより安価なシャツを買おうとするさい、生産力と流通力を高めるためだとされるアパレル産業のこれらの実践が行われただけでなく、労働コストを最小化しようとする圧力や競争があらゆる過程であったことが推測できる。そして、その結果、労働者が被害にあっている限り、安価なシャツを買うというわたしの意図は、その危害に関与しており、それは、わたしが労働者に危害を加えようとしているわけでもな(い場合であっても)そうなのだ。」(p287)

(3)直接性の要求

わたしたちは目の前のこと、つまり直接出会う人びとのことで精一杯なので、遠くのことまでは考えられないよ、という主張。

「わたしの目の前にいる人びとすなわち、家族、友人、同僚、取引先や顧客、バスの中で、路上で、お店やカフェで、参加する教会やクラブで出会う人びと、わたしの日々はそうした人たちでいっぱいだ。わたしは、耳を傾け、ニーズに配慮し、丁寧に、敬意をもって、そして協力的であろうとする。

直接的な相互行為から生じる道徳的要求は、必要に迫られていて、間髪を入れず、そして時に、際限がない。このような相互行為から生まれる責任に(構造的)不正義に関する対する責任を追加することが、わたしにあまりに多くを求めすぎているのは確かだ。」

(P290)

直接的な関係からくる感情と、遠くの人びとを思うことからくる正義の感覚のふたつがあり、「それぞれが他方の道徳的要請を曖昧にしてしまう傾向がある」。日常生活では、直接的な関係によってわたしたちのエネルギーは消耗してしまうので、より広い社会的見地をとる余裕はほとんど残らない。その見地が、直接的に関係する人たちに、より危害を加えないために必要だというのに。

とはいえ私たちは特権的な立場にいる。もしわたしたちが直接的な要求を優先してしまったら、その構造的な特権を再強化してしまうことになる。

「直接的な関係における要求と正義に関わる要求との間にある緊張は、なくすことはできない。だが日常生活において関係しあう人びとが、構造的不正義をすこしでもなくしていこうと自らを組織化し行動に向かうとき、他者に個人的に応答するために費やすわたしたちのエネルギーは、同時に、正義を実現するためのエネルギーになる。」

ようするに、これは解決できない問題だが、話しあうのが超大事だと言っている。

(4)わたしの仕事ではない

たしかに不正義はある、だがそれはわたしの仕事ではない、と私たちは考えがちだ。しかしそれは「誰だかがなにかをしなければならない、と言っていることに等しい。」p300

「ロバート・グディンが論じるには、不正義が存在していると多くのひとが認めながら、その問題に対処する任務を割り当てられたものが誰もいないといった状況は、まさに国家が行動するに相応しい状況である。」p301

しかしこれには二つの問題がある。ひとつは「国境をまたぐ構造的不正義に応えていない」p303)。

ふたつめは「正義を助長する国家の力の多くは、その努力に対する市民からの積極的な支援にかかっている」p305)という認識が欠けていることだ。

以上の4つ戦略によって、「構造上のプロセスの変革に積極的にならなくてもよい、そして、変革という目的のために共同行為を展開するにはいかに政治的に他者と関わっていくべきかを考えなくてもよい、そのような口実がアクターたちに与えられる。」p306

そんな口実を使う人たちを、不正義の是正に目覚めた人たちはしばしば非難しがちである。しかしヤングは、不正義への責任の放棄は「罪、非難、あるいは過失にはあたらない」(p306)と言っている。なぜならわたしたち一人ひとりのミクロな行為を、マクロな社会的プロセスに結びつけるのは、とても困難だからである。

「非難という実践はしばしば暗に、非難する者を非難される者よりも優位に置く働きをする。これが、非難することは権力への意志の行使だとニーチェが考えた理由だ。」p307)

私たちに責任はある。だがその解決に向かおうとしない人のことを非難してはいけない。批判することや説明責任を求めることと、非難することは区別すべきである。非難することは、「相手を支配したい」という欲求の現れだからである。

「北京時代」という五人組のアイドルとして、学園祭でデビューする夢。結成が決まって、ライブを一つ終えるところまで見た。笑顔をつくるのがうまくできなくて、アイドルは向いてないと思った。メンバーはシマダと一平さんで、他は覚えてない。

ある個人が自分の内界をその人なりに意識し把握したことと、内界そのものとを区別しなくてはならないだろう。それはわれわれが外界そのものと、外界を意識し認知していることを分けて考えるのと同様である。
(河合隼雄『物語とたましい』p144)

ちょっとね〜
失礼なんだ〜けど〜
・・・
どんなに〜
どんなに〜
待ってても〜
・・・
も〜の〜が〜た〜りは〜死なな〜い〜
・・・
E企画の〜・・・には〜
・・・
で〜き〜るか〜ぎ〜りの〜贅沢〜
・・・
などのフレーズが出てくる歌を、けっこうな大人数で、屋外で、しかも各自が方々に散った状態でマイクを持って録音しようとしている、という夢を見た。僕は「ちょっとね〜」から始まる部分を伴奏無しで、しかもなぜかここだけソロパートで歌うことになっていて、何度も何度も「ちょっとね〜」と歌い出すのだけど、どうしてもすぐに歌詞が分からなくなってしまって全然うまくいかない。あまりにも失敗が続くので橋本くんが呆れた様子で「次で最後だから」と言ってきて、僕も絶対に失敗しないぞと意気込んで挑んだのだが結局またすぐに歌詞がわからなくなってしまった。
起きてすぐに録音した。さだまさしみたいなメロディーの歌

涼ちゃんが10日ほど前に体調を崩し、朝から晩まで咳が止まらず、夜も咳のせいでろくに眠れないという日が続いていた。熱はないがとにかく咳が辛そうで、病院に通って六種類も薬をもらっていたし、私も喉に良さそうな料理をつくったり友人に薦められたものを自然派食品の店に買いに行ったり、あれこれやってみたが、なかなか症状は改善しなかった。これだけ長いあいだ、誰かが調子を崩している様子を間近で見るのは初めての経験で、心配だったのだけど、7日目くらいから、もしかしたら快方にむかいつつあるのかなという兆候がみられてきて、このまま快くなるといいなと思っていた。
そして昨晩、不思議な夢を見た。私は自分の家の寝室で横になっていた。隣で寝ていた涼ちゃんが「蛇がいる!」と、布団から飛び起きた。「蛇の匂いがする」と言う。見ると、涼ちゃんの枕元から茶色い蛇(ヤマカガシのような模様をしていた)がにゅるにゅると出てきた。蛇はいったん窓から外へ出ていったが、急に踵を返して窓に向かって突進してきた。窓はもう閉まっていたので攻撃は届かなかったが、蛇はすごい剣幕で、明らかに怒っていた。次に黒い鳥が飛んできて、こちらも攻撃的な様子で睨みつけてきた、というところで目が覚めた。
そして今日、涼ちゃんはだいぶ調子が良さそうだ。昨日まではほとんど空気みたいな声しか出せなかったが、今日ははっきりと声に音が伴っている。この夢の話をしたら、「もしかしたら、蛇は喉の不調をあらわしていたのかも」と言った。

渋谷公園通りギャラリーの撤収がひとまず終わった。 明日アトリエに荷物を降ろして車を田原さんの家まで返しに行き、ファントムに荷物を積めばひと段落。
昨日ダメ元でTwitterで「明日お手伝いできる方いませんか?」と呼びかけてみたら、酒井貴史さんが反応してくれて嬉しかったのだけど、そこで酒井さんがなにかの漫画の一コマ画像(「いるさ!ここにひとりな」というセリフ)を貼り付けていて、昔良かったころのTwitterの雰囲気を思い出した。突然、ここにいるよ! と誰かに呼ばれる感じ。

リモートミーティング中にスズメバチが部屋に入ってきた。あわてて一階に降りて虫網を持ってきて捕まえようと一度網を振るった瞬間、それまで室内を物色するように飛んでいたスズメバチが一直線に窓のほうへ飛んでいき、あっというまに外へ出ていった。まるで人間が、網を持ってくるまでは蜂に対して何もできないことを知っているかのような動きだった。

ランシエール「無知な教師」の、教師と生徒は意志対意志の関係であるべきだという普遍的教育の方法は、編集者と作家の関係に似ているかもしれない。編集者は作家より知識を持っていなくても締め切りを設定し、原稿を書かせることによって、作家をある意味で教育することができる。そこには意志のぶつかり合いがある。一冊の本という知性を通して。

爆撃によって焦げ茶色の骨盤と背骨だけになってしまった人間の「遺体」をSNSでみかけて以来、自分の中の、なにか大切なものが壊れてしまったような気がする。いまパレスチナで行われていることは、シオニストたちが、その土地に先だって住んでいたアラブの民を飢餓と爆撃で追い出し、自分のものにしようとしているという、とある土地で起きている個別の話であると同時に、これまでいくつもの戦争や差別を経験しつつも、私たちはすこしずつ良い方向に向かっているはずと信じてきた、世界をなんとか束ねてきた矜持のようなものを無に帰す行為で、つまりこれは私たちが守ってきたものへの攻撃で、私はいま攻撃されている。シリア危機が起きたときはあれほど心強く、ヒューマニティの最後の砦にさえ見えたドイツ政府がパレスチナに関しては完全に二枚舌になってしまっている。こんな、誰の目にも明らかに見える殺戮行為に対しても、世界は連帯できない。アメリカではトランプを支持する福音派の人たちは、エルサレムがユダヤのものになったらイエスが復活するというカルトを信じているという話も聞いた。本来は、イエスが降臨したら統一される、という順番なのだが、教義を変えてその順序を逆にしたという。いまやどこを見渡しても、私たちに共通する、よりよい世界に向けての指針のようなものがひとつもなくなってしまった。
これまでも、私たちが何も知らずに日々の商品やサービスを享受することによって、どこかの誰かを苦しめているかもしれないという、サプライチェーンの問題に関してはずっと感じていたことだったが、いまではそれに加えて、殺されるべきではない人が殺されているという、より重たい、鉛の塊のようなものがいつも、毎日何をしていても、洗濯をしていても、友人たちとファミレスで楽しく話していても、私の魂にのしかかるようになってしまった。世界が生きるにきつすぎる。私は私を守る

グミを書いにコンビニ入ったけど釣り用のワームばかり売っていてグミがぜんぜん置いてなくて諦めて車に戻る、という夢

お昼前、車で二人でコインランドリーに行って洗濯機に洗濯物を入れて、一度閉じたらなかなか開かない踏切を渡らないようにするため駅前の駐車場に車を止めて、でも車を止めた瞬間に踏切が開いた。涼ちゃんに「踏切、渡れたね」と言われ、「でもこれで踏切を渡りに行ってたら、未来は変わったかもしれないから」と返したら、「君はすごいね、普通の人はまず地図があって、その上でこうしようとかああすればよかったとか思うけど、君は地図が描きかわるからね」と言ってくれた。
車をわざわざ駐車場に停めたのは「見聞録」のつけ麺を食べるためだったのに、「見聞録」が開いてなくて「どうしよう」となり、一応落ち込んだ顔をして、日高屋にいこうかと言ったら涼ちゃんが「弁当を買って車で食べれば20分(駐車場料金1周分)で食べられるんじゃないか、ちょうど水ももってるし(コインランドリーで小銭を崩すために自販機で買った)」と言い、「パズルがつながっていく!」と僕は盛り上がったけど「そんなに繋がってない」と笑われ、弁当を買って車に戻って食べた。弁当を買って車に戻る途中「これで見聞録が開いてたらすごいね」「そうだね」「開いてたら嫌だから、見ないようにして車に戻ろう」という話もした。
弁当を食べながら、人生のほとんどのことは「作業」のフォルダにいれることができるという話をした。ご飯を食べること、寝ること、トイレや風呂など、下手したら映画を見たり居酒屋へ飲みに行ったり、美術館へ行くのも、ときには旅行すらも作業になってしまう。しかし「ギリシャへ行く」は作業ではない。台湾やインドネシアに行くのは、時として作業的な意味合いが出てしまうが(なぜだろう)、しかしギリシャに行く、というのは、なぜか作業という感じがしない、という話。なぜだろう。
しかし旅行も細かい作業の積み重ねと言える。そこで「旅行」を、「作業か作業でないか」という考え方で組み立てるという方法を提案する。ホテルを予約して、移動して、チェックインするまでは作業として、そこから晩ごはんをどうするかは現地で決める、とすれば、晩御飯だけは作業という魔物から逃れられる。晩ごはんまで前もって調べてしまうと、すべてが作業になってしまう。

学生の時に先生や先輩から「作家は食えるよ」と言われて、「ぜんぜん食えないじゃないか!」と後に怒り出すようなひとは論理的に存在しない。制作が人生にもたらす恩恵は、食えるか食えないという俗な基準を後ろに押しやる(はず)。制作を続けていればそんなことは問題にならなくなる(はず)。しかしこれは、やってみなければわからない。やってみなければわからないことを、やる前から教えることはできない。だから世の先生や先輩たちはみんな、作家は食えると言ったほうがいい。それは必ず、かつての想定を超える大きさでやってくる。

初めて内視鏡検査をした。口からカメラ、右手に酸素計、右腕には血圧計、左腕に点滴みたいな注射針、計3本の注射針が刺され、わずか30分でHPがゼロになった。涼ちゃんが一緒に来てくれて助かった

《村上勉強堂》報告書第十一号を発刊しました。
現在、現場作業(総武本線「日向駅」近くを手伝ってくれる方を探しています。特に4月18日ごろ〜25日と、29日からのゴールデンウィーク期間中は人手が必要になりそうで、来ていただけるとたいへん助かります。型枠に入れた土を突き固めて壁をつくる「版築」の作業を行う予定です。興味のある方はぜひ satoshimurakamiinfo(@)gmail.com までご一報ください。よろしくお願いします。
※テントがいくつかあるので、寝袋を持参いただければ泊まることもできます。ちょっとハードな環境ではありますが、楽しめる方はぜひ…。ちなみに山武市にはスリランカコミュニティがあり、おいしいビリヤニが食べられるハラルフードレストランが近くに3軒もあります。ビリヤニ好きの方もよければぜひ。

星のカービィみたいなギャグ漫画。何も考えずに読めるギャグ漫画が読みたいのかもしれないなあ、と駅のプラットホームで友達に話していた。そのとき僕は自分で書いたカービィの漫画を1冊の本にしたばかりだった。とても好評だった。それから突然イタリアの路上にいて、一緒に来ていた日本人のおじさんと歩いていて、おじさんはとても慣れている様子でずんずん住宅街を進んでいって、僕は後ろから早足でついて行った。おじさんは路上に落ちているドライバーとかインパクトのビットとか、様々なものを拾いながら歩いていた。道の向こうからこっちに進んでくる人がいて、突然手元のカセットコンポを空高くぶん投げた。それは道の上に落ちて壊れた。おじさんは後ろを歩く僕に、そのコンポには触らないようにして、と言った。 こうやって壊れたものを路上に投げ、気になってそれを触ってしまった人を捕まえて、濡れ衣を着せ、修理費をぼったくる詐欺師みたいな人がいるのかな、と思った、という夢。

父親、お礼を言うときに絶対「サンキュー」という。「ありがとう」という言葉を、そういえば聞いた記憶がない。

10時に六本木ヒルズ森タワーLLフロアのスターバックス前に集合、という約束を守るために8時前に起きて、とりあえずなにかお腹に入れておこうと昨日のカレーを火にかけた。冷蔵してあったご飯をレンジで温め、器に盛るとき、全部食べ切ってしまいたい気持ちと、さすがにそれは多いのではないかという気持ちがせめぎ合った。しかし時間は差し迫っていた。しばらく考えて、結局すべて器に盛ることにした。そこにカレーをかけて、かきこむように食べて、いそいで洗い物をして車に乗った。途中の道路は混んでいた。この混雑はある程度予想していて、早めの8時35分くらいに出発したのだけど、だんだん不安になってきた。ラジオの収録なので遅れることはできない。
1時間以上休まずに車を走らせた。途中大きく道を間違えることもなく、六本木ヒルズの建物内に突入した時点で9時53分だった。指定されたP2駐車場に入り、地下2、3階は満車だったので、4階までおりていった。あいているスペースを見つけ、車を停めた時点で9時57分。車を降りて「北エレベーター」に向かい、乗り込んだ時点で9時59分。これはもしかして、もしかするのかと気持ちが昂った。そしてチーンと音がなり、LLフロアでエレベータの扉が開いたとき、10時ジャストだった。私は間に合った。それも時間ぴったりに。世界が私を祝福してくれているような気持ちになった。フロアにはたくさん人がいたけれど、主役は私だった。まったく初めて通る道を1時間以上走り、電車でしか行ったことのない森タワーの駐車場に車を停め、時間ぴったりにフロアに到着。こんな奇跡はめったに起こるものではない。仮に1分でも早く着いていたら「間に合った〜」と感じただろう。ところが時間ぴったりに到着すると、不思議なことに「間に合った」ではなく「祝福されている」と感じる。途中、信号に一度でも多く引っかかっていたら、こうはならなかった。地下2階の駐車場に停めていたら、こうはならなかった。
他の人間にとってはとるにたらない、なんでもない出来事。自分ひとりだけが、自分にとってのみ、よかったと思える出来事。それだけが、世界からの祝福となる。君が一人になったそのときだけ、現れる世界がある。他人からみたときに、どうでもいいことほど大切。それを祝福と呼ぶ。

よかったこと。今日は、駅前の日高屋でラーメン食べたあと、会計中にトイレに行きたくなったのだけど、店を出てすぐに公衆トイレがあったのがよかった。

自分自身に触れるのが一番難しいし、本当のことを言うといつも涙ぐんでしまうが、やっていこう

喫茶店。隣の席で女性二人が「自分に好意がないのに好意を向けられるのって、すっごい疲れない? なんでか知らんけど」という話をしている