道端にしゃがみこんで、ものすごく困っている様子だったので、連れの友人たちとどこかに急いでいたにも関わらず、おばあちゃんに話しかけた。どうも、家のドアの鍵が閉まらなくて困っているらしい。そのドアがとんでもない代物で、地面の近くに小さな「つまみ」が、20個くらいついていて、ラジオのスイッチのように左右にカチカチとまわすことができる。この「つまみ」を正しく操作しないと、鍵が閉まらないということだった。これは、わからなくても無理もないと思った。
おばあちゃんはカスタマーサポートセンターみたいな窓口に電話をしながら格闘していたので、電話を引き継ぎ、指示を仰いだ。電話口の男は「つまみ」が光る順番を覚えてほしいと言う。ドアを閉めるとたしかに、「つまみ」が一つずつ光るようになっている。この順番の通りに「つまみ」を操作すると鍵が閉まるらしい。しかし20個くらいあるので、とうてい一人では覚えきれない。そこで居間みたいなところでくつろいでいる友人たちに協力を仰ぎ、それぞれが担当して順番を覚えるエリアを設定し、「つまみ」を回す操作をおこなった。何度かやったが、結局鍵はしまらなかった。最後、もう時間なので行かなければならないというときになって、おばあちゃんははじめて感謝の言葉を述べた。札のお金を二枚、大きな落とし玉袋に入れて渡そうとしてきた。ぼくは「結局鍵は閉められなかったので」と断ろうとしたが、なぜかその場が感動的なムードに包まれていたので、受け取った。おばあちゃんはいつのまにか小さな子供になって泣いていた、という夢。

アトリエに向かう道中にある枝垂れ桜。昨日ちょうど「咲いたねえ」という話をしたばかりだったのに、根こそぎ切られており、呆然とした。業者のお兄さん二人がせっせと作業をしていた。たぶん、苦情が入ったんだろう、と思う。交差点の見通しが悪いとかなんとか。苦情を入れるなら、自分で切るところまでやってほしい、と内田さん。もっともである。せめて自分で伐採し、汗をかいて、木端を頭から被る経験をしてほしい。なんだか街が街じゃなくなっていくようだ。樹を切るということは、街を街じゃなくしていくということである。やはり、土地を所有しないとだめだと思った。こちらが所有しないと、押し返されてしまう。対抗できない。
どうも年々、公園やら街路樹やらの、木の切り方が雑になっているような気がして、こわい。気のせいならいいのだけど、昔はもうすこし、木のことを考えて剪定をしていたような。いま、街を歩いていて目につくのは、バツンバツンと太い枝を途中で切り落とされた、不憫で不恰好なものばかりである。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺にもなっている桜の木も、そこら中で切られている。

夕方、オペラシティアートギャラリーで泉太郎「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.」を観てきた。入場前にマントを着せられた上での、囁き声のイントロダクションは、聞いていてわくわくした。ジャングルクルーズに入るときみたいで、これから美術館という「再々々野生化された」場所に入っていくから、「マントを着て壁に溶け込んでください」とか、なにやらいろいろと気をつけてください、と忠告され、冒険の始まりのような予感がした。だが、その入り口の壁の向こうで肩透かしをくらう。「空間が歯抜けしすぎでは?」と思った。ただし石膏ボードの仮設壁が倒れていたり、天井のプロジェクターや壁のモニターが全部床に落ちていたりして、展覧会の失敗した感じというか、そのこと自体を扱っている、とも思えなくもない。カタルシスの回避というか。それでも、僕はこの設営が展示オープンぎりぎりまでかかったこと、なんなら「間に合わなかった」との噂も聞いていたので、「単に間に合わなかった」「会場に散りばめられたピースが、本人が事前に想定していた完成度まで到達しなかった」という可能性を考えてしまい、ちょっと入り込めないところもあった。後半、マントがテントに変わって「座り込み」をする流れ面白いな〜とは思ったけれど、正直なところ全体的に、来場者にマントを着せるのもふくめて、「そういうの、もういらんなあ」と思ってしまった。時間がなかったのか、あるいは時間がなくなったことも含めて展示に落とし込んでいるのか、ここまでわからない展覧会も久々だったので、逆にすがすがしい感慨もある。泉さん自身はすごく面白い人なんだろうな、という後味が残っている。

大勢がうちに遊びに来ている。その中にいた井上花月さんと知り合って、ちょっと話そうよと話しかけてくれて、喋ったり、レコードにサインをもらったり、ピンクと水色のパーカーをもらったりした。花月さんは「あつくない?」と言って、二つの灯油ストーブを勝手につけていた。

昔あるところに、夜な夜な民家に現れては、あらゆる結び目を人外の力で締めあげ、ほどけなくしてしまう妖怪がいました。その仕事は非常に丁寧で、とにかく結び目っぽいものはぜんぶ被害にあいました。
翌朝出すつもりで玄関先に置いておいたゴミ袋の口などは、やられても大した問題になりませんでしたが、お弁当を包んだ風呂敷などは、ハサミで風呂敷ごと切らなければ昼御飯にありつけませんでしたし、米袋やコーヒー袋の結び目がやられると、その袋はもう使い物になりませんでしたし、軽く結んで上着のポケットに入れたイヤフォンのコードなんぞは、内部で断線してしまいました。
一番厄介なのは、靴でした。妖怪は玄関に出された靴のみならず、靴箱の中のすべての靴ひもを締めあげてしまいましたので、出かける時にみんなが困りました。被害にあった結び目は強力で、人の力ではほどけません。そこで専門家が必要とされました。専用の工具を持ち、通報から五分以内にかけつけてくれる、結び目ほどきのプロ集団です。
筋骨隆々の彼らは多くの場合、二人一組で仕事にあたりました。一人が靴を押さえ、小さな鉄板を結び目の下にすべりこませると、もう一人が合金でできた針のような工具を結び目にあて、ハンマーで叩いて差し込み、すこしずつ緩ませて、最後には二人で一丸となってテコの力を利用し、一つあたり十五分ほどかけて結び目をほどいていきました。
十五分という時間が、本物のプロかそうでないかを分ける境目とされました。プロになるためには少なくとも二年間の筋トレと修行が必要とされ、専門家を養成する学校も各地に設立されました。腕に自信のある者たちは副業としてこの資格を取得し、近所で通報があれば周辺の専門家とペアを組んで現場に出向きました。
たった十五分と思われるかもしれませんが、人々は忙しく、いつも時間に追われていました。結び目が被害にあったときの時間的損失を補償する保険会社もありました。この妖怪に対する社会的な危機感は、それだけ大きかったのです。
ある日、都内の民家から通報を受け、ベテラン専門家の二人が現場にかけつけました。二人は結び目を見るなり、驚きました。それは、これまでにほどいてきたどんな結び目よりもきつく、しかも複雑に結びなおされていたのです。それまでは、すでにある結び目をかたく締めあげていくだけだった妖怪が、専門家が増えつつあった社会の変化に対応し、新しい攻撃を仕掛けてきたことの証左でした。
二人の専門家は家主に、我々だけでは太刀打ちできない旨を伝え、協会に援護を要請しました。協会は「兵吉さん」という、当時最強と言われた専門家の指示のもとに、力士と、指物師と、プログラマーを含めたチームを民家に派遣しました。
やがて民家には六人のチームが集結しました。どこからか騒ぎを聞きつけたテレビ局と野次馬も押し寄せてきましたので、警察は非常線を張り、あたりは物々しい雰囲気に包まれていました。
作戦はまず指物師が結び目を見聞するところから始まりました。複雑怪奇なその構造を丁寧に分析し、スケッチにおこしていきます。現場の様子は全国に生中継され、画面越しに大勢が見守っていましたが、その人智を超えた結び目に、誰もがため息を漏らしました。指物師などはスケッチをおこしながら、感動で涙をこらえきれないほどでした。
スケッチをもとにプログラマーがCGを作成し、六人でタブレットを囲みながら、結び目をほどく手順を考えていきました。作戦開始からここまでで二時間が経過し、生中継の視聴率は50%を突破していました。ほとんどのテレビ局が緊急特集を組み、野球中継や料理番組を中断して、現場の様子を伝えました。スタジオでは議論が行われました。「これほどの結び目は、後世のために保存したほうがいい」とするタレントの発言が波紋を呼び、SNSで「#結び目をほどくな」がトレンドになりました。その勢いに乗じて「ここで結び目を保存できないようでは、公文書を残せない行政の体質は変わらない」と野党の政治家が発信し、いっとき支持を集めましたが、「結び目の情報が敵国の産業に利用される可能性を排除できない」と与党の政治家が反対し、SNSは紛糾しました。やがて「今後同じ被害があった時の対策を考えるためにも、結び目はほどくべきである」という意見が現れ、人々もおおむね同意しました。「#結び目をほどくな」というトレンドは下火になり、「#がんばれ六人組」がトレンドになりました。
場外のすったもんだとは対照的に、現場では緊張した空気が流れていました。いよいよ結び目をほどく工程に入っていたのです。兵吉さんの指示のもと、力士が靴を押さえこみ、専門家がそれぞれの道具を駆使して作業をおこなっていました。まるで外科手術のような連携がなされ、結び目は少しずつ紐解かれていきました。
兵吉さんの道具には独自の改良が至る所になされており、長年の経験がそのまま結晶化したような代物でした。最初に通報を受けた二人の専門家は、そのひとつひとつに驚き、感嘆の声を漏らしました。プログラマーは専門家たちの作業と同時進行で、ほどき方のアルゴリズムを組み、指物師は結び目がほどかれていくのを見るに耐えられず、部屋の隅で涙を流していました。
途中三十分のお昼休憩を挟み、作業は六時間に及びました。複雑に編まれた迷宮のような結び目を、アルゴリズムも参考にしながら、兵吉さんと二人の専門家がひとつひとつほどいていき、いよいよゴールが見えてきたその時、それまでとは違う結び目が現れました。プログラマーと専門家は頭を抱えました。「ここまでは305通りの結び方のどれかにあてはまっていたんですが、これはまったく新しいパターンです。対処方法がわかりません」プログラマーが言いました。チームの間に重たい空気が流れ、部屋には指物師の嗚咽が響いていました。
しばしの沈黙ののち、ふと、汗だくになって靴を押さえていた力士が、ぼそりと言いました。「もしかしたら、まわしの締め方に似ているかもしれません」兵吉さんはハッとして「まわしをここで締めてみてもらえますか」と力士に頼みました。
家主が着物の帯を持ってきて、力士がその場でまわしを締める手順を説明しました。プログラマーと専門家たちは驚きました。問題の結び目と、実に多くの類似点があったのです。「これでいける」全員が、そう確信しました。
そして、ついにその瞬間が訪れました。最後の結び目がするりとほどかれ、一瞬の沈黙ののち、「終わりました」と兵吉さんがつぶやくと、現場は割れんばかりの喝采に包まれました。プログラマーはパソコンを投げ捨て、何度も万歳をしました。作業にあたった六人の顔は汗と涙にまみれてぐしゃぐしゃになっており、この数時間で十年分くらい老け込んでいました。指物師はいつまでも、悲哀と歓喜が入り混じった泣き声と嗚咽がとまりませんでした。力士はその場で倒れてしまい、歓声に笑顔で答えながら、救急車で運ばれていきました。
二人の専門家は口を揃えて「あなたと仕事ができたことは、一生忘れません」と、兵吉さんにお礼を言いました。兵吉さんは軽く会釈をして、引き止めようとするカメラを振り切って、家に帰っていきました。

やがて時が経ち、人々の生活も変わりました。風呂敷を使う人はいなくなり、米袋は機械式の米びつに、コーヒー袋はジップロックに、イヤフォンは無線式になりました。人々が結び目を作らなくなるにつれて、妖怪も姿を消していきました。

 

という話を考えた。長らく放置していたビニール袋の結び目が、信じられないほどかたくて、解くのに苦労した日だった。

「パースペクティブのない風景、というものをイメージすることができない」

この意味を考えること。記憶や歴史、記録などには絶対に主観性がついてまわる。絶対に

昔働いてたバーとアイリッシュパブを合わせたような店で再びバイトを始める夢。何故か高校のテニス部仲間の井上くんもそこで、しかも長く働いている。途中、超金持ちみたいな、店の上層部みたいな人たちが店の視察から帰るシーンがあり、従業員みんなで2列になって、その間を通ってもらって、見送った。

3〜4年ぶりに健康診断を受けてみた。三鷹市が若年健康診査というのをやっているので、無料で。診療室に入ると看護士がへそまわりの腹囲を計測、その後仰向けになり、胸とお腹と両手首と足首に電極を10個くらいつけて心電図計測、採尿コップを受け取りトイレへ。待合室に戻るとすぐに呼び出され、体重と身長を同時に測定。機械に乗ると、頭の上からバーが自動で降りてくる。それから採血三本。「これまで採血で気分わるくなったことないますか?」「ほぼないです」「ほぼ?」「ちょっとふらついたことはあります」「ソファでもできますが?」「いや、ここで大丈夫です」注射器が刺される。何度やっても慣れない。痛みそのものは大したことないんだけど、針が刺さっているという状態が精神にダメージを与えてくる。三本の採血を数十秒で終え、針が抜かれる。ふう、とため息をついて目を瞑っていたら、看護士から「大丈夫ですか?」「大丈夫です」心配そうな看護士が三人くらい集まってくる。大ごとになってしまった。「五分くらい、そこのソファでおやすみになったほうがいいと思います」「じゃあ、そうします」採血椅子から立ち上がる「ふらつかないですか?」「大丈夫です」ソファに通され、仕切りのカーテンを閉められる。目を瞑って、休む。小さな試験管みたいな容器にしてたった三本、血が抜かれただけで調子を崩してしまうんだったら、動脈が切れたりしたら本当に大変なんだろう、すぐに死んでしまうだろうな、などということを考えた。カーテンが開けられる「大丈夫ですか?」「はい」僕は何回「大丈夫です」と言ったのだろう。「では待合室でお待ちください」待合室に戻り、本を開いて5分もしないうちに会計。次は結果の説明があるので、二週間後に来てくださいと言われる。

・空中歩道のようなところを友人達と雑談しながら歩いており、ある家の上空に差し掛かったとき、普段は特に何も言わず上を通らせてくれる大家のおじさんが下で怖い笑みを浮かべながらボールを持っており、お前たちが落としたんだろうと言わんばかりにそれを指差し、歩道の上に投げ入れようとするも、私達は「そんなの知らない」と言って受け取らなかった。おじさんは塀の上に懸垂でのぼり、そこから腕を伸ばして、歩道の上にいる友人の足を掴もうとしてきたところで、恐ろしくて目が覚めた。

・夜、大きな交差点を複数人で裸足で歩く場面

・ビニール紐みたいなもので人間に手綱を握られている、熊みたいにでかい黒い犬がめちゃくちゃに吠えまくってくるその目の前を横切って階段を降りなければいけない場面

・暮らしの中で黙々と行う作業について、コーヒー豆を手で挽く作業は楽しいと感じる人が多いが、味噌を溶くのはめんどくさい派と楽しい派にわかれる。

・「名刺」と「名詞」、「同士」と「動詞」。「動詞の名刺」かつ「同士へ送る名刺」を作る

・メモアプリやGmailやTwitterの未送信ツイートなど、「下書き」に香り立つ下書き性

・(第三者にとって)味がわからない料理ほど「家庭の味」になっていく。わかりやすいおいしさに向かわないから

退屈で死にそうだった五歳の女の子がロックンロールに救われる、あの名曲を聴きながら、踊るみたいにして歩いてたら、緑色の制服を着た配達員が、携帯電話を首に挟んでなにか仕事の話をしながら「東京オリンピックをみんなで成功させよう」と書かれたキャリーを早足で押していた。オリンピックなんてとっくに終わっているのに、そのロゴが入ったキャリーを新しいものに交換するのを後回しにしているのか? と思った。もしそうだとしたら、悲しいほどの余裕のなさ。時間に追われながら、社名の入った制服を着て、オリンピックという名前まで背負わされて、立ち止まっての電話すらやる時間もないままに、頼まれた荷物を運ぶ。重すぎる。荷重オーバーではないか。ひとりの人間が背負う量ではない。
偶然目についた、『ララランド』と『花束』を、「努力と競争のアメリカ」と「ぬるま湯の日本」における男女の関係という対比で語っているツイートのことが思い出される。アメリカと日本で括っている時点で古いし、『花束』は良い作品だとは思わないが、リアリティには人それぞれに固有の切実さがあるので、比べることなんてできない。もう、一人の人間がスターになるような時代ではないし、アメリカのエンタメ界のような、苛烈な競争と努力の世界が標準だとは思わないし、そもそもいまの日本がぬるま湯だとも思わない。何者かになりたい、という欲望は多くの人が持っているとして、「努力」をしない人間のことを悪く言う前に、この配達員に背負わされた荷物のことを考えるべきではないか。努力ができる体制を、全員が整えられるわけではない。

『「擬娩」とは、妻の出産前後にその夫が妊娠にまつわる行為を模倣し、時には出産の痛みさえ感じているかのようにふるまうという習俗。この、あまりに奇妙で、あまりに演劇的な習俗に倣って、妊娠・出産を経験していない俳優たちが、妊娠・出産を愚直にシミュレートする』

駒場アゴラ劇場で、したための『擬娩』を観てきた。くらった。笑えるけど痛い。舞台を横切るワイヤーが不穏で最高。哺乳類、無理がある。すべての男の体の持ち主に観てほしいと思った。

9時39分

高速のパーキングエリアで携帯をいじってたらWi-Fiがぽんと繋がって、highway bus wifiと表示されて、本線の方を見たら高速バスが通りすぎているところで、やがて行ってしまうとWi-Fiも切れた

17時59分

露天風呂で「これが好きってことなのかなあ」と聞こえてきたので思わず聞き耳を立ててしまった。話し相手の男は「あー」と生返事をしている。「最近、好きになったみたいなことあります?」「おれ、あんま好きになることないんだよね。仕事も忙しいし。好きだったら優先すると思うんだけど…」。悩ましい男たち。仕事が忙しいと、きっと誰かを好きになる暇もないよな。これが好きってことなのかなあ、という、自らの心に対する疑問が湧いてくるというのは、いったいどういうことなのか。
心になにか新しい「感じ」がやってくる。これまでに経験したことがない「感じ」だ。過去に見た映画、聞いた音楽、読んだ本や漫画、ドラマなどの参照項から「おそらくこれが『好き』という感情なのだろう」という分析をする。人間は他の人間になることはできない。だから長い歴史のなかで、文化を通して、相互に共有・確認されてきた。そんな「好き」という感情が、一人の人間の胸に去来した。僕は歴史の動脈を垣間見たのである。
人に会ったり好きになったりすることは事故のようなものだ。心は人の支配下にはない。それは体の中と外を行き来しながら周囲を漂っている。それは常にまわりの様子を伺っていて、ふとしたきっかけで突然、感動として襲ってきたりする。何かを見つけては吠え立てて、主人を不安にさせたり歓喜させたりする。しつけがされていない犬みたいだ。

韓国現代戯曲リーディング公演『青々とした日に』面白くてびっくり。リーディング公演というものを初めてみたのだけど、観客が物語に入っていけるように、魔法が解けないように、という気迫を感じた。戯曲自体に力があって(思わず戯曲集買ってしまった)、物語にはもちろん引きこまれて、韓国における兄弟愛の重要度とか、自己犠牲の美学とか、他にもセリフ全体から異文化を感じてそれも面白いなあというのはもちろん、観客がそこに入り込めるように(役者が台本を手に持ったまま話していようが)、高い精度でバランスが保たれている感じがして、もはや「リーディング公演だからよかったのではないか」と思った。ときどき演劇は見るけど、演じるとはなにかとか、言葉を発するとはなにか、ということを、リーディング公演だからこそ考えられることもあるんだなあと。不思議な時空間だった。役者の皆さんも最高。

久々に朝のラッシュ時の電車に乗り、隣の人が携帯電話をいじっている画面が目に入ってしまい、これはいくらなんでも忙しなさすぎるのではないかと思った。LINEを開いて何か言葉を知人に送ったかと思えば数秒後にはインスタグラムを開いており、短い動画を一秒に一個くらいの頻度で見て、見終えると今度はすぐさまYoutubeを開き、動画を次々とスワイプして物色し…という動作をものすごい速度で行う親指が忙しそうである。

右手人差し指の先にトゲが刺さっているような感触がある。見ると小さな緑色の頭が顔を出していた。毛抜きで抜くと、それはカマキリの足だった。足が一本まるまる、指に刺さっていた。

ながいあいだ宇宙船が人間の「種」を探しながら宇宙空間を漂い続けていて、ときどき石や植物の種に遭遇したら、その中の物質を取り出し、宇宙船が格納している卵のようなものに入れてみる、ということを繰り返している。このプロセスはすべて自動化されている。いわば人工授精のようなものなのだが、成功率は高くない。しかしこれを何万回か繰り返せば、確率論的にこのくらいの期間に一度は成功するはずだ、と宇宙船の中で誰かに説明される夢。

 

早稲田大学の文学部や文化構想学部の学生たちと話す機会があった。彼らは一人の中で、パーティーピーポー感と根暗感が同居しており、希望である。

10時55分

昨年行った中村一義のライブの冒頭、中村さんが「犬と猫」を歌いはじめたとき、僕からすこし離れたところにいるおじさん二人の、「変わらないねえ」「そうだねえ」という、心底嬉しそうな声が聞こえてきて、それがずっと残っている。中村一義は僕よりも上の世代なので、デビュー時はとても話題になったようだけど、リアルタイムでは聞けなくて、ソロ活動をひと段落させた頃に中村さんが組んだバンドの「100s」の二枚目のアルバムが出た頃に僕は知った。そんな中村さんが体調を壊し、酒を絶ち、しばらく体を休めて、苦しい期間を経て、ソロデビュー時の歌を久々に人前で歌うところを、中村一義よりももっと上の世代のおじさん達が、「変わらないねえ」と話している声が、いま34歳の僕に聞こえてくる、あの幸福な時空間が。

15時50分

暗証番号入力を間違えすぎてしまい、無効になったキャッシュカードを再発行すべく、某銀行の窓口に来た。新宿のど真ん中にあるその店舗は、広々とした、床と天井しかないような空間だった。広さと金にここまで強い結びつきを感じるのも珍しい。モノがない、余白のある空間。なんだか「未来だ」と思った。奥の方にいくつかのブースがあり、中央と手前にはサークル状の巨大なソファや椅子が並んでいるだけ。天井からは二台ほどモニターがぶら下がっている。ほとんどのものが白もしくは薄いグレーに統一されている。エレベーターを出てすぐのぽつんとした受付に立っていた男性銀行員に要件を伝え、小さな紙をもらい、そこに書かれた番号が呼ばれるまで本を開いた。やがて自分の番が来たので立ち上がり、荷物をまとめていたら、担当の女性銀行員がわざわざ僕が座っているソファの近くまで来てくれ、「お待たせいたしました」と頭を下げた。胸くらいまでの仕切りに囲われたブースに入ると「こちらに荷物を置いていただいて、奥におかけください」と促された。事情を説明すると銀行員は「ではカードの再発行手続きになりますね。郵送で1,2週間ほどかかりますが、よろしいでしょうか」と言うので、大丈夫ですと答えた。「顔写真のある身分証明書はお持ちですか」持っています。僕は運転免許証を渡した。銀行員は「正しい暗証番号のほうも、一緒にお調べいたしますか?」と聞いた。一応、これかなぁっていう番号はあるんですけど…ともじもじしている僕に銀行員は、極めて優しい口調で「では、こちら二枚の書類にご記入いただくかたちになるんですが」と、A4サイズ2枚の紙を差し出した。僕は名前やら住所やら電話番号やらを記入し、印鑑を二ヶ所に押した。押印後銀行員は、印鑑の先端を拭くための小さな紙を渡してくれ、拭き取ったあとの紙を手で掴んで捨てるところまでやってくれる。一度書類の記入を間違えてしまい、訂正印を押したときも銀行員は紙を渡してくれ、その時は拭きとった後の紙を「ゴミはこちらにお願いします」と丸いプラスチックトレーを差し出してくれた。そこに丸めた紙を置くと、青い海に白い孤島が浮かんでいるみたいだった。銀行員はすぐにそれを手で掴み、ゴミ箱に入れた。銀行員はパソコンに何かを入力したり、脇の機械に僕が書いた書類を差し込んだりしたあと「少々お待ちください」と席を立ち、奥に消えていった。
僕は机の上にある「生命保険について説明いたします」と書かれたチラシを眺めながら待っていた。1、2分ほど経つと、今度は男性の銀行員が、印刷面が隠れる形でやさしく折られたA4の紙を持って僕のブースにやって来た。男性銀行員は、手に持った紙をちらと確認してから「村上さま」と言った。はい、と僕が言うと「キャッシュカードの暗証番号…、こちらの番号になります」と、僕に向けて紙を広げた。紙には小さな黄色い付箋が貼られていて、そこに手書きで四桁の暗証番号が書かれていた。まさか、このあらゆる装飾が排除された未来的な空間のなかで、手書きされた数字を見せるという形で暗証番号を教えられるとは予想していなかったので、瞬間的に笑ってしまった。ああ、はい! ありがとうございます! 男性は頭を下げ、紙を再び半分に折り、奥に消えていった。

朝、顔を洗ってすぐにみかんを20個ほど絞り、ジュースに。朝食に一昨日作ったスコーン、かぼちゃスープ。スコーンにはくるみバターとさつまいもバターとマーガリン。食後Uと車でオートバックスに行き、雪道用のチェーンを買う。スタッドレスタイヤに変えてあるが、一応。それからワークマンとトレジャーファクトリーにいき、トレジャーファクトリーでズボンを買う。アトリエに行き、隣の家からもらった棚と回転椅子を雑巾で拭く。アトリエには誰も来ていなかった。Uと別れ、勉強堂報告書の最後の部分を書く。それから最初に遡って2回ほど書き直し、メーリングリストに送信予約。21時に送信されるように。3日ほど前に作っていた豆と胡麻のトマトカレーを温めて、即席味噌汁と一緒にビデオニュース・ドットコムの漁業を特集した番組を見ながら食べる。寺田倉庫のアートアワード応募のために書類を作り始めるも、名前とフリガナを書いた時点でやる気が途切れ、トートバッグに『生成と消滅の精神史』だけを入れて神保町へ向かう。電車の中で読む。面白すぎる。いまはカントの章を読んでいるがデカルト→パスカルの章が最高だった。全体を通して、まるでひとり波の音をずうっと聞いている貝殻のような、書き手の時間が流れ込んでくるようだ。世間との距離を取りながら深く潜り、自らという個物を癒やしながら世界を俯瞰する時間。読書はこれだから面白い。神保町で友人が経営する喫茶店に寄る。小一時間ほどダベリ、パートナーとも初対面できた。今度家でパーティーをするという。意外にパーティーが好きらしい。集めておいてもらったあるブツを袋に入れ、なかなか重くなったトートバッグを担いでPARAへ。ベケット原作、額田さん演出、矢野くん主演の『いざ最悪の方へ』を観る。ベケットのテキストの強さと、額田さんの音楽みたいな演出の巧みさと、矢野くんのヤバさが同時に襲いかかってくる。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を聞いているような体験だった。80分。矢野くんが演説調、ライブ調、モノローグ調で発語し、一人部屋で歌ったり体操したりしてるような雰囲気にもなる。オペラのよう。壁に投影されたベケットのテキストに、矢野くんが文字通り向き合う。正気を保つため、それを声に出して言う。歌う。叫ぶ。呟く。戯曲を観客に黙読させる時間まである。矢野くんが投影されたテキストを、あぁ、あぁ、みたいに空返事しながら眺める。時々テキストに反論するような雰囲気を醸し出したり、疑問を提示しているような仕草をする。だが同時にそれを発語もする。壁のテキストを目で見るとき、それはそこにある。声に出すと矢野さんのものになる。のか? いや、ならない。限りなくならない。黙読するとき、豊かな時間が、読書はいつもやってることなのに、劇中だと「一人で読む」という贅沢さを再確認できる。額田さんは、これを演出できて、楽しいだろうなと思った。羨ましい。アフタートーク。額田さんの話。なぜ音楽から演劇に? という話題に。音楽家は、歌や音のために体がある。寝ながら歌ってくださいとか言えない。だが演劇は先に体がある。それがよいとのこと。終演後、「学びのないゼミ」のゼミ生Hさんがいたので、その知人の(PARAの別のゼミ生の)Nさんと一緒に居酒屋へ行き、軽く飲むことになったが、その道中で「未来へ号」とはちあう。一郎さんと軽く喋る。ちょうどメールをしていたので「もってるなあ〜〜、お互い」と言っていた。飲み会、Hさんは仕事の合宿、講座の課題、それと映画を観るのに忙しそうだ。Nさんからは、落石の物理演算の話を聞く。大学で落石のリスク計算を専門にやっていたが、それが道路という現場に反映されることはほぼないという。道路の落石防止坂は、その土地の自治体が、過去に落石のあった場所や落石がありそうなところを目視して設置するので、科学が入り込む余地がないという。飲み会を終え、終電の一つ前の電車で帰宅。帰りも本を読む。が、酒が入っているのと周囲が飲み会帰りの若者たちで騒がしく、同じ文を何度も行き来してしまう。車内、マスクをしていない人が増えてきた。夜遅い電車はマスクをしていない人が増えているなあとは思っていたが、今日はとても多かった。雰囲気が変わってきている。

道路面と見分けがつかないほど汚れたトートバッグが落ちていて、一応拾っておくか、みたいな軽い気持ちで拾ったら、その持ち主がイーロン・マスクで、どうやって彼のもとに知らせたのかは覚えていないが、それはささやかに大事な資料だったらしい。喫茶店の喫煙室みたいなところで彼に、その袋に入っていたもののなかから一枚の紙を返した。その紙は、小学校で配られるような大きな文字とイラストが描かれた資料だった。中身は覚えていない。彼のスタッフ(SP?)もそこにいたし、みんな日本語を話していた(イーロン・マスクも日本語が上手だった)。スタッフの男がタブレットのようなものを出し、イーロン・マスクが何か入力した。スタッフは僕に「この残りの資料に鍵をかけ、適切に処分すればあなたに5000万円を振り込む」と言った。僕は思わずイーロン・マスクに「リアリィ?」と言った。彼らは去り、僕は「鍵をかけるってなんだ?」とあれこれ考え、その具体的な方法を聞き忘れたことに気が付き、慌てて彼らを追いかけたが、途中で知り合いに声をかけられ話しているうちに見失ってしまった。僕は一応、携帯で口座の残高を確認してみた。するときっちりと5000万円が振り込まれている。大変なことが起きた、これだけあれば借金をしなくても、いま値段交渉中の中古物件を買うことができると、飛び回って喜びたい気持ちになり、しかしこれを人に悟られるとまずいと、平静を装いつつ、道でUに電話をかけた。いまから話すことはすべて事実だから、心して聞いてほしい、という話の切り出し方まで考えたのだが、電話に出たのは何故か宇多丸さんだった。アトロクの放送中で、Uがゲストで出ているらしかった。「これは、イーロン・マスクですよ」僕は何もいっていないのに、宇多丸さんがそう言った。電話をかける直前、イーロン・マスクの話をしていたらしい。電話を切り、見覚えのない家(親族が持っているけど今は使ってない家のようだった)に入った。何度も口座残高を確認して、これは夢なんじゃないかと思った。しかし見破れなかった。夢の中で、これは夢ではないと、2回ほど結論した。ちょうどまとまったお金が必要なことが、夢か現実かの判断を鈍らせたものと思われる。起きたときは、ああやはり夢か…と、正直かなり落ち込み、しばらくはこの夢日記を書く気にもならなかった。

大町。あさいしんじくんのアトリエに泊まらせてもらった。一部屋、暖かいところをつくってくれたのだけど、窓に彼の大きな絵が打ちつけられ、断熱してある。絵が断熱材になっている。私たちは特に考えなしに「絵の力」と言ったりするが、これこそが真の「絵の力」ではないか。素晴らしい。

知人からコロナ禍の初期に、近所で東京に出入りしているという話をしていたら、隣の人が引っ越してしまい、たいへんなショックを受けたという話を聞いた。

節分の日。子供の頃、散らかしちゃだめと言われていた家の中に、この日だけは落花生を巻きまくることが良いこととされた、ハレとケが反転する感じが楽しかったことを思い出す。

00時28分/育毛に関する無自覚な連帯

あまり知らないメーカーが出している、育毛に効くというスカルプシャンプーをここ一年ほど使っているのだけど、毛が生えることによってではなく、洗ったあとの頭髪がわさわさと波打ったりぱらぱらと乾いてばらけることによって頭皮が目立たなくなっている。リンスを使う必要がありません、と裏面に書いてあるのも、リンスを使われたらこのぱさぱさ感がなくなってつやつやになって毛の一本一本がまっすぐになって頭皮が目立ってしまうからではないか、ということが疑われる。このような頭髪の状態では毛が生えているのかどうかもわからんまま、なんか全体にボリュームが増してるような気がする、という一点のみで使い続けている。みんなこれに薄々気がついて、なんだよ詐欺じゃねえかと思いながらも、まあボリューム感は出てるからいいか、となし崩し的に使っているんじゃないか。そしてメーカーの方も、そこまでの心の展開を読んだうえで、でも正直に書くのはアレなので、育毛効果あります的なものとして売り出しているのではないか。これでは誰が悪いとか言えない。

10時19分

朝は新書や思想書、夜はエッセイや小説が読みやすいことがわかってきた

11時34分

「新宿三丁目東」信号機に書かれた地名は、地図上に示される情報としての地点と、現実の空間としての場所が交差する。

 

23時45分/服従について

ミルグラムの服従の心理という本を読み始めたのだけど、冒頭で、服従は日常にありふれているので研究の対象にはなりにくいかもしれないと前置きしたあとで、服従の本質は「自分の手で遂行した物事の責任が自分ではないものにあると思うこと」と書いてある。自分はやってくれと言われたからやっただけで、その責任は自分にはない、命令してきたものにあると、いわば楽なほうへ逃げる形だ。
「この責任は自分にはない」と思うことは心地がよい。幼いときに算数を習う。この計算さえ解いていれば、自分という存在を肯定してくれる人がいる。だから従っていればよい。とても気持ちがよいことだ。
算数ならなんの問題もないが、人に痛みを与えることを強いられたり、わかりやすく目に見える「痛み」がここになくても、どこかで誰かが痛みを被っているんじゃないかと疑える物事をやれと命令されたとき、はたして権威に反抗できるだろうか。服従は日常にありふれている。どこか遠い国で不等な賃金で働かされている子供の存在を感じながら、安い服を買ってしまうこと。これを買うのは自分の責任ではない。みんな買っているし、安く売っているのだから、悪いのは私ではなく、売っている側である、と思うこと。また、違和感を感じつつも、自分が務めている会社の命令に従うこともそうだろう。抗うのは難しい。服従に従わないことは、自分が関係を持っている権威との決別を意味する。服を買うとき、会社で仕事をしているとき、あらゆる場面で、反抗と服従が天秤にかけられ、ほとんどの場合僕たちは服従を選ぶ。反抗することは一人になることなので、仲間と別れることになるかもしれないし、その責任もすべて自分にのしかかる。であれば、多少良心を曲げても服従を選ぶというのは、関係性のなかで生きている以上は仕方のないことだ。
やっぱりランシエールが思い出される。服従とは不平等を受け入れることである。僕たちは、自分たちのことを、平等ではないと考えるほうが楽なのだ。責任を回避できるし、なにかあっても言い訳できる。自分の意志ではないと。