道路面と見分けがつかないほど汚れたトートバッグが落ちていて、一応拾っておくか、みたいな軽い気持ちで拾ったら、その持ち主がイーロン・マスクで、どうやって彼のもとに知らせたのかは覚えていないが、それはささやかに大事な資料だったらしい。喫茶店の喫煙室みたいなところで彼に、その袋に入っていたもののなかから一枚の紙を返した。その紙は、小学校で配られるような大きな文字とイラストが描かれた資料だった。中身は覚えていない。彼のスタッフ(SP?)もそこにいたし、みんな日本語を話していた(イーロン・マスクも日本語が上手だった)。スタッフの男がタブレットのようなものを出し、イーロン・マスクが何か入力した。スタッフは僕に「この残りの資料に鍵をかけ、適切に処分すればあなたに5000万円を振り込む」と言った。僕は思わずイーロン・マスクに「リアリィ?」と言った。彼らは去り、僕は「鍵をかけるってなんだ?」とあれこれ考え、その具体的な方法を聞き忘れたことに気が付き、慌てて彼らを追いかけたが、途中で知り合いに声をかけられ話しているうちに見失ってしまった。僕は一応、携帯で口座の残高を確認してみた。するときっちりと5000万円が振り込まれている。大変なことが起きた、これだけあれば借金をしなくても、いま値段交渉中の中古物件を買うことができると、飛び回って喜びたい気持ちになり、しかしこれを人に悟られるとまずいと、平静を装いつつ、道でUに電話をかけた。いまから話すことはすべて事実だから、心して聞いてほしい、という話の切り出し方まで考えたのだが、電話に出たのは何故か宇多丸さんだった。アトロクの放送中で、Uがゲストで出ているらしかった。「これは、イーロン・マスクですよ」僕は何もいっていないのに、宇多丸さんがそう言った。電話をかける直前、イーロン・マスクの話をしていたらしい。電話を切り、見覚えのない家(親族が持っているけど今は使ってない家のようだった)に入った。何度も口座残高を確認して、これは夢なんじゃないかと思った。しかし見破れなかった。夢の中で、これは夢ではないと、2回ほど結論した。ちょうどまとまったお金が必要なことが、夢か現実かの判断を鈍らせたものと思われる。起きたときは、ああやはり夢か…と、正直かなり落ち込み、しばらくはこの夢日記を書く気にもならなかった。

大町。あさいしんじくんのアトリエに泊まらせてもらった。一部屋、暖かいところをつくってくれたのだけど、窓に彼の大きな絵が打ちつけられ、断熱してある。絵が断熱材になっている。私たちは特に考えなしに「絵の力」と言ったりするが、これこそが真の「絵の力」ではないか。素晴らしい。

知人からコロナ禍の初期に、近所で東京に出入りしているという話をしていたら、隣の人が引っ越してしまい、たいへんなショックを受けたという話を聞いた。

節分の日。子供の頃、散らかしちゃだめと言われていた家の中に、この日だけは落花生を巻きまくることが良いこととされた、ハレとケが反転する感じが楽しかったことを思い出す。

授業中に寝てしまって全然ノートが取れていない。ふと中島くんが話しはじめたのだけど、それが質問というよりも、先生と話すみたいに自分の意見を授業中に言う、みたいな雰囲気で話していて、新鮮だった。終わってからぼくも刺激されて手を上げて発言をした。その内容は「乗り物が作った跡、たとえば、砂浜にできたショベルカーのキャタピラのあととかを歩くのが好きだ」という話だった。キャタピラのあとなんかは、歩いてみると、ものすごく深くてびっくりする。そこに「都市を作り上げるスケール感」を自らの肉体(脚)で測りなおすみたいな面白さを見出していた。「ものすごく深い」とぼくが言ったときみんなは「えー!」と大袈裟な反応をした。それ以外はとくに反応もなく、自分の話ってつまらないんだろうなあと僕は思っていた、という夢。

下西風澄『生成と消滅の精神史』が面白くてずうっと読んでいる。西洋編の最後メルロ=ポンティの「肉の哲学」の話が素晴らしい。

世界は「肉」であり、なにかを知覚することとはそこに裂け目ができることである(裂け目ができることはつまり、こちら側と向こう側が生まれることであり、視る/視られるの関係が生まれることである)。その裂け目が生まれたときに初めて、私という輪郭ができあがる。裂け目ができる前(つまりなにかを知覚する前)は、「青空と私」、「草の輝きと私」、「風の音と私」のあいだにはなんの境界もなく、すべて地続きの「肉」である。

僕は昔から、「暑い」とか「寒い」という感覚に対して鈍感なところがあり、友人がそういう類のことを言うと、「暑いとか寒いとか言うな」なんてむちゃくちゃなことを言っていたのだが、「寒さ」とは、「寒い」と知覚したときに初めて生まれるものであり、その知覚以前には「私」と「空気」のあいだには、境目がない。この本の言い方でパラフレーズするなら「私が空気を包み込んでいて、空気も私を包み込んでいる」状態である。「寒い」と感じるためには、「私」と「空気」を切り離す必要がある。

この感覚は、完全にわかる。僕は他の人が「寒い」と言っているのを聞いてから、初めて「寒い」と気がつくことが多い。メルロ=ポンティを読みたいと思った。まず「メルロ=ポンティ」という響きが、なんだか肉肉しい。

そしてこの本、何かを説明するときの例として「コップ」がよく出てくる。下西さんのパソコンの前には、いつもコップがあるんだろう。そんな著者の時間が流れ込んでくるような、なんだか海の音をずうっと聞いているような読中感があり、ハードコアな話も多いのだけど、不思議と重たさがなくて、すがすがしい。

00時28分/育毛に関する無自覚な連帯

あまり知らないメーカーが出している、育毛に効くというスカルプシャンプーをここ一年ほど使っているのだけど、毛が生えることによってではなく、洗ったあとの頭髪がわさわさと波打ったりぱらぱらと乾いてばらけることによって頭皮が目立たなくなっている。リンスを使う必要がありません、と裏面に書いてあるのも、リンスを使われたらこのぱさぱさ感がなくなってつやつやになって毛の一本一本がまっすぐになって頭皮が目立ってしまうからではないか、ということが疑われる。このような頭髪の状態では毛が生えているのかどうかもわからんまま、なんか全体にボリュームが増してるような気がする、という一点のみで使い続けている。みんなこれに薄々気がついて、なんだよ詐欺じゃねえかと思いながらも、まあボリューム感は出てるからいいか、となし崩し的に使っているんじゃないか。そしてメーカーの方も、そこまでの心の展開を読んだうえで、でも正直に書くのはアレなので、育毛効果あります的なものとして売り出しているのではないか。これでは誰が悪いとか言えない。

10時19分

朝は新書や思想書、夜はエッセイや小説が読みやすいことがわかってきた

11時34分

「新宿三丁目東」信号機に書かれた地名は、地図上に示される情報としての地点と、現実の空間としての場所が交差する。

 

23時45分/服従について

ミルグラムの服従の心理という本を読み始めたのだけど、冒頭で、服従は日常にありふれているので研究の対象にはなりにくいかもしれないと前置きしたあとで、服従の本質は「自分の手で遂行した物事の責任が自分ではないものにあると思うこと」と書いてある。自分はやってくれと言われたからやっただけで、その責任は自分にはない、命令してきたものにあると、いわば楽なほうへ逃げる形だ。
「この責任は自分にはない」と思うことは心地がよい。幼いときに算数を習う。この計算さえ解いていれば、自分という存在を肯定してくれる人がいる。だから従っていればよい。とても気持ちがよいことだ。
算数ならなんの問題もないが、人に痛みを与えることを強いられたり、わかりやすく目に見える「痛み」がここになくても、どこかで誰かが痛みを被っているんじゃないかと疑える物事をやれと命令されたとき、はたして権威に反抗できるだろうか。服従は日常にありふれている。どこか遠い国で不等な賃金で働かされている子供の存在を感じながら、安い服を買ってしまうこと。これを買うのは自分の責任ではない。みんな買っているし、安く売っているのだから、悪いのは私ではなく、売っている側である、と思うこと。また、違和感を感じつつも、自分が務めている会社の命令に従うこともそうだろう。抗うのは難しい。服従に従わないことは、自分が関係を持っている権威との決別を意味する。服を買うとき、会社で仕事をしているとき、あらゆる場面で、反抗と服従が天秤にかけられ、ほとんどの場合僕たちは服従を選ぶ。反抗することは一人になることなので、仲間と別れることになるかもしれないし、その責任もすべて自分にのしかかる。であれば、多少良心を曲げても服従を選ぶというのは、関係性のなかで生きている以上は仕方のないことだ。
やっぱりランシエールが思い出される。服従とは不平等を受け入れることである。僕たちは、自分たちのことを、平等ではないと考えるほうが楽なのだ。責任を回避できるし、なにかあっても言い訳できる。自分の意志ではないと。

PARAのゼミで、食器棚やタンスが果たしている役割はいわば、生活における「中間搾取」(食器は、洗ったものを乾かす台と食卓があれば居場所としては事足りるし、洋服も、洗濯機と洗濯物干しがあれば事足りる)なので、広告代理店と同じであるという話をしたら、PARAスタッフの山本さんが
「食器棚に食器並んでるの見るの楽しいですよね」
と言った。これはつまり、食器棚と広告代理店は同じであることの証左である。彼らはロゴとかポスターとかCMとか、視覚に関するデザインを司るので。

母親が、寒いのだか汗をかくのだかで、温かい蒸しタオルを欲していたので、実家でタオルを2枚ほど濡らして、父親と一緒に電子レンジにかけて(レンジは何故か2つあり、ひとつは昔から実家でつかっていた古びたやつで、もうひとつは製造年はもっと古そうな、外装が木製の、大きなオーブンみたいなレンジだった)、タオルを温めて母親に渡したのだけど、すぐに冷めてしまって、これだと冷たくて嫌だよなと思ったりしたところで目が覚め、朝の5時半。

夕方、カゲヤマ気象台演出の『クワッド』(ベケット)を早稲田大学の「隈裏びらき」関連イベントで観た。ざっくり前半と後半に分かれていて、現場での上演ののち、おなじ動きを屋外でやっているところをドローンで上空から撮影した映像が投影されていた。普段はあれこれ考えながら生活しているぶん、ルールに従って動いていればよい、それだけやっていればよいのだと、心から思える幸福な時間、満ち足りた時間ってあるよなと思った。前半は反復の中にも生まれる微妙な差異とか、役者の表情が見えるので人間がそこにいるのだと思えるのだけど、ドローンの映像は広島の平和資料館で見た原爆投下の照準に見えた。人間の顔が消えて、個性が消えて、データになる感じがした、と思っていたのだけど、同時に不思議なことに、上空からの映像の方が、かえって四人の人間が「無邪気に遊んでいる」ように見えなくもない。
クワッドは「自分の手でひとつひとつ可能性を潰していくこと」でもあることを考えると、支配的な、人間を否定するような感じがするけど、同時に遊んでいるようにも見える。ベケットを研究したがる人が多いのも納得できるなと。

 

湯けむりの郷露天風呂にて。高校生〜大学1年生くらいの男の子二人組。聞こえてきた声。
「おれ人生勝ち組だわあ…ガチで」
「おれ性格悪くないじゃん」
・・・
「女子と喧嘩したことなんて…小学校のとき以来ないわ」
「いや…あるか…あるわ」
「女子を殴ったことも…」
・・・
「おれ怒んないよ。道端で知らないおじさんに怒られたとき以外は」
「自分に非があるのに、こっちに責任をなすりつけてくるおじさんはまじで…」
・・・
脱衣所でも別の男の子が
「まじ人生イージー」
と言っていて、この国はもしかして大丈夫なのか?と思ってしまった。

全席赤いソファのボックス席になっている、コンビニに入る夢だった。ファミマだった。なぜか裏口のトイレから入店。僕は「トイレに寄って行きます」と言って、高松さんが先に店内へ。高松さんはオーナーは知り合いっぽかった。タバコも吸えて、オーナーは「ベラン」という長い葉巻のようなものを勧めてくれた。割に若い男の人で、僕の活動のファンのようだった。

12月31日に実家に帰省し、家族で麻雀をやりながら年を越した深夜26時ごろ、喉の違和感を感じて風呂で温まって寝るも、翌朝喉のそれは痛みに変わっており、測ると37.6度の発熱。若干のだるさ。弟がちょうど一週間ほど前に新型コロナに罹り、31日に療養解除されたばかりだったので、念の為母親が持っていた抗原検査をやってみると、陰性(?)だった。(?)というのは、陽性を示すTラインのところに、0.2mmほどのうっすくてほっそい線が出ているように見えなくもないので。念には念を重ねようと、東京都の抗原検査発注ウェブサイトに住所を入力し、1月2日に届いたそれでもう一度検査をしてみると、見事陽性。今度はくっきりとTのところに赤い線。その瞬間から自室に缶詰に。母親からご飯や飲み物もろもろのサポート、父親から加湿器のサポート、弟からのど飴のサポートを受けつつ療養開始。とはいえ、症状は37.5度前後の微熱と、喉の、痛みと呼ぶには物足りないくらいの「違和感」のみ。味覚も関節痛のようなものも、弟が言っていた寒気もないので、大変退屈である。一度小説かなにか書いてみようかともおもったのだけど、残念ながらフィクションを生成できるほど元気な頭の状態でもなかった。ベッドの上でだらだらとひたすら観たり読んだりしていた。
・正月実家で過ごす用にアトリエから持ってきていた唯一の本『象が踏んでも』(堀江敏幸)を読む。昨年PARAで郷原さんに教えてもらっていた、『ドンキホーテの老人』(串田孫一)についての堀江さんの文を発見して嬉しくなった
・自室の本棚にあった『東京の条件』(岸井大輔)を読む。献本いただいてから10年ちかく経って初めて最初から最後まで読んだ。当時はちょっと難しくて読めなかったけど、いま、すらすらと読めた。公共を作ることを大真面目に、誠実にやろうしていて、刺激もらった。自分もどんどん作らねばと思った
・同じく本棚にあった祖父が亡き祖母に向けて書いた自費出版本『亡き妻の素顔』を初めてちゃんと読む。これを書いたことを、祖父は覚えているんだろうか
・「呪術廻戦0」をみた
・「シン・ウルトラマン」をみた
・「ファーザー」をみた(三回目)。何度見ても傑作。
・同じく本棚にあった「新約聖書」を読む。聖書というものを初めて読んでいるけど、これは古代ギリシャの哲学と対立するわけだと思った。岸井さんも書いていたけど、全体的に、仏教にも通じる悟りのような、諦観しているような印象を受ける。主意主義のギリシャ哲学に対する主知主義と言ってもいい。
・東京都の配食サービスを頼んだ。大量の包装された飲食物が届き、びびっている
・『劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ』と『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』をみた。どちらもエンディングで目が潤んでしまった。特にフランス製作の「史上最香のミッション」の方は、このノリは海を越えて人に伝わるのか、という感動も含めて

 

●発見

「クリネックス」は横向きに切れる。紙箱ではなくビニールに入っている安いティッシュは縦向きに切れる。高級なティッシュは横に切れる傾向?

 

●ビデオニュース「セーブアース」内のプラスチック問題番組(ゲスト:高田秀重さん)サマリー

・ペットボトルは日本全体で年間年間233億本使われている。その使用済みボトルの回収率は89パーセントくらいなので、年間27億本が未回収のままどこかに廃棄されている→海や川へ
・しかも、回収されたプラスチックゴミのうち、「マテリアルリサイクル」や「ケミカルリサイクル」など、実質的にリサイクルと言えるものは全体の24パーセント程度で、60パーセントは「熱回収」(燃やして温水にしたり発電したり、エネルギーに変換すること)されている。当然CO2が出る。この熱回収も日本では「リサイクル」と呼ぶという、謎理論がまかり通っている。
・日本の包装ゴミ排出量は一人あたり年間40kg、アメリカに次いで世界2位
・マイクロプラスチックの問題。マイクロプラスチックとは、プラスチックが日焼けして細かく分解されていったゴミのことだが、その劣化の最中に、プラスチックに含まれている添加剤(紫外線吸収剤、酸化防止剤、難燃剤、可塑剤)などの有害化学物質が環境に溶け出すことがわかっている。これが魚介類の、筋肉や肝臓などに蓄積されていくことがわかっており(生体のホルモンの真似をするため。いわゆる環境ホルモン)、つまり、いずれは人間の体に戻ってくる。人間の体に入ると、人間の生殖機能や免疫機能、神経系などに悪い影響を与えることもわかってきている。それが毎年毎年作られている。
・これらの物質には表示義務がないので、高田先生たちが調査をしている。使い捨てのコップから出てきたり、おにぎりを食品用ラップで握った時に、おにぎりの方にニルフェノールという化学物質が移ってしまった例もある。アウトドア用のボトルなどからも出てきた。
・健康な人からは検出されないビスフェノールAという化学物質が、子宮内膜症患者からは検出されているというアメリカの例や、「調理済み食品のうち、市販の弁当(週一回以上)または冷凍食品(週一回以上)の摂取頻度は、妊娠12週以降の死産と関連を認めた」(物質は特定されていないが、プラスチックの添加剤による影響が十分に考えられる)という、日本の環境省がおこなっている母と子10万組の調査の結果など、気になる例が次々と出てきている。

ある家電が使いたいのだけど、コードが見当たらないという話になったとき、別の家電のコードを分解して転用すること。素晴らしい。だけど、このようなわかりやすい問題がおきたときのみに発揮される創造性は、少々受動的なものに見えなくもない。この現象と、テレビで流れてくる映像を生活の中で見続けること、および外から送られてくる新聞を読み続けることとの近さについて考えること。
好きなアイドルや作家を追いかけて、自分からその情報を手に入れていく行為は、どこか奴隷根性みたいなものを感じなくはないけれど、能動的な態度には見える。良い意味でも悪い意味でも。そういうことにはあまり興味はなさそうだが、問題が起きた時には、工夫して創造的に手を動かすことができる。何かに似ている? 降ってくるものを待っているような。 消費あるいは労働者の社会になった結果?

郷原佳以さんに、僕の「ぜったいに学びのないゼミをやる」のステートメントに関連して思い出した、「ドン・キホーテと老人」という串田孫一の文のことを堀江敏幸さんが書いている、と教えられ、去年串田のほうは読んでいたけど、たまたま古本で買っていた堀江さんの本の中に当該の文をみつけ、二つの矢印がぴたりと重なったような正月。

・会社を立ち上げたら苦労があるという話を友人から聞いた。「4億請求するぞ!」と言われたりするという。まるで一人の人間が他の人間を威嚇するかのように。
会社を立ち上げるということは、個人が「法人格」に変態するということだ。集団を内面化して、会社への批判や賛辞を、自分のことのように喜ぶということ。これもミメーシスのひとつの形態なのか。ワールドカップで、「国」を「代表」している選手が活躍すると、自分とは何の関係もないのに喜んだりしてしまうのと同じことが起きている。

・男女の差異の話もした。どうあっても子供を実際に産むのは女性なので、出産という身体的なリミットの切実さを男は完全に理解することができず、それは不公平だよねという話をしたかったのだが、うまく通じなかった。彼は「子供を育てることに、男か女かなど関係ない」と言っていた。それにはまったく同意するし、僕はそういう話をしたかったわけではないのだが。それに「男女なんて関係ない」と、男性が言うことに暴力性はないのか、という点もひっかかる。そこには現実に差異があるのだという認識を共有したかっただけなのだが、男である僕がそういうことを言うこと自体が、彼にとっては不愉快だったのだろう。
その場にいた女性の友人は「子供を産みたいのかどうかわからない。こんな世界に送り出すことが、子供にとってよいことなのかもわからない」と言っていた。「そうだよね」と同意した。
彼は僕に対し「体にリミットがくることなんて、最初からわかっているじゃないか。それを理解した上で付き合いはじめるべきではないのか。いまさらリミットがどうのこうのというのは、違うのではないか」といったニュアンスのことを言った。人間はそんな単純なものではないと思うのだが。どうも「子供がほしいかどうかわからない」という感覚がわからないのかもしれない。

・そこから格差の話に発展した。「生まれた家庭に本が何冊あるかで、子供の大学進学率が変わってしまう」ことを示すリサーチがあるという話をした。生まれた時から格差がある状態を強いられており、たとえば家庭に本が少ない子供は、大学に進んで専門的な仕事をする、という選択肢自体が最初から考えられなくなってしまう、という問題を共有したかったのだが、彼は「勉強ができなくて、なにが悪いのか」と言った。「それは恵まれた側の意見ではないか」と反論したが、「そうではない。勉強ができないことは必ずしも悪いことではない」という主張を繰り返した。「勉強ができないことは悪いことではない」ということ自体を考える可能性が最初から排除されている問題について話したかったのだけど。酒が入っているせいかどうも噛み合わない。

実家にいるが、母親だけがてきぱきと働いていて父親や祖父や弟はソファに座りっぱなしという状況を見せつけられるのはきついものがある。今日は朝、父親が食卓のテーブルに広げたままにしていた年賀状を、ご飯の準備があるからと母親が「年賀状広げっぱなし〜」と、片付けるようお願いしたことに対して、父親は「すみっこに簡単に寄せられるだろう。やればいいじゃないか」と、なかなか威圧的な感じで言い返していた。その後自分で片付けていたが、「なんでいちいち…」と愚痴りながらやっていた。母親も「なにいってんだか、自分でひろげておいて」とぼやいていた。まったく正論だと思った。普段はとても仲がよいぶん、こんな例は珍しいので、結構なショックを受けてしまった。実家で家族社会学とか文化人類学のフィールドワークをしているような気持ちになっている。母親が働くことが、父や祖父はもちろん、母にとっても当たり前なことになりすぎていて、母が作った煮物や黒豆や紅白なますやお雑煮を食べて「おいしい」と感想を伝えることは誰もしないし(これは、かつて僕もそうだったのだろう)、感想がないことにたいして母親も何も言わない。ただ淡々と、手が4本くらいあるのかと感激するほど、家族から寄せられる複数の要望を同時並行でこなし、一人で機転を利かせまくっている。たぶん、母親はまわりの人間がなにを求めているか察知することと、それを先回りして手を打つことに関して、相当高いスキルの持ち主になっている。家族仲はよいし、みんな全然悪い人ではないからこそ、この状態はきつい。誰かが悪いだとか、そういう話ではない。僕もここにいたのだ。みんなと同じように、母親が毎日のご飯をつくっていること、「おいしい」とか「ありがとう」と労われなくてもつくり続けていることに、なんの疑問も持っていなかった。
また父親がなかなか謝らないところに、自分と似たものを感じる。同じ食卓の席で、口に絡んだ痰を出すような、結構な大音量の所作を、僕や母親がご飯を食べているすぐ隣でしており、母親が「ご飯食べてるとなりでやんないでよ〜」と、角が立たないような口調で言っていたのだが、「咳をするよりはいいだろ。咳を止めようとおもってやってるんだから」と、瞬時に言い訳をしており、その反応速度の速さにちょっとびっくりしつつ、普通に謝ればいいのに、と普通に思った。日常生活の中で「謝る」ことに対して抵抗を感じることはある。僕はたぶん、自分が完全に悪いと納得できないと謝りたくない癖がある。実家の雰囲気に影響を受けてのことかもしれない。

・薪を背負いながら本を読んでいるひとが小学校の校庭にいたような気がするのだけど、あれはいったい何者なのか。みんな「一生懸命勉強している人」ということまでは知ってると思うのだけど、それ以上のことを知っているひとはどれくらいいるのか。「勉強を頑張ってるひと」というだけでは、その人となりの説明にはなっていないような気がするのだけど、その説明だけで十分ではないかと、仮に誰かに詰め寄られたら、たしかに、と思えてしまう気もする。ふしぎだ。
あのような、「勤勉さ」だけが一人歩きしているような例は、ほかにあるのだろうか。ほかの国にも、にたようなひとがいるのだろうか。
いま《勉強すること》に関する小説を書いているので、すこし気になる。あの「勤勉さ」を称賛する風潮には、なにか危険なものが潜んでいるのではないか。

 

・郵便局。荷物の発送手続きをしていたら、隣の窓口におばさんが勢いよく飛びこんできて、「これ送るといくらですか?」と、職員に封筒を差しだした。職員は封筒を秤にのせ、「これは94グラムなので、100グラムまでなら140円になりますので」と答えた(正確にこう言ったわけではないが、こういったニュアンスだった)。するとおばさんは「どういう意味ですか?」と聞き返した。その声色はなぜか威嚇するような響きがあった。刃物みたいだった。その一言で、ぼくの対応をしてくれていた別の職員も含め、場の空気がぴりついた。聞き返された職員が「100グラムまでは140円なんです。切手は、どうしましょうか」と、言い切るまえにおばさんが「自分で貼ります」と遮った。それからおばさんは突然「その言い方、おかしくないですか!これがいくらかって聞いてんのに、100グラムまでは140円だとか!」と大声を出した。職員が「すいません、これは140円になります」と謝ると、おばさんは「はい」と吐き捨てて、ものすごいスピードで郵便局から出て行った。僕はよっぽど、「あなたは悪くないです」と声をかけようかと思ったのだけど、ためらってしまった。言えばよかった。それにしてもおばさん、大丈夫か。心配になる。家とか職場で理不尽な目にあった腹いせとか、そういうのでないといいのだけど。

今日は朝から黒豆を三時間煮て、バスク風チーズケーキを焼き、車に乗って世田谷の練り物屋まで、アトリエのクリスマスおでん会の買い出しついでに美味しいたこ焼きと台湾肉まんを食べ、アトリエで12ヶ所宛の作品を梱包して発送準備を終えた。実に色々なことを終わらせた。こういった物事に比べて、「制作」のスピード感の鈍さよ!一日で何かが進んだと思えることなど、ほとんどない!遅々とした歩み!なんと尊いことよ!

「わたしは概念の中に入り、概念を掘り返すことができます、概念はすべてわたしにとって使うことのできるものです、そのほとんどをわたしはこれまで知ることがなく、すべてが結果のないままになっています、まるでほしいものはすべて見つけられるけれど、まだなにがあるのかわからない店のように。」「…自然はわたしたちの概念の能力を逃れ、わたしたちには理解できない言葉で話します…カタストロフィの発生はまた、いかなるコントロールをも逃れます、それどころか言葉と思考によるいかなる分類をも逃れます。カタストロフィは起きます、同時にカタストロフィは起きませんでした、なぜならわたしたちにはそのための言葉が欠けているからです。」(イェリネク『光のない。』自作解説)

「カタストロフィは起きます、同時にカタストロフィは起きませんでした」

この言葉には、一見対立しているように見える、散文的でロジカルなものと詩的なものとのあいだを埋める橋が隠れている。世界を言葉として捉える、ではなく、むしろ言葉の世界に住まうこと。言葉に包まれながら、同時にそれを包み返すこと。言葉に翻弄されながらも、粘土のように可塑的なものとして扱うこと。常に言葉に対して先手を取りつつ、言葉を使った途端にこぼれ落ちるものについても考えること。

 

この世には、自立するパプリカと自立しないパプリカがある。君はそのどちらかを、知らず知らずのうちに選んでいる。

9時51分。携帯で夢のなかを撮影することに成功し、その動画を見ていたのだが、それも夢だった。

午後、地点の『ノー・ライト』を観に行った。『光のない。』のマルチリンガル版なのだけど、超えていたように思う。観る前は正直、あれ以上のものが可能だなんて思っていなかった。
『光のない。』の記憶が、あの演劇の凄みを見せつけられた衝撃が、開幕しょっぱなの「わたしたち〜」という役者から観客への呼びかけで鮮明に蘇ってきて、そのあと「わたし、たっち?」という、イントネーションをずらした発語で、ああ、僕は今こういうものを必要としていたのだと、またあのときと同じように思えた。とんでもないことを、現実の空間で実現させようとしている、という気概を感じただけで、なんだか涙がでてきて、最初の10分くらいはずっと涙ぐんでいた。
放射能という、見えないけどそこにあるもの、あるいは情報としては見えるのだけど、どうしても現実的な存在を感じられない遠くのニュースのこととか、被災者や、最近だと戦争やウイルスのことなど、「みえる みえない」「きこえる きこえない」にまつわる具体的なものごとから、空に舞い上がるように、抽象的なものへと書き換えていく手つき。
あれだけ印象的なセリフがたくさんあったのに、終わってみるとほとんど思い出せず、ただ、ものすごいものを見たという感慨だけが残るような。そして、それが大事なんだと思えるような。字幕として投影されたテキストを追いながら、わかる↔わからないを無数に反復し、その果てに、理解できるできないとか、そういう問題ではないところまでつれていってくれて、最終的に「完全になにかがつたわってきた」と感じられるような、それもわたし一人に伝わってきたと思えるような、私を信じてくれてありがとうと思えるような、魔法の時間。大砲にこめた抽象概念そのものをくらったような。途中何度も正体不明の感動で涙がでてきた。人間は表現を通してここまでのことができるのかと。バイオリンケースの使い方も、役者の配置やポーズ(特に片手を上げて、わたしたち〜と呼びかけるポーズ)や舞台の空間や衣装もよかった。主演の人たち、同じ人間、同じ空間を占めている動物とは思えないほどだった。なにかがおりていた。足だけ出して上半身埋まって声だけ出してた声楽のみなさんもほんとうに素晴らしかった。マルチリンガルという、役者の発音のつたなさがマイナスになってしまいそうな手法が、母語である日本語もイントネーションをずらしているこの劇のなかではむしろプラスに働くことも発見だったし、そのような技術を、観客を信じてきっちり、でもさりげなく使うこと、演劇の魔法をかけ続けることに注力されていた。この、抽象的なことを観客を信じてやり遂げる気概は「誰かいませんかー」と呼びかけるセリフにも象徴的に現れていたように思う。今年を締める作品としてはこれ以上ない。芸術は、やる価値があるものなのだと背中を押してくれる、消えない炎みたいな記憶。
加えて、鑑賞後に内田と話していて出てきた話題。マレーヴィチの『太陽の征服』という舞台美術のスケッチと、今回の美術の精神が似ている。
太陽を消すこと→光がないこと
遠近法への抵抗→窓(テレビ)の向こうに映る世界とこの場所との、遠さと生生しさの共存(→つまり、抽象と具象の共存。テキストは抽象が可能だが人間の体は具象なのでテキストを上演する演劇は、その融合というか乗り越えを前提として引き受けている)
奇跡的な一致に思う。舞台美術の木津氏は『太陽の征服』を知っていたのか?知っていてもいなくてもおもしろい。

12時35分

京王線のポスターにでかでかと「冬の高尾山は、富士山だ」と書いてあったが、さすがに違うのではないか。

山を山で例えるなんてありなのか?高尾山への観光斡旋ポスターなのだが、作り手の「高尾山は富士山に負けている」という意識が見えてしまっているのではないか?

14時2分

オペラシティの丸亀製麺にて、出口専用のドアからムクドリがぱたぱたと音もなく入ってきて、わずかな風をまきおこしながら、僕の上を飛んで店内を横切り、とんとんとんと着地したかと思ったら、入口専用のドアから外へ飛び立っていった。ほんの3秒ほどの出来事。店内で僕の他に気がついた人は、たぶんいなかった。あまりにも音がなくて幻覚かと思うほどだったけど、たしかに風を感じた。それも一瞬のことだったが、はっきりと、これは違うものだと感じた。自然の風、野の風だった。

本来、ひとは「場所」なのである。そのなかに潮が満ち引きする海があり、海へと流れる川があり、山や谷が連なり、朝日に照らされた湖畔の水面を風がなでて、ときには繁華街のビル陰であやしい取引をする人々が住まう場所なのである。大きな家を借りたり、アトリエを持つことは、その場所を現実という三次元空間に翻訳することなのである。その空間が都会にあるのか、山にあるのかというような、座標的な情報は重要ではない。ただ、翻訳できる場所がある、ということが一義的に重要なのである。

「小さなガラス瓶に入れた、直径1cmくらいの、乾燥したみかんの皮の切れ端を、船便でドイツに送りたいのですが、郵便局に行ったら『どうしても植物扱いになってしまうので、いちどこの電話番号にご自身で電話をしていただいて、そもそも送れるのか、送れるとしたらどのような書類が必要なのかを確認していただけますか』と言われたので、電話をしています。どのようにすればいいのでしょうか」と、『横浜植物防疫所業務部輸出検疫担当』に電話をかけ、「それはどういった意図で送るものなんですか?」と聞かれたので、どこから説明すればいいものか迷ったのだが「道で拾った貝殻とか石を小さな瓶に詰めて展示をする、ということを昔、芸術祭でやっていたのですが、それを知ったドイツの知人から『これが欲しい』と、言われたのがたまたまみかんの皮だったので、こうして電話をしているのです」と答えた。すると電話口の女性は「なるほど」と、非常に心強い相槌(ついさっきまで郵便局で『なんでこんなものをドイツに送るんだろう』といぶかしげな対応をされていたので、この女性の『よくわかりました』と言わんばかりの相槌は無性に嬉しかった)をうち、「植物を送る際は、送り先の国のルールに従わなければならないので、これからドイツのルールを調べて折り返しお電話いたします」と言った。電話を切り、僕はいま折り返しを待っている。たかだか1cmのみかんの皮を送るのになぜこんなに煩雑なことをやらなければならないのか、お金にもならないのに…いやそもそもなぜ自分はみかんの皮をドイツに送ろうとしているのか、こんな人生になるとは予想していなかったな、予想できようはずもない、などと考えながら心底めんどくさい気持ちで郵便局から帰り、僕はきただにひろしの「ウィーアー!」(テレビアニメ『ワンピース』の初代主題歌)を聞いていた。「船便」という響きから、なんとなく連想したのかもしれない(航空便の方が速いし、「SAL便」を使えば安く送れるのに、なぜ船便なのかというと、航空便がなぜか取り扱いを停止していたからである。理由はわからないが、きっと戦争とかコロナとか物価高とかそんなのだろう)。とにかく、すごくめんどくさいのだが、この、小さなみかんの皮の切れ端が船に乗せられ(ヨーロッパへの船便は二ヶ月程度かかるらしい)、どんぶらこ、どんぶらこ、と海を渡る姿を想像すると、なんだか愛らしいし、無駄なものが省かれ合理的に過ぎる世界のなかで、こうやって謎の物体が運ばれるのは、かけがえのないことなのだ、これは抵抗なのである(わずか数グラムの抵抗ではあるが)、と自分に言い聞かせ、とにかくこの小さなみかんのワン・ピースだけはドイツに届けてやるぜと決意を固くした。「二ヶ月くらいかかる」と先方に伝えたら、「That will teach me patience」という素敵な返事が返ってきた。僕もこのくらい心の余裕を持ちたいものだ……