下西風澄『生成と消滅の精神史』が面白くてずうっと読んでいる。西洋編の最後メルロ=ポンティの「肉の哲学」の話が素晴らしい。世界は「肉」であり、なにかを知覚することとはそこに裂け目ができることである(裂け目ができることはつまり、こちら側と向こう側が生まれることであり、視る/視られるの関係が生まれることである)。その裂け目が生まれたときに初めて「私」というものが浮きあがる。裂け目ができる前(つまりなにかを知覚する前)は、「青空と私」、「草の輝きと私」、「風の音と私」のあいだにはなんの境界もなく、すべて地続きの「肉」である。
昔から、「暑い」とか「寒い」という感覚に対して鈍感なところが僕にはあった。友人がそのたぐいの愚痴を口にしたときは、「暑いとか寒いとか言うな」なんてむちゃくちゃなことを言っていた。
「寒さ」とは、「寒い」と知覚したときに初めて生まれるものであり、その知覚以前には、「私」と「空気」のあいだには、境目がない。この本の言い方でパラフレーズするなら「私が空気を包み込んでいて、空気も私を包み込んでいる」状態である。「寒い」と感じるためには、「私」と「空気」を切り離す必要がある。
この感覚は、完全に理解できる。僕は他の人が「寒い」と言っているのを聞いてから、初めて「寒い」と気がつくことが多い。メルロ=ポンティ読みたいと思った。まず「メルロ=ポンティ」という響きも、なんだか肉肉しい。

この本、何かを説明するときに、例として「コップ」がよく出てくる。下西さんの机の、この原稿の前には、いつもコップがあるんだろう。そんな著者の時間が流れ込んでくるような、なんだか海の音をずうっと聞いているような読中感があり、ハードコアな話も多いのだけど、不思議と重たさがなくて、すがすがしい。

道端にしゃがみこんで、ものすごく困っている様子だったので、連れの友人たちとどこかに急いでいたにも関わらず、おばあちゃんに話しかけた。どうも、家のドアの鍵が閉まらなくて困っているらしい。そのドアがとんでもない代物で、地面の近くに小さな「つまみ」が、20個くらいついていて、ラジオのスイッチのように左右にカチカチとまわすことができる。この「つまみ」を正しく操作しないと、鍵が閉まらないということだった。これは、わからなくても無理もないと思った。
おばあちゃんはカスタマーサポートセンターみたいな窓口に電話をしながら格闘していたので、電話を引き継ぎ、指示を仰いだ。電話口の男は「つまみ」が光る順番を覚えてほしいと言う。ドアを閉めるとたしかに、「つまみ」が一つずつ光るようになっている。この順番の通りに「つまみ」を操作すると鍵が閉まるらしい。しかし20個くらいあるので、とうてい一人では覚えきれない。そこで居間みたいなところでくつろいでいる友人たちに協力を仰ぎ、それぞれが担当して順番を覚えるエリアを設定し、「つまみ」を回す操作をおこなった。何度かやったが、結局鍵はしまらなかった。最後、もう時間なので行かなければならないというときになって、おばあちゃんははじめて感謝の言葉を述べた。札のお金を二枚、大きな落とし玉袋に入れて渡そうとしてきた。ぼくは「結局鍵は閉められなかったので」と断ろうとしたが、なぜかその場が感動的なムードに包まれていたので、受け取った。おばあちゃんはいつのまにか小さな子供になって泣いていた、という夢。

アトリエに向かう道中にある枝垂れ桜。昨日ちょうど「咲いたねえ」という話をしたばかりだったのに、根こそぎ切られており、呆然とした。業者のお兄さん二人がせっせと作業をしていた。たぶん、苦情が入ったんだろう、と思う。交差点の見通しが悪いとかなんとか。苦情を入れるなら、自分で切るところまでやってほしい、と内田さん。もっともである。せめて自分で伐採し、汗をかいて、木端を頭から被る経験をしてほしい。なんだか街が街じゃなくなっていくようだ。樹を切るということは、街を街じゃなくしていくということである。やはり、土地を所有しないとだめだと思った。こちらが所有しないと、押し返されてしまう。対抗できない。
どうも年々、公園やら街路樹やらの、木の切り方が雑になっているような気がして、こわい。気のせいならいいのだけど、昔はもうすこし、木のことを考えて剪定をしていたような。いま、街を歩いていて目につくのは、バツンバツンと太い枝を途中で切り落とされた、不憫で不恰好なものばかりである。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺にもなっている桜の木も、そこら中で切られている。

夕方、オペラシティアートギャラリーで泉太郎「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.」を観てきた。入場前にマントを着せられた上での、囁き声のイントロダクションは、聞いていてわくわくした。ジャングルクルーズに入るときみたいで、これから美術館という「再々々野生化された」場所に入っていくから、「マントを着て壁に溶け込んでください」とか、なにやらいろいろと気をつけてください、と忠告され、冒険の始まりのような予感がした。だが、その入り口の壁の向こうで肩透かしをくらう。「空間が歯抜けしすぎでは?」と思った。ただし石膏ボードの仮設壁が倒れていたり、天井のプロジェクターや壁のモニターが全部床に落ちていたりして、展覧会の失敗した感じというか、そのこと自体を扱っている、とも思えなくもない。カタルシスの回避というか。それでも、僕はこの設営が展示オープンぎりぎりまでかかったこと、なんなら「間に合わなかった」との噂も聞いていたので、「単に間に合わなかった」「会場に散りばめられたピースが、本人が事前に想定していた完成度まで到達しなかった」という可能性を考えてしまい、ちょっと入り込めないところもあった。後半、マントがテントに変わって「座り込み」をする流れ面白いな〜とは思ったけれど、正直なところ全体的に、来場者にマントを着せるのもふくめて、「そういうの、もういらんなあ」と思ってしまった。時間がなかったのか、あるいは時間がなくなったことも含めて展示に落とし込んでいるのか、ここまでわからない展覧会も久々だったので、逆にすがすがしい感慨もある。泉さん自身はすごく面白い人なんだろうな、という後味が残っている。

PARAで石幡さんと十年ぶりに再会し、お互い生き延びましたねと言い合えたのは嬉しかった。

言い合えた、という感触はあるが、言ったのは僕だけで、向こうは「それで、ここで再会して…」と返しただけだった。考えてみれば、そういう言い方はしない人かもしれないが、そう受け取ったので、そう書いてしまった。

都営新宿線各駅停車笹塚行き。神保町駅から乗車。マスク着用38人、マスクなし自分含め4人。

大勢がうちに遊びに来ている。その中にいた井上花月さんと知り合って、ちょっと話そうよと話しかけてくれて、喋ったり、レコードにサインをもらったり、ピンクと水色のパーカーをもらったりした。花月さんは「あつくない?」と言って、二つの灯油ストーブを勝手につけていた。

昔あるところに、夜な夜な民家に現れては、あらゆる結び目を人外の力で締めあげ、ほどけなくしてしまう妖怪がいました。その仕事は非常に丁寧で、とにかく結び目っぽいものはぜんぶ被害にあいました。
翌朝出すつもりで玄関先に置いておいたゴミ袋の口などは、やられても大した問題になりませんでしたが、お弁当を包んだ風呂敷などは、ハサミで風呂敷ごと切らなければ昼御飯にありつけませんでしたし、米袋やコーヒー袋の結び目がやられると、その袋はもう使い物になりませんでしたし、軽く結んで上着のポケットに入れたイヤフォンのコードなんぞは、内部で断線してしまいました。
一番厄介なのは、靴でした。妖怪は玄関に出された靴のみならず、靴箱の中のすべての靴ひもを締めあげてしまいましたので、出かける時にみんなが困りました。被害にあった結び目は強力で、人の力ではほどけません。そこで専門家が必要とされました。専用の工具を持ち、通報から五分以内にかけつけてくれる、結び目ほどきのプロ集団です。
筋骨隆々の彼らは多くの場合、二人一組で仕事にあたりました。一人が靴を押さえ、小さな鉄板を結び目の下にすべりこませると、もう一人が合金でできた針のような工具を結び目にあて、ハンマーで叩いて差し込み、すこしずつ緩ませて、最後には二人で一丸となってテコの力を利用し、一つあたり十五分ほどかけて結び目をほどいていきました。
十五分という時間が、本物のプロかそうでないかを分ける境目とされました。プロになるためには少なくとも二年間の筋トレと修行が必要とされ、専門家を養成する学校も各地に設立されました。腕に自信のある者たちは副業としてこの資格を取得し、近所で通報があれば周辺の専門家とペアを組んで現場に出向きました。
たった十五分と思われるかもしれませんが、人々は忙しく、いつも時間に追われていました。結び目が被害にあったときの時間的損失を補償する保険会社もありました。この妖怪に対する社会的な危機感は、それだけ大きかったのです。
ある日、都内の民家から通報を受け、ベテラン専門家の二人が現場にかけつけました。二人は結び目を見るなり、驚きました。それは、これまでにほどいてきたどんな結び目よりもきつく、しかも複雑に結びなおされていたのです。それまでは、すでにある結び目をかたく締めあげていくだけだった妖怪が、専門家が増えつつあった社会の変化に対応し、新しい攻撃を仕掛けてきたことの証左でした。
二人の専門家は家主に、我々だけでは太刀打ちできない旨を伝え、協会に援護を要請しました。協会は「兵吉さん」という、当時最強と言われた専門家の指示のもとに、力士と、指物師と、プログラマーを含めたチームを民家に派遣しました。
やがて民家には六人のチームが集結しました。どこからか騒ぎを聞きつけたテレビ局と野次馬も押し寄せてきましたので、警察は非常線を張り、あたりは物々しい雰囲気に包まれていました。
作戦はまず指物師が結び目を見聞するところから始まりました。複雑怪奇なその構造を丁寧に分析し、スケッチにおこしていきます。現場の様子は全国に生中継され、画面越しに大勢が見守っていましたが、その人智を超えた結び目に、誰もがため息を漏らしました。指物師などはスケッチをおこしながら、感動で涙をこらえきれないほどでした。
スケッチをもとにプログラマーがCGを作成し、六人でタブレットを囲みながら、結び目をほどく手順を考えていきました。作戦開始からここまでで二時間が経過し、生中継の視聴率は50%を突破していました。ほとんどのテレビ局が緊急特集を組み、野球中継や料理番組を中断して、現場の様子を伝えました。スタジオでは議論が行われました。「これほどの結び目は、後世のために保存したほうがいい」とするタレントの発言が波紋を呼び、SNSで「#結び目をほどくな」がトレンドになりました。その勢いに乗じて「ここで結び目を保存できないようでは、公文書を残せない行政の体質は変わらない」と野党の政治家が発信し、いっとき支持を集めましたが、「結び目の情報が敵国の産業に利用される可能性を排除できない」と与党の政治家が反対し、SNSは紛糾しました。やがて「今後同じ被害があった時の対策を考えるためにも、結び目はほどくべきである」という意見が現れ、人々もおおむね同意しました。「#結び目をほどくな」というトレンドは下火になり、「#がんばれ六人組」がトレンドになりました。
場外のすったもんだとは対照的に、現場では緊張した空気が流れていました。いよいよ結び目をほどく工程に入っていたのです。兵吉さんの指示のもと、力士が靴を押さえこみ、専門家がそれぞれの道具を駆使して作業をおこなっていました。まるで外科手術のような連携がなされ、結び目は少しずつ紐解かれていきました。
兵吉さんの道具には独自の改良が至る所になされており、長年の経験がそのまま結晶化したような代物でした。最初に通報を受けた二人の専門家は、そのひとつひとつに驚き、感嘆の声を漏らしました。プログラマーは専門家たちの作業と同時進行で、ほどき方のアルゴリズムを組み、指物師は結び目がほどかれていくのを見るに耐えられず、部屋の隅で涙を流していました。
途中三十分のお昼休憩を挟み、作業は六時間に及びました。複雑に編まれた迷宮のような結び目を、アルゴリズムも参考にしながら、兵吉さんと二人の専門家がひとつひとつほどいていき、いよいよゴールが見えてきたその時、それまでとは違う結び目が現れました。プログラマーと専門家は頭を抱えました。「ここまでは305通りの結び方のどれかにあてはまっていたんですが、これはまったく新しいパターンです。対処方法がわかりません」プログラマーが言いました。チームの間に重たい空気が流れ、部屋には指物師の嗚咽が響いていました。
しばしの沈黙ののち、ふと、汗だくになって靴を押さえていた力士が、ぼそりと言いました。「もしかしたら、まわしの締め方に似ているかもしれません」兵吉さんはハッとして「まわしをここで締めてみてもらえますか」と力士に頼みました。
家主が着物の帯を持ってきて、力士がその場でまわしを締める手順を説明しました。プログラマーと専門家たちは驚きました。問題の結び目と、実に多くの類似点があったのです。「これでいける」全員が、そう確信しました。
そして、ついにその瞬間が訪れました。最後の結び目がするりとほどかれ、一瞬の沈黙ののち、「終わりました」と兵吉さんがつぶやくと、現場は割れんばかりの喝采に包まれました。プログラマーはパソコンを投げ捨て、何度も万歳をしました。作業にあたった六人の顔は汗と涙にまみれてぐしゃぐしゃになっており、この数時間で十年分くらい老け込んでいました。指物師はいつまでも、悲哀と歓喜が入り混じった泣き声と嗚咽がとまりませんでした。力士はその場で倒れてしまい、歓声に笑顔で答えながら、救急車で運ばれていきました。
二人の専門家は口を揃えて「あなたと仕事ができたことは、一生忘れません」と、兵吉さんにお礼を言いました。兵吉さんは軽く会釈をして、引き止めようとするカメラを振り切って、家に帰っていきました。

やがて時が経ち、人々の生活も変わりました。風呂敷を使う人はいなくなり、米袋は機械式の米びつに、コーヒー袋はジップロックに、イヤフォンは無線式になりました。人々が結び目を作らなくなるにつれて、妖怪も姿を消していきました。

 

という話を考えた。長らく放置していたビニール袋の結び目が、信じられないほどかたくて、解くのに苦労した日だった。

「パースペクティブのない風景、というものをイメージすることができない」

この意味を考えること。記憶や歴史、記録などには絶対に主観性がついてまわる。絶対に

昔働いてたバーとアイリッシュパブを合わせたような店で再びバイトを始める夢。何故か高校のテニス部仲間の井上くんもそこで、しかも長く働いている。途中、超金持ちみたいな、店の上層部みたいな人たちが店の視察から帰るシーンがあり、従業員みんなで2列になって、その間を通ってもらって、見送った。

3〜4年ぶりに健康診断を受けてみた。三鷹市が若年健康診査というのをやっているので、無料で。診療室に入ると看護士がへそまわりの腹囲を計測、その後仰向けになり、胸とお腹と両手首と足首に電極を10個くらいつけて心電図計測、採尿コップを受け取りトイレへ。待合室に戻るとすぐに呼び出され、体重と身長を同時に測定。機械に乗ると、頭の上からバーが自動で降りてくる。それから採血三本。「これまで採血で気分わるくなったことないますか?」「ほぼないです」「ほぼ?」「ちょっとふらついたことはあります」「ソファでもできますが?」「いや、ここで大丈夫です」注射器が刺される。何度やっても慣れない。痛みそのものは大したことないんだけど、針が刺さっているという状態が精神にダメージを与えてくる。三本の採血を数十秒で終え、針が抜かれる。ふう、とため息をついて目を瞑っていたら、看護士から「大丈夫ですか?」「大丈夫です」心配そうな看護士が三人くらい集まってくる。大ごとになってしまった。「五分くらい、そこのソファでおやすみになったほうがいいと思います」「じゃあ、そうします」採血椅子から立ち上がる「ふらつかないですか?」「大丈夫です」ソファに通され、仕切りのカーテンを閉められる。目を瞑って、休む。小さな試験管みたいな容器にしてたった三本、血が抜かれただけで調子を崩してしまうんだったら、動脈が切れたりしたら本当に大変なんだろう、すぐに死んでしまうだろうな、などということを考えた。カーテンが開けられる「大丈夫ですか?」「はい」僕は何回「大丈夫です」と言ったのだろう。「では待合室でお待ちください」待合室に戻り、本を開いて5分もしないうちに会計。次は結果の説明があるので、二週間後に来てくださいと言われる。

・空中歩道のようなところを友人達と雑談しながら歩いており、ある家の上空に差し掛かったとき、普段は特に何も言わず上を通らせてくれる大家のおじさんが下で怖い笑みを浮かべながらボールを持っており、お前たちが落としたんだろうと言わんばかりにそれを指差し、歩道の上に投げ入れようとするも、私達は「そんなの知らない」と言って受け取らなかった。おじさんは塀の上に懸垂でのぼり、そこから腕を伸ばして、歩道の上にいる友人の足を掴もうとしてきたところで、恐ろしくて目が覚めた。

・夜、大きな交差点を複数人で裸足で歩く場面

・ビニール紐みたいなもので人間に手綱を握られている、熊みたいにでかい黒い犬がめちゃくちゃに吠えまくってくるその目の前を横切って階段を降りなければいけない場面

・暮らしの中で黙々と行う作業について、コーヒー豆を手で挽く作業は楽しいと感じる人が多いが、味噌を溶くのはめんどくさい派と楽しい派にわかれる。

・「名刺」と「名詞」、「同士」と「動詞」。「動詞の名刺」かつ「同士へ送る名刺」を作る

・メモアプリやGmailやTwitterの未送信ツイートなど、「下書き」に香り立つ下書き性

・(第三者にとって)味がわからない料理ほど「家庭の味」になっていく。わかりやすいおいしさに向かわないから

退屈で死にそうだった五歳の女の子がロックンロールに救われる、あの名曲を聴きながら、踊るみたいにして歩いてたら、緑色の制服を着た配達員が、携帯電話を首に挟んでなにか仕事の話をしながら「東京オリンピックをみんなで成功させよう」と書かれたキャリーを早足で押していた。オリンピックなんてとっくに終わっているのに、そのロゴが入ったキャリーを新しいものに交換するのを後回しにしているのか? と思った。もしそうだとしたら、悲しいほどの余裕のなさ。時間に追われながら、社名の入った制服を着て、オリンピックという名前まで背負わされて、立ち止まっての電話すらやる時間もないままに、頼まれた荷物を運ぶ。重すぎる。荷重オーバーではないか。ひとりの人間が背負う量ではない。
偶然目についた、『ララランド』と『花束』を、「努力と競争のアメリカ」と「ぬるま湯の日本」における男女の関係という対比で語っているツイートのことが思い出される。アメリカと日本で括っている時点で古いし、『花束』は良い作品だとは思わないが、リアリティには人それぞれに固有の切実さがあるので、比べることなんてできない。もう、一人の人間がスターになるような時代ではないし、アメリカのエンタメ界のような、苛烈な競争と努力の世界が標準だとは思わないし、そもそもいまの日本がぬるま湯だとも思わない。何者かになりたい、という欲望は多くの人が持っているとして、「努力」をしない人間のことを悪く言う前に、この配達員に背負わされた荷物のことを考えるべきではないか。努力ができる体制を、全員が整えられるわけではない。

『「擬娩」とは、妻の出産前後にその夫が妊娠にまつわる行為を模倣し、時には出産の痛みさえ感じているかのようにふるまうという習俗。この、あまりに奇妙で、あまりに演劇的な習俗に倣って、妊娠・出産を経験していない俳優たちが、妊娠・出産を愚直にシミュレートする』

駒場アゴラ劇場で、したための『擬娩』を観てきた。くらった。笑えるけど痛い。舞台を横切るワイヤーが不穏で最高。哺乳類、無理がある。すべての男の体の持ち主に観てほしいと思った。

なぜ順序立てて物事を進めることに苦手意識があるのかを、順序立てて考えること。その正当化を試みる(正当化することは必ずしも悪いことではない)。
ある種場当たり的に、その都度眼の前のことを片付けていったほうが、最初の手順の上に、その時々の手順が重なっていくことで、結果的に自分の想定を超えたことが起こる。ふと我に返ったときに、面白いことになっている場合が多いからである。
そのためにはタスクを「こなす」という考え方をしないことが重要。そもそも、こなすという考え方が、ペシミスティックで好きじゃない。それは、突き詰めれば人間は生きていなくてもいいということになる。

久々に電車。総武線各駅停車三鷹行、マスク着用25人、マスク無し僕を含め6人くらいの比率。国がマスク着用を個人に任せるとする日にちが昨日?からで、もっとごっそりとマスク人口が減ると思っていた(店舗入り口のマスクのお願い看板がなくなりみんなそれに合わせると思っていた)のだが、意外と終電時間帯の乗客のマスク比率は数ヶ月前と変わらない。まだまだ周囲の様子もしくは所属組織のお達し的なものを見ながら自分の着用有無を決めている模様。この国の「空気」は、政府といえども簡単には変えられないということか。
0時24分、京王線快速京王八王子行はマスク着用僕を含め36人、マスク無し8人。

疎遠になってしまったひとの鍵付きのSNSアカウントの鍵が外れている夢

前にも言ったと思うけど、台形は最強だ。なぜならふたつ並べたときに平行四辺形になり云々…と、誰かに必死で説明する夢。

大学かなにかの授業中に謎のビデオを見せられ、あまりにもつまらないので途中で退席して、鳥になって外の木の上から窓ごしにビデオを見ているみんなを眺める夢。

清須→岐阜→金沢→大町→松本という怒涛のツアーを終えて家に戻り、とろろご飯うずらの卵のせとインスタント味噌汁にインスタント海藻サラダを入れたものとミニトマトの晩ごはんを食べ、風呂に入って家の外でたばこを吸っているときにツイッターを開いたら今日3月11日という日の意味が実感され(心のどこかでわかってはいたが、ばたばたしすぎてちゃんと考えられていなかった)、夜になってしまったが黙祷をした。去年は、自転車に乗っている途中で14時46分に黙祷をしたことをおもいだした。忙しいと思い出さなくなってしまう。そこで思い出させてくれるのは他の人の言葉。

これらこれん このはしら この白い白葦

ツイッターの、新聞社や報道機関の公式アカウントが発しているニュースに、「重要なのは〇〇ですよ」とか「すべて〇〇のせいです」とか「当然の結果では?」なんてリプを飛ばしている人たちが大勢いるが、いったいどのようなモチベーションで、誰に向かって言葉を発しているのか、ふとわからなくなった。その言葉を包んだボールを、一体どこに向かって投げているのか? 投げる以上は、方角と強さを決める必要があると思うのだけど、その設定が知りたい。正直、うまく想像できない。

涼ちゃんと川村さんの家に泊まりに行った。他に3人くらい泊まる人がいて、寝床を確保するためにものを動かしたりしている。涼ちゃんが川村さんに「なにか手伝いますか」的なことを言うと、川村さんが突然「あんたほんと気持ち悪いね」とキレはじめた。泊まって欲しいわけじゃないのよ別に、的なことを言う。こちらも「気持ち悪いなんて言うのはよくないでしょ」と怒り、二人で家を出ていった。清水裕貴さんとかに見送られた。対面したのは、これが初めてだった、という夢。

9時39分

高速のパーキングエリアで携帯をいじってたらWi-Fiがぽんと繋がって、highway bus wifiと表示されて、本線の方を見たら高速バスが通りすぎているところで、やがて行ってしまうとWi-Fiも切れた

17時59分

露天風呂で「これが好きってことなのかなあ」と聞こえてきたので思わず聞き耳を立ててしまった。話し相手の男は「あー」と生返事をしている。「最近、好きになったみたいなことあります?」「おれ、あんま好きになることないんだよね。仕事も忙しいし。好きだったら優先すると思うんだけど…」。悩ましい男たち。仕事が忙しいと、きっと誰かを好きになる暇もないよな。これが好きってことなのかなあ、という、自らの心に対する疑問が湧いてくるというのは、いったいどういうことなのか。
心になにか新しい「感じ」がやってくる。これまでに経験したことがない「感じ」だ。過去に見た映画、聞いた音楽、読んだ本や漫画、ドラマなどの参照項から「おそらくこれが『好き』という感情なのだろう」という分析をする。人間は他の人間になることはできない。だから長い歴史のなかで、文化を通して、相互に共有・確認されてきた。そんな「好き」という感情が、一人の人間の胸に去来した。僕は歴史の動脈を垣間見たのである。
人に会ったり好きになったりすることは事故のようなものだ。心は人の支配下にはない。それは体の中と外を行き来しながら周囲を漂っている。それは常にまわりの様子を伺っていて、ふとしたきっかけで突然、感動として襲ってきたりする。何かを見つけては吠え立てて、主人を不安にさせたり歓喜させたりする。しつけがされていない犬みたいだ。

韓国現代戯曲リーディング公演『青々とした日に』面白くてびっくり。リーディング公演というものを初めてみたのだけど、観客が物語に入っていけるように、魔法が解けないように、という気迫を感じた。戯曲自体に力があって(思わず戯曲集買ってしまった)、物語にはもちろん引きこまれて、韓国における兄弟愛の重要度とか、自己犠牲の美学とか、他にもセリフ全体から異文化を感じてそれも面白いなあというのはもちろん、観客がそこに入り込めるように(役者が台本を手に持ったまま話していようが)、高い精度でバランスが保たれている感じがして、もはや「リーディング公演だからよかったのではないか」と思った。ときどき演劇は見るけど、演じるとはなにかとか、言葉を発するとはなにか、ということを、リーディング公演だからこそ考えられることもあるんだなあと。不思議な時空間だった。役者の皆さんも最高。