12月29日忘年会にて

・会社を立ち上げたら苦労があるという話を友人から聞いた。「4億請求するぞ!」と言われたりするという。まるで一人の人間が他の人間を威嚇するかのように。
会社を立ち上げるということは、個人が「法人格」に変態するということだ。集団を内面化して、会社への批判や賛辞を、自分のことのように喜ぶということ。これもミメーシスのひとつの形態なのか。ワールドカップで、「国」を「代表」している選手が活躍すると、自分とは何の関係もないのに喜んだりしてしまうのと同じことが起きている。

・男女の差異の話もした。どうあっても子供を実際に産むのは女性なので、出産という身体的なリミットの切実さを男は完全に理解することができず、それは不公平だよねという話をしたかったのだが、うまく通じなかった。彼は「子供を育てることに、男か女かなど関係ない」と言っていた。それにはまったく同意するし、僕はそういう話をしたかったわけではないのだが。それに「男女なんて関係ない」と、男性が言うことに暴力性はないのか、という点もひっかかる。そこには現実に差異があるのだという認識を共有したかっただけなのだが、男である僕がそういうことを言うこと自体が、彼にとっては不愉快だったのだろう。
その場にいた女性の友人は「子供を産みたいのかどうかわからない。こんな世界に送り出すことが、子供にとってよいことなのかもわからない」と言っていた。「そうだよね」と同意した。
彼は僕に対し「体にリミットがくることなんて、最初からわかっているじゃないか。それを理解した上で付き合いはじめるべきではないのか。いまさらリミットがどうのこうのというのは、違うのではないか」といったニュアンスのことを言った。人間はそんな単純なものではないと思うのだが。どうも「子供がほしいかどうかわからない」という感覚がわからないのかもしれない。

・そこから格差の話に発展した。「生まれた家庭に本が何冊あるかで、子供の大学進学率が変わってしまう」ことを示すリサーチがあるという話をした。生まれた時から格差がある状態を強いられており、たとえば家庭に本が少ない子供は、大学に進んで専門的な仕事をする、という選択肢自体が最初から考えられなくなってしまう、という問題を共有したかったのだが、彼は「勉強ができなくて、なにが悪いのか」と言った。「それは恵まれた側の意見ではないか」と反論したが、「そうではない。勉強ができないことは必ずしも悪いことではない」という主張を繰り返した。「勉強ができないことは悪いことではない」ということ自体を考える可能性が最初から排除されている問題について話したかったのだけど。酒が入っているせいかどうも噛み合わない。

Posted by satoshimurakami