多くの場合、考えられる選択肢の中でもっともコスパがよいのは、コスパのことを考えないことである。すると私は、コスパのよい精神状態に自然と成っていく。

久しぶりの、完璧なるいい夜だった。田原さんの友人の、台湾出身の同世代で、もうすぐ日本で働き始きはじめるユンさんという人と仲良くなり、台湾語版のぼくの本と絵本をプレゼントして、タバコを吸って、内田さんも含めた四人で台湾のお茶を飲み、駅前の団子屋のおいしいみたらしだんごをたべ、ぼくが作ったココナッツケーキも食してもらい、またタバコを吸いながら台湾の言語環境の話(台湾華語を使う主に若い人が、台湾語と日本語しか話せないお年寄りと話すために台湾語を勉強したりする)やら、職場の話、九州と京都の話、戦争の話をして、以前ひとから台湾土産でもらっていたのだけどパッケージの表記が読めなくて調理法が分からなかった、スパイスの詰め合わせ(豚肉をスパイスで煮詰めた料理と鶏肉のスープの二種類)を翻訳してもらったりもして、せっかくだから夜ご飯もみんなで食べようということになり、それならいま訳してもらったこの豚肉の料理を作ろうという流れが生まれ、四人仲良く車に乗って業務スーパーまで行き豚肉ブロックとネギとごぼうとにんじんなどを買い込んで一つしかないコンロでわいわいと一時間くらいかけて調理をして、ようやく食べ始めたのが九時半。スープうまい!人参うまい!と食べながらも、日本語の難しさの話で盛り上がった。ユンさんが日本語上手でナイスキャラだから、話がもりあがる。「誤解を恐れずに言うならば、このスープは、お茶に似ている」というぼくの言葉の「誤解を恐れずに言うならば」の意味をユンさんに伝えるためにみんなであれこれ考えたり、日本語の日付の数え方は難しいという話から、日本語には「自分」を指す言葉が、わたし、ぼく、俺、うち、わし、わがはいなどめちゃくちゃたくさんあって、そのひとつひとつが微妙に違うことに関する議論でもりあがった。台湾では父と母のことをババとママと呼ぶ、日本語でもパパとママと呼ぶが、お父さんやお母さん、親父、おふくろとも呼ぶが、台湾ではそのような使い分けはない、という話も。その合間にたびたび、今回作った料理の台湾での発音をみんなで口に出して、発音完璧!とか、違う、とか言って笑う時間を挟みつつ、たぶん11時ごろまで話し込み、「片付けるか」という言葉を合図に食事会はお開きとなり、洗い物をして、ユンさんを駅まで送って解散。本当にいい夜だった。

高貴さ、気高さ、粋、といったかつての価値観は消えてしまったのか。ひろゆきがもてはやされる時代

気温が猛烈に上がり、昼間などはTシャツでもいけるくらいであった。最高気温予報は24度とのことだった。おそらく花粉由来の鼻水の猛攻を受け、朝から何百回と鼻をかみ、昼になる前に一日の体力を使い果たしてしまった。今は夜で、午前中に急遽行ってきた耳鼻科でもらってきた薬も効いておさまってくれてはいるが、日中は朦朧とした意識の中で、一昨年「みんなのミシマガジン」に書いた「顔面の住人について」という文章を思い出していた。この鼻はときに完全に我輩のコントロールを離れて暴走する。この鼻炎の発動条件が、この鼻とはもう三十四年一緒にいるのに、いまだに掴めずいる。朝などは、長袖からTシャツに着替えただけでくしゃみがとまらなくなった。おそらく肌の露出面積が増えて、体感気温がかわったからである。
第一に、この鼻は寒暖差に弱い。あわてて長袖に着替えなおした。また、掃除をしたり服をたたんだりしても、くしゃみが出てくる。花粉の時期以外はそれほどひどくないことが多いのだけど、服の繊維とかハウスダストみたいなものと、花粉が一緒にくると反応してしまう。でもこれは今日、耳鼻科の先生に否定された。「ハウスダストとかダニは、アレルギー検査で出なかった(陽性にならなかった)ので、スギ花粉だと思います」我輩はとりあえず相槌を打ってはいたが、信じなかった。でなければ、なぜ窓を閉め切った部屋で掃除をするだけでくしゃみがでるのか、説明がつかない。医学検査で特定できるアレルゲンなど、無数の因子が複雑に絡み合っている現実という海においては、海面に現れる波模様のひとつにすぎない。

先生曰く、スギ花粉に「カーボン」(排気ガスとか)がくっついて粒が大きくなったときに、花粉症が発動するという。先日、千葉の杉林に入ったんですけど、ぜんぜん大丈夫でした、と言ったら、そうなんですよ、と髪の色が非常に派手な、いかしたおばちゃんの先生が頷いていた。日中はほとんどなにも手につかず、途中で諦めて昼間から本を読んでいた。

音は覚えてないが音楽の演奏が聞こえる、広い公園に建てられている一軒家の夫婦が、隣人くらいの距離感の知人で、その奥さんに四本いりの缶ビールを、ビールとか飲みますか? と聞きながら渡す夢。奥さんは、なにかあれば飲む、というような答えだった。この家は立地がいい、音楽も聞こえるし、と言っていた。

インターネットの検索をやりすぎてしまう人の思考回路。すぐ隣に、ディープでニッチでドープな情報を山のように持っている人がいるのに、『検索』してしまう。だがネットでひっかかるのは、みんなにとって都合の悪くない最大公約数みたいなものが多い。仮に(空 何色)とかで調べたら(青)が出るだろう。黄色という意見もあるとは思うが、青、という情報を見てしまったら、青なんだなと思いこんでしまうだろう。
ネットの情報が持つ、この(匂い)をなにかに例えられないだろうか。無臭な感じというか。失敗を予め回避しようとする意志が強すぎる可能性。ネットで調べまくっていると、失敗を恐れるようになってしまう可能性。
ユーチューブで得る情報は話し言葉、ブログやニュースなどの記事から得る情報は書き言葉。受け取るときの両者の差

「てししわんしチャンネル」
という言葉が浮かんでくる夢

カメムシみたいな小さな虫を窓から逃がそうと手にのせていたら、窓際で勢いよく胞子のような細かいものを何発も噴き出してきて、怖くなる夢。

蒸したお米を置いておいて、生えたカビから麹種をつくれる

神保町に昨年できた「PARA」という劇場のような学校のようなおもしろい場所があるのですが、そこで昨年度に引き続きゼミをもつことになりました。ゼミといってもぼくが何かを教える形の集まりではなく、みんなで都内を歩きながらあれこれ観察したり、それをもとに地図を作ったりする、いわば散歩サークルのようなものです。申し込みが20日までと差しせまっていますが、もしよければステートメントだけでも読んでください!「みみず組」という名前です。

https://paratheater.com/4bbc71590ff24da6b6cbc91bf1959b7a

PARAにはアーティストや、アーティストになろうとしている人や、演劇や批評の勉強をしている人などが集まっています。「みみず組」に限らず、仲間作りの場所としておもしろいと思います。ぼくも「自分でアートを文脈化するゼミ」と「アーティストコース」には、受講生として申し込みました。ウェブサイトを覗いてみてください。

都営新宿線各駅停車笹塚行き。神保町駅から乗車。マスク着用38人、マスクなし自分含め4人。

 

PARAで石幡さんと十年ぶりに再会し、お互い生き延びましたねと言い合えたのは嬉しかった。
言い合えた、という感触はあるが、言ったのは僕だけで、向こうは「それで、ここで再会して…」と返しただけだった。考えてみれば、そういう言い方はしない人かもしれないが、そう受け取ったので、そう書いてしまった。

なぜ順序立てて物事を進めることに苦手意識があるのかを、順序立てて考えること。その正当化を試みる(正当化することは必ずしも悪いことではない)。

ある種場当たり的に、その都度眼の前のことを片付けていったほうが、最初の手順の上に、その時々の手順が重なっていくことで、結果的に自分の想定を超えたことが起こる。ふと我に返ったときに、面白いことになっている場合が多いからである。
そのためにはタスクを「こなす」という考え方をしないことが重要。そもそも、こなすという考え方が、ペシミスティックで好きじゃない。それは、突き詰めれば人間は生きていなくてもいいということになる。

久々に電車。総武線各駅停車三鷹行、マスク着用25人、マスク無し僕を含め6人くらいの比率。国が、マスク着用を個人に任せるとする日が昨日?から始まり、もっとごっそりとマスク人口が減ると思っていた(店舗入り口のマスクのお願い看板がなくなりみんなそれに合わせると思っていた)のだが、意外と終電時間帯の乗客のマスク比率は数ヶ月前と変わらない。まだまだ周囲の様子もしくは所属組織のお達し的なものを見ながら自分の着用有無を決めている模様。この国の「空気」は、政府といえども簡単には変えられないということか。
0時24分、京王線快速京王八王子行はマスク着用僕を含め36人、マスク無し8人。

前にも言ったと思うけど、台形は最強だ。なぜならふたつ並べたときに平行四辺形になり云々…と、誰かに必死で説明する夢。

大学かなにかの授業中に謎のビデオを見せられ、あまりにもつまらないので途中で退席して、鳥になって外の木の上から窓ごしにビデオを見ているみんなを眺める夢。

清須→岐阜→金沢→大町→松本という怒涛のツアーを終えて家に戻り、とろろご飯うずらの卵のせとインスタント味噌汁にインスタント海藻サラダを入れたものとミニトマトの晩ごはんを食べ、風呂に入って家の外でたばこを吸っているときにツイッターを開いたら今日3月11日という日の意味が実感され(心のどこかでわかってはいたが、ばたばたしすぎてちゃんと考えられていなかった)、夜になってしまったが黙祷をした。去年は、自転車に乗っている途中で14時46分に黙祷をしたことをおもいだした。忙しいと思い出さなくなってしまう。そこで思い出させてくれるのは他の人の言葉。

これらこれん このはしら この白い白葦

ツイッターの、新聞社や報道機関の公式アカウントが発しているニュースに、「重要なのは〇〇ですよ」とか「すべて〇〇のせいです」とか「当然の結果では?」なんてリプライを飛ばしている人たちが大勢いるが、いったいどのようなモチベーションで、誰に向かって言葉を発しているのか。その言葉を包んだボールは、一体どこに向かって投げられているのか? 投げる以上は、方角と強さを決める必要があると思うのだけど、その設定が知りたい。それがうまく想像できない。

涼ちゃんと川村さんの家に泊まりに行った。他に3人くらい泊まる人がいて、寝床を確保するためにものを動かしたりしている。涼ちゃんが川村さんに「なにか手伝いますか」的なことを言うと、川村さんが突然「あんたほんと気持ち悪いね」とキレはじめた。泊まって欲しいわけじゃないのよ別に、的なことを言う。こちらも「気持ち悪いなんて言うのはよくないでしょ」と怒り、二人で家を出ていった。それを清水裕貴さんとかに見送られた。清水さんと対面したのは、それが初めてだった、という夢。

授業中に寝てしまって全然ノートが取れていなかった。ふと中島くんが話しはじめたのだけど、それが質問というよりも、先生と対等な立場に立ち、自分の意見を言う、みたいな雰囲気で話していて、新鮮だった。終わってからぼくも刺激されて手を上げて発言をした。その内容は「乗り物が作った跡、たとえば、砂浜にできたショベルカーのキャタピラのあととかを歩くのが好きだ」という話だった。キャタピラのあとなんかは、じっさいに歩いてみると、思っていたよりも溝が深くてびっくりする。そこに「都市を作り上げるスケール感」を自らの肉体(脚)で測りなおすみたいな面白さを見出していた。溝が「ものすごく深い」とぼくが言ったときみんなは「えー!」と大袈裟な反応をした。それ以外はとくに反応もなく、自分の話ってつまらないんだろうなあと僕は思っていた、という夢。

でかい館でアート関係の大規模なパーティが行われていて、長谷川新さんや久留島咲さん(らしき人)にぼくは、4-5人のグループ展を企画しているのだけど、都内で、一人あたりが使える面積が大きな会場を借りたいのだけど、いいところを知らないか、と聞いたが、有効な答えは得られなかった。ほかに小山一平から、最近大きな仕事が入った話なども聞いた。その会場からほど近い実家に一度帰ると、何を思ったのか、父親が駐車場を工事したらしく、胸くらいの高さの石畳の波ができていた。つまり、駐車場の内側はフラットなんだけど、道路際のところだけなぜか波みたいに盛り上がっていた。家に入ったが、すぐにぼくは「また会場にもどらなきゃ」と両親に窓の外を見ながら言った。キュレーターにいい展示会場を知らないか聞けばいろいろと教えてくれるから、と。パーティ会場に戻り、ぼくはちょっとしたいたずらをしたり、いろいろやってから外に出ると、三島さんにばったり会って、「ああ、ちょうどよかったです」みたいなことを言われ、そのまま二人で「ノボリを探す」ために、ひと気のないガソリンスタンドを走りまわる夢。

下西風澄『生成と消滅の精神史』が面白くてずうっと読んでいる。西洋編の最後メルロ=ポンティの「肉の哲学」の話が素晴らしい。世界は「肉」であり、なにかを知覚することとはそこに裂け目ができることである(裂け目ができることはつまり、こちら側と向こう側が生まれることであり、視る/視られるの関係が生まれることである)。その裂け目が生まれたときに初めて「私」というものが浮きあがる。裂け目ができる前(つまりなにかを知覚する前)は、「青空と私」、「草の輝きと私」、「風の音と私」のあいだにはなんの境界もなく、すべて地続きの「肉」である。
昔から、「暑い」とか「寒い」という感覚に対して鈍感なところが僕にはあった。友人がそのたぐいの愚痴を口にしたときは、「暑いとか寒いとか言うな」なんてむちゃくちゃなことを言っていた。
「寒さ」とは、「寒い」と知覚したときに初めて生まれるものであり、その知覚以前には、「私」と「空気」のあいだには、境目がない。この本の言い方でパラフレーズするなら「私が空気を包み込んでいて、空気も私を包み込んでいる」状態である。「寒い」と感じるためには、「私」と「空気」を切り離す必要がある。
この感覚は、完全に理解できる。僕は他の人が「寒い」と言っているのを聞いてから、初めて「寒い」と気がつくことが多い。メルロ=ポンティ読みたいと思った。まず「メルロ=ポンティ」という響きも、なんだか肉肉しい。

この本、何かを説明するときに、例として「コップ」がよく出てくる。下西さんの机の、この原稿の前には、いつもコップがあるんだろう。そんな著者の時間が流れ込んでくるような、なんだか海の音をずうっと聞いているような読中感があり、ハードコアな話も多いのだけど、不思議と重たさがなくて、すがすがしい。

道端にしゃがみこんで、ものすごく困っている様子だったので、連れの友人たちとどこかに急いでいたにも関わらず、おばあちゃんに話しかけた。どうも、家のドアの鍵が閉まらなくて困っているらしい。そのドアがとんでもない代物で、地面の近くに小さな「つまみ」が、20個くらいついていて、ラジオのスイッチのように左右にカチカチとまわすことができる。この「つまみ」を正しく操作しないと、鍵が閉まらないということだった。これは、わからなくても無理もないと思った。
おばあちゃんはカスタマーサポートセンターみたいな窓口に電話をしながら格闘していたので、電話を引き継ぎ、指示を仰いだ。電話口の男は「つまみ」が光る順番を覚えてほしいと言う。ドアを閉めるとたしかに、「つまみ」が一つずつ光るようになっている。この順番の通りに「つまみ」を操作すると鍵が閉まるらしい。しかし20個くらいあるので、とうてい一人では覚えきれない。そこで居間みたいなところでくつろいでいる友人たちに協力を仰ぎ、それぞれが担当して順番を覚えるエリアを設定し、「つまみ」を回す操作をおこなった。何度かやったが、結局鍵はしまらなかった。最後、もう時間なので行かなければならないというときになって、おばあちゃんははじめて感謝の言葉を述べた。札のお金を二枚、大きな落とし玉袋に入れて渡そうとしてきた。ぼくは「結局鍵は閉められなかったので」と断ろうとしたが、なぜかその場が感動的なムードに包まれていたので、受け取った。おばあちゃんはいつのまにか小さな子供になって泣いていた、という夢。

アトリエに向かう道中にある枝垂れ桜。昨日ちょうど「咲いたねえ」という話をしたばかりだったのに、根こそぎ切られており、呆然とした。業者のお兄さん二人がせっせと作業をしていた。たぶん、苦情が入ったんだろう、と思う。交差点の見通しが悪いとかなんとか。苦情を入れるなら、自分で切るところまでやってほしい、と内田さん。もっともである。せめて自分で伐採し、汗をかいて、木端を頭から被る経験をしてほしい。なんだか街が街じゃなくなっていくようだ。樹を切るということは、街を街じゃなくしていくということである。やはり、土地を所有しないとだめだと思った。こちらが所有しないと、押し返されてしまう。対抗できない。
どうも年々、公園やら街路樹やらの、木の切り方が雑になっているような気がして、こわい。気のせいならいいのだけど、昔はもうすこし、木のことを考えて剪定をしていたような。いま、街を歩いていて目につくのは、バツンバツンと太い枝を途中で切り落とされた、不憫で不恰好なものばかりである。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺にもなっている桜の木も、そこら中で切られている。

夕方、オペラシティアートギャラリーで泉太郎「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.」を観てきた。入場前にマントを着せられた上での、囁き声のイントロダクションは、聞いていてわくわくした。ジャングルクルーズに入るときみたいで、これから美術館という「再々々野生化された」場所に入っていくから、「マントを着て壁に溶け込んでください」とか、なにやらいろいろと気をつけてください、と忠告され、冒険の始まりのような予感がした。だが、その入り口の壁の向こうで肩透かしをくらう。「空間が歯抜けしすぎでは?」と思った。ただし石膏ボードの仮設壁が倒れていたり、天井のプロジェクターや壁のモニターが全部床に落ちていたりして、展覧会の失敗した感じというか、そのこと自体を扱っている、とも思えなくもない。カタルシスの回避というか。それでも、僕はこの設営が展示オープンぎりぎりまでかかったこと、なんなら「間に合わなかった」との噂も聞いていたので、「単に間に合わなかった」「会場に散りばめられたピースが、本人が事前に想定していた完成度まで到達しなかった」という可能性を考えてしまい、ちょっと入り込めないところもあった。後半、マントがテントに変わって「座り込み」をする流れ面白いな〜とは思ったけれど、正直なところ全体的に、来場者にマントを着せるのもふくめて、「そういうの、もういらんなあ」と思ってしまった。時間がなかったのか、あるいは時間がなくなったことも含めて展示に落とし込んでいるのか、ここまでわからない展覧会も久々だったので、逆にすがすがしい感慨もある。泉さん自身はすごく面白い人なんだろうな、という後味が残っている。

PARAで石幡さんと十年ぶりに再会し、お互い生き延びましたねと言い合えたのは嬉しかった。

言い合えた、という感触はあるが、言ったのは僕だけで、向こうは「それで、ここで再会して…」と返しただけだった。考えてみれば、そういう言い方はしない人かもしれないが、そう受け取ったので、そう書いてしまった。