ご飯を食べた後に眠くなるということはつまりご飯を食べた後に眠くなることができる、眠くなれる、ということではないか。 他人と常に行動していたり、労働の中でご飯を食べてたりすると眠くなるひまもない。つまり体が食後の眠気を意識にのぼらせてこないということ。 眠くなることができるというのは社会化されていない体を持っているということではないか。
06302057
ファミレスのテーブルに設置されているタブレットに「本人確認ジャンボ」という言葉。マイナンバーカードとの紐付けで何か金品があたる宝くじみたいなもののようだが、「本人確認ジャンボ」という言葉が強すぎる。ディストピアSFに出てきそうなイベント名だ。
06291032
日焼けした腕の皮が剥けてきているのだが、昔はもっとぺりぺりっと、大きな面積を剥がせたのに、いまは細かい単位でしか皮が剥がれない。こういうところに老化を感じる
06248919
十人ぐらいで代々木公園に泊まる夢。誰かが「これが、住めりング」と言った。
06200817
吉祥寺にいるときに富士山が噴火し(目視できた)、原付きであわてて東へ逃げる。だいぶ走ったところでコンビ二かなにかの駐車場にとめ、財布を忘れたことに気がついた。その周辺で髙橋先生とか、岡崎ちゃんとか、大西くんとか、一郎さんとか(広々としたレンガ敷きのピロティみたいな、公共施設の敷地内っぽいところに避難者が集まっていて、そのなかで「未来へ号」の黄色い車体が目立っていた)何人かの人と会い、財布を忘れたことを相談する。誰かに「それは取りに行くべきだよ」と言われ、取りに行くことにしたが原付きが見当たらない。どこにとめたか忘れてしまった。途中から非常線が張られ、これ以上西へは進めないラインができていた。原付きも見つからず、困る夢
06120859
チェーン店のカフェの「おにぎりモーニングセット」についてくるお味噌汁のアサリは漂白された味がする
06110031雑誌からの採集
Qスニーカー や ペタンコ靴の日はスタイルが悪く見えるのが辛い!
Aトップスをインしたり腰 位置が高く見えるワンピースを着れば OK
(スニーカーとトップスの色 リンクでもスラリ見えを狙って)
06110013
考えすぎてしまうこと、について考えたほうがいいかもしれない。特に他人のことについて。自分が将棋をやりたいときに、相手が忙しいことを知っていながら将棋に誘うのは、自分勝手なことだと本当に言えるのか。あるいは誘わないのは、相手のことを思いやっている(おせっかいを焼いている)からだと、本当に言えるのか
06032256
松本イオンシネマで「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 3(吹替版しかなかったのでそれを)観てきた。最高
06020439
疎遠になってしまった友人と再会して「またよろしくね」となる夢を見た。ある本を「ウンコの描き方」の教科書として渡された。友人は「これ、教科書」と言っていた。そして「明日休みだから」と言って、缶ビールを飲み歩いていた。あまりにも幸福だった
0529
朝バスク風チーズケーキを作り、昼から夜にかけて手羽元のマンゴー煮を使ったトマトベースのバターチキンカレー(たけのこと菜の花の素揚げ入り)と、昨日から取っていた和風だしを使った和風キーマカレー(味噌入り)と、人参と昆布と鰹節トスナップエンドウの佃煮と、大根を出汁で煮たやつと、塩だけで味付けしたダルスープを作った
0528
高校の担任だった平野先生がいて、そこは教室のようで、他にクラスメイトは見当たらなかったけど高校の教室のような雰囲気だった。 知らない男の子が教室に入ってきて、机の前に立っていた。平野先生が近づいてきて、その知らない男子に「お前、大麻やってんのか?」と聞いた。すると男の子は観念したように「はい、すいません」と言って、カバンの中からビニール袋をたくさん取り出して見せはじめた。警察官のような人たちが教室に入ってきて、その袋を見たり触ったりして、大麻かどうかを確認していた夢
05241426
プレイ中のゲームでわからないことがあると、すぐに攻略法をインターネットで調べてしまっていることに気がついたときに、「世界を『つくられたもの』として見るようにしなさい」という心得(美大に入ったばかりのとき、ある教授も言っていた)は、たしかに大切であることは間違いないのだけど、あまりにもそれが常態化してしまうと、世界への素直な没入を妨げてしまうことにつながらないか、と思った
0523
本と時間の関係について。すでに読んだページの厚みは読み手にとっての時間を表している、というわかりやすい話の他に例えば、親元を離れて十年ほど経った成人の子供のことを、親はどこかでまだまだ子供であると思っており、実家を出てからの年月の経過を実感できていなかったとしても、初めてその子供の一人暮らしの家を訪ねたときに、本棚に並べられている本の量を目の当たりにして「ああ、時間が経ったんだなあ」と思うような、そんなこともありうる。本棚がささやかに主張する、その持ち主が経てきた時間の量のこと
05182302
私の保存食ノートという本が素晴らしい。文章を読むよろこび。書き写したい文体
05181310
「あたしゃあねえ!」といって話し始める、記憶の中の知人。
05052038
大町にて屋根のペンキ塗り作業を終え、脱衣所の水道の簡単な工事を行って水を開通させ、それからお風呂に入って、徒歩10分弱のコンビニまでヨーグルトを買いに行った(レアチーズケーキの材料)。その帰り、音楽を聴いていた(boygenius)というのもあるのかもしれないけれど、前方にいつもの北アルプスの峰々に積もった白い雪を眺めて歩いていたら、そこで蓄えられた水が少しずつ溶けてせせらぎになり、川に合流し、この道端の水路まで流れてきているということが心の底から「理解」できて、それから風が吹いていて、鳥とコウモリが飛んでいて、雲が何層も重なっているのが見えて、空き地に雑草がびっしり生えていて、そしてそのすべてを北アルプスが見下ろしていた。なんて完璧な、奇跡みたいなシステムのなかに自分はいるんだろうと、なんだか目が潤んでしまった。すべてががっちりと噛み合っていて、かつそれぞれに自立もしていて、そして風が吹いている。その「全体」がすべからく、僕の感覚を通して脳みそにおりてきた。人間は、ぜったいにこういう環境のなかに住んだ方がよい。こういう「場所」を持って生きたほうがよい。そのまま家に帰ることができなくて、買ったヨーグルトだけキッチンに置いて、冷蔵庫から缶ビールを取り出して散歩をした。北アルプスに吸い寄せられるように西の方へ向かっていった。boygeniusとブリーチャーズとブルーススプリングスティーンとUlulUを聴いた。十九時ごろから急に空が暗くなってきて、家に帰った。
05051302
東京にいるときよりもはるかに人と会う頻度が高い。越してきたばかりだというのもあるだろうが、飲み会に誘われたり、近所の友人が揚げたばかりの天ぷらを持ってきてくれたりする。東京は人がたくさんいるぶん、人と人との少しの違いが目について、飲み会などを催すときに、「この人は誘わなくていいか」とか「この人は近所だから声かけるか」みたいな無意識の選別を行いがちだけども、ここは人が少ないので多少の違いはあってもぜんぜん気にならなくて、「まあ、集まっとくっしょ」みたいな雰囲気になりやすいかもしれない。
人が少ないことが寛容さを生み出し、人が多いとかえってそれが失われるということがあるかもしれない。
05022224
昼と夜で顔が違う。昼間、陽の光の下で見たときは何とも思わなかった。たぶん一般的に年相応の、堀が深めで多少こわい印象ではあるがそういう顔立ちの人、という感じだったのだけど、夜薄暗い部屋の明かりの下で見たときは、子供っぽくてかわいらしい瞬間もあれば、般若みたいにおそろしい表情が浮かぶ瞬間もある。年齢が読めない顔つきで、全体に影がある。元々影のある人ではあるのだけど、夜の海みたいな暗闇を感じさせる。あるいは暗い部屋。昼と夜で顔が違う。
04302201
壁に備え付けの、不要になった換気扇のカバーを外したら、中でコウモリが熟睡していた。コウモリの家になっていた。ぷるぷる震えながら自分の糞に包まれて小さく丸まっており、つついても起きなかった。毎夜、目覚めてここからどこかに出掛けていき、明け方ごろにここに帰ってくるのだと思うと、なんとかわいい生き物だろう。だが家の中で共生はできないので、換気扇ごと解体して逃した。申し訳ない。
04290505
非常に狭い風俗店?でのバイトに久々に出勤したのだけど、着いてすぐボサボサの髪型を怒られ、開店前に慌ててコンビニに走ってひげ剃りとハサミともう一つ何かを買おうとしたのだけど、ハサミはいらないなと思い直して返却し、店に戻ると「新人研修会」が開かれていて、その脇をすり抜けてめちゃくちゃ狭いトイレに入り、ひげを剃る。そのひげ剃りが、金属製のブラシが先端についた細長いタワシ(あるいは歯ブラシ)のような形をしており、それをひげに当ててシャカシャカこするだけで剃れていくという優れものだった。トイレには蛇口があるのにそれを受ける流し台がなく、誰かのバスタオルがぶら下がっていた。久々の出勤で仕事内容はまったく覚えていないが、まあとにかく客に失礼のないようにやれば大丈夫だろう、昔だったらびくびくしていたけど、自分も歳をとったせいか太々しくなったな、とトイレの中で思う夢。
04281119
御小昼(おこひる)。朝の農作業のあとの食事休憩
04261949
文章でも展覧会においても、大町にある温泉「高瀬間」の露天風呂のようなものを考えること。 数ミリ単位で微調整すれば後頭部がぴたっといいポジションにはまり込む岩や、耳まで湯船に浸かると海の浅瀬の水中に住んでいる生き物になったかのような音が聞こえるポイントや、深海魚になったような音が聞こえるポイント、平たい岩を体を横たえてみて、そこが寝るのにとてもよい場所だと発見する(これに「寝湯」などという看板が立っていたら台無しである。ただ岩場が無造作にひろがっているように見える空間で、自分で「横になるのにちょうどよい岩」を見つけるのがよいのだ。いろいろな大きさや形の岩に身体を当てはめてみる。自分が動物であることを思い出すような、身体のポジショニングと自然の造形が生む一致を)ようなこと。そんな混沌と秩序のバランスを考えること。
04250759
大町に購入した中古物件に引っ越しつつある。僕の部屋にもともとあった、おそらく20年以上前に製造された密閉式石油ストーブのスイッチを今日初めて入れてみた。2回くらい消火と点火を繰り返してみたのだけど、チッチッチッチ……という小さな音が鳴るばかりで、10分以上経っても点火しなかったので諦めかけていたのだが、3回目につけたとき、キュイイ……というやばそうな音と共にそいつは動き出した。突然爆発したらどうしようと壁に隠れて見守っていたのだけど、大袈裟な音ばかりでしばらく経っても火が点かない。これ以上続けたら本当に爆発するのではと思ってツマミを消化に合わせた直後、送風口から確かに温風が出ていることに気がつく。壊れていなかった。売主から「壊れてるんじゃないですかね」と適当なことを言われていたそいつは、壊れていなかったのである。オオォンと不器用な音を奏でつつも、確かに火は点き、暖かい風を送ってくれているのだ。スター・ウォーズにありそうな、古い宇宙船のスイッチを何十年かぶりに入れるシーンみたいだ。失われた文明の遺産がここにあり、こいつは点火されるのを待っていた。もう壊れてるだの使えないだのと、試してもないのに勝手なことを言う人間なんぞの意識よりもはるかに長い命を、このストーブは持っていたのである。僕は思わず「すごいなお前」と撫でた。
0423
まだ明るい時間なのに電柱の外灯が点灯したのを見て、自分の家だったら電気代を気にして絶対にやらないことので、そういう節約について考えなくていいから楽だなあと思った直後にしかし、電気を発電するためには CO2を排出する必要があるので、地球の資源を無駄に使って嫌だなと思った。もしかしたら人が他人の行いを注意したり監視したりするような風潮は、地球全体が自分の家のような感覚を作り出して、地球環境問題が一人一人の内なる問題になったことと関係があるのではないか。つまり「自分事」の範囲を大きく広げていく練習を、地球環境問題がさせている。それはもちろんいい面もあるのだけど、同時に人の行いを過剰に気にするようになることも助けてしまっているのではないか。