よかったこと。今日は、駅前の日高屋でラーメン食べたあと、会計中にトイレに行きたくなったのだけど、店を出てすぐに公衆トイレがあったのがよかった。
自分自身に触れるのが一番難しいし、本当のことを言うといつも涙ぐんでしまうが、やっていこう
よかったこと。今日は、駅前の日高屋でラーメン食べたあと、会計中にトイレに行きたくなったのだけど、店を出てすぐに公衆トイレがあったのがよかった。
自分自身に触れるのが一番難しいし、本当のことを言うといつも涙ぐんでしまうが、やっていこう
喫茶店。隣の席で女性二人が「自分に好意がないのに好意を向けられるのって、すっごい疲れない? なんでか知らんけど」という話をしている
東大の学校図書館みたいな家にいて、外は夜で、かなりの雨が降っている。訪ねて来ていた友人が自転車で帰ろうとしているので、すごい雨だから車で送っていくよ、と何度も提案するが断られる。私は諦めて、雨の中家に帰っていく友人を見送る、という夢。私は謝った。向き合って、頭を下げて、ごめんなさいと言った。友人は、あなたは大きすぎて、一緒に仕事をするのは難しかった、と言った。
お金がある時にしかできないことはあるが、お金がない時にしかできないことも多い。そのときに固有の体があるから。同じように悲しい時にしかできないことと楽しい時にしかできないことがあるし、体調がよい時にしかできないこと、悪い時にしかできないこと、自分にはできると信じられる時にしかできないこと、自信がない時にしかできないことがある。どうしてもできないときにしか見えない景色もある。なぜできないのかと落ち込むのではなく、そのときにできること、見える景色を肯定的にとらえること
予定していた愛知行きが雨予報で延期になったので、清原惟『すべての夜を思いだす』をユーロスペースで観てきた。お昼過ぎからひどい雨とのことだったので、朝起きてすぐに家を出て10時の回。他に客は10人くらい。そういえば昨日も渋谷に行った。映画館を出て、このあいだリサイクルショップで買った帽子を被って街を歩いた。視界の上のほうに帽子のつばが広がって、屋根みたいになっている。そんなふうに風景を見ていてふと、この帽子の前の持ち主もこんなふうに、帽子のつばごしに世界を見ていたのだ、と気がついた。同じ家の窓から外の景色を見る別の人のように。自分の目で世界を見るとき、その視界に自分は入らない。誰にとっても。とすると、仮にいまここにある私の視点が、以前の持ち主の視点にすりかわったとしても、映像としては特に何かが変わることはない。自分以外の誰かがその切り替わりを映像として眺めたとしても、帽子を被っている人間が変わったことには気がつかない。『すべての夜を思いだす』のなかで多用されていた風景を映している長回しのショットは、誰かの視点を思い起こさせた。ただ、誰がその主体なのか、さっきのショットと今のショットで主体は切り替わっていないのか。映像だけを観ている自分にはわからない。画面の中で進むストーリーと同じくらいに、これは誰の視点なのかを考えてしまう映画だった。だから観おえたあと、ロビーでパンフレットを買おうとスタッフのひとに声をかけたとき、自分の視界の「後ろ」から(自分の)声が出てきたことにちょっと驚いてしまった。映画のなかでそんなことは起こらなかったから。加えて、スタッフの人が私に向かって金額を告げたときは、画面の中にいるひとがカメラに向かって話しかけてくるような奇妙さもあった。そんな場面が映画の中でも一度だけあった。このカメラ自体が人の視点みたいだと思い始めたころ、いきなり画面の中にいる二人から話しかけられ、鳥肌が立った。『すべての夜を思いだす』を二時間みたことによって、映画の視点が現実の自分の視界に重なってしまうような感じ。奇妙だけど、不思議と嫌な感じはしない。ふだん私は自分の視界のことなど特に意識せず、そこに映っている人間に向かって話しかけ、自分の声を視界の「後ろ」に聞きながら会話をしている。当たり前のことだ。でもいっぽうで私は、以前別の人間がかぶっていたリサイクルショップの帽子を被り、同じ窓から世界を見てもいる。
同じ家の窓から違う人が風景を見るみたいに、自分も世界を見ているのだとしたら、そこでいう家ってなんなんだろう。
「自分にもっとも近くて、崇高で、大切にしている「自分」というイメージが、ガザのことで傷つけられてしまった」
学校のようなところで、好きな料理をミニチュアでつくる、といった授業を大勢で受けている。僕は最初小さな望遠鏡(小指くらいのやつ)をつくって、それがなぜ料理なのかということを一生懸命考えていた。そのあとサラダのミニチュアを二つ作り、できあがったころにはみんなとっくに完成していて、僕は遅れて自分のものを並べにいく、という夢
渋谷公園通りギャラリーでの展覧会「共棲の間合い」に参加しています。落ち葉に付着している微生物の熱を足湯などで体験できる作品です。
展覧会名 | 共棲の間合い -「確かさ」と共に生きるには- |
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会期 | 2024年2月10日(土)–5月12日(日) |
開館時間 | 11:00~19:00 |
休館日 | 月曜日(2月12日、4月29日、5月6日は開館)、2月13日、4月30日、5月7日 |
会場 | 東京都渋谷公園通りギャラリー |
入場料 | 無料 |
出展作家 | 折元立身、酒井美穂子、スウィング、村上慧 |
主催 | (公財)東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 東京都渋谷公園通りギャラリー |
https://inclusion-art.jp/archive/exhibition/2024/20240210-178.html
I’m participating in the exhibition at Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery
Title | Space in Symbiosis -How to live with “certainty”- |
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Period | Saturday, 10 February – Sunday, 12 May 2024 |
Opening Hours | 11:00 AM- 7:00 PM |
Closed on | Mondays, 13 February, 30 April, 7 May *except 12 February, 29 April, 6 May |
Venue | Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery |
Admission | Free |
Artists | ORIMOTO Tatsumi, SAKAI Mihoko, Swing, MURAKAMI Satoshi |
Organized by | Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery, Museum of Contemporary Art Tokyo, Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture |
https://inclusion-art.jp/en/archive/exhibition/2024/20240210-178.html
霞が関用語で現金のことを実弾というらしい。このネーミングセンスも、それをメディアの人間がよしとして使っている雰囲気もすべてがキモい。特にパレスチナで行われている大量殺人の惨状を日々SNSを通じて思い知らされている現在においては鳥肌が立つほどキモい。この名付け方だけで、いかに霞が関がホモソーシャルでマッチョな空気に支配されているかがわかる。
つつじヶ丘アトリエを出て左に進むとそれなりの上り坂になっていて、しばらく進んで振り返るとけっこう感動的な見晴らしが広がっている。しかしなぜそうなっているのかは考えたことがなかった。アトリエの庭にはおどろくほどの蚊が沸くし、「東京にそんな虫はいない」と人に言われてしまったこともあるムカデやブヨもけっこういて、特にブヨには春〜夏にかけて、畑仕事をしている誰かしらが必ず刺されてしまって痛い目に遭う。でもこんな都内住宅地の真ん中にブヨなんかがいる背景については考えたことがなかった。
これらの理由が、「つつじヶ丘」になる前はなんという地名だったのかふと気になってネットで調べていくうちに思いがけず解けていった。まずブログhttps://umemado.blogspot.com/2020/11/57.html?m=1を見つけ、70年ほど前まではこのあたりは金子という地名で駅名も「金子駅」だったが京王電鉄の開発事業の影響でつつじヶ丘駅という名前に変わったことがわかった。ここで紹介されている写真のキャプションに「国分寺崖線」という言葉を見つけ、これなんだっけかなと調べてみるとhttps://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/010/003/001/d00004905.htmlこのページを見つけた。要するに今アトリエがあるあたりに10万年前に流れていた多摩川が徐々に南下していく過程で台地を削り、削られた土地は崖になって残った。その崖の跡が国分寺崖線である。土壌が豊かで水を多く含み、世田谷区にはある百の湧水のほとんどもこの崖線沿いにある。等々力渓谷もこの崖線の一部である。
アトリエの北にある坂道はこの崖線そのもので、ここを登ることは立川台地から武蔵野台地へ上がることを意味している。甲州街道を仙川方面に進むとぐっと上り坂になっているのも同じこと。さらに言えばブヨが多いのもなんらかの影響があるだろう。もしかしたら建物内が底冷えするのもなにかしら影響があるんじゃないか。
この話をアトリエの田原さんにメールしてみたら、さすが田原さんは以前から崖線の土地利用について自転車で走りがてら観察していたらしく、府中からつつじヶ丘にかけての「野菜の無人販売所」の多くは崖線沿いにあるという。きっと河川が養分を運んで肥沃な土壌になったことや、水の流れで開けた土地が確保できたことなんかが影響して、洪水の心配がなくなった頃から農業が盛んになったのかもしれないと言っていた。アトリエ近所の野川沿いには出山横穴墓群という遺跡があり、古くから人が住み着いてなにかしてたんじゃないか、とも。
とすると、つつじヶ丘駅の南側は「つつじヶ丘」という地名ではあるが、実のところ全然「丘」ではなく、崖の下にある土地ということになる。
カフェにてなかなか歳のいったおじさんと大学生くらいの女性が隣の席でランチを食べていた、という流れを踏まえて店を出る時に女性が放った「お会計は別々で」の衝撃
私は技術を持っている、と私は思っていない。私は技術を持っている、と思うためには、私以外の人間が持つ技術と、私が持つ技術とはおなじ地平にあり、それぞれに優劣をつけることができる、と信じる必要がある。私はそれができない。どうしても、人間はそれぞれに固有の「場所」のようなものの上にいて、たとえばある土地の地名の由来に関する昔話と、まったく別の土地の昔話とを、どちらが優れているかと考えるのがナンセンスであるのと同じように、あるいは異なる言語同士に優劣をつけることができないのと同じように、人間と人間は最初から最後まで、何一つ比べられるものを持っていない、という認識から逃れられない。
なので私は、人になにかを教えるということがとても苦手であるし、人から教えられることもあまり得意ではない。
しかし、そうも言ってられない現実もあり、わたしが感じたことやわたしなりの技術を、人に教えるべきタイミングは存在する。そのような機会がこの歳になって増えてきたように思う。私は技術を持っている、と私は考えを改めるべきなんだろうか。
家を長期間留守にして久々に帰ってきたポストに溢れている封筒や広告チラシなどを見て「お便りたくさん届いてる」と言うひと
じいちゃんの言葉。実家の近所のハンバーグ屋「ポパイ」にて、席についてしばらくして、なにやらきょろきょろしてから、もの言いたげに口をもごもごして
「はつみさんは?」
と、はつみさんに聞いた。はつみさんが「わたしここよ、はつみ」と答えると、こんどは
「ここにいない人は?」
と聞いた。すごい質問だと思った。ここにいない人は? 当然ここいる人はみんなここにいて、ここにいない人はいないのだから、この質問には誰も答えられない。
「付き合ってもいいかなー、みたいな感じなの! で、やべー嫌われたかなと思ったのは、クリスマスマーケットで、北欧の小物みたいなのがいっぱい売ってて、それ見てて、ちいさいぬいぐるみがあって、値札見たら二万三千円で、たっけ!て思って。それで帰り道に、あのぬいぐるみの値段みた?って聞いて、見てないっていうから、めっちゃ高いよ! いまから店戻って確認してみる? って言ったら、店入って値段だけ見る客いたら嫌でしょ、って言われて、やべー嫌われたかなって思った!」
アトリエ近所のスーパー銭湯の露天風呂。
「なんでこんなにカップルいるのに、俺に居ないの?」
「わはは。わかるわかる」
「こいつにいんのに!? みたいな」
「ぎゃはは」
パスモのチャージ画面で10,000円のボタンを初めて押した日。大人になったなあ、という実感がある
深夜、じいちゃんが突然弟の部屋に入ってきて、「出口はどこかね?」と言った という話をきいた
ベッドに寝込んでいる高校の同級生「加藤さん」の体重を測って用紙に記録する仕事を、知らない男の人から教えられている。用紙には9時半、12時、12時20分、12時40分、13時、18時、といった形で体重を記入する欄がある。なぜか12時台だけは頻繁に測定する必要があるらしい。しかし男の人がいまいち何を言っているのかわからず、何度も聞き返しているうちに別の仕事を与えられ、僕たちは二人でなにか大きなものを運んでいる。その間も僕は質問を続けるのだが男はうんざりした様子で座り込み、土を使ってなにかオブジェのようなものを作りはじめる。お昼休みが終わる直前で、僕はまだ何も食べ物を買っていないことに気がつく。男は友達がたくさんいる人気者で、友達たちのところに行く。13時直前、売店で買い物をしていて、ガラスの陳列棚を開けたら急に防犯ブザーのようなものが鳴り、建物内の電気が真っ暗になる。僕は知らなかったのだけど、今日午後は臨時休校らしいということを理解して、商品(パイの実のような見ための、しかしパイの実ではない甘いお菓子の大袋)を慌てて棚に戻して建物の外に出る。他の生徒たちはみな家に帰っていくが、左を見ると広い中庭のような空間が広がっていて、そこが西陽を受けてとてもいい雰囲気で、バンドの音なんかも聞こえてきて楽しそうなので僕はそっちへ行ってみる。外壁をよじ登ってバンドのコンサートを少し聞いて、また外壁をスルスル降りていってさっきの中庭に戻り、歩いているとポケモンが戦っている映像が壁にたくさん取り付けられているモニターで流れていて、その楽しげな映像になぜか泣きそうになる。こういう、子どものときにひたすら何も考えずに見て楽しんでいたような、ただただ楽しいコンテンツをもっと見たほうがいいかもしれないな、と思った。もうすこし歩いていると、今度は色々な種類のスパイスが入っているハンバーガーが売られている。ハンバーガーはハンバーガーとしておいてあるわけではなく、なにか材料のようなものの詰め合わせで置かれている。わかりやすい店頭があるわけでもなく、外壁に貼り付けられていたり、中庭の一部天井がある部分(とても低い位置にある)の天井に貼り付けられていたりした。
実家の近くにあった駄菓子屋「お菓子のふたば」で、来月で閉店する旨が書かれた張り紙が貼られているのを発見し、一緒にいた友達に、ここは小さい頃から通っていた店で、閉店はショックだ、と説明している夢。私は涙ぐんでいた。夢の中で泣くのは珍しい。その店に私はなぜか大量の木材を預けてあり、家に持って帰らなければならないのだけど、車が停めてある駐車場がすごく遠くて,そこに停めたことを後悔した。休日の予定を立てる中で、ここに車があったら便利だろう、と思ってわざわざ選んで停めた駐車場だった。
お菓子のふたばの店主のおじさんと話をして、ここは昔からの思い出の店であることを伝えた。小さい頃に弟がこの入口で転んで頭から血が出たこともいまでは思い出になっている、と、いつの間にかその場にいた弟と一緒に伝えることもできた。
夢から覚めて気がついたが、現実にあの位置にあった店は駄菓子屋ではあるが「ふたば」という名前ではない。ふたば、というのはそこから数十メートル離れた商店街に実在したおもちゃ屋だった。夢に出てきたお菓子屋の店主は、その「おもちゃのふたば」の店主のおじさんだった。あの昭和の俳優みたいな堀りの深い顔立ちは夢でもしっかりと再現されていた。「おもちゃのふたば」も駄菓子屋も、現実ではとっくにつぶれている。
朝の新宿駅ホームうるさすぎる。毎秒毎秒「注意してください」とうるさく言われると本当に危ないときに反応できなくなるし、みんながノイズキャンセリングイヤホンをしたくなるのもわかるし、そうすると周りの事象や景色に反応できなくなっていく体に変わってしまうのもわかる。なにかの原因で遅延しているらしいが「電車が遅れています」「遅れてもうしわけありません」と頭上の無数のスピーカーから謝られつづけていると、自分はそんなに急いでいるわけではないのに、めちゃくちゃ遅れているような気がしてきてしまう。ぜんぜんのんびり移動しているつもりだったのに、強制的に「遅れている」という状況にさせられ、「なんで遅れてんだよ馬鹿野郎」という気持ちが芽生えてしまう。意識を変えさせられている。
テラダアートアワードの設営作業後、屋外の喫煙所で友人とタバコを吸っていたらすぐそこの歩道でおじさんが倒れた。すぐ立ち上がるかと思いきや、倒れたまま動かない。思わず駆け寄って大丈夫ですかと声をかけたら、酔っ払っているのか、非常にぎこちない挙動でなんとか起きあがろうともがきながら、大丈夫です、とおじさんは答えた。その場を通りすがった女性も、大丈夫ですかと声をかけていた。倒れたときに打ったのか、おじさんは鼻から血がでていて、ワイシャツの首元に赤い筋が伸びている。路上にも数滴の血痕。かなり酔っ払っているのか、あるいは脳梗塞の前兆じゃなければといいなと思ったけど、何度「大丈夫ですか」と声をかけてもおじさんは「大丈夫です」と答え続け、女性が「これよかったら」と差し出したティッシュも断った。最後にダメ押しの「大丈夫です」を、僕の目を見てはっきりと口にして、なぜかすこし微笑んだ。もしかしたら気がついてないのかと思い、「鼻血がでているので」と教えたら、おじさんは「ああ」とだけ言った。再びティッシュを差し出そうとする女性を、おじさんはふたたび手で制する。ふらふらと立ち去っていく後ろ姿を3人で見送り、途中で停めてあった自転車にぶつかって転んだところでまたかけより、でもすぐにおじさんは立ち上がってふらふらと歩いていった。酔っ払ってるんですか? と聞いたほうがよかったのか。もし酔っていないのならすぐに病院に行くなり救急車を呼ぶなりしたほうがいいのだろうけど、おじさんはたしかに「大丈夫です」と答えたので、こちらも酔っ払ってるんだろうとしか思わなかった(というよりもそう思いたかった)のだが、後ろ姿がずっとひっかかっている。作品設営の心配事あれこれが吹っ飛んでしまった。
右目にトランプカードが入ってしまい、その角をつまんで取り出す夢。カードの数字は9だった。出す時に目を少し切ってしまい、ひりひりと傷んだ。
家庭環境や日々の生活のなかで知らないうちに自分の中に形作られてきた、ある種の「本のようなもの」をもとに、調理方法など外からの情報を参照しつつ、料理をしている。それは「自分のレシピがある」ということではなく、それよりも上位の概念のように思われる。インターネット上で誰かが書いた「レシピ」も、じゃがいもや醤油などと同じ「素材」として扱い、料理しているような感覚。
つつじヶ丘の書原が閉店するという悲しいニュースを受けて久々に本を買いに行った。ウェルベックの新作『滅ぼす』を見つけて、いつもならウェルベックの新作というだけで迷わず買って読んでいるのに、タイトルに怯んで買うことができなかった。最近の世界情勢があまりにも暗く、タイトルからパレスチナのことを連想してしまって、読む気になれなかった。いまは、こういうのはいいかなと思ってしまった。このところ展覧会の準備で身動きがとれないほど忙しいが、この日はPARAに行ったあと、国会正門前での抗議運動にもすこし参加して、タチアナさんというパレスチナにルーツがある方のスピーチを聞いてショックを受けたばかりだったというのもあるかもしれない。パレスチナの少年が母親について書いた言葉をタチアナさんは読み上げていた。その母親は、自分の子供たちの腕や足など体のいろいろなところにその子たちの名前を書いたという。爆撃などで殺されて体がばらばらになってしまっても、誰の体かわかるように。なんてリアルで痛ましい話だろう。スピーチを聞きながら涙ぐんでいる人もたくさんいた。パレスチナ問題についてすこしずつ勉強しているが、すればするほど本当に理不尽で、こんな状態になるまで放置してしまった責任の一端は明らかに、私たちにものしかかっている。どこに寄付するべきか迷ったが、いくつかのニュースを見たうえで国境なき医師団に少額ながらお金を送り、また署名と、イスラエル関連商品のものを買わないように気を付けること。とはいえ限界がある。銀行に預けているお金もおろしたほうがいいのだろうけど、すぐにはできない。私の生活は破壊の推進に組み込まれてしまっている。一方で停戦を願い、寄付と署名をして、また一方では戦争に加担している面が否めない。頭では平和を望みながら、私の腕は人を殴り、私の足は人を踏みつけている。
侵略を望む人たちがその手で人を殺すわけではない。その場にはいない人たちが命令をし、その命を受けた兵士たちが返り血を浴びている。
問題の緊急度と深刻さが違いすぎるので、あまり身近な問題に引き付けて考えるべきではないのだろうけど、東京の木々も、その場にいない人たちが伐採を命じ、その命を受けた下請けの人たちがチェーンソーを握って木端を浴びている、という構造がある。せめてそれを望むひとが自分の手でやってくれと思うが、そうはならない。