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つつじヶ丘アトリエを出て左に進むとそれなりの上り坂になっていて、しばらく進んで振り返るとけっこう感動的な見晴らしが広がっている。しかしなぜそうなっているのかは考えたことがなかった。アトリエの庭にはおどろくほどの蚊が沸くし、「東京にそんな虫はいない」と人に言われてしまったこともあるムカデやブヨもけっこういて、特にブヨには春〜夏にかけて、畑仕事をしている誰かしらが必ず刺されてしまって痛い目に遭う。でもこんな都内住宅地の真ん中にブヨなんかがいる背景については考えたことがなかった。
これらの理由が、「つつじヶ丘」になる前はなんという地名だったのかふと気になってネットで調べていくうちに思いがけず解けていった。まずブログhttps://umemado.blogspot.com/2020/11/57.html?m=1を見つけ、70年ほど前まではこのあたりは金子という地名で駅名も「金子駅」だったが京王電鉄の開発事業の影響でつつじヶ丘駅という名前に変わったことがわかった。ここで紹介されている写真のキャプションに「国分寺崖線」という言葉を見つけ、これなんだっけかなと調べてみるとhttps://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/010/003/001/d00004905.htmlこのページを見つけた。要するに今アトリエがあるあたりに10万年前に流れていた多摩川が徐々に南下していく過程で台地を削り、削られた土地は崖になって残った。その崖の跡が国分寺崖線である。土壌が豊かで水を多く含み、世田谷区にはある百の湧水のほとんどもこの崖線沿いにある。等々力渓谷もこの崖線の一部である。
アトリエの北にある坂道はこの崖線そのもので、ここを登ることは立川台地から武蔵野台地へ上がることを意味している。甲州街道を仙川方面に進むとぐっと上り坂になっているのも同じこと。さらに言えばブヨが多いのもなんらかの影響があるだろう。もしかしたら建物内が底冷えするのもなにかしら影響があるんじゃないか。
この話をアトリエの田原さんにメールしてみたら、さすが田原さんは以前から崖線の土地利用について自転車で走りがてら観察していたらしく、府中からつつじヶ丘にかけての「野菜の無人販売所」の多くは崖線沿いにあるという。きっと河川が養分を運んで肥沃な土壌になったことや、水の流れで開けた土地が確保できたことなんかが影響して、洪水の心配がなくなった頃から農業が盛んになったのかもしれないと言っていた。アトリエ近所の野川沿いには出山横穴墓群という遺跡があり、古くから人が住み着いてなにかしてたんじゃないか、とも。
とすると、つつじヶ丘駅の南側は「つつじヶ丘」という地名ではあるが、実のところ全然「丘」ではなく、崖の下にある土地ということになる。

Posted by satoshimurakami