ツァラトゥストラ上 | 

光文社古典新訳文庫 ニーチェ 著 丘沢静也 訳
「ツァラトゥストラ(上)」からいくつか抜粋。
たぶんこの本は、訳者によって印象がだいぶかわるように書かれているように思う。他の訳も読んでみなければいけないと思う。

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「人間は、1本の綱だ。動物の超人の間に結ばれた綱だ。ー深い谷の上に架けられた綱だ。向こうへ渡るのも危険。途中も危険。ふり返るのも危険。ふるえて立ち止まるのも危険。人間の偉いところは、人間が橋であって、目的ではないことだ。人間が愛されるべき点は、人間が移行であり、没落であることだ。」


ああ、兄弟よ、俺が創造したこの神は、人間が造った作品であり、人間がいだいた妄想なんだ。いろんな神々と同様に!
人間だったんだよ。神なんて。人間と「私」の貧弱なひと切れにすぎなかったのさ。自分の灰と残り香から生まれたのが、この幽霊なんだ。嘘じゃないぞ!彼岸からやってきたんじゃない!


兄弟よ、君に徳があって、それが君の徳であるなら、その徳は誰の徳とも共通点がない。
もちろん、君はそれに名前をつけて、愛撫するつもりだ。その耳を引っ張って、退屈をしのぐつもりだ。
だが、しかし!名前をつけてしまうと、名前は大衆に共有される。君の徳といっしょに、君も大衆の群れになってしまう!
だから、こう言うほうがいいだろう。「私の魂に苦さや甘さをあたえるもの、しかも私の内蔵の飢えでもあるもの。それは言い表すこともできないし、名前もないんです」
君の徳は、うんと高貴であるべきだ。名前で呼ばれるほど馴れ馴れしいものであってはならない。どうしてもそれについて語らなければならないときは、たどたどしく語ることを恥ずかしいと思うな。
たどたどしく言えばいいのだ。「これが私の善なんです。私が愛してる善なんです。こんなに私は気に入っているんです。こんなふうにしか私は善を望みません。善を、神の掟としては望みません。人間界の規約•必需品としては望みません。それを、地上を超えた世界や天国への道しるべにするべきではない。地上の徳なんですよ、私が愛するのは。この徳は、あんまり利口でもないし、皆さんがもっている理性もほとんどもっていない。でも、この徳は、鳥のように私のところで巣をつくった。だから私はこの鳥を愛し、胸に抱くわけです。ーいま、この鳥は私のところで金の卵を温めている」
こんなふうにたどたどしくしゃべって、君は自分の徳をたたえるといい。


書かれたもののなかで、俺が愛するのは、地で書かれたものだけだ。血で書け。すると、血が精神であることがわかるだろう。
知らない血を理解するのは、簡単にできることではない。読書する怠け者を、俺は憎む。
読者というものを知っている人間なら、読者に合わせて書くことはしない。あと1世紀、読者というものが存在しつづけるなら、ー精神は、悪臭を放つだろう。
誰もが読めるようになることを許される。そんな事態になれば、長い目で見ると、書くことだけでなく、考えることまでが駄目になる。


君たちの中で誰が、笑いながら高められていることができるのか?
一番高い山に登っている者は、どんな悲劇的なゲームであっても、どんな悲劇的なまじめさであっても、せせら笑う。
勇気をもて、動じるな、嘲笑せよ、暴力的であれーと、知恵が俺たちに要求する。知恵は女だ。いつも戦士しか愛さない。
君たちは俺に言う。「人生を背負うのはむずかしい」。だが、何のために朝にはプライドが、夕方にはあきらめが用意されているのだろうか?


「~しかし、人間も木も同じようなものだ。木が高く明るい空にむかって伸びようとすればするほど、木の根はまずます力強く、地中に深く潜り込んでいく。下へ。闇の中へ。深みの中へ。ー悪の中へ」
~「もしもこの木が、しゃべりたいと思っても、この木の言うことを理解するやつはいないだろう。あんなに空高くまで伸びてるのだから。
というわけで、この木は待っている。待っているんだ。ーしかし、何を待っているのか?あまりにも雲の座の近くで暮らしているので、稲妻に最初に打たれることでも待っているのだろう」


たとえば、自分の中に肉食獣を飼っている恐るべき連中がいる。官能か、自分の肉を引き裂くことしか知らない。連中にとっては官能も、自分の肉を引き裂くことなのだ。
この恐るべき連中は、人間にすらなったことがない。生きることをやめよ、と説教されて、自分から消えてもらいたいものだ!


兵士の姿はたくさん見える。だが俺が見たいのは、たくさんの戦士だ!身につけているのは、「制服」と呼ばれるものだ。だが、その下に隠されている中身までもが、制服のようであってほしくない!
君たちの目には、いつも敵をー君たちの敵をー探していてほしい。君たちのなかには、ひと目で敵だと見破った者もいる。
自分の敵を探すのだ。自分の戦争を戦うのだ。自分の思想のために!君たちの思想が負けても、思想に対する君たちの誠実さが勝利を喜べばいい!
平和を愛するなら、新しい戦争のための手段として愛するべきだ。長い平和より、短い平和を愛するべきだ。
俺がすすめるのは、労働ではない。戦争だ。俺がすすめるのは、平和ではない。勝利だ。君たちの労働は戦いであるべきだ!君たちの平和は勝利であれ!
~君たちに言わせれば、よい目的が、戦争をさえ正当化する。だが俺に言わせると、よい戦争がどんな目的でも正当化する。
隣人愛よりも、戦争と勇気のほうが、大仕事をたくさんやった。君たちの同情ではなく、勇敢さが、不幸にあった人たちをこれまで救ってきた。
~敵にしてよいのは、憎むべき敵だけだ。軽蔑すべき敵など相手にするな。自慢できるような敵しか相手にするな。そうしておけば、敵の成功は君たちの成功にもなる。
~生きていることへの愛を、君たちにとって最高の希望への愛とせよ。君たちにとって最高の希望を、生きていることの最高の思想とせよ!
君たちにとって最高の思想を、この俺が命令してやろう。ーそれは、「人間は、克服されるべき存在なのだ」という思想だ。
というわけで君たちは、服従と戦争の人生を生きるのだ!長生きすることに、どんな価値があるというのだ!いたわられたいと思う戦士など、いないだろう!
俺は、君たちをいたわらない。心の底から君たちを愛しているぞ、戦う兄弟よ!ー


俺が国家と呼ぶのは、善人も悪人も、みんなが毒をのむところのことだ。国家とは、善人も悪人も、みんなが自分を失うところ。国家とは、みんながゆっくり自殺することがー「生きる」ことであるとされるところ。
~国家が終わるところで、はじめて、余計な人間ではない人間がはじまる。そのとき、なくてはならない人間の歌がはじまる。一回限りの、かけがえのないメロディー。
国家が終わるところで、ー兄弟よ、その向こうを見てもらいたい!虹が見えないだろうか?超人への橋が見えないだろうか?


偉大なものはすべて、市場や名声から離れたところで生じる。新しい価値をつくる者は、昔から、市場や名声から離れたところに住んでいた。
孤独の中へ、友よ、逃げろ!毒バエに刺されているじゃないか。激しく強い風の吹くところへ、逃げろ!
孤独の中へ逃げろ!みじめな小物たちの、あまりにも近くで、君は暮らしてきた。目に見えない連中の復讐から逃げろ!君にたいして連中は復讐しかしない。
連中に手をあげるのは、もうやめろ!連中は無数にいる。ハエたたきになるのは君の運命じゃない。


君は、束縛から自由になることを許された人間なのか?仕えることを放棄したら、自分の最後の価値を放棄することになった人間もいるぞ。
何からの自由?ツァラトゥストラにとって、そんなことはどうでもいい!君の目ではっきり告げてもらいたいのだ。なんのための自由なのかを?
君は自分にたいして善を悪を示すことができるか?自分の意志を掟のように自分の頭上に掲げることができるか?自分で自分を裁けるか?君の掟を破ったやつを罰することができるか?
恐ろしいことに、君の掟によって裁いて罰する者は、君しかいない。


だから、生み出してくれないか。すべての罰を背負うだけでなく、すべての罪をも背負うような愛を!
だから、生み出してくれないか。誰にたいしても無罪を言い渡す正義を!ただし、裁く者には無罪を言い渡してやることはない。


死ぬのが遅すぎる人は、たくさんいる。死ぬのが早すぎる人は、あまりいない。「ちょうどいい時に死ね!」という教えは、まだ馴染みがないらしい。
ちょうどいい時に死ね。ツァラトゥストラはそう教える。


医者よ、まず自分を助けるのだ。すると病人を助けることにもなる。自分で自分を治すものをその目で見ることが、病人にとって最高の助けになると考えることだ。
まだ誰も歩いたことのない小道は、何千とある。何千という健康がある。何千という隠れた生命の島がある。


だから高貴な人間は、他人に恥ずかしい思いをさせないようにする。そして、悩んでいる人を見たら、かならず自分を恥じる。
じっさい、俺はあわれみ深い連中が好きではない。連中は、同情することで非情に幸せになる。恥ずかしいという思いが、あまりにも欠けている。
俺は、同情するしかないときえも、同情していると思われたくない。同情する時は、遠くから同情したいものだ。
「ツァラトゥストラだ」と気づかれないうちに、顔をかくして、逃げたいものだ。友よ、君たちにもそうしてもらいたい!


ああ、友よ!母親が子どもの中にあるように、君たちの「自分」が行為のなかにあるべきなのだ。このことこそ、徳について君たちが言うべき言葉なのだ!


学者は、水車の粉引き装置のようにギッコンバッタンと働く。穀物の粒を投げ入れてやるだけでいい!ー心得たもので、ちゃんと穀粒を小さくして、白い粉に変える。
学者は、お互いにしっかり目を光らせている。相手をあまり信用しない。小さな策略をあれこれ考えだしては、頭の回転ののろいやつが来るのを待っている。ー蜘蛛のように待っている。


詩人はまた、あまり清潔ではない。自分たちの水を、深く見せるために濁らせている。
濁らせることによって詩人は、ものごとの調停者の顔をしたがる。しかし間に立って、かき混ぜるだけ。中途半端で、不潔な連中だ!ー


しかし人間たちのところで暮らすようになってから、俺は思った。『この人には目がひとつありません。あの人には、耳がひとつありません。そしてまたあの人には、足が1本ありません。それからまた、舌や鼻や頭をなくした人も居る』とわかっても、そんなことは取るに足りないことなのだ。
俺はこれまで、もっとひどい人間を見てきた。いちいち話したくないほど嫌な人間も見てきた。しかし、なかには、どうしても話しておきたい人間もいた。あらゆる部分が欠けているのに、1つの部分だけ巨大な人間だ。ー大きな目でしかない人間、大きな口でしかない人間、大きな腹でしかない人間、どこかひとつの部分でしかない人間。ーそういう人間を俺は、逆不具と呼んでいるんだが。
~過去の人間を救い、すべての『そうだった』を『俺はそう望んだのだ』につくり変えるーそういうことこそ、はじめて救いと呼べるものなのだ!
意志とはー自由と喜びをもたらす者のこと。友よ、君たちにはそう教えたはずだ!
~時間は逆流しない。そのことに意志は憤怒している。『そうだったこと』ーこれが、意志には転がすことのできない石の名前だ。
~『どんな行為も消すことはできません。罰を受けても、行為は帳消しにされません!<この世に生きている>という罰が永遠なのは、まさに、まさに、この世に生きていることが、永遠に行為と罪を繰り返すことでしかないからなのです!それを逃れる道はただひとつ。意志がなんとか自分を救うことです。<意志する>が<意志しない>になることです。ー』だが兄弟よ、君たちは、狂気が歌うこの夢物語を知っているはずだ!
『意志は創造する者である』と教えたとき、俺は君たちをこの夢物語から連れ出してやった。
どんな『そうだった』も、断片であり、謎であり、ぞっとするような偶然なのだ。ーだが、創造する意志が、『いや、俺がそう望んだのだ!』と言うと、事態が変わる。
ー創造する意志が、『いや、俺はそう望むのだ!そう望むことにしよう!』と言うと、事態が変わる。~誰も意志に、後ろ向きに望むことを教えた者はいなかった!」

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ツァラトゥストラ上 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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