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僕のウェブサイトを見ている人が、長野市内から展示見に来てくれたり東京からわざわざ来てくれたりしてとても嬉しかった。
観光名所になってる屋敷の玄関で展示してるので、展示を観に来るお客さんよりも観光にくるお客さんの方が圧倒的に多い。だからみんな意表を つかれたように
「なにこれ」
っていうリアクションをする。他の会場も何ヶ所かは観光地になっていて同じような状況になってると思う。ギャラリーとかでやるのと全然違 う、キャプションとか、作品の説明文を会場に置いといても大抵読まない。美術館で作品を見るとき会場の説明文とかは読まない人もいるけど、 そこにあるものを作品として受け取ろうとして入場するので、そこで何かを受け取ることができる。その心構えが作品から何かを受け取るために 必要だったんだなと思った。展示されている作品1つ1つのキャプションにも、展覧会の導入にある説明文にも書かれてない、そのもっと前にあ る前提というか、見に行く側の人間の姿勢というか。だから展示がすこし空間に押され気味になってるのかもなと思う。今回は空き家が会場にな ってたりもするけど観光名所に絞って会場を借りて展覧会を企画したりしたら、作家にとっては負担かもしれないけど面白いことが起る可能性が あるなと思った。

夜から明け方4時くらいまで池田さん松本さん津田さんと4人で美術とか表現についての話をした。津田さんは、美術は本当に人と関わるきっか けでいいっていうスタンスをとってる。でも人と関わることを作品化するのは違う。って思ってるみたい。アーティストとして呼ばれたらアート をやるし、そば屋として呼ばれたらそば屋をやる。「業者」になりたいって言ってた。批評はいらないと言っていた。でも作品は批評や展示って いう関門をくぐらないと強くなっていかないと思う。 町のおばあちゃん達がやってる油絵の展覧会とかがすごく良いんですよ。って話を津田さんがして、でもそういう「良い」って『発見』をしてそ れをこういう仮にも「現代美術フェスティバル」とタイトルが付けられた展覧会の参加作家相手にそういう話ができるってのは自分がその「まち のおばあちゃん達」のなかにはいないってことを自分で自覚できるからやれる話じゃないか。そんでそういう発見をして
「発見しました!」
って声高に言うことは批評なんじゃないかとか。町のおばあちゃんたちの油絵の方が例えばリヒターの絵よりも良いってことを言うのは勇気と覚 悟とそれなりのロジックがいると思うしレベルの差はあると思うし。だからそうやって作品について色々言ってくれる人とか、いろんな作品をみ てる人の目に耐えられるかどうかとかはとても大切で、簡単に「批評とかそんなのはいらない」って言っちゃいけないと思うんだけど、でもそう 割り切れたら楽なのかなあとか、とにかくこの問題に関してはずっと前から常に悶々としている。

0913 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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