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朝起きて琵琶湖の湖畔に行ってみた。家を出て10秒で着く。風がなくて、嘘みたいに静かだった。
巨大な水の塊が目の前にあるのに。夢の中にいるみたいだ。
お昼頃、絵を描き終わってコンビニにコピーをとりに行った時、なんか違う社会に迷いこんだ気がし た。店員さんがビニール袋を取る動作がものすごく乱暴に見える。大量消費の社会に戻ってきた感じ。自分の中に新しい社会がひとつできた気 がする。自分の中にいくつもの社会を持つことは救いになると思う。今まで同じ空間にいたのに、ただ「知らなかった」っていうだけでこんな社会があったのだ。あの家で一晩過ごして世界の見え方が 少し変わった気がする。いずれ元に戻っていくんだろうけど、今のこの「見え方が変わっている時 間」はとっても幸せな時間だ。

そこをお昼頃出発して、今度は願力寺で紹介してもらった、福島から大津へ移住してきた人の家に向か う。8キロくらい歩いた。その人の家も湖の近くにあった。玄関先で迎えてくれた奥さんは目に光が ある感じがして、会った瞬間から緊張が解けた。

奥さんは震災以降原発に反対する詩を書いたり、布を切り貼りした平面作品を作ったりしてる。放射 能によって家から避難させられた理不尽な気持ちを制作にぶつけることで気持ちが落ち着くらしい。 旦那さんは40年前から原発の反対運動をやっている。福島第一原発が動き出して、第2原発が建て られようとしていたころ。その中止を求める裁判をやったけど負けた。一審から最高裁まで18年か かったらしい。 彼らの家は福島県南相馬市の原発から23キロのところにあった。原発事故が起こり 「20キロ圏内は避難指示があったけど、3キロ離れてるから大丈夫ってわけでもないでしょうに」 と思い、事故から5日後には宮城へ避難した。その5日間は窓を閉め切って生活していた。

宮城で住んでた時、近所の人たちは原発事故のことをどこか遠い出来事と思っているところがあっ て、普通に洗濯物を外に干したり布団を外に干したりしていた。 「自分たちは窓も閉め切ってマスクもして生活してるのに、こんなに意識が違うのか」 と思った。そしたら偶然の出来事で、知人が滋賀県の空き家を紹介してくれた
「人に貸すためにあけてる家ではないけど、困ってるんだったらとりあえず来なさい」
っていうことで5月には宮城から滋賀県へ引っ越してきた。ラッキーだった。娘には反対されたけ ど、説得して出てきた。4人家族だったけど2ヶ所にばらばらになった。

でもその滋賀の家も3年以上住んでて、そろそろ出て行かなくちゃいけない感じになり、またすぐ近 くの現在の家に引っ越してきた。でもここも、大家の甥っ子さんが退職後にここに住む事になってる から長くて5年しか住めない。だから5年のうちに次の家を見つけないといけない。
「流浪の民ですよねえ。でも、福島にはもう帰れないかなと思っている。でも、そういう状態の人が 13万人居る」
いま、福島から避難している状態の人が13万人いる。事故直後に6万人が全都道府県に散ら ばった。滋賀県には300人くらいいるらしいけど、全然会わない。神奈川や京都では、福島からの 移住者が団結して完全賠償を求める裁判を起こそうと動いている。滋賀県はまだ団結できてない。
でもいま、福井県の原発の再稼働差し止めの裁判を市民の人たちと一緒に起こしているところ。滋賀県内の色々なところで原発の話をしていたら、すこしずつ原発に対する意識が高まってきた。一番説 得力があったのは「琵琶湖が汚染されたらどうする」っていうこと。琵琶湖の水は飲み水になるの で、ここら一帯は全部駄目になる。 滋賀県では各家庭に、下水の濾過層を取り付ける条例がある。もしそれが無理ならトイレは汲取式に するしかない。一時期、生活排水や工業廃水が原因で琵琶湖の汚染が深刻化してから決まりが厳しく なった。そんな地域なので、環境に対する意識はもともと高い。

最近ニュースになった、川内原発の再稼働を知事が承認したことに対して旦那さんが怒りをにじませていた。
「福島から何を学んだんだ」
と言ってた。僕は何も言えなかった。

滋賀県で福島の子供を短期保養させるサマーキャンプをやっている人たちがいる。京都にもいるらしい。京都は2011年の5月からやっていたという。すごいことだと思う。人の家の子供を、自分の 時間を削って場所を確保してお金を集めて招致するのだ。日本を背負っている感じがする。聞けば聞 くほどたいへんな事だ。子供達が泊まる場所探しから大変だ。民宿を借りて、民宿が客で一杯になっ たら移動して、廃校になった学校を使ったりして、とか。で、そのキャンプのお金を出してくれと滋 賀県の行政に掛け合ったら
「なんで福島の子供に滋賀県の税金を使わないといけないんだ。県民の総意でもあるまいし。」
と言ってのけたらしい。それで旦那さんは
「こっちで何かあったらどこにお世話になるかわからないだろう。…それが人の道ってもんだろう!」
と怒った。でも県の文化課は、福島からの避難民に対してオペラ公演に招待してくれたりする。
「その気持ちだけでとても嬉しくなる」
という。


晩ご飯のあとで奥さんに詩と、布で作った平面作品を見せてもらった。 詩はもろに怒りをぶつけてる感じで、きつい表現もたくさんでてくる。読んでいて息が詰まりそうに なった。当事者だからこそ、このきつい言葉遣いに説得力がある。書かれている事が事実か事実でな いかは問題じゃない。外の人間からは何も言い返せない。


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布の作品は、小さい頃に見た福島の景色を布の平面作品にしている。現在作品は50点くらいある。 これもすごい。昔の風景を布で表現したっていう、その言葉だけ聞くと牧歌的だけど、これが福島だ ってだけでものすごい政治的でラディカルな表現になっちゃってる。これも息が詰まりそうになっ た。家のリビングに15点くらいの作品を広げてくれたんだけど、それは素晴らしい展覧会だった。


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小昼飯(こぢゅうはん)。朝ご飯と昼ご飯の間、昼と夜の間に食べる間食の風景。ご飯は家に帰って食べてたけど、小昼飯は子供が田んぼまで届けるのが仕事だった。学校に通いながら大変な農作業を見ていた恵子さんは、「百姓には絶対ならない」と思っていた。



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旭公園のお祭り。盆踊りの輪の中にはいるのが子供の時は勇気が必要だった。



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紙芝居。5円10円をもって水飴を買って舐めながら紙芝居をみた。お金を持ってないときに紙芝居 をみることを「ぺろんこ」と言って、ちょっと遠くから離れてみたりした。



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浪江町(現在はゴーストタウンになってる)には「十日市」っていう市があった。だるまとか、お面とか、ザルとか、鍬とか、生活につかう様々な物が1年に1回売られていた。




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1111 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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