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例のペーパークラフトが届き、150部のそれを商品にするために二つに折って透明なスリーブにひたすらいれていくという作業を池澤さんとやっていたときのこと。こういう内職系の頭を使わずにひたすらやる作業こそが「労働」なんじゃないかという話になった。

なぜこういう作業こそが「労働」だと思うのか。今福龍太さんの「スポーツの汀」という本のなかで、巨大な未知の海と、僕たちが住む陸地との間にある汀で体を使って行われるのが「サーフィン」であり、それを巨大な情報の海と、既知の世界との汀で行われる「ネットサーフィン」という言葉で表したのは見事だと書かれていた。

そこで思うに「労働」とは、巨大な海としての「資本主義社会」と、陸地としての僕たち一人一人の「生活」との汀で行われるサーフィンのようなものだ。資本主義社会は巨大で底の知れない海だけど、それに対する僕たちは、どうがんばっても一人分の大きさの体しかもっていない。なので、僕たちにできることは、その海と陸との汀で起こる「波」をひとつひとつ乗りこなしていくことしかできない。これは目の前にある印刷物を一つ一つ袋にしまっていく行為や、あるいはパチンコ台を一台ずつ掃除する清掃員の振る舞いのようなものだ。巨大さを目の前にしたときに、僕たちはちっぽけな存在でしかないことを認識すること。それが労働の本質ではないかと思う。巨大さを相手にする時の一個一個の地道な振る舞いは、ときに滑稽な動きになる。それはすばやく袋詰めする作業だったり、すこし異様な動作で素早くパチンコ台を拭いていくベテラン清掃員の動きだったり、あるいは自分の体よりも大きな大量の野菜や日用品を背負って電車に乗り込む行商の姿だったりする。

Posted by satoshimurakami