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自分は案外というか、計画的な人間だと思う。それが時々嫌になる。一昨日銭湯にいるときにそう思えた、というのも、何か行動をする際に、例えば銭湯に入る前から銭湯を出た後のことを考えて生きている。持ち歩く必要がありそうなものを事前に持って出かけたり。ただこれは今の敷地に門限があることも関係しているかもしれない・・。しかもそうやって事前に決めた予定がずれていくのが面白いと思っているので、事前の計画通りにはならないことがほとんど。一昨日はそんなことを思いながらいつもの沐浴湯(フロントには初登場のおばちゃんがいた)に行った後にそのすぐ隣にある食堂に入ってしまった。これも計画から逸れた。銭湯に入る前は、弁当屋で豚肉ビビンバ弁当を買うと決めていたはずだが銭湯をでた勢いで食堂に入った。そしてこれが正解だった。クルクッパというやつを頼んだのだけど、とても美味しかった。牡蠣がたくさん入ったクッパ。8000ウォンでこれだけお腹いっぱい美味しいものが食べられるとは・・。韓国、マジリスペクトはずれナシ。ただし公園などで寝泊まりする身としては、おばちゃんたちが賑やかすぎるのが玉に瑕だ。食堂から帰って、21時(土曜日は21時まで開館している)を過ぎて、誰もいない博物館の敷地のベンチに一人ですわるのは結構気分がよかった。夜は相変わらず寝苦しかったが。そういえば眠る前に家のドアをあけて荷物整理でゴソゴソやっていたら後ろから「村上さん」と声をかけられて、まさか夜に誰もいない博物館で日本語で話しかけられるとは思っていなかったので「はい!」と大声で返事してしまったのだけど、それはとても愛想の良い警備のおじさんで、「大丈夫ですか?お水、飲みますか?」と声をかけてくれた。日本語上手ですね。といったら「すこしだけね」と。こうやって日本語が少し話せる人が韓国には多い。カフェなんかにいてもなんとなくわかる。「気をつけて。えらい!」と言って警備のおじさんは去って行った。

翌朝、昨日の朝はいつも通り6時前に老人方のおしゃべりの声で目が覚めたけど、家にさわったりしてくる人はほとんどいなかったので助かった。ただし、爆音のクラシックが前日と同じく流れている。誰かが流しているのか、博物館が放送しているのかわからないけどすごく爆音で、良い音でクラシックが流れる。いつも通り老人たちが7時過ぎには過ぎ去り、静かになってからまた眠った。起きたら汗だくで10時近くになっていた。とにかく涼もうと思ってまず博物館に入ったのだけどそのまま展示を全部見てしまった。近代歴史館と同じく、この釜山博物館の常設展示をみても、釜山の歴史は日本との関係性の歴史でもあるということがよくわかる。日本だけでなく世界の情勢に翻弄されながらたくましく生きてきた釜山の人たちのようすが伝わってくる。5世紀ごろの陶質土器(と日本語のキャプションには書いてあった)がかっこよかった。918年に高麗王朝が建国されると首都が開京(現在の北朝鮮の開城市らしい)になり、釜山は中央政府から離れて辺境地域となったが高麗末期に倭寇(日本からの侵略)の出没が急増したことが地理的な重要性が見直される契機になり、拠点として注目され始めた。貿易やトンシンサ(通信使)を通じて日本と交流を続けてきた(朝鮮にたいして支配的な振る舞いをしてきた人物として豊臣秀吉の名前もでてきた)。「Painting of the Valiant Resistance at Dongnaeseong Fortress 」という絵には、日本と書かれた旗を持った軍隊に東莱府要塞というところが攻め落とされる様子が描かれていた。そして1876年間の日朝修好条規から日本は朝鮮、釜山に対して支配的な色を強め、1910年の韓国併合となり、近代歴史館で見た展示内容に話がつながっていく。

また朝鮮戦争の戦火を避けて多くの人が南へ避難し、釜山にたどり着いたという記述がある。釜山の避難民は最大で60万人に達したらしい。これがあの釜山風冷麺を生んだ。

夜はこの近所に住んでいるという社長さんとキムさんと一緒に牛肉の焼肉を食べに行った。毎日焼肉だ・・。しかも今回は高そうだった。社長さんには頭が上がらない。お風呂に入ったあと疲れているのを感じて釜山博物館に置いた家から徒歩5分程度のところにあるヴィンセントゲストハウスという宿にアポなしで訪ねて行ったがお快く受け入れてくれ、そこで外泊した。八人部屋のドミトリールームで25000ウォンで朝食(アメリカンブレックファストとのこと。目玉焼きとトーストと炒め物とシリアル)付き。僕のほかに部屋には誰もおらず最高にゆっくりできた。

07161255 | 2018 | 未分類 | Comments (0)

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