まさに満身創痍だったけど、「末広湯」のおかげで助かった。今はそこからほど近いサイゼリヤにいる。今朝南港をでてからずっとくしゃみがとまらなかったのだが、体温がさがっていたからだったらしい。お風呂で温まったら嘘みたいに止まった。とうとう大阪まできた。今日の敷地は上町荘。ここには広告看板ギャラリー化計画で何度か来てるけど、家と一緒に来たのは初めて。良い広告主は未だに現れていないらしい。

今月の19日に熊本市現代美術館を出発して、おととい別府に着いた。九州を横断した。一週間かかった。そんで昨日別府からフェリー「さんふらわあ」に乗って大阪に着いた。そして南港から上町荘まで歩いた。港から上町荘までが16キロもあった。巨大な都市だ。こんなに歩いても歩いても町が続く都市はほとんどない。

ちょうど今朝ダウンロードしたラジオドラマのポッドキャストを聴きながら歩いていたけど、偶然にも大阪の話だった。のちに「アメリカ村」となる場所にloopというカフェを立ち上げ、その後も大阪でいくつものカフェやクラブを立ち上げた女性の話。

それはいいとして僕は熊本→菊陽町の町営キャンプ場→阿蘇市の温泉→南阿蘇の農家の駐車所→(トラック)→小国町の道の駅→九重町の「里の駅」に併設された飲食店の駐車場→湯布院の道の駅→別府の万屋水銀赤水色→フェリーさんふらわあ→大阪の上町荘。京都につかなければいけない締め切りが決まっているので、1日も休まず歩いている。明日も歩く。京都まであと2日か3日かかるだろう。

最初のハイライトは南阿蘇の農家「かげさわ屋」だった。阿蘇市の温泉「どんどこ湯」(ここも素晴らしい温泉だった。熊本地震の時は市民に無料で温泉を解放していたらしい。)で夜寝ようと思ったら家に手紙が貼り付けてあって、「たくさんのふしぎ」の僕の号をもっていて、南阿蘇に住んでいるのでよかったら来ませんか。書いてあった。南阿蘇は熊本地震の被害がもっともひどかった地域の一つなので、見てみたいと思っていた。ちょうど、僕が歩いた九州の道筋は、地下の活断層のラインと対応している。今回の歩行はそれも大事なテーマだった。

かげさわ屋は味噌をつくっている。小学生の長男がいる。みんなでたこやきを食べた。味噌もおいしかったし、ねこもいた。ぼくのために寝室をつくってくれた。地震で「たくさんのふしぎ」の付録についていたペーパークラフトが潰れてしまったらしい。あとで送る約束をした。南阿蘇には新規就農者がたくさんいるらしく、みんな精力的に農業を営んでいる。時間があればもっといろいろ回って話を聞きたかった。近くに行くことがあれば必ずまた行きたい。

次のハイライトは九重の敷地。埼玉出身のマスターがいる、観光案内所に併設された飲食店。夜にはバーになる。ちょうど地元の人たちが定期飲み会をひらいていて僕もまぜてもらった。別府は風俗が発達しているという情報を積極的に与えてくれた。そこでは、僕が以前インタビューに答えたテキストを書籍化した本を読んでいて僕のことを知っており、福岡でリノベーションなどをやっているという人にも偶然出会った。彼はツーリングの最中で僕を見つけて驚いていた。

そんで別府の万屋水銀赤水色。2年半ぶり。てっきり三年ぶりだと思い込んでいたけどオーナー山田くんに「そんなに経ってない」と言われた。清島アパートに住んでいる服屋のともくんと、別府在住のアーティスト小野ちゃんと四人でご飯食べた。そして大阪まできた。

絵は変わらず描いているが、今回は日記の代わりに、別の文章を書いていた。熊本を出た日「この下に活断層が走っている」ということを考えながら歩いていたら、これは、日記とは違う形で書いた方がいいかもしれない。と思った。10月1日から始まる京都の誠光社での展示に間に合うように、短い小説を書ければと思ってずっと書いていたが、なにぶんいままでのような日記とは違うし、書いたこともないので、なかなか書き方が定まらない。こういう日記のテキストはほとんど自動的にかけるのだけど。なので誠光社ではその冒頭を展示し、この文章はこれから時間をかけて向き合って書き進めていくことにした。たしか小国町から九重に向かっている日、国道沿いにぽつんと建っていたソーセージ屋とパン屋ですこし休憩したあと、歩き出してすぐにトンネルを見つけた。そのとき、今書いている文章は「道路」というタイトルにしようと思った。

「サブジェクト」から「プロジェクト」への、物が線から点になった話。点になり、他と絶えず関係し続けるものになり、自我とか心とか精神とかそういうものは存在しない。あるのは「運動」「機能」「設計図」だけだという話は、お金そのものに価値を見出すことへの違和感と同じ。わかりやすくいうと、「リア充」とか「本当の自分」とかに代表される「確固たる自分」とか「自我」とか「精神」というものがあるという錯覚は、お金それ自体に価値があるという錯覚によく似ている。お金は本来何かと交換されるときにしか存在しない。お金という物が「確固たる存在として存在している」ことは錯覚だ。そういう意味で、お金という存在に関してだけは、僕たちは「ポストモダン」になれていない。

最近ガストや吉野家やワタミなどのチェーン店でご飯を食べたり酒を飲んだりしていると、なんかしらないけど死にそうになる現象が時々起こるようになった。「エサ」を与えられている感覚に我慢できないというか、何食ってんのかわからなくなるというか。思うにこういうチェーン店は広告によって集客を可能にしている。

これまでの思考を踏まえて、僕が立てる仮説は「広告は人の”知らなさ”につけこむ」ということだ。”顔のみえる経済圏”を持ち、そのなかで生きているうちは”広告的なもの”は効果を持たない。でも都市化が進むと”顔の見える経済圏”を持つことが困難になり、みんな何を食べたり買ったり、もっと言うとどう生きればいいのかすらわからなくなるので、そこに”広告”がつけこみ、色々な購買意欲を掻き立てたり、なにか(スポーツとか)に熱狂させたりする。ここには「主体的な消費者」は存在しない。

今朝、「広告看板の家」の敷地を貸してくれる予定の土地のオーナーに久々に会って話してきた。彼は不動産業を営んでおり、「お金を増やすだけのための土地のやりとり」ではない不動産屋像を考えてきた人。まさに先日も書いた「貨幣術」ではなく「家政術」としての「economy」の話のど真ん中をいく人だと思ったので、その話をしようと思って訪ねた。

「不動産屋での土地のやりとりは、お金や、まして食べ物をやりとりすることではなく、ただ書類をやりとりするだけでお金が右から左にながれていく。これはちょっとおかしいと思う」と言っていた。気違い沙汰だ。お金をうむための土地のやりとりなんて一番やってはいけないことだと思う。

「みんな”土地が食える”と思い込んでいる。”土地で耕すもの”が食えるだけなのに」

とも言っていた。これは面白い。

「広告収入で得たお金で買った野菜を、広告看板の中で売る」

ということもやってみてもいいかもしれない。

とにかく、全員でどんどんスピードが速くなるランニングマシーン乗っている状態で、そこから転んだり倒れたりした人は過労死として扱われるような状態だ。

でも「からだ」はとても強いものだと思う。例の広告代理店で人が過労で自殺してしまったのは痛ましい事件だったけど、その一人の「からだ」の露出が、あの広告代理店の「神話」を解体したと思う。件の代理店は、その後過労問題が次々に表面化し、すでに以前の威厳はなくなった。神話が崩壊した。「小さな一人のからだ」の力によって。法律上の「居住権」という考え方もそうだと思う。人が住んでしまっている以上、それが他人の土地であろうと立ち退きを迫るのはとても難しい。それだけ「一人のからだ」は強い。なぜなら、もともとはそのために設計された経済というシステムだったはずだから。

「100円で土地の貸し借りをしよう」という話も盛り上がった。僕は彼に100円を払って土地を使わせてもらう。分厚い、ガッチリした契約書を作り、「貨幣としては100円だが、それに付随するものが無数にある。ーと、ーと、ーと、、」という風にたくさん項目を書いた契約書を結ぶ。

僕が彼に”無料で”土地を借りるとなんか納得できないが、100円でもいいから貨幣のやりとりがあるとなんか納得できちゃう人達がいるらしい。

◯今回の二度目の訪問での世田谷線内の乗客数

・雨降りの10時9分発下高井戸方面行き。松陰神社到着時点で三十六人乗っていた。

・11時47分発の下高井戸行き。松陰神社前駅出発時点で53名乗っていた。

いま松本で住んでいる県営住宅の清掃当番が3ヶ月に1回まわってくるのだけど、それが今日の朝7時からだったのが昨日の遅くまでawai art centerでの成澤果穂展の打ち上げで遅くまで人と話していた+家に帰ってから奈保子とすこしでもゆっくり話そうとしたために寝るのが2時過ぎてしまい、これまでの疲れもあって今朝は全然起きれなかった。この県営住宅は掃除当番に参加できないと不足金3000円を払う決まりになっている。同じ建物に住んでいる人たちと時間をつくって交流する貴重な時間でもあるので僕もできれば行きたかったが今日はどうしても疲れていて起きれなかった。次はまた3ヶ月後だ。あちこち動き回りつつも、想像の根を土地におろしてちゃんと地に足をつけたいと思っているのだけどなかなか難しい。移動しながらブルーベリーを育てたり、農業を手伝いながら移動したり。少しずつ練習していきたい。さっきは家賃を振り込んできた。

一昨日松本に帰って来て、奈保子が1日遅れの誕生日パーティーを開いてくれた。僕の体も時間も有限だ。10月の誠光社出で行う展示物作りもやらないとなのだけど、最近日記も全然書けていない。こういう整理をしたり、掃除当番とか家賃の振込とか生活の呪縛から自分を解放して抽象的な思考ができるようになるために、旅行や旅つまり移動と滞在がどんな人にも必要なんだろう。だからソローは森と街を行き来したのだと思う。彼は森の中にすみつつ、洗濯物は街の人にお願いして生活していた。つまりソローは「家を営む」ものとしての経済活動を実践していた。

先日の今福龍太さんとのトークイベントはものすごく刺激的な時間だったのだけど、economyという言葉のルーツはギリシャ語の「オイコス」+「ノモス」であり、オイコスは「家政」つまり”家”を営むことで、ノモスは「規範」。つまり経済はもともと「家政術」をさしていて、「貨幣術」ではなかった。経済がお金だけを扱うものをさすようになってしまってから、お金をただ無限に増やすためだけのゲームははじまってしまった。「労働」でも「スポーツ」の分野でも。もっというとアリストテレスは経済を「家政術」と「貨幣術」に分けて考えており、後者のほうは「資本を無限に肥やし続けたい」という、終わりのない欲望にとってかわられてしまうので「貨幣術」としての「経済」を否定し、「オイコスノモス」つまり家政術としての経済こそが真の経済だと言っていた。2300年も前に。

ますます「広告看板の家」を実現させなくてはいけない。「移住を生活する」は生活を俯瞰するプロジェクトだが「広告看板の家」は資本主義の中に体ごと飛び込んでいき、力技で「貨幣術」を「家政術」に変換していくプロセスを見せるプロジェクトだ。

また「人と共同すること」についても色々な発見をした。最初から人を巻き込んでやろうとするのではなく、なんらかの真似したくなる動き(それは清掃員村上3のダンスのようなその場でのものでもいいし、プロジェクトでもいい)を動くことから始めるべきだ。清掃員村上3では、労働の喜びを体現することから、路上で子供が僕の動きを「真似」することが起こった。そしてそこから人を巻き込みながらの”運動”が始まる。スポーツのルーツもそういうものだったんじゃないか。

その他ホイジンガーの「ホモ・ルーデンス」の話、「電通(を代表とする広告代理店の使命)」は僕たちの分身(ある部分が極端に肥大化した分身だ)であるという話、ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」の話、ジャック・アタリのサッカーの話、さらに面白かったのは「学校・病院・刑務所」は3者それぞれ違う役割を持っているが、構造は全く同じであり、そこで共通している最も重要なものは「食事」であるという話はすごく刺激的だ。そこで提供される食事は、「オイコス」としての食事とは真逆のものとして存在している。命を繋ぐためのエネルギー源として人の口に供給されるもの。「吉野家」とかで感じるあの感じだ。吉野家で感じるあの感じは、この一連の話のど真ん中のターゲットになると思う。

またこれはささやかな話だが「アレ」と「ソレ」という言葉についての発見もした。人との会話の中で何かを思い出しながら「アレ」という言葉をつかうとき、僕は過去に何らかの「画像」を見ていて、それを思い出しながら「アレ」と発話している可能性が高く、おなじく何かを思い出しながらも「ソレ」という言葉を使うときは、文字や言葉の情報だけで伝え聞いているものを漠然と想像しながら「ソレ」と発話している可能性が高い。たぶん「アレ」は画像的で「ソレ」は言語的なイメージ喚起力を持っている。

国立化学博物館の深海展に行ってきた。「もっと深く」というキャッチコピーが印刷された素敵なチラシに惹かれて行ったのだけど、とても良かった、というか感動した。3.11の震源域の海底の断層調査のことが展示されていると聞いたので、目的は深海生物というよりそっちだったのだけど、深海生物に関する展示も良かった。博物館的な、パネルと映像がメインの展示なので、モノを見るというよりも文字を追っていくという作業だったのだけど、普通に読み進みつつ、映像をもみつつ展示を進んでいくと、深海調査への人間のモチベーションを感じて、グッとこみあげてくるものがあった。(博物館はいつからああいうパネル展示のような形態になっていったのか、別の意味で気になるけどそれは置いとく)。

なんと地球の表面積の7割は深海にあたるらしい。表面積の7割が深海っていう言い方はよくわからないけど言いたいことはわかる。

最初にびっくりしたのは深海の発光生物について、そもそも発光に必要な物質をつくるためのセレンテラジンというモノを合成する生き物が深海で見つかっておらず、みんなどうやってセレンテラジンを手に入れてるのか謎だったが、近年カイアシ類と呼ばれる、ミジンコみたいな小さな生物がそれを合成できることがわかり、カイアシ類はオキアミなどと同じく食物連鎖の最も下の方にいる生物なのでそれを食べることによる連鎖のなかでセレンテレラジンが深海生物に広まったと考えられる、というくだり。命は他者でできているということを象徴するような事実だ。「食べる」「食べられる」という関係の境界線が溶ける。それは上下のものじゃなくて、生物全体で命をリレーしている。発行する理由も、ある種のクラゲは敵に襲われそうになった時に発光することによって「敵の敵(でかいサメとか)」を呼び寄せ、その敵を食べてもらうというために発光している可能性が高いとか、ホタルイカなどはカウンターイルミネーション(水面近くにいる自分の影を、海の中にいる敵から発見されないよう、光ることによって月明かりに溶け込む)として発光している。闇ではなく光に溶け込むことで身を守る。しかもそのカウンターイルミネーションを見破る特殊な目をもったデメニギスや、わずかな光を捉えるために巨大化した目を持ち、頭上をずっと伺っているアウルフィッシュという魚もいる。アウルフィッシュのあの切実そうな目。

3.11の地殻変動や断層の調査もすごい、震源近くの北米プレートが太平洋プレートとの境界である日本海溝近くで水平方向に最大50m、上下方向に最大10mも地盤が動いた。それによって発生した亀裂の映像や、JFASTと呼ばれる気の遠くなるようなプロジェクト(直径20センチくらいの細長いドリルパイプをつかって水深7000mまで地盤を堀り、地層を調査し、地震の断層の実物を採取し、地盤が滑ったことによって生まれたはずの摩擦熱を調査する。しかもこの摩擦熱が消える前に掘らないといけない。)も素晴らしかった。会場には大変な苦労の末、見つけられたその実物が展示されていた。それはなんとかタインという、「ファンデーションにも使われる、保湿性に優れた細かい粘土」でできている。あの巨大地震を引き起こした地層が「保湿性に優れている」という事実は、世界が歪むようだ。摩擦係数は約0.1だったらしい。ほかにもDeep NINJAという、海を定期的に浮き沈みして自動的に海洋データを送信するロボット(一人で広い海を浮き沈みしているロボット。ぐっとくる)や、海底の細かい揺れを検知してデータを送信し続ける仕組みなどは、いまこの瞬間もずっと動いている。また現在海の温暖化と酸性化が進んでおり、酸性化が進むと海のある種の生き物は骨阻喪症のような状態になり、それがどれほど生態系に影響を与えるかわかっていない。その他、その他。。

夕書房の高松さんとNHKの加藤さんと広告看板の家について話した際、NHKも福音館書店も広告を出していないことで共通しており、スポンサーがいるテレビ局がスポンサーに不利になるような番組がつくれないような事態は起こりにくいが、僕が広告料をもらって広告看板に住むということは、そのスポンサーに対して不利な言動などができなくなるんじゃないかという話になった。今までは気がつかなかった視点だ。しかしこのプロジェクトは要するに僕自身が広告主のメッセージとなって(有名なスポーツ選手が特定のメーカのユニフォームを着たり広告に出ることによってお金をもらっているように)生活するということにもなりうるので、僕が広告主に気を使う言動をしはじめることは十分に考えられる。広告を背負って生活するということが僕自身の思想や生活態度にどのような影響を与えるのか、僕自身では測りにくいところがありそうだ。この辺は誰か他人に見てもらわないといけない。

また、土地代はどうするのかという話にもなった。生活費は広告料で賄うが、土地は「厚意でお借りしている」と言ってしまってはなんかつまらないことを言われてしまいそうだと言われた。ならば例えば、土地の持ち主に毎月100円払って土地を借りる契約を結べばいいのか。それなら人は納得するのか。金額の大小に関わらず、「お金のやりとりをしている」という事実があればなにかが腑に落ちてしまうというところがある。不思議だ。この経済感覚は果たして正しいものなのか?

またアートイートでの個展「労働をつかむ」の会場で、エクリの須山さんとは土地の消防法などをどうクリアするかという話になった。これはまだリサーチが足りないけど、なんらかの抜け道はあると思う。土地の持ち主を交えて、その辺の事情が詳しい弁護士とかを見つけて相談したい。

岡田利規サンと池澤サンと小一時間飲んできた。岡田さんに会うの緊張した。彼は目が時々ヤバい。しかし清掃員のダンスの話ができてよかった。コンテンポラリーダンスを間近で見ていた経験から、舞台上で「体」を使う表現としての演劇を考え始めたという話は面白かった。しかし緊張した・・。

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ソーラーパネルが撤去され、僕が三週間ほど暮らした敷地はもとの更地に戻った。