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10月17日に展覧会が21世紀美術館でオープンしてからもう三週間以上経っていることに戦慄している。なんだかずっと、ずーっとばたばたしていた。なんだか働かされている気分だ。自分に。東京や名古屋や甲府からお客さんがきたり、書き物をやったり、東京に数日間行ったり、美術館で人に会って話したり、「テーブルトーク」というイベントをやって展示会場でお客さんやヤマト醤油の山本さんとお話したりしているうちにもう11月11日になってしまった。そして数日以内にはもう美術館から家を出撃させて能登半島で移住を生活する。ここ3日間は美術館の荷解き場で屋根を直す作業をしていた。今年の3月の東京での移住生活で僕の3代目の家の屋根はばらばらになってしまってガムテープとボンドで補強している状態だったので、風が強いであろう能登半島での移動に不安があった。その作業が今日終わった。
終わってすぐに鬼滅の刃の映画を見に言った。全然知らなかったのだけどここ数週間でアニメを見て、ちょっと続きが気になっていたので行ってみた。金沢駅前フォーラスのイオンシネマで。短い時で25分ごとにやっているくらい、ものすごく上映回数が多い。さすが全国的に社会現象になっているだけある。このあいだ行ったスーパー銭湯にあるUFOキャッチャー数台のうち、8割くらいは鬼滅の刃のグッズになっていた。9割かもしれない。とにかくどこを見ても竹を咥えた少女がいる。ラジオの情報によると、全世界の映画館で上映されている全ての作品の観客動員数より、日本国内の鬼滅の刃の観客動員数の方が多いらしい。どうかしているぞ。しかし映画はすごかった。なんかチケット買うのも劇場に入るのも恥ずかしかったけど面白かった。ものすごく社会批判的な作品だと思ったし、でもものすごくポップで楽しめる作品で、最後には大泣きしてしまった。人として立派であるとはどういうことか、をストレートに伝えてくれる。
特に煉獄さんの「俺は炎柱。煉獄杏寿郎」で締め括られる一連の台詞、しびれた。他にも竈門炭治郎の「僕が死んだらこの人は人殺しになってしまう、だから死ぬわけにはいかない」という台詞(なんて台詞だ)など色々突き刺さるものは多かったけど、特にこの煉獄さんのは刺さった。
二年半前の日記に書いた、『花の慶次』の漫画の中で、佐々成政が慶次に追い詰められたときにいう台詞「よかろうこの首を打ち取り、末代までの武功とせよ」を思い出した。彼らは、自分という一人の人間を超えた何かによって動かされていて、それに誇りを持っているのだ。杏寿郎と炭治郎を見てわいちさんのことも思い出した。これはフィクションの話だけど、世の中には自分のことを勘定にいれない、まるで世界には他者しか存在していないかのように振る舞える人が実際にいる。
不思議なのが、一連のものすごくクサイ台詞が何故か心に刺さることで、それはたぶん全編を通してずーっと誰かが何かを喋っている(実際に声に出しているか、心の声かに関わらず)ような映画だからだと思う。ちょっと喋りすぎだけど。最後に炭治郎が逃げる鬼に対して「卑怯者!」と叫びながら話すシーンも、それまでずっと心の声、実際に話してはいない言葉をずーっと聞かされてきたから、このタイミングでこの長い、実際に口から出している言葉が刺さるような準備が、観客側にできている、言葉が刺さるように構成されている。一緒に見た人たち(平日の昼過ぎの回だったせいか全部で10人もいなかったけど)も多分全員泣いていた。