世界が眩しくて、目を開けていられなかった
先週の土曜日、金沢21世紀美術館から村上に電話がかかってきて、
1.鳥越アズーリという台東区のコミュニティラジオから美術館に電話がかかってきた
2.井筒和幸監督が番組の中で村上さんの新聞記事を紹介し、興味を持っているらしい
3.明日、井筒監督の番組に出演してほしいと言っている。電話番号を伝えて良いか?
という内容を伝えられた。村上は
「え、井筒さんと話すんですか。すげえな。はい。伝えて大丈夫です」
と答えて電話を切った。すぐに「鳥越アズーリ」から電話がきた。
「明日の13時からの番組なんですが、電話で出演してもらえませんか」
「はい、いいですよ」
村上は新作のZINEを作っている真っ最中で、作業をしながら「井筒監督の映画、なんか見とこうかな」と思ったので、Amazonプライムで検索の一番上位に出てきた「ゲロッパ」を見た。はじめは片手間に見ていたが、終わる頃にはすっかり引き込まれ、村上のZINE作りの手は止まっていた。とても面白いと思った。なによりラストのモノマネショーのシーンを通して、ここに本物のJBはいないかもしれない、たしかに猿真似かもしれない、それでもすごいものはできるんだ、という井筒和幸の価値観が見え、感動を覚えた。
翌日曜日。朝ご飯は食パンと目玉焼きとサラダほうれん草だった。焼いたジャガイモかウインナーも少しあったかもしれない。パンは腹持ちが悪いけど好きなので、週に4、5回の定番メニューになっている。食べてすぐ内田と一緒にアトリエへ向かった。村上がアトリエに着く頃にはもうラジオ番組の件は半ば忘れていたが、内田が「一時からだっけ?」と言ったことで思い出した。自分の部屋に行き、午前中は溜まっていたメールをとにかく返しまくろうと決意し、11通ほどを2時間ほどかけて書いて送った。気がついたときには12時を過ぎていた。「鳥越アズーリ」から電話がかかってきた。
「13時からの番組が始まったら電話をかけますので、お願いします」
と言われた。空腹を感じたけれど、ご飯を食べている時間はなさそうだなと思ったのでそのまま出演することにした。
13時になり、村上は「鳥越アズーリ」のウェブサイトを開いた。「鳥越アズーリ」は、コミュニティFM局のようなのだけど、動画のネット中継もしていて、台東区にいなくても番組を見ることができる。「鳥越アズーリ」の内部の人物らしき男と、井筒和幸が画面の中で話していた。「うわーこの人と話すのか。こわいなあ」と村上は思った。
「鳥越アズーリ」から電話がかかってきた。
「まもなくですので、このままお待ちください」
と言われた。
井筒和幸はアメリカ版ゴジラについて、アメリカの水爆実験によってゴジラが生まれたという設定が無くなっていることが気に食わないという話をしていた。「魂を売るな!」と何度も声を張り上げていた。ゴジラの話をしばらくしたあと「自分で面白い人を見つけたいと思いましてね」と井筒和幸が言い、村上の出番がきた。
村上は、井筒和幸から奇人変人扱いされないか心配だった。新聞やテレビに何度か出演し、ひどい扱いをされた経験があった。メディアの人間は自分のことを人間扱いしてくれないと考えていた(民放のテレビ局からは、今でも信じられない内容のオファーがよく来る。村上は全て無視している)。しかし、電話越しに最初に聞こえてきた「井筒です〜」という声を聞いて村上は「あ、この人大丈夫だ」と思った。
来週には「鳥越アズーリ」のウェブサイトに、放送のアーカイブがアップロードされるはずなので、話した内容については詳しく書かないが、井筒和幸が「こういう若い芸術家が、絶対どこかにいるはずだと思っていた。そしたらいた。新聞で最初見つけた時、1日うきうきしてしまった。村上さんのような芸術家がいてくれた。いてくれただけで、本当に嬉しい」や「ものすごいキャリアですよ」と言ったことに村上はえらく感動し、少し涙目になっていた。やってて良かったと思った。井筒和幸は「映画撮りたいですよ」とまで言ってくれた。村上は、6畳の自室の畳の上をうろうろ歩きながら井筒和幸と30分くらい話した。
問題はその後におこった。電話を切ったあと、お腹がものすごく減っていることに気がつく。もうぺこぺこだった。電話しているときは空腹など全く感じなかったのに、終わった途端ストーンと底の底まで落ちていく感じ。よほどアドレナリンが出ていたらしい。秒ごとに空腹がひどくなり、辛くなっていき、ご飯を食べないとまずいと思った。アトリエの母屋にいる内田のところへ行くと「おつかれ!」と言ってくれた。内田も携帯で番組を見ていたらしい。ご飯を食べにいこうと提案し、出かけることにした。そう声をかけて、実際にアトリエを出るまでの1、2分が辛かった。もうその頃には空腹は痛みに変わっていた。胃がきりきりとする感じ。背を伸ばして歩くことができず、背中を丸めながら4分ほどふらふらと歩いて(途中横断する甲州街道の信号がちょうど青だったのが心からありがたいと思った)、中華料理屋に入った。とにかく早くお腹に何か入れなくてはと考えての中華だった。内田は「お腹痛いのに食べて大丈夫か」と助言をしたのだけど「いや、とにかく何か入れたい」と言う村上の意思は固かった。二人とも春キャベツ回鍋肉定食を頼み、運ばれるのを待った。待っている間もどんどん胃痛は加速して、村上は店のソファにほとんど倒れるようにして座っていた。胃に穴があいているのかと思うほどだった。
幸いにも春キャベツ回鍋肉定食は数分で来た。村上は、猛烈な胃痛を我慢しながらも冷静に「いきなり肉をたくさん食べてはまずい」と考えた。「まずはスープから」と決意し、中華スープを飲む。次に水、漬物、そしてキャベツを少し、そして白米、という順番で少しずつ食べた。食べても胃痛は一向に治らなかった。村上は、何かがおかしいと感じ始めていた。空腹での痛みなら、お腹に何か入れればすぐに治るはずだ。でも、そうはならない。いくら食べてもお腹が痛い。しかしお腹が減っていることは間違いないので、食べ続けた。慎重に、ゆっくりと時間をかけて食べた。これがのちに村上を救った。
回鍋肉を1/4ほど食べたころから、様子が急変した。村上は、先ほどまで熱かった手足の先端がいつのまにか冷たくなっていることに気がついた。自分の頭から血が引いていくのを感じた。そして、お腹の中心から脳に向かって吐き気が侵食してくるのを感じた。シーソーがゆっくりと傾くように、吐き気はじっくりじっくり強まり、相対的に胃痛はどこかに飛んで行った。村上は箸を置いて、
「気持ち悪い」
と言った。
「そりゃそうでしょうよ」
内田がスープを飲みながら答える。
「トイレ行ってくる」
と村上が言う。
「大丈夫か・・いってらっしゃい」
村上が自分と戦っている間にも内田はもりもりと回鍋肉を食べ続け、もうほとんど平らげていた。
トイレに入り、便座に突っ伏して、口からいつ何が出てきても大丈夫な体勢をとった。酒を飲みすぎたあとの吐き気に似ていた。「コロナのこんなご時世に、店で吐かれたら迷惑だよなあ」と村上は思った。それが吐き気と目眩の中で、頭を絞って考えられる最大限のことだった。
何分そうしていたかわからないが、しばらく経っても口からは何も出てきそうにない。かといって、おさまる気配も一向になかった。村上は、処理能力が大幅に低下した頭で精一杯、「店のトイレは一つしかないから、これ以上自分が籠っていたら不審がられる・・」と考えた。そして思い切って立ち上がった。立ち上がっても大丈夫か確かめようと思った。しかし数秒でうっ・・となり、再び便座に突っ伏した。
これを何度か繰り返すうちに村上は、吐きそうで意外と吐かない自分がいることに気がついた。「耐えきれるかもしれない」と考えるようになった。再び立ち上がり、思い切ってトイレのドアを開け、席に戻った。内田は当然のように食べ終わっていた。
「大丈夫か」
と内田が言った。
「大丈夫じゃない。帰ろう」
と村上は答えた。村上は財布から必要なお金を取り出す能力がもはやなかった。村上の無言の訴えを感じとったのか、内田が一人で会計を済ませた。それから村上は内田の肩を借りて、外へ踏み出した。「このコロナの状況で、路上で吐くわけにはいかない」という強い意志を働かせて歩いた。
ひなたに出ると、世界が異常に眩しいことに気がついた。太陽が当たっているところは全て、シャッタースピードを下げすぎた写真のように白く飛んでしまっていて、かろうじて日陰の部分が認識できた。目の露出補正機能が壊れていた。目を開けていられず、内田の肩に頼った。眩しすぎる世界の中で、吐き気を堪えながら村上は「川内倫子の写真みたいだなあ」と思った。
実際にアトリエに戻るまでに要したのはせいぜい5分程度だったと思われるが、村上にとっては厳しく長い時間だった。内田がいなければ帰ることはできなかっただろう。
どうにか自室にたどり着き、畳の上に仰向けに倒れ込み、そのまま寝た。
そして数十分後か数時間後かはわからないが、村上は寒さで目が覚めた。吐き気は治っていた。村上は「お腹を空かせた状態で井筒和幸と話してはいけない」と思った。