都現美の吉阪隆正展トークとギャラリーαM高柳恵里展トークの日

・東京都現代美術館の吉阪隆正展トークイベント
吉阪の「乾燥ナメクジ」はいつ出現したのか、という問いについて。今和次郎が「自分は湿原を歩くカタツムリだ」と書いた文を藤森照信さんが発見した。しかしこれは藤森さんが今和次郎のことを調べているときに見つけたテキストで、本に載せられていたものではないので、吉阪は知らなかったはずだ。でも吉阪は今和次郎の弟子なのでなにか影響はあった可能性はある。
東京オリンピックの時期に乾燥ナメクジが吉阪の夢に出てきた。もともと「土の建築」に感動した吉阪だが、文明の発達によって資本主義が加速していく過程で、そのような土着的な価値観が失われ、自分も干からびていき「乾燥ナメクジ」になってしまったと考えた?
吉阪は一次元、つまりまっすぐに進むナメクジのように生きたいと思っていた。吉阪邸やヴィラクゥクゥの時期のことだが、建築家や大学の教員として色々な仕事をこなし、いわば色々な風土に耐えているうちに自分が乾燥ナメクジになっていることに気がついた。じとじと雨が降り、湿気がいっぱいあるときだけ羽根を伸ばすが、それ以外の時は耐え忍ぶ(大学教員としての仕事とか。吉阪はちゃんと大学に顔を出す、とても真面目な先生だった)。その数少ない羽根を伸ばす時期にできたものが、セミナーハウスと三沢邸、ではないかという藤森さんの読み。
磯達夫さん。セミナーハウスが円谷プロの「怪獣ブースカ」の最終回にでてくるということで映像を見せてもらう。磯さんが「内部も撮影に使ってくれている」と言っていたことが気になる。建築がナラティヴを得た途端に歴史的に残るものになる、と言うせりふに聞こえる。建築単体ではナラティヴとしては語り得ないのか?建築はただ舞台装置としてそこにあるだけなのか。
二人の対談で話が出た、「不連続統一体としての家の理想は、寅さんの家ではないか」これは吉阪ではなく、樋口さんの言葉らしい。

・ギャラリーαM高柳恵里展『比較、区別、類似点』トーク
高柳恵里と千葉真智子
「例えばホームセンターで売っているいくつかの剪定ばさみの性能を比べようとして、何本か買って枝を切ってみても、そこには切られた枝が並ぶだけ、切られた枝がそこにあるだけ」というようなこと。(性能とは?)

(剪定をするとき、後で移植するとかそういう目的があれば別なのだが、なにも目的がない(実をつけさせたいとか)場合でも、陽当たりがいいように切ったりするとか、背が伸びすぎないようにするとか、なにか「判断の尺度」は必要で、そのために枝が分かれたところから15センチのところを切るとか、葉の手前で切るとかはするだろう。そこではじめて「判断の尺度」の次の段階である「判断」がでてくる。しかしそういう意志がなにもなくても、本当に何もなくても「この枝を切る」という判断は起こる。切るべきだと思うから切る。そのときの判断の尺度とは?)
(また切っていると、何が正解で不正解なのかわからないが、とりあえず切り始めないことにはわからないので切ってしまう、ということもある。庭師なら、経験からわかるのかもしれないが。
そして、剪定した木を引いて見たときに、ウオ〜なんかいい感じに剪定できた!と思えること。それを人に見せたときに、あ、なんかいい感じだねと盛り上がれること。それは何故か?完璧な「樹形」などはないだろう。だけど、なにかしらその、樹形のイデアみたいなものが皆の中に知らず知らず共有されていて、そこに近づいているということなのか?)
(あるいは靴を買うときに、その場で100点の判断はできないけど、ある程度「判断の緩衝地帯」を作って、80点を探す感じになる。靴は選んでいるとキリがなく、もっといい靴もあるんじゃないかと思って次へ次へ、となってしまう。「選択の袋小路」に入ってしまう。
だが、とりあえず「この一足」に決めて、それを買って歩きはじめると、選んでいたころの苦悩は吹っ飛び、ただ新しい靴をはいている気持ちの良さでいっぱいになる感じ。それが高柳さんの言う「解放」ではないか。デカルトからスピノザへ、みたいな?)(05141424)

Posted by satoshimurakami