7月23日1時57分
小学生のとき、一階の廊下で、東京の「県庁所在地」について友達と軽く言い合いになった。
友達は「皇居があるところが中心なんだから、千代田区に決まっている」と言った。そう感じるのはわかる。しかし僕は、東京の「県庁所在地」(都庁所在地というべきなのか、しかしそんな言葉はあまり聞かない)はどこかと聞かれたら、新宿区だと答えるのが正しいのではないかと思い、反論した。
そこへ偶然、担任ではなかったけど同じ学年のクラスを持っていた先生が通りかかったので、僕は呼び止めた。「先生、東京の中心てどこですか?都庁は新宿じゃないんですか?」と聞いた。先生はこちらを向いた。顔が一瞬、わずかに歪んだのがわかった。そしてなぜか、怒ったような顔でこう言い切った。
「とうきょうと、ちよだく」
言い終えるとすぐに、こちらの反論は受け付けないという態度を全開にするようにぷいっと顔をそらし、つかつかと去っていった。僕は「いま先生が言った、東京の中心は千代田区であるという感覚はわかる。しかし都庁は新宿にあるではないか」という話がしたかったのに。
あのとき先生から漂ってきた悲しいもの。自分は先生だから、なんでも知ってなくちゃいけないから、この答えにはあまり自信がないのだけど、ここは断言せねばならない。先生は生徒に答えを教える存在であり、話し合う相手ではない。という刷り込みから生まれたであろう、あのムッとした顔と、つんとした言い切り。そしてあの去り際の足音。突き放すような態度にぼくは呆然としてしまって、去っていく先生を呼び止めることができなかった。とうきょうと、ちよだく。あのときの先生の顔、いまでも目に浮かぶ。怒っているのに、なぜか悲しみが伝わってくる。