12月10日かもめマシーン『俺が代』

かもめマシーン『俺が代』を観てきた。ぽたぽたと水が滴り続ける、雨漏りしているような舞台。雨漏りって不安になるし、どこが漏れてるか見つけにくくて嫌だよな、たしかに雨漏りの時代かもな、と思った。アフタートークで永井玲衣さんが、人と人の対話を外から見ることについて、この人大丈夫かなとか、私はこう思わないなとか、そういう仕方で参加させられてしまう、身体が一緒にそこにいることで、実際に話をしていなくても関係させられてしまうところが好きだと言っていたことに関連し、かもめマシーンの萩原さんが、今回の演目も開演前に70〜75分です、と言ったと思うんですけど、5分くらいはブレがあるんですよ、なぜなら間の取り方とか、お客さんの反応を見て変えたりするから、それがリアルで見ることの面白さだし、対話に参加させられていることに似ているかもしれないと言っていて面白かったのだが、たとえばこの演目が商業的なものになっていき、舞台の規模が大きくなって観客との距離が遠くなっていくと、上演時間のブレはどんどん小さくなっていき、作品は良くも悪くも一つのパッケージとして完成されていくんだろうなと思う。どこでやっても、いつやっても同じ時間で終わる、みたいな。だとしたら、この、客と役者の対話、人と人との対話、ひいては憲法との対話も、規模の「小ささ」が大事なのかもしれない。哲学対話も、500人とかでは成り立たないだろう。その規模はどのくらいの人数で破綻してしまうのか。人と人が舞台上で話しているのを見て、この人たち大丈夫か、と思えてしまう観客席のキャパはどのくらいまで大きくできるのか。

Posted by satoshimurakami