1月27日

朝、顔を洗ってすぐにみかんを20個ほど絞り、ジュースに。朝食に一昨日作ったスコーン、かぼちゃスープ。スコーンにはくるみバターとさつまいもバターとマーガリン。食後Uと車でオートバックスに行き、雪道用のチェーンを買う。スタッドレスタイヤに変えてあるが、一応。それからワークマンとトレジャーファクトリーにいき、トレジャーファクトリーでズボンを買う。アトリエに行き、隣の家からもらった棚と回転椅子を雑巾で拭く。アトリエには誰も来ていなかった。Uと別れ、勉強堂報告書の最後の部分を書く。それから最初に遡って2回ほど書き直し、メーリングリストに送信予約。21時に送信されるように。3日ほど前に作っていた豆と胡麻のトマトカレーを温めて、即席味噌汁と一緒にビデオニュース・ドットコムの漁業を特集した番組を見ながら食べる。寺田倉庫のアートアワード応募のために書類を作り始めるも、名前とフリガナを書いた時点でやる気が途切れ、トートバッグに『生成と消滅の精神史』だけを入れて神保町へ向かう。電車の中で読む。面白すぎる。いまはカントの章を読んでいるがデカルト→パスカルの章が最高だった。全体を通して、まるでひとり波の音をずうっと聞いている貝殻のような、書き手の時間が流れ込んでくるようだ。世間との距離を取りながら深く潜り、自らという個物を癒やしながら世界を俯瞰する時間。読書はこれだから面白い。神保町で友人が経営する喫茶店に寄る。小一時間ほどダベリ、パートナーとも初対面できた。今度家でパーティーをするという。意外にパーティーが好きらしい。集めておいてもらったあるブツを袋に入れ、なかなか重くなったトートバッグを担いでPARAへ。ベケット原作、額田さん演出、矢野くん主演の『いざ最悪の方へ』を観る。ベケットのテキストの強さと、額田さんの音楽みたいな演出の巧みさと、矢野くんのヤバさが同時に襲いかかってくる。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を聞いているような体験だった。80分。矢野くんが演説調、ライブ調、モノローグ調で発語し、一人部屋で歌ったり体操したりしてるような雰囲気にもなる。オペラのよう。壁に投影されたベケットのテキストに、矢野くんが文字通り向き合う。正気を保つため、それを声に出して言う。歌う。叫ぶ。呟く。戯曲を観客に黙読させる時間まである。矢野くんが投影されたテキストを、あぁ、あぁ、みたいに空返事しながら眺める。時々テキストに反論するような雰囲気を醸し出したり、疑問を提示しているような仕草をする。だが同時にそれを発語もする。壁のテキストを目で見るとき、それはそこにある。声に出すと矢野さんのものになる。のか? いや、ならない。限りなくならない。黙読するとき、豊かな時間が、読書はいつもやってることなのに、劇中だと「一人で読む」という贅沢さを再確認できる。額田さんは、これを演出できて、楽しいだろうなと思った。羨ましい。アフタートーク。額田さんの話。なぜ音楽から演劇に? という話題に。音楽家は、歌や音のために体がある。寝ながら歌ってくださいとか言えない。だが演劇は先に体がある。それがよいとのこと。終演後、「学びのないゼミ」のゼミ生Hさんがいたので、その知人の(PARAの別のゼミ生の)Nさんと一緒に居酒屋へ行き、軽く飲むことになったが、その道中で「未来へ号」とはちあう。一郎さんと軽く喋る。ちょうどメールをしていたので「もってるなあ〜〜、お互い」と言っていた。飲み会、Hさんは仕事の合宿、講座の課題、それと映画を観るのに忙しそうだ。Nさんからは、落石の物理演算の話を聞く。大学で落石のリスク計算を専門にやっていたが、それが道路という現場に反映されることはほぼないという。道路の落石防止坂は、その土地の自治体が、過去に落石のあった場所や落石がありそうなところを目視して設置するので、科学が入り込む余地がないという。飲み会を終え、終電の一つ前の電車で帰宅。帰りも本を読む。が、酒が入っているのと周囲が飲み会帰りの若者たちで騒がしく、同じ文を何度も行き来してしまう。車内、マスクをしていない人が増えてきた。夜遅い電車はマスクをしていない人が増えているなあとは思っていたが、今日はとても多かった。雰囲気が変わってきている。

Posted by satoshimurakami