1月29日
9時39分
高速のパーキングエリアで携帯をいじってたらWi-Fiがぽんと繋がって、highway bus wifiと表示されて、本線の方を見たら高速バスが通りすぎているところで、やがて行ってしまうとWi-Fiも切れた
17時59分
露天風呂で「これが好きってことなのかなあ」と聞こえてきたので思わず聞き耳を立ててしまった。話し相手の男は「あー」と生返事をしている。「最近、好きになったみたいなことあります?」「おれ、あんま好きになることないんだよね。仕事も忙しいし。好きだったら優先すると思うんだけど…」。悩ましい男たち。仕事が忙しいと、きっと誰かを好きになる暇もないよな。これが好きってことなのかなあ、という、自らの心に対する疑問が湧いてくるというのは、いったいどういうことなのか。
心になにか新しい「感じ」がやってくる。これまでに経験したことがない「感じ」だ。過去に見た映画、聞いた音楽、読んだ本や漫画、ドラマなどの参照項から「おそらくこれが『好き』という感情なのだろう」という分析をする。人間は他の人間になることはできない。だから長い歴史のなかで、文化を通して、相互に共有・確認されてきた。そんな「好き」という感情が、一人の人間の胸に去来した。僕は歴史の動脈を垣間見たのである。
人に会ったり好きになったりすることは事故のようなものだ。心は人の支配下にはない。それは体の中と外を行き来しながら周囲を漂っている。それは常にまわりの様子を伺っていて、ふとしたきっかけで突然、感動として襲ってきたりする。何かを見つけては吠え立てて、主人を不安にさせたり歓喜させたりする。しつけがされていない犬みたいだ。