12071222

高松は寒い。なんだか東京よりも寒く感じる。東京より南に位置してるから暖かいと勝手に思っていたけど、そうでもないみたい。
昨日、特定秘密保護法案が参議院本会議で記名投票の末、賛成多数で可決、成立したらしい。国会前ではデモが続いていて、僕の知り合いもたくさん現場にいっているみたい。なんだか、東京から距離的に離れているというだけでそんな出来事たちが、すこし自分からは遠いことのように感じてしまう。この距離でこうなんだから、中国とか、ロシアとかで言ったら、田舎のほうに住んでいる人たちが、首都で起こってることを、我が身のように感じるのは大変なことなんだろうなあ。この法案の中身は(たくさんの人が何度も言っているように)特定機密の定義と、秘密取り扱い責任者(みたいな感じのやつ)の決め方が曖昧だと思うし、施行されてから、どの程度の威力を発揮するのかわからないところがものすごく不気味なのだけど、正直、一昨日の特別委での強行採決といい、なんでわざわざ今更、しかもこんなにも急いでするのか、(アメリカに対する歩み寄りの表現とかいろいろ言ってる人いるけど)よくわからないというのが正直なところで。なんだかここ1,2ヶ月で突然「秘密保護法」という言葉が浮上したような印象で、それがあっという間に決まってしまったていう、着いていけない感じ。すべて僕の無知と無関心が招いた結果なのだけど。だから(デモには参加したい気持ちはあるけど)、いまさら成立したからといって、落ちこむこともしないし、ただひたすら不気味だ。これは、前回の参議院選挙とか衆議院選挙が招いた結果(もっというと今年の初めにも日記で書いた、フジテレビに並んでいたあの大勢の人たちが招いた結果)。
国会前が、秘密保護法案採決反対デモで盛り上がっている最中、この歴史的な日に、僕はバイト先で、「なんちゃらほっとチョコ」というデザートの作り方で「マグカップに先にチョコを入れてからココアを入れるべきところを、先にココアを入れてからチョコを入れようとしてしまった」のが理由で怒られていた。僕は、怒られながら、秘密保護法のことを考えていた。そしてちょっと笑いそうになっていた。この落差に。バイト先の兄貴分の彼は「自分の中では、(最終的に正しい形にさえなれば)どっちの作業を先にやるかは、関係無いと思うかもしれんけどな、みんなおなじ手順でやってるんや。こまかいこと言うようやけど、ここで中途半端にしたら、お店全体がそうなってしまうやろ」「中途半端はぜったいあかん」と言っていた。このマグカップへ注ぐ物の順番が、鉄壁の法則であるかのように語る人と、それほど厳密には気にしていない人と、秘密保護法を審議をすっとばして強行採決する人たちと、この国にはいろんな人がいる。この職場には、この店で働きながら、自分のお店を最近オープンさせた(ずっと夢だったらしい)人もいる。とてもすてきな事だと思う。みんなそれぞれの生活を営んでいる。
そんなことを考えていると、選挙で施政者を選ぶ、ということ、「投票をする」責任を引き受けるということは、当然かなりの勉強が必要なわけで、ふだんの生活(チョコレートとココアの入れる順番とか、お店の掛け持ちとか)だけで大変なことなのに、その上、民主主義を正しく運用するためには、勉強と情報収集(政治と選挙の文脈の勉強とか新聞やテレビや本やインターネット上からの情報収集、しかも1つの発信源だけではいけない、偏ってしまうから)が欠かせない、というのは、無理がある、というか、何か根本的に間違ってるような気さえしてくる、というか。今、高松で暮らしていて、日々のお仕事とかお洗濯とかお料理とか買い物とか近所付き合いとかゴミ出しとか子守り(僕は子供は居ないけど)とか、を、繰り返し繰り返し行う、というのはすごいことだと毎日思っているし、父が昔たまに「仕事行きたくねえ~」とこぼしていたのをよく思いだす。家庭は文字通り「築く」ものなのだなあ~と思う。これを、大昔から人が繰り返し繰り返してきて、政治や宗教も、その営みにあわせて変わりながら、不完全ながらも発達してきて、いまはまたその革命期に入っているのだなあ。と思う。僕は僕自身の救済のためにやるべきことをやるのみで、毎夕バイトに行く道中で感じるあの絶望と憂鬱と無力感と、昨日、橋の上で遠くの鉄塔を見ながら足下からこみ上げてきた熱を忘れないように日々仕事をこなしていくのみだと。このバイト先、人数が多くて規律が細かくて厳しいぶん「新人に対して厳しい目を向けること」によって、お店のバランス(新人に厳しくする事で、自分たちへの自戒にもしている)が保たれている感じがある。僕はその役を、僕の望む通り「嫌な気持ちになりながら」受けてたっているわけなので、考えてみればオールライトなのだ。

Posted by satoshimurakami