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大学生の時に、高知県立美術館で観たニコラ•デ•マリアの「Gloria」という絵をもう一度観るために、また、中塚を「ひろめ市場」に連れていくために。あと沢田マンションを一目見るために。10日から11日まで、中塚と二人で高知に行ってきた。
「Gloria」という絵は、僕が大学2,3年生くらいのときに、寝袋と共に四国周辺をふらふらしていて、たまたま寄った高知県立美術館で、企画展を観た後に館を出ようと思ったら、ドアの上にかかっていたその絵に出会った。青と緑と黄と赤の極彩色しかつかっていないような絵で、左上につたない字でGROLIAと描かれている。当時学んでいた建築設計への不信感があり、自分はどうなっていくべきなのか何がしたいのかよくわからない時期だったこともあり、その絵を観たとき衝撃波をくらい、一枚の絵にこれだけの力があるのかと感動した記憶が、たびたび僕を救ってくれていた。もう一度観たいと、ずっと思っていた。またひろめ市場とは、高知市内にある、飲食店のデパートみたいなところで、ここに夜来ると、必ず誰かしらと相席になり、自然に会話がはじまるような、しかも日本酒や焼酎やビールやカツオの藁焼きやらと、高知のおいしいものがたくさん飲み食いできる。
Groliaの方は、なんと展示してある館が夜まで閉まっていて、観る事ができなかった。。ものすごく残念だったけれど、まだ時期じゃない、と絵に突き放されたような気もする。まだ観てはいけない、と。企画展の草間彌生「永遠の永遠の永遠」とシャガールのコレクション展を観た。草間さんのアクリルで描いた何十枚もの連作が凄まじかった。この人も、精神病院に毎日通いながら、ぎりぎりの状態で描き続けている。絵が良いとか悪いとか、きれいとか汚いとか、そういう話ではない。草間さん自身の生命維持の線の瀬戸際で描かれた異形の絵たちだった。ものすごく勇気づけられた。なぜか、展示室の床が、誰もいないのにパチパチなっていた。美術は、売買の対象にするため、美術史へのコミットの仕方を競う、という側面以上に、その人自身の切実さをいかに注ぎ込めるか、いかに生き延びるか、っていう、祈りのような側面を持っていなくてはいけない。関連映像ということで、草間さんのドキュメンタリーが上映されていたのだけど、そこで彼女は「わたしはピカソもアンディも出し抜いて、トップの作家になりたいんだ」と言っていた。
ひろめ市場では、中塚が相席の人たちとよく話して飲んで、夜気持ち悪くなって大変そうにしてた。彼女の気質からして、ひろめ市場みたいなところにきちゃうと、人との話がはずんでしまって、飲みすぎてしまうのだと思う。
帰ってきたその日の夕方からまたバイトだったのだけど、スタッフがみんなピュアすぎて、にやにやしてしまう。たとえば先日の例の兄貴分の彼とのやりとりは、店を閉めるころになると、リセットと呼ばれる、メニューやテーブルをアルコールで拭く作業があるのだけど、僕はいそいでやれと言われていたのもあって、メニュー(クリップで何枚かがまとめられている)を拭くとき、クリップを外さずにさらっと拭いていたら、彼がやってきて「いま見とったけど、それじゃあやっつけ仕事や。やってないのと一緒や。ちゃんと(メニューをとめているクリップも)外して、メニューのカドからカドまで、しっかり拭いていこうや」というようなことを言われた。何かの研修ビデオに出てきそうな台詞だ。衝撃だった。この間も彼は「中途半端は絶対あかん」と言っていた。彼にはそういう信念があるのだ。かっこいい。また、梅酒のロックをつくるのに、ロックグラスを取り出して、先に梅酒を入れ、後で氷を入れていたときに、その場にいた古株スタッフから「それ梅酒ですよね。先に氷じゃなくて梅酒入れるんでしたっけ?」と聞かれて、「え?どっちでもいいんじゃないんですか?」と答えたら「どっちでも良くないと思います。」といい、その人はどこかに行ってしまった。少し経ってから別の人(この人は社員)が来て「梅酒ロックのときは、先に氷いれてから、梅酒な」と言われた。なんじゃその順番縛り。と思いながらも、すいません、と謝った。終わってから店長に(僕はまだ研修中なので、毎回終わりに、今日はどんなことで困ったか、話をする時間がある)、梅酒の件を話してみたら、店長の方は「氷の上から梅酒を入れると、氷が溶けて滑って、お酒の中に氷が落ちてくれるけん、その方が確実なんやけど、梅酒の後に氷入れても、ちゃんと氷をまわして、お酒に落としてくれれば(これは僕も教わっている)、結果的にできるものは同じやから、どっちでもいいと思うんやけど、伝わらんなー。」と言っていた。さらに「全部店長が悪いんやけどな。」「人に伝えるって難しいなー」と言って、少し深刻に考えはじめる店長がいた。人によってやりかたも違うし考え方も違うのだけどみんな、どこかで無意識のうちに、自分のやり方が間違ってないと、思っている、祈っている。だから、人から言われたことを、読み込むというのは、とても難しいことなのだ。店長がぼやいていたのもそれなのだ。佐々木中さんも言っているじゃないか。人が書いた本なんて読めるわけがない。読めたら気が狂ってしまう。でも、それでも、読まなければいけない。取りて読めと。
ただそんなレベルの話とはもう完全に圧倒的に無関係に、バイト生活には既にうんざりしている。苦悩のために生きているっていうショーペンハウアーの言葉がいつも頭のどこかにある。これで本当に最後になんとかしたい。あれだけバイトしたのに、中塚との引っ越しやらいろいろと積み重なった結果、なぜかもうお金が無くて、でもどんどん税金とか奨学金とかいろいろな支払いはどんどん降り掛かってきて、免除申請を出し忘れてた期間滞納してた年金の支払い催促の電話もなる。悪夢だ。祈るんだ。早く過ぎされ。
今年ももうすぐ終わる。2013年を振り返ってみると、大学を卒業してからの2年間、2011年、2012年に比べると、圧倒的に何もしていない時期だった。1月から2月は、フジテレビでの展示の撤収後、空鼠で吉原関連のことをずっとやっていた。3月に六本木アートナイトに参加してから、5月くらいまでの記憶がほとんど無い。5月から9月末までは1日12時間働いていたバイトの記憶がほとんどで、そのあいまに、ランドセルを作品にした記憶がぼんやりと浮かんでいる、という感じ。そしてイタリアに行き、大分のプロジェクトに参加させてもらって、高松に越して、そしていまもバイトをしている。何をやってるんだか。今年みたものとしては映画「立候補」の印象が強くのこっている。終盤のマック赤坂のスピーチと踊り、そして息子の叫びがいまも記憶にやきついている。「おまえらそんなエネルギーあるなら、立候補してみろよ!」というあの叫びが。これは参議院議員選挙での三宅洋平の言葉と記憶の中でセットになる。ランドセルの作品を作りながら、iPhoneで三宅さんの演説を初めて聞いたときの革命前夜の感じは、三宅さんが気づかせてくれたあの感じは、今もたしかに続いている。また想田監督の「選挙2」ともつながる。そんな「革命」なんて言葉とはまるで無関係であるかのような、清掃員とビアガーデンのバイトの雰囲気もよく覚えている。朝6時に、ふらふらと起き上がって、電車内でブコウスキーを読んで、ウディ•ガスリーや友川カズキを聞きながら清掃現場まで行き、9時ごろまで働いたら家に帰り、すぐに昼寝をして、1時ごろにはまたバイト先のビアガーデンに出かけ、23時半ごろまで働いて、缶ビールを飲みながらかえってくる。それの繰り返しが5ヶ月間。あの時間は結局なんだったのだ。でもそのおかげで、ブコウスキーとちゃんと出会えたのもよかった。彼もアメリカ中を転々としながら、その毎日の生活、うんざりするような日雇い労働と、まちで会うさまざまな女たちとの刹那的な情愛のなかでエネルギーを貯め、その切実な文体を磨いていった。ブコウスキーは言っていた。「すべての時間を無駄にしてはならない」と。ずっと集中を持続させるのは不可能なことだ。2時間の集中をつくりだすために、8時間は無駄にしないといけないかもしれない。晩年彼は、日中は競馬に出かけ、夜家に帰ってきてからワープロ(もしくはタイプライター)の前に座る。という生活をしていた。友川カズキさんのライブにも行ったのだった。黒い衝撃波が伝わってくるすごいライブだった。展覧会は、ベニスビエンナーレがやっぱりすごかった。ウォルターデマリアの作品と、大竹さんのスクラップブックと、イスラエル館のインスタレーション、あとまちのギャラリーでやっていた小さな展示の、小泉めいろうさんの作品をよく覚えてる。ホテルのそばのBar Piccoloのあのご主人は今日もいつも通りの顔をしてるだろうか。演劇はあんまり観られなった。二日連続で遊園地再生事業団とキャラメルボックスという組み合わせをみた記憶は強くのこっている。作品の内容以上に、その振れ幅を。観客に「完成品をみせつける」ような、大衆向けのエンターテイメント志向のものと、観客を「べつの場所に連れて行こうとする」ような、解釈される事を逃れ続けるような志向のものとの振れ幅。その両者の「わかりあえなさ」からくる寂しい気持ちをよく覚えている。