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昨日と同じ絵を、昨日と同じところで描いていると、昨日と同じ時間帯にスズメの群れがやってきた。スズメたちは、まずある家の屋根の上にとまり、次にぱらぱらとむかいの家の屋根にうつりはじめる。そしてあるタイミングで)これが人間の僕にはわからないのだけど)で、ぶわっと、勢いよく、全てのスズメが一斉に屋根から飛び立ち、また最初の家の屋根にとまる。そしてまたしばらくすると向いの家の屋根にうつりはじめ…。というこの一連の動きも、昨日と同じだった。ちゃんと、日々のルーティンワークがプログラムされているのだなあと思った。そして僕も、昨日と同じ時間や昨日と同じ職場に行って、昨日と同じような動きを、今日もするのだなあ、と思い当たった。これは、スズメたちとどう違うだろう。「今日とは、昨日と明日の間にあるものだ」というだけの意識で、現在を消費するために反復を行う。これはみんなでやることによって、怖くないものになってしまう。僕たちの日々は、あっというまに、あのスズメたちの日々と似たようなものになってしまう。そこに、ある個体による意図的な活動。歴史を踏まえ未来に賭ける、あの創造行為がなければ。
今までどうも、美術という軸足を外さないように、演劇に接近していくような気持ちでいくつかのプロジェクトをやってたけれど、今考えてみると、小さい小さい考えだった。もし演劇というなら、あれらのプロジェクトは、直接演劇として上演できるものだった。軸足を外す勇気が必要だった。というか軸足なんて気にしないで、重心を動かしまくって、軽快にステップを踏みながら進んでいく気持ちでいないといけない。
ある人間の生活を通してみることによって、自分がいるこの世界をまるごとステージにあげることができる。それを「鑑賞する」ことさえできる。誰にとっても生活は、その人からしたらそれこそが世界の全てなのだから。そして僕たちは想像力をもっているのだから。これが可能なのだ。スズメとは違うのだ。

Posted by satoshimurakami