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今日家を置かせてもらった民宿は海の目の前だったけど津波は床上浸水ですんでいた。このあたりは津波の被害はほとんどないように見える。なんでかおばちゃんに聞いてみたら、勿来町は海岸線が一直線だったかららしい。一直線だから津波が大きくならずにすんだという。すぐ近くに火力発電所があるんだけど、そこのあたりは車も家も流されちゃったという。そこは海岸線が曲がった湾になっていたから津波が大きくなってしまったんだとか。
ある場所を訪れた時に
「人生何十年もあるんだから、1、2年こういうことやってもいいのよ」
と人が話しているのが聞こえた。それで合点がいった。これまで「若いからできていいわね」とか言われてなんか違和感があったのは、あの人たちに日常化のバイアスがかかっているからだ。彼ら彼女らの中には何か不動で確固たる「日常とはこういうものだ」という無意識の思い込みがあるのだ。「いま目の前でこんなことをやっている人がいるのはある種の非日常的な"勢いにのって"やっているからだ。彼もいずれ若くなくなり"私たちと同じようなこの日常"に取り込まれていく。だから私がこの日常にいることは間違ってない」と自分を納得させるためにそういうことを口走る。
昨日も書いたとおり、今日は田谷さんが紹介してくれた人の家に家を置かせてもらう。そこには僕と同い年の長男と3つくらい離れている次男がいた。長男の方が原発事故で立ち入り禁止になっているところまで車で連れていってくれた。
一度見てみたかった。それは好奇心もあるし、また主にいま海岸線を歩いているのでこのまま北上するといずれ立ち入り禁止区域にぶつかる。だからどこかで郡山にむかう道にそれなくちゃいけないんだけど、それは立ち入り禁止区域にぶつかってから引き返すというやりかたでも大丈夫そうか、あるいはもっと早い段階で道を逸れたほうがいいのか、実際みてみないとわからない。調べてみるといまは7キロ圏内くらいのところまで近づけるらしい。大丈夫なのか。
距離が近づくにつれて、体がこわばって緊張してくるのがわかった。15キロ圏内あたりからはほとんどひと気が無かった。なにか作業をしている人はたくさんいるんだけど、生活の気配がなかった。犬の散歩してるひととか、畑仕事をしてるおばちゃんとか、自転車にのってる主婦とか、子供とか、窓から人影が見えるというような無かった。ほとんどの家は窓にカーテンがかけられていて、地震で落ちた瓦なんかはそのまんまになっていた。今にも崩れそうな家もいくつかある。
規制線がはられている直前で車を降りて、歩いて近づいてみた。福島第一原発まで7キロくらい。
「島根県警」と書かれたマスクをしたおまわりさんが二人近づいてきて
「なにしてるんですか」
と聞いてきた。僕たちは
「ちょっと友達が来たんで連れてきたんです。中には入りません」
とかなんとか言ってやりすごす。どうやら全国の警察が交代で規制線をみはっているみたい。
「ごくろうさまです」
と言って別れる。
家の絵を2時間くらい描いてもいいかと長男の方に聞いたら
「いくらでも待つよ」
と言ってくれたので、すこし探索して家の絵を描き始めた。探索してる最中にも一回おまわりさんに職質された。
はじめ雨が降っていた。雨が降るなか、画用紙に落ちる水滴を払いながら絵を描いていた。やがて雨があがると、わずか数分のうちに足を何十カ所も蚊やブヨに刺される。なんでこんなにたくさんいるんだ。経験したことのないスピードで刺された。足がものすごく腫れた。それでも描いていた。ここの家の絵だけは現場で描ききらないとダメだと思っていた。あたりはあちこちからやたら元気な鳥が鳴く声がする。人影は全くない。やたらと植物が茂っている。日差しが強くて足はまだ刺されつづけて熱をもってきた。なぜか心拍数があがってきてだんだん絵に集中するのが困難になる。そしたら下腹部が痛くなってきてその後、うまく言えないんだけど急に突然精神的な限界がきたのを感じて「これ以上いたら頭がおかしくなる」と思いいそいでスケッチブックをたたんで立ち去った。30分くらい現場でがんばったけれど無理だった。その家を写真に撮り、あとで書き加えることにした。
車で帰ってる途中もしばらく下腹部は痛くて落ち着かなかったけど、だんだん離れるに従っておさまっていった。精神的なものが原因なんだろうけれど、こんな状態になるなんて予想してなかった。二度と行きたくない。というか行かなければよかったとさえ思ってしまった。でもいまは落ち着いて、行ってよかったと思える。
規制線のあたり