0606
疲れてはいるけど、自分の無意識がこの移動生活に適応してきているのがわかる。英語圏の国に行ってしばらくすると頭で考える言語も英語になってくるみたいに。動いているという状態に落ち着きつつある。動いている状態に落ち着くっていうのが理想的なあり方だ。いま自分が仙台にいるということを、すこし頭を働かせないと思い出せなかった。自分がい る都道府県とか地名なんかどうでもよくなりつつある。どこかに「行っている」という気が全くしない。こんな気持ちになるのか。
昨晩からずっと雨が降っている。とうとう東北地方も梅雨入りしたらしい。寝袋がじめじめして嫌だ。 干せないし。
今日はマジシャンのナニーさん(「ナニソレナンデさん」の略称)が朝早くから出かけていった。古川というところでショーの仕事らしい。いかにもマジシャンていう感じの衣装を着て いた。お昼過ぎに帰ってきた。今日はかなり盛り上がったらしい。ナニーさんが自分で考えたというロゴマークはなかなか良い。
そして軽トラに家を積んで仙台まで運んでくれた。仙台に住んでる大学の後輩がいて、今日はそこに家を置かせてもらうことになっている。 仙台に着いて家をトラックから下ろしてナニーさんと別れたあとに、瓦が1枚無くなっていることに気がついた。たぶん来る途中に風で飛んでしまったのだ。考えてみたら時速60 キロの風を荷台の上で受けつづけていたのだ。飛んでも無理ない。でも家のパーツが紛失したのは初めてだ。新しい瓦を作らないといけない。でも1枚つくるのも結構手間がかかる からいつになるか。
後輩の家は2世帯住宅で玄関にインターフォンが2個並んでいて、どっちを押したら後輩家族のほうにつながるのかわからない。5秒くらい考えて、なんとなく右のを押した。それが正解だった。
後輩のお父さんは山登りをする人らしく、僕が家に入ったらすぐにビニールのピクニックシートを床に広げて「ここに荷物を置いて乾かしてください」と言ってくれ た。これがありがたかった。リュックの中も結構浸水している。描いた絵とスケッチブックが水気をすって柔らかくなっている。
後輩家族3人と一緒にご飯を食べる。 お父さんが「1年後の発表を見越して予定を立てて、それを実行していくこと」に感心したらしい。「サラリーマンをやっていたら一年後の自分のことなんて考えない」と。だから 僕の制作の計画が1年単位であることに驚いていた。僕はクリストを思い出した。彼は10年とか20年単位で1つの作品をつくっている。逆にピカソは膨大な数の作品を残してい て、1日に何点もつくることもあったはず。だからアーティストはそれぞれのからだや作風に適した時間感覚を見つけて制作をする。それが、サラリーマンをやっていると他の人と 同じ時間仕事をして、同じ曜日に休みをとるということになってしまうのだな。これはバイトしてたときに感じた時給制の不気味さと近いものがあるな。
僕の父とも年が近い。父ももうすぐ60歳になる。仕事を辞めたあとどうなっていくんだろうか、っていう話もした。僕は大玉村のハーレー乗りのおじちゃんの話をした。あのおじ ちゃんは今80歳だけど、横浜で仕事をしていた60歳までとは完全に別の人生を生きているように見えた。だからまだ20歳みたいなもんだ。彼は60歳でもう一度生まれなおし たのだ。こんな生き方が可能なのか、と思った。
夜はロフトのところで寝かせてもらった。