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朝ご飯をコンビニの駐車場で食べながら、前の道路を眺めてた。歩行者が一人も通らない。車は何十台も通る。ほんとみんなすぐに車に乗る なあ。そういえば高松でバイトしてた頃も2キロ離れた職場まで歩いて通ってたけど、みんなにびっくりされて最初信じてもらえなかったく らいだった。「すぐそこなのに」っていうところでもすぐ車にのる。からだとか大丈夫なのかな。「歩く」ってのはもはや基本の移動手段じ ゃないんだろうな。ちょっとの距離でも車にのりたがるってのは、そっちの方がもう身体に馴染んでしまってるってことだ。徒歩よりも車の 方が身体に馴染んでる。歩くことはもはや「ウォーキング」という特殊なジャンルになりつつあるんだろう。それで大丈夫なのか。

いつのまにか秋田県に入ってたけど、なにか景色ががらっと変わったわけでもない。住所って考えれば考えるほど不思議だ。土地に線は引か れてない。でも歩いていると住所はどんどん変わる。いま自分の住民票は香川県高松市松福町となっているけど、その言葉の並びが指すもの はなんだろう。それは土地から沸き上がるようにして生まれたものじゃなくて、この社会の装置をまわすために便宜的に割り当てられただけ なので例えば「六本木」とか「銀座」っていう言葉が指すものはその土地そのものじゃないんだろう。うまく書けないけど、この生活をして ると住所って呼ばれるものが宙に浮いた頼りないものに見えてくる。それは歌でいうタイトルみたいなもんだ。他と区別するためにつけられ る。土地の持つ歌は、タイトルとは別のところにある。

8時半ごろ七滝温泉を出る。大館まで向かう。25キロくらい。アスファルトの上で干涸びて錆びた針金みたいになったミミズの死体をたく さんみた。やるせない気持ちになる。今日は路上で色んな人に出会った。まず看板屋さんの前を通った時に声をかけられて、コーヒーをごち そうしてもらった。スタッフが3人いて社長はギターで弾き語りをする人らしく、そのライブのポスターが事務所内に何枚も貼られている。 いい感じの看板屋さん。
あと
「えーっええーっ。考えられねえ。考えられねえ。」
って何度も驚く特徴的なおじさんに会った。「もうすぐここらはお祭りの季節になる」って話を聞かせてもらう。でっかいねぶたが出る祭が 能代であるらしい。
それとママチャリで埼玉県八潮市から北海道まで漕いでる「しゅうちゃん」っていうおじちゃんにも会った。この人はや ばい。下駄を履いて、錆び付いたママチャリに乗ってた。荷物も多くなくて、ちょっと近所のコンビニまでって感じのノリでバイパスを走っ てた。出発して2週間くらい経ってるらしい。いろんな人がいるなあ。

大館に着いたら新聞記者さんが話しかけてきた。もう5時半を過ぎていたので、僕はけっこう焦っていて 「いま敷地を探してるんです!」 って感じで相談にのってもらった。ゼロダテというアートセンターがあることを知っていたのでそこにも行ってみた
「あのちょっと相談があるんですが、僕は、、」
と言ったところで
「あ、家を担いでる人ですよね」
と返ってきた。その言い方は「家を担いで生きる」というライフスタイルが普通であるかのようだった。こっちが動揺してしまった。すご い。さすがアートセンターは一般化が早いな。
記者さんとも一緒に考えて、近くにあるお寺がいいだろうとのことなのでそこに行って交渉してみたら、快諾してくれた。よかったよかっ た。で、晩ご飯をゼロダテで教えてもらった「米田食堂」というところで食べたんだけど、ここがすっごくいい感じ。かっぽうぎ姿のおばち ゃんが一人でやってる(たぶん米田さんっていうんだろうな)ちいさな食堂。400円の「納豆定職」を頼んだら、ご飯と納豆とみそ汁の他 に6種類のおかずがついてきた。「たくさんおかずがあるなあ」って思ってたらおばちゃんは微笑みながら
「食べなさい」
って言った。いいなあ。このおばちゃんの家がそのまま自然に店になったような感じだ。
客は僕の他に2人おじちゃんがいて、彼らは集団的 自衛権の問題について言い合っていた。それがエスカレートしてきて話す声が大きくなってくると、調理場にいるおばちゃんが「まあまあ」 って感じでなだめている。おじちゃんたちはおばちゃんのことを「おかあさん」と呼んでいる。ほんといい場所だな。

夜、お墓のそばで寝るのはちょっと怖いなあと思いつつ横になる。いつもはこんなこと思わないのにな。でも横になって天井を見上げたら「ここは自分で作った空間だ」という気持ちになってわくわくする。それで怖さが飛ぶ。

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Posted by satoshimurakami