2011年10月26日(水)仙台、松島、東松島、石巻
せんだいメディアテーク。最上階は地震で天井が落ちたため、復旧工事中でした。
10月24、25日と仙台に宮城県にいってきました。津田翔平さんhttp://shoheitsuda.net/ とふたりで行って来ました。
人と会うためというのと、津波の被害を受けた場所を見るために行きました。
恥ずかしながら、震災後東北にいったのはこれが初めてです。
なぜすぐにいかなかったのか考えました。ひとつは空鼠の契約日が3月11日で、僕たちは自分たちの寝床を確保するためにビルの改修で忙しく、空鼠オープニングの4月10日までは正直震災どころではなかったです。その間まわりでいろいろな人が東北で活動したり、西へ逃げていったりしました。僕はオープニングの後、なんだかタイミングを失ったような気持ちになりました。どこかで、一目見なきゃとは思っていました。そのまま半年以上経ち、先日仙台の方と連絡を取り、行くタイミングを得ました。そして津田さんと日程を合わせ、一泊二日で行って来ました。
せんだいメディアテークでたまたま「武蔵野美術大学交友会宮城支部」の展覧会が開催されていました。受付をやっていた方に話しかけたら、とても喜んでお茶とお菓子をごちそうしてくれました。メディアテークでは河北新報の震災写真展やタノンティア資料室、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の映像上映など、震災がらみの展覧会がたくさん開催されていました。
河北新報の写真展は、多くの人で賑わっていました。
あるおばちゃんたちのグループは震災後の航空写真を見て「ここは○○病院があったところよねー。」という会話をしながら写真を見ていました。「この写真、泣けるねえ」という言葉も耳に入りました。このときは、こんなにたくさんの市民が、いったいどういう心境で、この写真展を見にきているのか、想像できませんでした。
25日。
メディアテークの近くの自転車屋さんで自転車を借りて(2日で500円!)海の方へ。上の写真はまだ市街地です。
海まで約1キロのあたり。津波が来たところは「ここは来たな」というのがなんとなく分かります。このあたりは街灯やらフェンスやらが軒並み倒れていました。
若林区長浜あたり。瓦礫の移動作業中でした。仮置き場といったところでしょうか。
そのまま一気に松島へ。仙台から25キロくらいです。
芭蕉の句でも有名な観光地ですが、この島々のおかげで、海沿いの町は津波の被害はあまりないようです。観光客もみかけました。とっても良い景色!
これは松島から東松島へ行く途中の駐車場でみかけた、車輪のついた家!
これすごいです。先端にはトラックで引っ張るためのフックのようなものもありました。電気もひいていて、どうやら人が住んでいるようです。お話を聞きたかったのですが、ちょっとためらってしまい、やめました。これで家族ごと、建物ごと避難してきたんでしょうか。
これは東松島市。仙台から40キロくらい。ここはまだまだ家の解体や瓦礫や泥がのこっていて、人もまばらでした。とっても静かでした。
津波と一緒に押し寄せた泥が町の地面を覆っていて、流された建物の基礎も見えず、草や苔がたくさん生えていて、さながら湿地帯のようでした。ときどき目に入る、長靴、子供用のヘルメット、サンダル、原形をとどめていない自転車、Tシャツ、こどもちゃれんじのCDなどが、ここで人の生活があったということを主張していました。
とにかく静かでした。
石巻市。仙台から50キロくらい。
こんなに遠くまで見渡せるなんて。
石巻は瓦礫撤去の工事があちこちで行われていて、人もよくみかけました。
変な言い方ですが、東松島に比べて"活気"がありました。
海の方を見ると、15メートルくらいの瓦礫の山が見えました。
そしてよくまわりを見ると、その山が、町の周囲をぐるっと囲んでいました。
地面には容赦なくどんどんと草が生えてました。
そして仙台に帰りました。
仙台は、市街地と海岸沿いの地区で被害状況がまるっきり違い、市街地ではもう震災の爪痕はほとんど見当たらず、被害も少なかったようです。もともと地盤が強く、家も耐震対策をしっかりとしたものが多かったのが幸いしました。
しかし海の方へ行くと、波に流されて原型をとどめていない車の山や、瓦礫の山がたくさん見当たりました。仙台の市街地に住む人たちは、すぐ近くの沿岸部にも行った事がある人がほとんどなので、「知り合いが亡くなった」「知り合いの家が流された」という経験をみなさんがしています。
「あの日海の近くでイベントがあり、もし自分の旦那がもう少し長居していたら…」という話も聞きました。
僕は東京でも同じような話をいくつか耳にしていました。ただここは、被害が酷い地域とあまりに距離が近く「こんなに近いのに、なぜ自分はこんなに無事なのか」という心境の人がたくさんいるのかもしれません。
メディアテークで震災がらみの展覧会がたくさんやっていたのも、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が立ち上がったのも、この心境から来ているんじゃないかと思いました。
また行きたいです。