0902
河川敷で起きた。起きて家を出るときちょっと緊張した。朝6時頃は散歩してるおじちゃんおばちゃんなんかよく通るんだけど、9時過ぎたくらいからほとんど人をみなくなった。起きて、寝袋をたたんでたらいつのまにか毛虫がTシャツにくっついてた。ここ最近すごくよく見る白いやつ。アメリカシロヒトリってやつかな。びっくりしたけど、前に十和田湖で靴下にでかい毛虫がついてたときほどじゃない。慣れたのかな。Tシャツの裏からそいつをデコピンで弾き飛ばす。一回じゃ落ちない。何回かやって地面に落とす。こういうとき、彼らは地面に落ちてからしばらくは動かない。びっくりするのかなんなのか。とにかく一定時間じーっとしてから、ニョキニョキと動き始める。
歯を磨こうと思って、台所と名付けた水道があるところにいく。水がすっごく茶色い、そんで変な匂いがした。川の水なのかな。。歯を磨いたら新鮮な気持ちがした。そのあとミネラルウォーターで口をゆすいだけど。
お昼ごろ河川敷を出発。見附市方面に進む。新潟はだいたいが田んぼと農道でできてる。田んぼはもう黄金色になってる。カバキコマチグモの巣を探しながら歩く。そいつは毒グモで、噛まれても一回に注入される毒が少ないから患部が痛む程度ですむんだけど、小さい頃にその存在を知ってから一度見てみたいとずっと思っていて、ここ最近その巣をずっと探してるんだけど全然見当たらない。草を折って結んだような巣を作る。ただの怖いもの見たさだけど、いつか見てみたい。通りすがりのおじさんから
「どこまでいくんだ?」
と聞かれた。この質問が一番多い。あまりにもよくその台詞を聞くので、それが哲学的な深い問いかけのように思えてくる。答えに困る。だいたい「決めてません」と答える。答えた後に、なんか悪いことしたような気分になる。決めてなくてすいません。っていう申し訳ない気持ちになる。これは病気だ。目的地を決めると移動がただの作業になる。まだここか、とか、もうここまで来たぞ、とか思っちゃう。それはだめだ。いまは展示があるから長野が目的地になってしまってるけど、気をつけないと、移動が作業になっちゃだめだ。意識の持ちようだ。カバキコマチグモの巣を探してると思って歩くのだ。
14キロくらい歩いて、見附市の「パティオにいがた」っていう道の駅についた。とっても奇麗な道の駅。大きな芝生がある。デイキャンプ場もある。ここいいなあ今日はこのへんに住むかーと思って、道の駅のインフォメーションにいたおじさんに敷地の交渉をしてみる。
「芝生の方は、ドクターヘリの発着場になってましてダメなんですよ。駐車場のほうだったら大丈夫だと思うんですけど。家を持ってきてっていうのは前例がないものでね。ちょっと管理室のほうに聞いてみますかね」
でしばらく電話して
「車一台分の大きさを超えなければ大丈夫です」
とのこと。よかった。さあやっとあの邪魔な家が置ける。と思うと、毎日のことだけどわくわくしてしょうがない。適当な場所に家を置いて、まずは風呂だろうと思ってiPhoneのグーグルマップで「銭湯」と検索して出てきた一番近くの銭湯まで歩いていった。20分くらい歩いたんだけど、そこは銭湯じゃなくて岩盤浴の店で『入浴料 大人2200円』と書いてあって「冗談じゃねえや」と思ってまたもう一ヶ所のほうに行ってみた。そこから5分くらい。そっちは銭湯でもなんでもなくて、なんか奇麗な民家だった。銭湯はどこにあるんだ、と思ってもう一回検索したら、東三条駅の方にあるとという結果が出てきたので、見附駅まで歩いていった。30分くらい歩いた。そっから電車に乗って東三条駅について、さらにそこから10分くらい歩いていくと煙突が見えた。「やってますように潰れてませんように」と思ってどきどきしながら正面まで行くと、明かりがついてた。嬉しさがもう溢れ出してきてすごかった。風呂までの冒険がおわった。昔懐かしい銭湯って感じで、おかあちゃんとおばちゃんのあいだくらいの年齢の人が番台に座ってた。えらく腰の曲がったおじいちゃんが更衣室に入ってきて、Tシャツの背中は汗でびっしょり。なんか裏で作業してるんだろう。そのおじいちゃんにむかって番台のかあちゃんが
「~は綺麗にした?」
みたいに話してる。葛飾区にいるかと思った。
風呂からの帰り道、もしこの街の近くで原発事故があったらあの光景もここにはなくなっちゃうんだろうなと思った。ていうか最近帰った自分の地元でなにかおおきな災害がおこったとき、自分たちも近所の人も全員住めなくなっちゃうことを考えてみる。移住せざるを得ない状況に追い込まれること。離れたくないまちを離れなくちゃいけないこと。あのおじいちゃんも両親も、向かいに住んでる家族も、あの場所から移住するには相当なエネルギーがいることが簡単に想像できる。福島の富岡町の景色を思い出した。