0904
朝のうちに麻生の湯を出発。小千谷市の方面へ向かう。ちょうど道の駅が20キロくらいの間隔であるので最悪そこにいけばいいと思えて安心できちゃう。
歩いてたら、のむらサービスエリアっていう看板を道沿いに発見する。トイレのマークとかレストランのマークとかが書いてある。サービスエリアなんだけど個人がやってるみたい。初めてみた。だけどこれはロンドンでみたプライベートパークと同じだ。一人の人間が他の人間のために自分をひらく。公共空間の理想だと思った。いま思うと入って話を聞いてみればよかったな。そういうお店とかコンクリート工場とかがたまに道沿いにあるけど、だいたいは田んぼで、あちこちで稲の収穫をしている。農家の人も、やっぱりこのときが一番楽しいのかな。もう慣れてそんなこといちいち思わないかな。僕も家を背負って歩くことに慣れてきて、たまに忘れることがある。いや忘れてるわけじゃないんだけど、気がついたら意識してなかったことがある。そういえばこのあいだ、いくら話しても信じてくれない人がいた。「口ではなんとでも言える」って言ってた。嘘だろって思っちゃう生活って面白い。生活をもっとやばくしていって、ほとんどネタみたいな毎日にしてあとで面白く読み返したりできればもういい。でも展示は全く笑えない感じにしたい。蟻がミツバチの死んだのを運んでる。死んで地面に倒れても、こうやって運んで栄養にしてくれる生き物がたくさんいるんだな。原因が結果になって、その結果がまた別の結果の原因になる。みんな自分の種を保存するためにいろんな生存戦略をとってる。そんで、僕はここでこうして生きてるだけで、それはエネルギーがそこにあるということなんだなと気づいた。生きてるだけで、大きなエネルギーがここにある。
癌を患っているおじちゃんに出会った。彼は
「余命半年だから」
と言って、お腹にある大きな手術跡を見せてくれた。その瞬間、まわりの景色がすうっと遠くのほうに行ってしまった。「死」がリアリティをもって、目の前に立ち現れてきた。
彼は癌がわかってから、何度か車で旅をしている。マルコという犬と一緒だ。マルコは色はまだらだけど血統は立派な紀州犬で、おじちゃんが知り合いのブリーダーから「貰い手がいなかったら処分しなくちゃいけない。引き取ってくれないか」と言われて引き取ったらしい。
「自分が死んじゃうから飼っててもしょうがない。二回捨てようとしたけど、かわいそうでやっぱり引き返したら二回ともちゃんと捨てたところで待ってた。もう捨てらんないなー」
って言ってた。彼とは路上で出会った。彼は車に乗っていた。
「ちょっと休憩しませんか」
と言われて道路わきのちょっとしたスペースに家を置いたら、彼はレモンチューハイを持ってきた。
「ジュースが切れちゃってるから」
っと言ってた。それを飲みながら話した。自分の活動のことを説明したら
「そうか。君はこれからの人なんだな。わたしはもうおわった人だから」
と言う。僕は自分がこれからの人だなんて思っていない。今の人だと思っている。でもその反論はそのおじちゃんに対してはあまり意味がない気がした。
「余命半年ってどんな気持ちですか」
って聞いたら。
「もういいかなーって感じですかね。孫の顔も見れたし。」
と普通に答えていた。不思議と、全く気を使わずに話せた。一緒にいてすごく楽だった。そのおじちゃんがとても力を抜いて接してくれてるのがよくわかるからだと思う。
最初に出会った場所から4キロくらい歩いて小千谷の道の駅でもう一度会った。彼は車でそこに寝る。僕はその隣に家を置いた。一緒にご飯を食べた。彼は建築関係の仕事をしていた。1級建築士の免許を持っていて、宅地建物取引の免許も持っていた。合格率7パーセントらしい。その宅建の免許を
「もういらねえんだ」
といって燃やしていた。プラスチックが焼ける安っぽい匂いがした。