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1600年前の交差点に残っている250年前の建物を見学して、400年前から街並みが変わっていない今井町に帰ってきた。歴史の動脈にいる。いまという時代と、未来への予感のようなものを感じる。奈良に住むってことは、この未来への予感のようなものと一緒に住むということかなと思った。
その交差点(藤原京の横大路と下ツ道の交差点)はかつて幅が30メートル以上はあったらしい。東にずっとまっすぐいくと伊勢に着く。江戸時代には札の辻と呼ばれ、旅人が絶えない交差点だった。現代では住宅地になっていて、車幅は3メートル程度で、車は一方通行。でもけっこう通行量が多い。いまでも多いのが笑える。

そして1975年に発行された「思想の科学」が、60年代のことを論じているのを読んでいる。今井町のNPOの人が思想の科学研究会のメンバーだったらしく、何冊か貸してくれた。

[高度成長は、人から尊厳をうばった。熟練がなんの役にも立たなくされた時代のことである。手に職をつけて働いていた人たちが、工場で単純な作業をひたすら繰り返す仕事をさせられる。自動車工場では、なんのために働いているかといえば、ただコンベアの動きに遅れないためにだけ、そしてコンベアが時間がきて止まる瞬間のためにだけ、必死に手足を動かしている。自分が働く姿を、妻や子供に見せたくないと誰もが思っている。]というようなことを、鎌田慧さんが書いている。

昨日は1400年前に建てられた世界最古の木造建築もみた。柱が太すぎるように感じた。この無骨さが1400年を生き延びた理由だと思った。放射能は1万年を生きる。樹齢1万年の木で築1万年の家を建てて、賞味期限が1万年の食べ物を食べないといけない。

Posted by satoshimurakami