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この日記は僕が生きてる限りは更新されるだろうけど、死んだらとまる。
今日は2回くらい、冬の風を感じて寒いなと思った。それよりもはるかにたくさん、陽射しを感じてあったかいなと思った。
久々に家を動かした。絵本の入校日が近づいてたり、奈良で展示があったりで、ここ1ヶ月くらい「歩いて描く」という通常運転をしていなかった。8日に能代に戻ってきてから「夢工房咲く咲く」をスタジオみたいに使われてもらって、ずっと籠って制作してたおかげでちょっと一段落できた。11日には東京から編集者とカメラマンがきて、そのときは「咲く咲く」を会議室みたいに使わせてもらった。
「夢工房咲く咲く」は通常のカフェとしての営業に加えて、先生を招いた英会話教室やデコパージュ(ナプキンなどに描かれた模様を切り抜いて石けんやコップなどに貼って装飾するやつ)教室や陶芸教室など色々な講座を開いていて、毎週日曜には駐車場で朝市をやってて、野菜なんかが売り買いされてる。ちょっと一人(+α)でまわしてるお店とは思えない。オーナーの能登さんは咲く咲くでの活動に加えて、つい先日坂田明・ジムオルーク・スガダイロー・山本達久の4人を能代のホールに呼んでのライブを企画してたりもする。起喜来のわいちさんとはまた違ったタイプの「公共の人」だと思った。平山はかり店の平山さんと合わせて能代の文化を担っている。
その二人と別れて、森岳温泉の銭湯「ゆうぱる」に向かった。17キロくらい。ラジオをつけたりとめたりして、瞬間と永遠のバランスを保ちながら歩いた。ラジオをつけると、イタリアでオリーブの品質偽装があったというニュースや、国内初のジェット機MRJが飛んだというニュースや、大麻をすった小学生の兄が逮捕されたというニュースがながれてきたりする。ラジオをとめると自分の足音や、歩くリズムにあわせて家が軋む音が聞こえてくる。ラジオをつけていたときは小さくまとまっていたからだがすこしずつ解放されていって、すこやかな気持ちになる。
昔から、何か面白いことを考えついたりするのはいつも歩いてるときだった。高校生のときは毎日夜に散歩することで、からだが解放されるのを発見できたのが救いだった。
森岳温泉はとてもしょっぱい温泉。これまでいくつも温泉にはいってきたけど、これ以上しょっぱい温泉は知らない。「ゆうぱる」には去年も世話になってる。ここの館長が近くに住んでる芸術家の加藤國男さん(ステンドグラスなんかを作ってる人)を紹介してくれた。
ゆうぱるの加藤さんコーナー。絵も書(木彫)もステンドグラスも全部加藤國男作
今日はたまたま三種町の人たちが集まっていて、大広間で宴会をやってた。僕は近くで絵を描くなどしてたんだけど、館長さんがこれまで3人に心臓マッサージを施して、2人は救った話なんかが聞こえてきた。「口からお湯吹けば大丈夫」「1人は助けられなかった。たまたま他に客がいなくて、発見した時には浴槽に浮いてた。」みたいな話が聞こえてくる。
夜は大広間で寝ると良いといわれた。こういうとき、外の自分の家で寝た方がおちつくと言っても信じてもらえない。特に東北では。みんな「寒いでしょ」と言ってくれる。やさしい。なので最近はもうあまり言わない。流れにまかせる。
なので大広間に寝袋をしいたのだけど、寝袋は買ったばっかりのモンベルの♯1の900で、完全に寒冷地しようなので室内ではむしろ暑くてなかなか寝つけない。なので窓を開けて外のデッキに寝袋をしいて寝た。それでもTシャツ1枚になるくらいでちょうどいい。そしたら寝れた。