05240642
アーランダ空港のSKYCITYという、土産屋とか服屋とかカフェとかレストランがたくさん集まっている広々したロビーのような場所で、電源がある丸いテーブルに座ってこれを書いている。向かいにはコーヒーとパンを傍らにパソコン作業をしているメガネの白人のおじさんが座っている。
朝の7時前。快適な空港だ。とても優秀な無料Wi-Fiがあるし、電源もある。もうここに住める。昨日は結局、この電源テーブルの近くの木のベンチを寝床に定めた。結局人がよく通りそうな場所の方が安全なのだ。こういうところでは。22時くらいに横になった時は、僕の他に一人だけ横になってる人がいるのみで他の人たちは普通に座ってそれぞれ、たぶん飛行機を待っているような雰囲気だった。その横になっている人も、荷物が少なくて、まじで寝てるという感じじゃなくて、なんか昼寝をしているような感じだった。
僕は木のベンチに靴を脱いで横になり、リュックを枕にして、スーツケースはベンチの下に入れて、そのスーツケースにちょっとだけ手をかけるような感じ(一応盗難防止のため)で、横になって気がついたら、0時をまわっていて、そしたら周りのベンチほぼ全部で人が寝ていた。仮眠者。とりあえず仮眠者と呼ぶ。やっぱり読みどおり、ここは仮眠スポットだった。数えたら仮眠者は20人くらいいた。仲間が。床から天井(上と、その上の階まで吹き抜けになっていて、多分10mくらいの高さがある)まで、というか全面ガラスみたいな壁をコの字で囲うように木のベンチがいくつも配置されていて、そこにみんなでねている。コートをかけたり、フリースを着たりしてそれぞれ防寒対策をしている。まくらをもってる人もいた。僕もちょっと寒かったので、いつもの黒いダウンを着て、もう一度寝ようと思ったがトイレにいきたくなったので、一応リュックだけはもってトイレに行った。トイレからの帰りに気がついたのだけど、用務員っぽいスタッフの男性が、なぜか仮眠者達の近くの椅子にずっと座っていて、僕らを見張ってくれているような雰囲気さえあった。
その後もう一度ねて、シャカシャカした音楽の音で目が覚めた。さっきの用務員さんが、何やら作業を始めるらしく、シャカシャカした音楽を鳴らす何かを携えながら、僕たちのスペースに入ってきた。4時過ぎくらいだった。そばにあるカフェはもう営業を始めていた。用務員の彼は掃除ロボみたいな黄色い乗り物にのって掃除を始めるらしい。彼は乗り物を動かす前に、わざわざ丁寧に通行の妨げになりそうな、床に脱ぎ捨ててある仮眠者の靴をベンチのしたに入れたりしていた。やさしい。
文化庁に提出する書類を作ってメールしていたらこんな時間になってしまった。しかし僕はあれこれ気にしていたが、結構みんな電源テーブルにパソコンとか繋ぎっぱなしでどっか行ったりしている。無防備すぎる。まだ寝てる人が二人いる。うち一人は、僕が寝ていたところを使っている。
お腹が空いた。なにか食べたいのだけど、またパスタかピザかパンか。寿司もあるけど馬鹿みたいに高くて、たぶん美味しくない。こうやって文章を書いてると、自分がスウェーデンにいるということを忘れる。「忘れる」というか「思い出さなくなる」ということはつまり、文章を書いてないときは、いつも何かと思い出しているということだ。思い出し続けることによって、自分がどこにいるかを認識するのかもしれない。文章に限らず、何か制作をするということは、自分の中にひとつ場所があって、そこに行く感じなので、だから、いまこの体が座標としてどこにあるかは問題じゃなくなる。のかもしれない。これって、「つまらない」と紙一重だ。インターネットの影響もあるんだろうけど、僕たちはあまりにも、世界をフラットに感じることに慣れすぎてしまった。どこに行っても、インターネットで日本語の文章を見ることができる。僕は今回の旅のために日本語の本を3冊持ってきた。「ベルカ、吠えないのか?」「その日暮らしの人類学」「文学的なジャーナル」。インターネット以前は、こうやって国外に持ち出した本が、母国語が読めるものとして、とっても頼もしく思えたに違いない。今以上に。しかし、もう現状こうなってしまっているので、なぜこうなったのかじゃなくて、なぜこれじゃダメなのか、っていうところから、考えないといけない。いつも通り。