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楠葉を朝9時に出発、友人と楠葉駅で別れて26キロほど歩いた。基本的に淀川沿いを下っていった。ちょうど昨日自転車乗りの男性からきいた桜ノ宮のあたりも通ったが、すでに24キロくらい歩いたあとだったのでそこに砂船をつかって砂を集めている工場があるかどうかを探す気力はおこらなかった。明日見にいってみようと思う。淀川沿いは歩くには素晴らしいコースだ。道中、ヘビトンボが潰れて死んでいるのをたくさん見た。淀川もこのあたりは意外にも水が綺麗なのかもしれない。あのさらさらした砂とヘビトンボと何か関係があるかもしれない。京都で鴨川は途中から桂川になり、その桂川と宇治川と木津川が全て合流して淀川になる。淀川には、洪水のたびに上流から運ばれてくる良質なサラサラした砂が川底にたまっている。淀川が増水して道路まで侵食すると、道路上にその砂を撒き散らす。その上でヘビトンボが死んでいる。そういえば国立科学博物館で見た東日本大震災の断層の実物もとてもさらさらしたきめ細かい砂のような粘土だった。というかあの良質な砂が、長い時間をかけて埋もれて押しつぶされていくとあの粘土になるのかもしれない。
終盤は加藤文太郎という登山家に関するラジオドラマを聴きながら歩いた。エベレストを夢見て若くして亡くなったサラリーマン登山家。いろいろと神格化されてしまっている可能性があるので慎重にならないといけないけど人の心を捉える生き方をしていた。ぐっときた。1時間以上ある作品だったけど面白かったので二回も聞いてしまった。
登山家は、はじめ旅行のことを知らなかった。ディーゼルエンジンの図面をひく仕事をしながら須磨にある社員寮に住んでいた。知人が登山を教えてくれてから、近隣の山をものすごい勢いで単独で登り始めた。サラリーマンをやりながらお金をため、装備も手作りし、有給休暇をもらって登った。六甲全山縦走という今でも続くルートを最初にやったのは彼だ。須磨の社員寮を早朝に出発し、六甲全山を縦走して宝塚で下山、そこから電車も使わずに、その日のうちに須磨の自宅まで歩いて帰った。合計100キロの道のりを16時間で走破した。一人で。当時はガイドをつけ、パーティを組んでグループで登る登山が一般的だったなか、足が速すぎて他の人間を置いていってしまうという理由や、費用がかからないという理由などから一人で山に登った。単独行の文太郎と言われた。北アルプスの冬山で友人の吉田くんと登山中「”山の声”に呼ばれて、悪天候になるのはわかっていながら槍ヶ岳に挑戦したが吹雪にのまれて凍死した。」
そして僕は大阪市内の知人Fの事務所に突入。事務所はテナントビルの4階にあり、家が階段をとおらなかったので屋根を分解して強行突破した。Fは最近健康づくりにはまっているらしい。2014年に最初に家と一緒に大阪に来た時もお世話になった。というかその時に知り合った。当時僕はものすごく体調が悪く、着いた時には熱を出していた。その時はこの事務所は無く、Fの実家のビルの一階の空テナントに一週間くらい滞在させてもらった。その空きテナントはいまでは電気工事士の事務所が入ったらしい。当時やったたこ焼き器をつかったアヒージョパーティの話や、味園に飲みに行った話など思い出話をやって懐かしい気持ちになった。あの時僕は26歳だった。
その事務所は、信号がある交差点のかどの4階建てのテナントビルの最上階にある。事務所の窓からはその交差点が綺麗に見下ろせる。自転車やタクシーやトラックなどいろいろな乗り物がよく通るけど、東西南北を大通りにかこまれたブロックのちょうど真ん中なので、そんなに通行量があるわけではない。信号機は、そこに車もなにもいない時も、赤と黄色と青を繰り返し点灯させている。真夜中になっても。交差点の対角には、少なくとも夜の11時までは開いているタバコ屋がある。事務所には夫婦と、アシスタントの計三人。家は別の場所に借りているけど、ここに泊まることもある。そこではデザイン・カメラマン・ライター・WEBなどの仕事を請け負っている。事務所を開いてもうすぐ一年。もともと住居だった部屋を使っているので、台所がついていて簡単な料理もできる。レンガ模様の壁紙と、リアルな木の竪板張り模様の壁紙と白い壁紙と黒板に囲まれていて床も木の板張りになっているので、全体的に茶色い印象を受ける。友人や自分たちで壁紙張りをおこなった。「茶色っぽくなっちゃったなあ」と思ったので、椅子はポイントで色が欲しいと思い、椅子はカラフルなものを使っている。事務所の近くにはインド人の家族が営んでいるインド料理屋がある。小学生くらいの子供が二人いて、夕方にいると客席に座ってゲームをして遊んだりしている。母親はおでこに赤いビンディーをつけているのでヒンドゥー教徒なんだろう。日本にあるインド料理屋で働くインド人でちゃんとビンドゥをつけている人は初めて見た。レジの上にあるテレビでは、インド人であろう歌手のミュージックビデオらしきものが絶えず流れている。一時期は頻繁にこの店に通ってランチを食べていた。
夜は初めて来たなあ。ランチやすいからなあ。
エレファントカシマシの宮本は生活のことを敗北と死に至る道と歌った。生活は、自分を地面に溶かしていくものだ。それを宮本はそう歌った。生活は床や路上など、とにかく下に向かっていくエネルギーだ。「路上」が、自分の「下」にあるのは面白い。ケルアックは「路上」で道路の上でおこる人間のアレコレを書いたけれど、考えてみればお気楽なもんだと思ってしまった。僕は道路そのものを捉えたい。考えてみれば僕は道路上にいることが多い。道路は人と地球の間にあって、人工物で、絶えず雨とか草木とか、自然からの侵食を受けている。整備を怠った道路はあっという間に草木に飲み込まれる。人は道路の上でアレコレ忙しくやっているが道路の下ではそれとは全く無関係に気まぐれに断層がすべったりして、道路とその上にのっているものをめちゃくちゃにする。ほとんどの家と生活は道路によって紐づけられているが、当の道路は自然と人工の波打ち際みたいにただよっている。一郎さんも言っていたけどどうも人間ばかり見すぎている。人間の動きと地球の動きを同時に捉えたい。道路のあり方は格好のヒントになる。