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昨日は家を画家のNさんの家の向かいにある空き家に置かせてもらい、僕はユースホステルに泊まった。Nさんの提案でそういうことになった。結局宿代も夕食も払ってもらってしまい、いろいろお世話になってしまった。この恩を僕は後輩に返せばいいんだろう。たぶん。そう言ったらNさんは「こんなの大したことない。まあお互い様だしね」と言った。素敵だ。彼と僕とは50歳くらい違うが、僕も時が来たら同じセリフを後輩に言いたい。
今日朝10時過ぎにユースホステルを出て、自分の家のところに戻り、そこで絵を描いた。描いている2時間余りのあいだ、門の向こうの道路は、自動車が1台だけ通っただけで他には人っ子一人通らなかった。
絵を描いていたら紙がざらついてきた。見えないけれど、火山灰がすこしずつ紙に積もっている。Nさんの絵にも火山灰が自然と練りこまれているんだろう。途中、Nさんがお茶に読んでくれた。
火山灰がな、降ってないようで降ってたり、あと木の上に積もったのが風で舞い上がったりするからな。夏も窓開けたいんだけど火山灰が降る日なんかは開けられん。でも地元の人も口じゃ「火山灰が・・」とかいうけど心では感謝しているしな。
私は桜島が好きで、(25年以上住んでいても)その気持ちはずっと変わらない。その証拠に、ここはいいところですよとか、良い木がありますよとか、いろいろお誘いが来るんだけど、ここから出ようという気にならない。”満ち足りている”。私はよそもんなんだけど、桜島が好きでたまらない人だということで、地元の人も受け入れてくれている。普通田舎は、受け入れてくれなかったりするんだけどな。
でももうちょっとお金があればなあと思う。大きな絵が売れたらそれを(妻と)分け合って、その残りで何年も暮らさないといけないしな。
そして別れた。別れ際に握手を求めたら彼の手が強く握り返してくれた。「お体にきをつけて」と言ったら「お互いにな。目的の遂行のためにはそれが第一だから」と言われた。素敵な作家だ。
Nさんの家から1キロくらい歩いたところにある道の駅に家を動かした。距離にしてたった1キロだけど、別れたので、彼の存在は距離以上に遠くに感じる。道の駅では、敷地の交渉は拍子抜けするぐらいすんなりうまくいった。桜島は観光客が多い。道の駅や、この温泉施設にいるとよくわかる。
僕は家を着いてすぐに絵を描き始めた。絵を描いてるあいだ、ふと右の方をみるといつもそこに桜島の御岳が見える。何度見てもはっとするくらいかっこいい山だ。あのかっこよさ、火山灰くらい常に振らせてくれてないと困る。
以前一郎さんや未来美展の人たちと話した時、なんでいつも噴火してるような山の下で人が生活してるのか、という話をして「気がついたら住んでたからじゃないか」とか言ってたけど、今は、それはよそもんの僕にはわからないだろうと感じる。わからないけど、そこにこういう形で人が住んでいて、これからも住んでいくんだろうなというようにして住んでいる人が現実にいる以上、それは尊重しないといけないだろう。ある土地について、よそもんが、そこに住むべきかどうかなんて議論するのはもしかしたらかなりナンセンスというかやってはいけない議論なような気がするけど、しかし放射能や原発という話になるとそういうあってはならん議論がふきだしてしまうんだろう。そういう議論が生まれてしまうというだけでもそれがあってはならないものだろうということがわかる。例えばここで、火山と海に囲まれてたくましく住んでいる人たちに「そこに住むべきではない」なんていうことをいう権利は神にもどんな人間にもない。