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My love she speaks like silenceという素敵な歌い出しから始まるBob Dylanの曲を聴きながら歯磨きが終わった後そのまま、家が置いてある道の駅から離れて桜島港まで降りていって、数キロしか離れてない対岸の鹿児島市の夜景と、その光に向かって出航するフェリーを眺めて、あの対岸には橋口さんや、山下くんや、未来美展で過ごした時間や出会った人たちがいるのだと感じて、女木島から見た高松の夜景に似ているなと思い、高松に住んでいたころの自分や、当時一緒に暮らしていた人や高松で出会った人たちがあの夜景の中にいると感じたりして、またこれまで出会って別れていった人たちや、これから新しく出会ったり、また再会したりする、そういうあらゆる人たちの存在を光の中に感じていたのかもしれないとにかくそれらのせいで、ぼくはものすごく幸せだった。Bob Dylanのその曲は、彼の友人の結婚式のために作られた曲(本当に最高だ)だということも相まって、なんともこらえきれず鼻歌を歌ったりスキップをしたりしてしまった。ここでさっき買った黒伊佐錦(鹿児島の定番芋焼酎)のワンカップがあれば最高だなと思ったがあいにくそれは家に置いてきてしまって手元になかったけれど。この時間とイメージは誰にも邪魔されない。こうしている間にも火山灰は気づかないくらいゆっくりとこの体に積もっているんだろうと思ったが、火山灰がこの体の形に積もってくれていることが、何かを証明してくれているようでそれも幸せだった。ようは気持ち次第なのだ。
しかしあとになって冷静に考えてみると、鹿児島港から15分の距離にもかかわらず、鹿児島の市街からは全然違う、うら寂しい風景(あえて言う)がひろがり、過疎化している桜島は、女木島と重なる部分がある。海を隔てている。ということは、それがどんなに短い距離でも、そこに遠さをつくってしまうらしい。かといって、桜島と鹿児島港の間に橋を渡すべきだとは思えない。