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僕がここにバスで来たということを考えていたら、ボウイはバスで来てしまった。と打ってしまった。仮にデヴィットボウイをここに読んだとしたら、バスではこないだろう。もっともバスに乗らなそうな人の一人だ。たぶん空から落ちてくるだろう。
高校生の時、散歩の習慣があった。夕食後、イヤホンで音楽を聴きながら夜の近所を毎晩毎晩歩いた。音楽のリズムに合わせて歩くのがとても楽しくて好きだった。街が書き換えられていくようだった。家庭や学校に代表されるような、何か戒律的な世界からずれて、違うところにアクセスできるような気がした。同じ近所を何十回も歩いてるはずなのに、いつも違う景色が見えるようだった。
10分くらいのときもあっただろうし、2時間近く歩いた日もあったように思う。
大学二年生の時に、 シチュアシオニストの漂流という概念に影響を受けて散歩サークルをやってみた。というより、電車で学校に通うと、移動が脳内だけでおこってるような気がして、景色がチャンネル変わるみたいで嫌だったので、散歩サークルをやろうと思ったら、シチュアシオニストという人たちに行き着いた。当時はこんなに有名な運動だったとは知らなかった。
ただ、シチュアシオニストによると、漂流は、心理地理学を実践するという同じ認識に至った少人数のグループが複数存在するのがベストらしいが、僕たちは1グループしかおらず、しかもシチュアシオニストなんてだれも知らなかった。なので、方法を考えた。1日の歩数を決め、交差点で迷ったら、グループでどっちに行くかを決める。それぞれのカメラで写真を撮りながら、話し合いながら楽しく歩く。最後にグーグルアース上に結果的に歩いたルートを落とし込む。それが、モグラが地面を掘るみたいに見えた。
地図を持ってきたかったけれど実家に寄る暇がなかった。
2009年2月14日の文章
地面の上にできている
何本もの道路が複雑に交わる交差点。横断歩道を渡るのは、様々な格好をした、様々な年齢層の人達。
ぎゅうぎゅうに押し込められた灰色のビル群の隙間から気の毒なお寺の屋根が頭をのぞかせる。見上げれば束になってうねる高速道路。その高架下にはデパートがあったり、駐車場があったり、川があったりする。
東京は混沌として実体がよく見えない。
さらに電車、バス、タクシーに代表される公共交通機関は、この街を日に日に狭くして、もはや移動はほとんど脳内で行われているのではないか。東京で長いあいだ電車を使って暮らしていると、ある駅から次の駅へ、また次の駅へと景色が変わって行く様が、まるでテレビのチャンネルを変えているかのように見えないか。
「たけコプターよりどこでもドアが欲しい時代になっている!だから息苦しい!」
このとき体を使って街に介入するという方法を得たように思う。その後大学を出て、清掃員村上を得た。街に介入すると同時に、社会システムにも介入する試み。
シチュアシオニストは漂流において「基地」の設定と「侵入経路」(侵入経路ってのが面白い)の計算が必要だと言った。そして「地図の研究」が不可欠だと。「新しい地区」への興味は全然関係ない。と
「基地」という考え方と、地図。ヴィルムフレッサーは家のことを、世界で経験したものを処理するためにある。と言った。慣れた場所、通例の場所がなければ、我々は何も経験できないと。「移住を生活する」を始めるにあたり、僕はたぶん「たくさんのケーブルに侵入された家」に対抗するすべを考えていた。
「徒歩交通」という言い方。交通という言葉には、狭い意味での目的地が含まれている。一定の道筋を通って行き来するという意味合いがある。交通手段としての徒歩を使うとしたら、なぜなのか。