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2018年7月5日부산광역시중구동광동の백산기념관

 

ミリさん撮影

いま釜山の中央駅という駅の近くのペクサン記念館というところの敷地内に家を置いて中でパソコンを開いている。ペクサン(白山)記念館というのは、日本が朝鮮総督府を置いて朝鮮半島を占領していた時代に抗日独立運動の義士として活躍したPeaksan Ahn Hee Je氏を記念して建てられた資料館らしい。まだ中には入っていない。釜山現代美術館の金さんが僕が寝る場所として交渉してくれて、明日までここに家を置いていいことになっている。建物は通りからセットバックして建てられており、その部分は公園のような場所になっているのだけどそこに家は置かずに、すこし奥まった人目につかない場所に置くようにと言われた。なにせ抗日の義士の記念館なので、日本人の僕がいくら「アート」といってもそんな場所に訳のわからない家を置いて寝泊まりすることを許すなんて如何なものかという意見を見越して、人目につかないところで、かつ1日だけなら大丈夫ということになった。金さんがこの記念館のスタッフと電話でやりとりしている時も、「それは政治的な主張のための作品ではないか?」ということを聞かれたらしく、金さんは「そんな主張は全くない」と言って許可を得てくれた。釜山にきて1日目にしていきなりハードな場所で敷地を借りることになった。明日は中も見てみようと思う。

大阪からのフェリーは今日の朝10時ごろに予定通り釜山国際フェリーターミナルに到着し(釜山は梅雨の時期で、雨が降っていた)、僕は到着ロビーで僕のネームカードを掲げて待っていてくれた釜山現代美術館の金さんとミリさんに迎えられた。Pantstar Cruiseのトラックに預けられた家を受け取る場所がわからず少し手間取った(というのも釜山国際フェリーターミナルは最近建てられたばかりらしく、空港みたいな巨大な建物で、到着して矢印に従って歩いてたら家を受け取れないまま出口まできてしまった)けど金さんが税関の事務所を訪ねて家の居場所を突き止めてくれたおかげで、どうにか家を回収した。行きのフェリーのなかで基本的なハングルの母音と子音を急いで頭にいれて(でもまだ覚えきれていない)釜山に到着したけど、金さんは過去に三年ほど日本に留学していたことがあるらしく、かなり堪能に日本語を話せる上に、ミリさんも英語がペラペラだったのでこの二人の前ではハングルを使う必要はなさそうだけど、でも多少は覚えたい。

家の中に蚊がいる。蚊がいなくなるスプレーを持ってきておいてよかった。刺されたけどそんなに攻撃力が高い蚊ではない。

フェリーを降りたあと家はいったん空港、じゃなくてフェリーターミナルだ。空港と勘違いしてしまう。フェリーターミナルの手荷物預かり所に預けて(といっても預かり所のドアから中に入らないのでドアの前の柱のそばに置いた)金さんミリさんと共に顔合わせとミーティングのために車で現代美術館に連れていってもらった。港から美術館までは車で30分ほどかかる。美術館は今年6月に開館したばかりの市立美術館で、釜山の西側(金さんいわく「昔はただの田舎だった場所」)の三角州になっている島にある。ミリさんも「ここは田舎。うちから通勤に1時間半かかる」と言っていた。日本語で。彼女は日本語も結構話せる。金さんたち美術館のスタッフは僕の今回の滞在を、かなり主体的に考えてくれていて、なんと4ページのカラーの小さな冊子も作ってくれていた。「家の動詞形」というタイトルの特別展を開催するということになっていて、僕が釜山を家と共に移動生活するあいだ「観客」は僕が家を運ぶところを路上で目撃したり、借りた敷地に置かれた家を見たりすることができる、ということになっている。画期的な考え方だ・・。僕はいままで自分が移動生活しているあいだ「展示」をしているとは考えたことがなかった。展示にしてしまえばいいのか。金さんの考えでは(金さんは「私の考えでは、」という切り出し方をよく使う)家を敷地に置いたらその家の前にアクリルボックスを設置し、そこにこの小冊子をおいて興味を持った人が持って帰れるようにするというものだった。そのため小冊子はダンボール5箱分くらい印刷されていた。やはり韓国は文化予算が日本より潤沢なのか?など考えてしまった・・。それらを全て持ち歩くのは重いので、金さんが、僕がいる場所に都度もってきてくれるという。その連絡を取るためのポケットWiFiの契約も全て行ってくれた。なのでいま僕はインターネットが使える。さっきまで使えなかったインターネットがいざ使えるようになったら、自分が非常に強くなったような気持ちになる。この活動においてはインターネットが非常に役に立つ。外国では翻訳もできるし銭湯や薬局やコンビニも調べられる。まあネットがないならないでなんとかやるのかもしれないけど。しかしインターネットがあってもここには電源がないのでバッテリーが切れたら一巻の終わりだ。しかもまだこの国で電源を充電する方法を見つけられていない。電源があるカフェを探すのが手っ取り早いだろう。多分あるはずだ・・。

蚊がいなくなるスプレーの効果が切れたらしくまた蚊がいる。本当は一晩有効なスプレーのはずなんだけど、足を出すための穴を開けているので風の通りが良すぎて効き目がすぐになくなってしまうらしい。でもこれを閉めると暑い。どうしたものか・・。とりあえずまたスプレーする。

美術館について艦長やチーフキュレーターと顔合わせをしたあと、金さんたちにいま開催中の展覧会を案内してもらって(金さんもオススメのJeon Joonhoという作家が面白かった)、お昼ご飯を一緒に食べた。現代美術館よりもさらに西にあるニュータウン(豊洲みたいなマンション群が並ぶ景色の街)でサムゲタンを。注文したらすぐに漬物の小皿が10皿くらいでてきて驚いた。漬物はお代わりし放題らしい。辛くて食べられないものもあったけど基本的に全て美味しい・・。ちなみに夜ご飯にはサムギョプサルをご馳走になったのだけどここでも出てくる皿全て、肉はもちろん豆腐もサラダも美味しかった。

お昼ご飯のあと美術館に戻ってすこし綿密な打ち合わせを金さんと行う。釜山は海雲台(ヘウンデ)と呼ばれる東側の地区のあたりが最近は人気のエリアらしく、若者の人口が増えているらしい。釜山中央駅があるこのあたりは「若い人はあまりいない」と言っていた。そこでおおまかな移動ルートを決めて、中央駅付近を下見しつつフェリーターミナルに戻った。

フェリーターミナルで家を回収し、金さんたちと別れてそこからこのペクサン記念館まで歩いてきた。1時間ほど家を持って歩いたわけだけど、船内で「これは韓国ではものすごくひとに話しかけらえるかもな」と思ってたけど実際はほとんど全く誰にも話しかけられなかった。一人だけアニョハセヨと声をかけてきた人がいたのでアニョハセヨと返したけど本当に僕に話しかけたのかどうかはわからない。写真を撮ってくる人は普通にいた。話しかけられることを想定して一応金さんが作ってくれた小冊子を持ち歩いたけど出番はなかった。ペクサン記念館のそばには銭湯(金さんは「銭湯は釜山にもたくさんある」と言っていた。助かった。)というかお風呂もやっているモーテルのような施設があって下見の時には「お風呂が隣で便利じゃないか!」とみんなで盛り上がったのだけど、夜19時ごろに着いたときにはしまっていた。夜にはしまってしまうらしい。銭湯はあるけど夜に行くという習慣はないということなのか?こっちでは朝に入ることが多いのか?

なので歩いた時に汗をかいたけど洗い流せないので近くのコンビニにいってウエットタオルらしきものを見つけてレジに並んで「これタオルですか?」と日本語で聞いたら「ウエットティッシュ」と答えが返って来たのでそれを買って体を拭いて今に至る。でも家の中でパソコンを売っているうちにまた汗をかいてきた。あしたの朝銭湯に入れることを祈る。ちなみに公衆トイレもこの建物の裏側にあったけど今は入れない。コンビニにもトイレはなかった。簡易トイレ戦法でなんとかやるしかない。

小冊子をデザインしてくれた会社の社長さんと金さんと三人でペクサン記念館の近くにあるサムギョプサルの店に行ってご飯をたべた。そのとき金さんが「韓国ではご飯を食べたりお酒を飲むために一人でお店に入ることはあまりない。最近はすこしずつそういうこともできるようになってきたけど、一人で店でお酒を飲んだりすることは、すこし変なことだと思われている。そういう人を見ると基本的に友達いないのかな、とかいじめがあるのかな、と考える」と教えてくれた。あやうく一人でバーに入って酒を飲んだりするところだった。不思議だ。金さんは「日本みたいに一人で定食を食べられる店があったら便利なんだけど」と言っていた。この点に関してはすこし暮らしにくいかもしれない。カフェは一人でもいけるらしい。

韓国語については、ハングルの読み方さえ覚えられれば、その読みから漢字を連想して意味を類推できることが少なからずあることがわかってきた。「住民」のことを「ジュミン」と言ったり「薬局」のことを「ヤッグク」と言ったりする。日本語話者である僕は韓国語を勉強するにはかなり有利だ。しかも文法が一緒らしい。「私は日本から来ました」と言いたい時、「私」「は」「日本」「から」「来ました」を順番に韓国語でいえばいいということだ。今回の滞在では韓国語を勉強しながら移動生活をやってみようと思う。

釜山の中央駅付近は日本人観光客も多い(昔はもっと多くて「すごかった」らしい)場所らしく、ご飯を食べてたら日本語が二つのテーブルから聞こえてきた。店の看板も日本語が併記されてたりする。

サムギョプサルを食べながら金さんが「日本人のアーティストの知り合いもたくさんいるでしょう、ぜひ紹介してください。来年の企画でとか、色々考えられるので」と言ってくれた。こうやって僕みたいないち作家でも少しは国際文化交流の役に立てることがあるから海外に行くのは面白い・・。「面白い人たくさんいますよ。紹介します」と答えた。そういえばエミルも今年日本に来るらしい。

かれこれもう2時間近く日記を書いている。明日銭湯に入れることを願いながらそろそろ寝ることにする。

Posted by satoshimurakami