看板図書館part2日本語
part2
<小松屋>
昭和24年やったか26年やったか
なんかその頃です
– お母さんが(お店を)始められたんですか
いやいや
主人の父ですね
お爺さんですね
– じゃあ二代目?
主人は30年前に亡くなってるので
三代目になるのかな
ここで石引の市電が
ちょうどここで終わりで
ここから引き込んで
もうちょっと行ったところが
電車の乗るところだったんです
うちのお隣のところまでが道が広くて
あとは狭かったんです
ここが終点で
ここから山って言ったら悪いけど
ここから奥の人はここで電車降りて
こんど国鉄のバスに乗り換えて
行ってるんです
昔は
それでここへ
朝みんなお弁当にご飯とちょっとだけおかずを入れて
うちへ来て
金時豆やなんやらを詰めて
持って帰ったという
学校なり会社へ行かれたという話も
わたしは知らないんですよ
わたしは嫁に来た人間ですから
– じゃあそのご主人のお父さまがされてた時には、割とみなさんの台所みたいな
そう惣菜屋さんというかんじで
惣菜よりもギフト関係に力を入れだしたのが
まあ主人と父の後半ですね
そのあとから結局スーパーが出だしたでしょう
それでもうスーパーと対抗してやってもしょうがないから
もうギフト専門の方に
細かいものは全部切ってっていう感じ
これはふぐの粕漬けと、これはぬか漬け
福井なんかは鯖のへしこというぬか漬けありますでしょう
金沢はフグとニシンとイワシがぬか漬けで
粕漬けだけがフグがあるんです
<和洋酒たかはし>
四代か。三代か
足軽しとった人が八百屋したっちゅうんやろ
武士のあれを、無くなって
そんで八百屋をして、ね
– 足軽をしていた人が八百屋に…?
もう武士が無くなって
そうそう
– で八百屋になった
八百屋
それで前からもうずっと
その時代はお酒はどうかわからんけど
早い時代からお酒も一緒にしとったんやけど
八百屋が主たるもんね。果物とか
でもスーパーができ始めたもんで、お酒に切り替えて
姑がスーパーが嫌いって
言われて
スーパーに入るのは絶対いやっちゅうて
個人でって言ってずっとそのかんじでしてる
電車のあるときはねほんとに
大学のお見舞いのお客がすっごく
電車着くたびに盛り籠がパッと売れたけど
このごろほらいろいろと病院内に持ち込みダメとかね
あんなんなって
売れなくなったのもあるしね
– ここの病院が特に厳しいんですか
いや、どこでもです
国立でもやっぱ一緒ですね
42年に電車がなくなったから
そのときもうすでに
ないっちゅうことやね
前からなくなってると思う
先生にお礼にウィスキーとか、よくでたよ
<コウダ>
わたしで三代目やね
わたしのお爺ちゃんから
直してっていうのも割とあるね
寸法直してって
着物をつくりますって人はおらんけど
袖の丈を直してとか
振袖の袖を短くしてとか
お婆ちゃんの着物やけど
ここが短いもんで
昔の人小さいから
これをもっと出せるだけ出してみたいな
そんなんとかもあるし
– 着物のお直しができるってなかなか
普通の人できんからね
わたしができるわけじゃないけど
うちの母は簡単なことならできるけど
やっぱり袖ぜんぶ外して直してもらったりは
ほんとに仕立屋さんじゃないどできんし
昨日もひとつ振袖短くしてってやつ
納めてきたし
振袖つくってもらえたら一番いいんやけども
まあお直しでもって
–(振袖を) 作ってっていうお客さんは全然いないですか
いやいないことない
こないだもやっぱり
したいっていうお客さんおって
でも振袖は今年なかったね
つくるっていう人はない
うちは今ここに振袖っていうのは置いてないけど
お客さんの振袖欲しいわっていう人おったら
金沢に問屋団地ってあるやん
あそこの問屋さん行けば
呉服の問屋さん行けばいろんな振袖あるから
ちょっと貸してって借りてきて
お客さんに見せる
買い取ってしまうとそれが売れんかったらもう在庫に残ってしまうわけやから
うちらもう振袖みたいな特殊なもんは
もう見せて欲しいって言われたら
問屋さんから持ってきてお客さんに見せるみたいな
そんなんで
品物は置いてありません
<三花嶺>
お茶は嗜好品ですから自分なりに楽しみながら頂くのがいいと、私は思います。
ここは誰もが気軽に来てお茶を一杯飲んで帰れるところですね。